素戔嗚尊

 飛ばされた先は見知らぬ森。鬱蒼うっそうとした、という表現がぴたりと当てはまるような森は見渡す限り木々が広がっている。


 力強い生命力に溢れた土の匂いとほんのりと香る花の匂いが同時に鼻腔びこうを刺激する。


「皆さん、私の聞こえますか? 校長の佐瀧です」


 上から声が聞こえた。空が広がっているはずだが、木々の陰に隠れてよく見えない。


 何かしらの手段で宙を舞っているにしても、声がよく響きすぎている。こちらには見当もつかない方法を使って声を増幅させているのだろう。耳を澄ませて、一字一句聞き逃さないよう努める。


「ここは端的に申し上げますと、私が作り出した世界です。私の許可がない限り、あなた方はここから自由に出ることは出来ません」


 本来ならばどよめきが起こってもおかしくなかったが、生憎あいにくこの近くには践祚以外の人はいないようで、一人で唖然あぜんとしていた。あの人数の生徒を指を鳴らすだけで自身の世界に飛ばしてしまうなど規格外の能力だ。


「もしかしたら察しの良い方なら気づいてるかもしれませんが、最後の一人になるまであなた方一年生には戦いあって頂こうというわけなのです」


 つまり、このバトルロイヤルは入学後初のテストという位置づけという訳らしい。


「一人前の獸狩りというのは、いついかなる時も戦闘を行う態勢を整えています。このような過酷な環境下において、就寝中や食事中に関わらず柔軟に対応することが目標です」


 気を抜ける時はなさそうだった。逆にこちらが寝込みを襲うというのもありとも考えられる。どちらにせよ、睡魔と疲労との戦いになるだろう。


「ああ、あと説明を忘れていましたが、あなた方の固有兵装アーマメントもしっかり製作させて頂きましたので配布します。なお本来兵装は対人用ではありませんので、今回は特別なルールを取ることにしました。今あなたたちは人の目には見えない膜で覆われています。その膜は固有兵装による衝撃をある程度緩和してくれる効果がありますが、それにも限度があります。膜が破れた時点でその世界での死亡と見なし、その場で元の世界に転送、すなわち退場なります。それでは皆さん最善を尽くして下さいね、応援しています」


 固有兵装アーマメントは対獸用に製作された武装を指す。


 特筆すべきは固有兵装に使われる金属がレアメタルの一種である『対獸金属』ACMアカム(Anti-creatures-metal)であるということだ。


 鈍い赤色をしたその金属は水に弱く錆びやすいという弱点はあるものの、獸に唯一の被害を出すことができるものとして世界中で研究が進められている。


 個々に出現する異能力を強化する形で固有兵装は製作されるので、世界でたった一つの兵装となるのだ。




 しかしどうやって固有兵装を配布するのだろうか、と践祚はふと疑問に思う。


 するとそれに答えるかのように空から勢いよくアタッシュケースが落下してきた。


「な、なんだ!?」


 数秒後に遅れて飛び退く。当たっていれば間違いなく大怪我になっていたことを考えると、冷や汗が止まらなかった。


 ジュラルミン製なのだろうかアタッシュケースは全くの無傷で、 落下の衝撃による小さなクレーターの真ん中に落ちていた。


 そっと近づいて、恐る恐る留め具を外して中を覗き見てみる。


「これは、剣………となんだこれ?」


 アタッシュケースは二層構造になっており、上段には多少奇妙な形をしているが剣だとわかる武器がクッションに詰められ、下段にはヒューズを入れるようなガラスと金属でできた容器に何やら色んな色の液体が詰められていた。容器は計十個あり、それぞれ色は左から順に赤、橙、黄、緑、青、紫、白、黒、虹そして透明。


 全くもってちんぷんかんぷんだった。手掛かりが何もない。説明書ぐらいはついているだろうとケースの中を探ってみるが、そんな生易しいものはなかった。


 使い方は自力で見つけだして下さいね、とあの校長が言っている様子がありありと思い浮かんでくる。つくづく試されることが多い試験だと思った。


 手を伸ばして刀身と思われる部分に触れてみる。ひんやりとした金属の感触が直に伝わってきた。片刃で長さとしては両手剣なのか、片手剣なのかが判別しずらい。試しに持ってみると思いのほか軽く、片手でも十分に取り扱うことが出来た。


 取り敢えず、使い方の分からない容器はしまったまま剣だけを右手に持ち、アタッシュケースは左手に持つことにした。いざという時の盾になるかもしれない。


 剣は柄の横の部分には長細い塊がレバーを従えて引っ付いていていた。レバーを下に引いてみるとそれこそ弾丸が入るほどの大きさの隙間ができるのでガンブレードの類かと思ったが、そもそも肝心の銃口がどこにも見当たらない。レバーを閉じてさえいれば、手の動きを阻害するほど大きくもないため放置することにした。


 取り敢えず、どこか空間全体が見渡せるような高台を探すかと思い、一歩を踏み出す。




「そこを動くな!」




「え」




 背後から大声で叫ばれた。声からして女性だろう。振り向こうとすると、顔の横を恐ろしい速度で何かがが通っていった。



「言葉が分からないのか、動くなと言っている!」



「す、すみません」



 十中八九、武器は弾丸でこちらに照準を合わせているところか。アタッシュケースに夢中になっており、背後から近づくこの人物に気が付かなかった。


「よし、それでいい。そのまま武器を捨てて降伏しろ」


「…………………じゃあ、もし嫌だと言っ、!?」


 質問を終える前に今度は股の下の地面が軽く爆ぜた。それほど大きな弾丸では無いのだろうが、先程からの繊細なコントロールは脅威でしかない。


「無駄口を叩くな。さっさと武器を置け」



 完全に逃げ場はなく、どうやら既にチェックメイトのようだ。




 と相手は考えているかもしれない。背後にいる彼女は践祚が口角を少し上げたことに気づけない。





「おい、早く武器を置」




 今度はあちらか言い終える前に行動を始めた。それほど明晰でもない頭脳で瞬時に計算を行い、ありとあらゆる可能性を検討することで導き出した最適解。



 すなわち、逃亡。もっと具体的に言えば全力ダッシュ。



「おいこら! 待て!」



 とにかく走る。足がはち切れそうになるぐらいの勢いで走り続ける。一見無謀なように見える作戦だが、践祚は彼女に関するある一つのことを見抜いていた。


(あの固有兵装だって、よくよく考えてみれば彼女にとっても初めて触る武器のはず)


 だからこそ、その隙をつく。ただジグザグに走っているだけなのに、遅れるようにして弾丸らしき何かがその場所を通る。更に木の幹が攻撃を妨害し、攻撃はなかなか当たらない。


「くそっ!」


 つい見た目に誤魔化されがちだが武器というのは銃に限らず、扱いを知っている者が扱うことで初めて真価を発揮する。ましてや、今日初めて持った武器など尚更だ。


 事実、終ぞ彼女の攻撃はこちらを掠めてすらいなかった。先程はこちらの背後を取った上にどちらも静止している状態だったので、正確に狙う余裕があったのかもしれない。


 けれども、逃げ続けている訳にもいかないので充分な距離があることを音で感じ取った上で茂みに身を隠した。


「見失ったか……」


 遠くからそんな声が聞こえ、践祚は安堵した。何時までも逃げられるほど体力に自身はなかったので助かった。


「上手く隠れてやり過ごすつもりだろうが、そうはいかない」


(なんだって?)


 次の瞬間、奇妙な音がが響いた。高くもなく低くもない、自分の身の回りを包み込むかのような音。その音はするりと践祚の体を抜けた後、木々に跳ね返り森の奥まで広がって行った。


「そこか」


 続けてもう一発。こちらの場所など当てようもないはずなのに、その弾は践祚の真横を貫通した。その隙間は僅か数センチ。


(な、なんで位置がバレてるんだ)


「チェックメイトだから教えてやろう。お前はこの固有兵装をただの銃器の類だと思っているだろう」


「そうじゃないんですか?」


 もうこちらの位置はとっくにバレているので、声を出して返事をする。


「違う。これは私の異能『反響認知』を補助するための固有兵装だ。音の反射でだいたいどこら辺にどんな形のものがあるかを把握できる。破裂音の高さを変えられる銃で更に遠くの様子まで分かる」


「具体的にはどのくらいまで?」


「半径約一キロだ」


「えぇ……」


 最初から逃げ場などなかった。結局彼女の認知範囲内の中で逃げ惑っているだけだった。


「しかし、どういう訳かこの異能は特定の周波数の音にしか機能してくれない」


「だからさっきの変な音がしたんですね」


「そうだ」


 もしあらゆる音で位置が把握できているのなら、既に何発かこちらの居場所を読まれ被弾していたはずだ。わざわざ特定の音を出す手間のおかげで救われたらしい。


「そして、今私はお前の側に立っている」


 どうやらその救いもここまででお終いらしい。践祚の脳天に照準は合わされ、数秒後には頭を貫かれて退場になるだろう。


(にしても、理不尽だったな。あっちは銃なのにこっちは剣だなんて……)


 右手にある剣を見やる。デザインはシンプルだが扱いやすいとは思っていた。けれど所詮は剣。射程も短く技術も必要なこの武器は、こういう場面であまりに弱かった。


「まぁ、判断力だけは自信を持っていい。銃を突きつけられて逃げたのも、私がこの武器に不慣れなことと、この森を利用すること込みで考えたのだろう? ただ固有兵装の相性が悪かったな」


「そうみたいですね」


 左手にあるアタッシュケースはどうか。よく分からない容器が幾つもあるだけ。




 でも、そこではっとする。頭の中でかちりと音がした感覚と共に降ってきた閃き。




 自然と手が動く。音を立てないようにそっと少し震えながらもレバーを引き、容器を隙間に入れ戻す。


 そのたった数秒程の作業にどれほどの価値があったのか。



「では、これでさようならだな。学園で再び会えることを楽しみにしているぞ」




 彼女の指が動き出す直前のことだった。




『【天叢雲剣】の励起を確認しました。直ちに所有者の魂を挿入します』


「っ!?」


 本能的に危険を察したのか、すぐさま彼女はトリガーを引いた。撃鉄の代わりに空気口が連動して開き、吸引した空気に高圧をかけて圧縮、その圧力で弾を飛ばす。その速度は音速を優に超え、火薬式以上のエネルギーを持って践祚に致命傷を負わせんとする。


 そしてその弾丸は、、、、、斬られた。それも真っ二つに。



 一瞬停滞する戦闘。辺りは静まりかえっていた。


 先に動いたのは践祚だった。ゆらりと体を起こし剣を振るう。流れるような動作で相手に隙を与えない。


 彼女が状況に追いついた頃には形勢逆転、喉元に刃が突きつけられていた。


「は、早すぎる…………っ?」


 践祚の様子がおかしい。彼女は自分が敗北の危機にあるというのにそちらの方が気になっていた。


 目の色は暗く淀み全く生気が感じられず、剣を持っていない左手は力なくぶらぶらとしている状態だった。


『対象の危険を察知しました。所有者の魂と同期中の為、擬似の『靈魂』で代用します。同期率35%』


 先程と同じ、機械のようでどこか神聖な響きを持つ声は剣由来だった。


「何故、仕留めない? 仮にも私はお前を殺そうとしたのだぞ」


「……」


 濁りきった瞳は声に反応を示すことなく、ただぼんやりとどこかを見ていた。まるで彼女など見えていないかのような空虚を纏っていた。


『同期率45%です。あと30秒ほどで同期が完了すると見込まれます』


 践祚は圧で相手の動きを封じ込めていた。生気の宿らない瞳にはなんの力も無かったが、対照的に喉元の剣は完全に準備が出来ていた。


『同期率72%です。あと15秒ほどで同期が完了すると見込まれます』


 ただ硬直した時間がだけが流れていた。張り詰めた空気の中で無機質な声だけが間を開けて響く。


『【天叢雲剣】所有者【素戔嗚尊スサノオ】の靈魂との同期が完全に完了しました』


「何かが来る……」


 践祚、いや践祚だった誰かは一度瞬きをするとその瞳の色が一般的な黒から真紅に変わっていた。


 変化はそれだけに留まらなかった。みるみるうちに刀身は黒く変色し、形は柄の部分は退化するかのように小さくなった。結果として元の剣とは似ても似つかないものへと変化した。


 そして、践祚が剣を持つ手は些か強くなり、銃を持っているはず少女が少し呻き声を上げる。


「…………状況が飲み込めぬな。貴様は何者だ、答えよ」


 今までの丁寧ながらもよそよそしい感じは立ち消え、相手を下に見ている口調へと変化したことに彼女は驚きを隠せなかった。剣だけでなく人格すらも変わってしまったとでもいうのか。


「一体全体、なんの冗談だ」


 もし仮にふざけているにしても、このタイミングであるのはあまりにおかしいし、謎の音声アナウンスにも説明がつかない。


「我は戯言の類を好まぬ。貴様、まさかとは思うが我を愚弄している訳ではあるまいな」


 そう言いながら践祚の体に宿る何かは剣を少し喉に肉薄させる。いつでも殺せることを暗に示している仕草。ふざけているようには見えなかった。


「………っ、失礼した。私も多少混乱していたのだ。誓って馬鹿にするつもりは無かった」


 少女は態度を改め、先程までの非礼を詫びた。全身が冷や汗に塗れているように錯覚し、鼓動が早くなっているのを直に感じていた。


「経緯を説明せよ」


「わ、分かった」


 相手に気圧されるようにして、少女は語った。今までどう出会いどんな戦いをしたのかを。でも、この数分間の出来事だけは彼女自身も理解出来ず説明ができなかった。


 ゆっくりと内容を咀嚼するように思案した後に、践祚だった何かは語り始めた。


「ということは、我はこの小童こわっぱの体に『憑依ひょうい』しているかもしれぬ」


「憑依?」


「古来、我ら神が下界に降り立つ時は人の体を依り代にしてきた。それが憑依なのだ。人々は憑依される者達を巫女と呼んで崇め奉った。その者達は我々の言葉を民衆に伝え、その予言を基に繁栄してきたのだ」


 急に話のスケールが大きくなり、少女は置いてかれそうになるが、話の腰を折って機嫌を損ねることとを天秤にかけて口を噤むことを選択した。


「神は完全では無いために罪を犯して下界に堕とされることもある。私もその内の一体だ。まさかこんな形で現出するとは露にも思わなかったがな」


「じゃあ、あなたは神なのか?」


 彼女自身、突飛な質問と思いながらも訊ねる。


「ああ、そうだ。そしてこの剣だが………懐かしいことよ。あの大蛇の尾から出てきたものではないか」


「……?」


 彼なりに納得したようなので、これ以上は踏み込まないように少女は気を遣った。


「説明ご苦労。下がってよいぞ」


 下がるという言葉の真意を測りかねて少女が立ち尽くしていると、


「我の気が変わらんうちに早くしろ。でなければこうなるぞ」


 体を捻ったかと思うと、自称神はその場で回転斬りを行った。そして、逆の首の付け根の真横で剣を止める。


 背後にあった木が斜めにずれた。自重で折れたのではなく、ただ単純に切られたことによって幹が崩れていく。その断面は恐ろしく平らで元々細工がしてあったかのようだった。


 声を出す暇を与えられぬ早業。間違いなく目の前にいる何者かは使い手だと少女は再認識した。初めて固有兵装に触ったのはお互い様なのに、どうして雲泥の差が生まれているのか疑問だった。


 まるで、ずっと前から慣れ親しんだもののように剣を扱っている。



 少女はそっと二三歩後ずさりして様子を見た後、くるりと振り返り駆け出した。脇目も振らず、ただ目の前の木々を避けるようにして距離をとる。


 少女はやがて点のようになって景色に消えた。







「う…………ぐっ!?」


 見届けた後のことだった。


 急に胸の辺りが苦しくなり、剣を地面に落としてしまう。落ちた剣は地面に衝突し、その反動でレバーが開いて中の容器が排出された。



 周囲に人の気配は感じられなかったが、万が一襲われでもしたら反撃できない状態だった。


 瞳の色が徐々に元々の黒色に変化していく。そして完全に黒に戻った時、


「えっ……どうして俺はこんな所に立っているんだ?」


 その場に立っていたのは紛れもなく践祚だった。

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school life. ヨルムンガンド @Jormungand

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