長文タイトルについて立ち止まって考えてみた。

蒼風

0.はじめに

 自分は最近ツイッターを見ていると凄く気になることがあります。


 それは「ネット記事のタイトルが似たり寄ったり」ということです。


 公式以外のクライアントを使っている人だとピンと来ないかもしれませんが、ツイッター公式クライアントでは、右側の欄に(どういう選出基準なのかは分かりませんが)ニュース記事が並ぶようになっているのです。


 恐らくはある程度「読まれている」記事なのかもしれませんが、自分は基本その手の記事は読まないようにしています。


 なぜかといえば答えは簡単。つまらないからです。


 既に知っているような事実と、時代遅れに近い常識で塗り固められた、「似非最新情報」みたいな記事が非常に多いのです。


 自分の体感では特に「ハフポストジャパン」と「バズフィードジャパン」の記事が酷いイメージなのですが、それはまあいいでしょう。個人差もあると思います。


 で、そんなネット記事のタイトルですが、まあ似通っています、やれ「○○な訳」とか「○○な理由」とか。


 語尾に関しては多少の違いがありますが、全体を通して共通していることは「長文で記事の内容を表現するタイトル」であるということです。これらの比率が非常に多い。


 あらかじめ断っておきますが、自分は何も「文字数」でタイトルの優劣が決まるとは思っていません。


 後述する通り、中には「割と文字数多いのに作品のタイトルとして凄くいいもの」も普通に存在していると思います。ただ、そうでない比率が凄く多い。


 そして、もう一つ問題があります。この手の「長文タイトル」の中に、良質な記事が紛れ込んでいるのです。


 過去に自分もnoteの方で少し言及した(元記事を含めて本稿末尾の「参考資料」にURLを貼っておきますので、興味があればどうぞ)のですが、「オワコン化」に「4つの理由」というフレーズを含んだ記事が大変良質でした。


 もっとも、記事をどう感じるかは人によると思うので、これが万人にとって良質かは分かりません。


 しかし、この手の良質な記事が「無駄に長い長文タイトルの記事たち」の中に紛れ込んでしまっているのです。


 木を隠すなら森の中という言葉がありますが、まさに今の状況は「良質な記事」という「木」が「しょーもない記事」という「森」の中に隠れてしまっているという状況のような気がするのです。


 そこで今回は、自分が「長文タイトル」について感じていることや、考えていることをざっくりとまとめた上で、最後に「あるお願い」をしようと考えております。


 まあぶっちゃけ、最後の方にある「5.お願い」だけ読んでもらえれば良いといえば良いのですが、それを考えるに至った経緯をこれから説明していくので、暇な時間にでも読んでいただけると嬉しい限りです。


 それでは、「長文タイトル」についてさくっと見ていくとしましょう。

 

 ちなみにちなみに、「0。はじめに」と「6.おわりに」以外は要点をまとめた「ざっくりポイントまとめ」を末尾につけておりますので、ご活用ください。

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