五木家の殺人

空見ゐか

五木家の殺人

 お父さんが死んだ。


 警察の調べによると、死因はいわゆる心臓麻痺だったらしい。


 私たち家族は避暑のために、長野県にある別荘を訪れていたのだが、お父さんが急死したのはその二日目のことだった。それからは、お父さんの実家に親戚で集まったり、葬式をしたりして、とても忙しかった。


 そして、再び別荘に戻ってきたとき、探偵を名乗る男──角路かどみち右治ゆうじが、玄関で私たちの帰宅を待っていた。


 近年は地球温暖化の影響でここ軽井沢でも夏は三十度を超え、もはや避暑でもなんでもないのだが、角路は長袖長ズボンのスーツにシルクハット、さらにはサングラスまでかけていた。手袋と袖の間から垣間見える黒っぽい肌は、脂でぎっとりしてる。暑いのだろう。


五木いつき武里たけさとさんの死の原因を明らかにします」


 角路はニヒルに口角を上げて云った。五木とは私たち家族の苗字で、武里は父の名前だ。


「いえ、結構です」


 母が即答した。


「奥さん、お綺麗ですね。相変わらず美しい……」


「あら、そうかしら」


「ところで、私は世界一の名探偵なのですが、武里さんは殺されたのだと考えています」


「殺された? あり得ません、そんな……」


「ええ、今から説明いたしますので、どうぞ中にお這入りください」


 角路は巧みな口述で母を納得させ、まるで自分の家のように私たちを玄関に誘導した。


 母が鍵を開けて、角路と私たち子供らが後に続く。


「あいつ、やばくね?」


 弟のつかさが私の耳元で云った。司は高校一年生で、頭が良かった。


「チャールズみたいな服装しやがってさ」


「チャールズって誰よ?」


 私の問いに、司は呆れて「チャールズ・チャップリンだよ」と応えた。お前はチャップリンと友達だったのかよ。


 別荘の一階にはリビング、書斎、トイレ、風呂場などがあり、二階にはそれぞれの寝室があった。他の別荘に比べるとやや小さめだが、家族四人が泊まるには十分すぎる広さだ。本来なら友達も呼ぶ予定だった。


 母がリビングの電気をつける。


「きも」


 司が呟いた。「ほら、あそこ、虫が死んでる」


 見ると、かなり大きめの虫が絨毯の上で死んでいた。司は虫は嫌いだった。


「司は男のくせに臆病だね」


「姉ちゃんはすーぐ男のくせにって言う。男だってキモいもんはキモいんだよ」


 私たちが軽く口論している間、角路はジロジロと絨毯を舐めるように見渡していた。


「武里さんが亡くなったのは、書斎ですよね?」


「はい、あの奥の扉の向こうが書斎です」


「這入ってもいいですか」


「どうぞ」


 角路が書斎の扉を開けると、埃っぽい空気が舞い込んできて、私と司が咽せた。中には簡素な机と安楽椅子、あとは無数の本が詰められた本棚があった。お父さんが死んだときの状態が保たれていて、床には、読んでいる途中であったらしい本が転がっていた。


「武里さんはこの床に寝そべって、死んでいたのですね」


「はい」


「死体はどんな様子でしたか」


「そうですね……」母は思い出しながら応える。「仰向けでした。私が見つけたときは、すでに息がなくて……とりあえず警察と救急車に電話しました」


「仰向け?」


「ええ。四肢を軽く曲げて、こう……」


「こういう感じで、四肢を宙に浮かべて、倒れてました」


 説明に行き詰まっている母に代わって、司が身体で表現した。カマキリのように、胸の前で腕や手首をくの字に曲げている。


「なるほど」


 角路はカサカサと肩を揺らし、満足げに頷く。「では、亡くなる前の武里さんの様子はいかがでしたか? 何か変わったことはなかったですか?」


「変わったこと……特には。普段通りでしたし、病気とかそういったことは一切なく……むしろ、最近はとても元気でした」


「たしかに、父さんは元気だったな……」


 司が母の言葉にしみじみと肯く。


「といいますと」


「いや、大したことではないですが、すごく、こう……元気はつらつな感じで。数年前、海外に出張して、帰ってきたときからかな……すごく足が速くなったり、腕相撲とかもめちゃくちゃ強くなってて、俺はてっきり出張中に筋トレでもしてたんかと思ってました。なあ、姉ちゃん」


 急に同意を求められて、私は慌てて喋り出す。「そうだね……。昔、みんなで海水浴に行ったとき、溺れてる男の子がいて。お父さん、その男の子を助けたあと、力尽きて溺れちゃったんだよね。あとで救助隊に発見されたんだけど、あのときはみんなお父さん死んじゃったって思ってた。けど、お父さん、心臓が止まってたのに、急に復活して。みんな驚いて、奇跡だって騒いでたよね。だから、こんなに簡単に死んじゃうなんて、私、ちょっと信じられない……」


「だよな……。俺は本気を出せば時速三百キロ以上で走れる、っていうのが口癖だったくらい、元気だったのにな……」


「そうですか。分かりました」


 角路はふむふむと肯いた。「次に、事件があった日のことを聞きたいと思います。武里さんが亡くなったとき、あなたたち三人はどこで何をしていましたか?」


「私たちを疑っているのですか?」


 私が訊くと、角路は「ええ、そうですね」と応えた。「あなたたち三人のうちの誰かが犯人です」


「そんな……あり得ません」


「では、その証拠をお聞かせください」


 角路のサングラスが私を睨む。しぶしぶ、私は思い出して応える。


「……私はあの日、お母さんに呼ばれるまで、二階の自分の部屋で、友達とSNSで話してました」


「司さんは?」


「その辺を散歩してました。姉ちゃんから電話で呼び出されて、それで家に戻って父の死を知りました」


「蝉子さんは?」


 蝉子とは母の名前だ。角路は私たちのことを調べてから、ここに来たのだろうか。


「私は……庭で本を読んでました」


「庭で?」


「はい」


「……リビングではなく、どうして庭で? 」


「どうしてって……」


「地球温暖化の影響で、いくら避暑地といえど、暑いものは暑いでしょう。クーラーの効いた涼しい室内で読書するのが普通ではないですか?」


「リビングには入れなかったのです。……その……


 バルサンとは燻煙式殺虫剤だ。








 ✳︎








「結論から云いましょう。。だからバルサンで死んだのです」


「……は?」


 聞き間違いかと思った。もしくは、この探偵の頭が狂ってしまったのか?

 リビングに集められた私と司、母の前で、角路は演説を始める。


「武里さんは四肢を宙に向けて、仰向けになって死んでいました。これをご覧ください」角路は絨毯の上のゴキブリの死体を指さす。「ちょうど、こんな感じでしたよね?」


 たしかに、そのゴキブリの死体と、父の死んだ姿は似ていた。


「証拠は他にもあります。あなたがたは先ほど、武里さんはあるときを境に、身体能力が向上したと仰りましたよね。司さんの話によれば、武里さんは足が速くなり、力も強くなった。さらに凛さんの話によれば、生命力も桁違いに向上し、心臓が止まっていたにも関わらず、奇跡の復活を遂げた。これらは、ある一つの仮説を認めることで、全て解決できます。……つまり、武里さんは、そのあるときを境に、入れ替わったのです。人間から、ゴキブリへ!」


 呆れて声も出せなかった。馬鹿じゃないのか。


「まだ信じていないようですね。無理もない……。しかし、武里さんがゴキブリである決定的な証拠が、一つ、あります。分かりますか、凛?」


「分かりません」私は応えた。急に呼び捨てで名前を呼ばれたのが腹立たしかった。


「名前ですよ。五木いつき武里たけさと。その一つ一つの漢字に注目してください」


 私は頭の中で、四つの漢字を順に思い浮かべる。五、木、武、里……。ま、まさかっ!?


。……そう、ゴキブリです」


「そんな……!」


 母は目を丸くして、恐るべき真実を嘆いた。「あの人が、ゴキブリだったなんて……」


「人類ゴキブリ化計画をご存知ですか?」


 角路が訊いてきた。私たちはもちろん首を横に振る。


「ゴキブリの身体能力、生命力を人間に移植し、新たな世界の支配者となる新人類を生み出す計画です。武里さんはその奇跡的なゴキブリとの親和性を政府に見出され、ゴキブリ化計画の実験体となりました。そして、実験は成功。武里さんのクローンであるゴキブリが誕生しました」


「じゃ、じゃあ……俺たちがずっと父親だと思ってたのって」


「ゴキブリです」


「う、うわーーーーーーーー」


 虫嫌いの司は絶叫した。


「ゴキブリを人間並の大きさにした場合、彼らは時速三百キロ以上で走れると研究で報告されています。武里(ゴキブリ)の口癖は真実であったわけです」


「知りたくねえよそんなの」


「武里(ゴキブリ)には、人間の武里さんの記憶もついでに移植されました。だから、あなた方は武里(ゴキブリ)がゴキブリだと気づけなかった……。非情な計画です」


 私たちはあまりに衝撃に、何も口に出すことができなかった。角路だけが延々と喋り続ける。


「この事件の犯人は蝉子さん、あなたです。あなたはリビングでバルサンを焚いた。バルサンから拡散された殺虫効果のある煙が扉の隙間を通って書斎に届き、ゴキブリである武里さんを殺した。先程確認しましたが、他の虫たちも絨毯の上で死んでいました。それが、あなたがここでバルサンを焚いたという証拠です」


「……その通りです。私が……ゴキブリを殺しました……」


 母も混乱しているのだろう。人を殺してしまったかのような沈痛な面持ちで、母はゴキブリを殺したことを告白した。


「あの、角路さん……」


「なんだい、凛」


 私には、どうしても気になっていたことがあった。


「角路さんが言っていることがもし本当なら、死んだのはゴキブリで、本物のお父さんはまだどこかで生きているということになりますよね? お父さんがどこにいるのか、知っていますか?」


 角路は柔らかな笑みを浮かべた。


「本物の君のお父さんは、人類ゴキブリ化計画の実験台にされ、長い間政府によって地下に囚われてきた。けど、お父さんはなんとか地下の実験場から脱出し、戻ってきたのさ。ここ、軽井沢にね」


 角路はサングラスを外した。

 お父さんだった。


「あなたっ!」


 母が泣きながら父に抱きつく。

 父は優しく母を抱擁した。


「久しぶりだね、マイ・ハニー。本当はすぐにでも戻ってきたことを知らせたかったのだけど、信じてもらえないと思ってね。こうして、下手くそな演技をしたってわけさ」


 角路がお父さんなら、私たちの名前を知っていたことも、まるで自分の家のように別荘に這入ってきたことも納得できる。


 けれど……。


 私は気付いていた。

 彼の名前。角路かどみち右治ゆうじ……












 カク








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五木家の殺人 空見ゐか @ikayaki_ikaga

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