【落語台本】涼み袋(すずみぶくろ)

紀瀬川 沙

本文

※本文内ではとやかく書いておりますが、この物語の出典は、『怪と幽 Vol.007 2021年5月号』です。面白いと思った昔話から、話を膨らませています。


【今は昔と申しましても、まさかこれから話す話は慶応年間以前の話でもなく。これは物の本、まぁ偽書だか何だかも今となっては知れませんけれども、新潟の小さな小さな古寺の、とあるお坊さんの日記にあった昔話だそうで。その日記自体はところどころ破れてしまって判読不能な箇所が多くあったそうですが。時は昭和の初め頃、土地は越後の湯沢、ちょうど上越線が三国峠を貫通した頃の馬鹿馬鹿しいお話として記録されていたようで。ただ、私自身この目で見たわけでもなく、どこぞの文学博士がありがたかって模写して東京へと持ち帰ってきたものを、これもまたどこぞの好事家が自費で出版したという、その本を読みかじった程度で。まぁ早い話が、伝聞だけの根も葉もない与太話。とにもかくにも、こうしてしゃべり始めてしまったからには続けるほかありません。夏の緑が映える越後湯沢の山道に、永平寺の仏僧二人がいる場面から、このお話は始まります。もっとも、同じ頃、同じ土地での物語でしたら、『Snow Country』でも読んでいたほうが少しは為になりましょう。御用とお急ぎでない方だけ、どうぞお付き合いください】


永平寺の上座・高源 「計功多少量彼来処。忖己徳行全欠応供。防心離過貪等為宗。正事良薬為療形枯。為成道故今受此食」

店屋の老婆「ありがたや。ありがたや。どうぞ召し上がってください」

永平寺の上座・泰半 「御免」

高源   「このような身上の者に、本来の商いとは異なる精進料理の供。深慮、痛み入る」

泰半   「同じく」

店屋の老婆「いえいえ、滅相もない。明日は三国権現の例祭。お二方もそれに合わせての登攀でしょう。ご苦労様です。その途上に、わざわざこのようなところへ寄ってくださり、ありがたや。ゆっくりされてください。何かあれば、お呼びくださいな」

泰半   「かたじけない。では、一通り腹ごしらえさせて頂き、先を急ぐとするか」

高源   「ああ。それにしても、だ。暑くて暑くて。手甲脚絆までもが、この通り、汗でびっしょりだ」

泰半   「難儀なことだ」

高源   「なんとも涼しげな顔をして、うらやましい」

泰半   「そんなことはない。見た目にあらわれないだけで、もうさっきから這う這うの体」


【きちんと五観の偈も唱え、日々の行いにもまめまめしい二人の禅僧は、食事を済ませて店屋を出ます。そうして峠の上の社を目指し、またゆっくりと歩を進めて参ります。果てることがないようにも続く夏木立を横目に、風のない山中を蝉の声に繰り出されるようにして前へ前へ。しばらくすると、ひときわ難儀そうに歩いていたお一方が】


高源   「しばし、待ってくれるか」

泰半   「むう、どうかしたのか。早く峠の、せめて膝下にでも着かねば。また先達に何と言われるか分かったものではない」

高源   「わかっている。わかっているものの」

泰半   「ものの、どうした」

高源   「それが、もう足が棒になり、まだいくつもの山々を眼前にして、これ以上はどうにもならん。どうだ、ここらで、最寄りの宿か飯場を、探そうではないか」

泰半   「いや、夏の日はまだ長い。今は南中をやや過ぎたとはいえ、ここから日没まで、まだまだ歩かねば」

高源   「そう勇むのはいいが、しょせんは彼我で別々の脚と腰。わたしのこの惨状はわかってくれぬか。歩く道すがら、汗も地面に落ち、ほら、延々と跡が」

泰半   「水なら、まだあろう。少しばかり休んで、また登ろうではないか」

高源   「暑さに強い弱いは人によるが、こうもひどいとわたしは敵わぬ」

泰半   「そもそも、日頃の行いのいかんがこのような時にこそ出てくるのだ」

高源   「我らが口うるさい座元のようなことを言ってくれるな。もはや山門を出て数日、せっかくの融通無碍の旅路。骨を休め羽を広げ、道々諸国の御仏への礼拝をして参ろうと、端から言っていたではないか。もとより急ぐ旅でもないだろうに」

泰半   「それはそうだったが、道々の回向だけにとどまらず、日課諸事のたびの足止め。数日たってまだここなるところというのでは、あまりにも、ううん、遅きの誹りを避けられぬ。今頃、吉祥山に文など渡っていなければよいが」

高源   「例祭は明日であるし、間に合えばよく、前もって着いたとてもとより誰も気にはせぬだろう。ゆくところゆくところの大寺小寺に招かれ、あるいは自ずから心を起こして立ち寄って経を納めていたと言えば、利益はあっても落ち度はなかろう」

泰半   「けしからぬことを。昨日の施餓鬼なぞ、お堂のなか誰も聞いておらなんだ。村の者みな眠りのうちで」

高源   「いいのだ、いいのだ。若人欲了知、三世一切仏、応観法界性、一切唯心造。南無十方~南無南無南無と続けば、そりゃあ、そうであろ。お、待て。あそこに見えるのは、地蔵尊。これはまた素通りできようかな」

泰半   「内なる心は、朱夏の炎暑に少しでも日蔭にとどまりたいのであろう」

高源   「ふ、甚だ心外。昨日聞いた話では、この坂の先には小学校があるとのことだ。そこへも寄って、今日はそのあたりで投宿しようではないか」


【こんなくだらない道中の会話が仏僧の口をついて出るんですから、モダンな世の中に三宝も持ち腐れているようで。天もそれを見透かすか、無慈悲に天地人を日照りで焼き付けるだけ。ちょうどそこへ、二人の僧を追い抜くように物売りの男が通りかかります。妙に高い売り声と、やぶにらみの目が二人の耳目を引きます】


物売りの男「涼み~ぶくろ~、要らんかね~。涼み~涼み~ぶくろ~ぶくろ~、要らんかね~。寒暑栄枯の四字のうち、暑さは絶えて耐えられぬ。昔々、太子様が言ったとか。涼み~ぶくろ~。涼み~ぶくろ~。ああ、陰忘れても暑さ忘れぬ、ああ、暑さ忘れぬ」

高源   「涼み袋とは、聞いたこともない。いったい、何だろうか」

泰半   「知らないな。またかの口上も甚だ五月蝿く暑苦しく。いかにもな香具師」

高源   「それでも今や、涼しさにはすがりたい」

泰半   「涼み袋とやら、ひとつ手に取ってみるか」

高源   「ああ。これ、これ、そこの。そこのあきんど。涼み袋なるものを」

物売りの男「はい、毎度」

泰半   「おい、まだ買うと決めたわけでは」

物売りの男「あ、いやいや、あいさつみたいなもんで。開経一番」

高源   「お経を開かず、口を開けかし」

物売りの男「へへへ」

高源   「あまりおふざけには付き合ってはいられないのだ。見ろ、このたいそうな汗を」

物売りの男「暑くて大変そうで。ぴかぴか頭にその汗は、粒か玉か。ま、そんないいもんじゃないか」

高源   「やかましい。で、その涼み袋はいくらするんだ」

物売りの男「ひとつ20銭でござい」

泰半   「それが高いんだか安いんだか。どのように使う物かを知らぬから一向わからん」

物売りの男「これは、ですね、聞いて驚かないでください、暑い時に涼むための袋さ」

泰半   「涼み袋の名で、そうでなかったら八大地獄だ。どう使う。何でできている」

物売りの男「紙と気でできていて、紙は美濃紙の上等なやつ」

高源   「紙はいい。気とは何ぞ」

物売りの男「気は、白山の中腹なる氷穴の、そのまた奥の奥、百尺百柱の氷塊が五劫もの長い間中、まわりの気を冷やしてだね」

高源   「たいそうな御託だ、白山とは。寺で白山の水には馴染んでいたが、冷気もあるとは聞かなんだ」

物売りの男「まぁまぁ、続きを聞いてくださいな。その冷え冷えとした白山の霊気を、麓の社の神前で三日三晩禊した巫女がえいっと紙の袋に閉じ込めて」

泰半   「不浄なり」

物売りの男「いやいや、神薙のほうでは、仏さまと話がちと違うのさ。女子だって神の使いさね。嫌なら別にいいんだよ。この酷い暑さじゃ、道すがらお客に困ることはありゃしないだろうからね」

高源   「まぁ、そう言うな。こちらも熱暑の長い旅。ほとほと困っておる。ぜひとも買おうではないか」

物売りの男「毎度ありー。いくつ入り用だい」

泰半   「おいおい、買うのか」

高源   「いいから、いいから。ここは任せてくれろ」

物売りの男「いくつだい」

高源   「道の途中、かさばることもある。四袋、もらっておこう」

物売りの男「はいよ、お待ちを」

高源   「行く方角は同じのようだが、まだこの先もいろいろと寄るのかね」

物売りの男「ああ、お祭りで三国権現のほうが賑わっているだろうからね。そのあたりででも、もうひと商売」


【そう言って銭の受け渡しが終わるのが早いか、物売りは見事な健脚で坂をばっと上ってゆき、みるみるうちに坂の上の雲の向こうに見えなくなりました。日はまだじりじりと辺りを焼き付けております。残されたのは二人と四袋】


高源   「なんとも騒がしい妙な男だった。もう向こうのほうまで行ってしまった」

泰半   「それにしても、あまり大切な路銀をこのようには」

高源   「吉祥山より頂いた路銀の大事さはもとより重々承知」

泰半   「頼むぞ。では、行くか」

高源   「その前に、いかがかな、この涼み袋とやらをひとつ」

泰半   「もう開けてしまうか」

高源   「日も西になりつつあり、却っていよいよ熾烈。ここが絶好の時と心得る」

泰半   「まぁ致し方なし」


【二人がおのおのひとつずつ袋を取りまして、おそるおそる中を開けてみますと。二人がのぞく袋の口から、たちまち、何とも冴えた冷気が顔を包んで天へと昇ります。その爽快さに二人は】


高源   「おお、おお、これはなんと」

泰半   「おお、驚いた」

高源   「八熱地獄に極楽鳥の羽の一振り」

泰半   「言い得て妙。あの者の言う通り、一気に涼しさの到来。快きかな」

高源   「涼しきかな」

泰半   「よし、さあ心機一転、坂を上ろうか」

高源   「いや、まだもう一袋ある」

泰半   「それはまた後に取っておいたほうがよいのではないか」

高源   「いやいやいや、使い時は今が今」

泰半   「この先、大丈夫かと言っている」

高源   「大丈夫だ。むしろ今使わなければ、この先が思いやられる。それぞれ残り一袋、わたしのは今使わせて頂こう」

泰半   「いいけれども、最後の一つを追い追い当てにされても困るぞう」

高源   「はは、むろん。そのようなみっともないことなど、絶えてせぬ」

泰半   「ふふ。そうか」

高源   「では、参る。ふあ、涼しい。生まれ変わった心持ちだ」

泰半   「よいか。では、先を急ごう」

高源   「参ろう参ろう」


【その日の日没間際、二人はへとへとになって宿へたどり着きました。質素な宿には他の客もまばら。夏の盛り、森閑たる山奥へやってくる閑人も、そうそういないのでしょう。宿の一つ屋根の下には藍物の行商人や塩を運ぶ人夫が、疲れた顔で泊まっています。暑さと疲れとで、誰もみな互いに無駄口も叩きません。そんな中で目立つのが、この頃流行りの新しい風邪か肺病持ちか、夕方から延々と咳き込み続ける一人の老翁。明日の朝未だ来には目的地へと出発したい二人にとって、今晩は早く寝たいのも山々です。ところがそれを妨げるのは、老翁の絶えない咳の音。それに加えて、日が沈んでも消えない暑気と、夕立後から立ち込めた水蒸気】


老翁   「ごほっ、すぅ」

高源   「のう、眠れるか」

泰半   「眠れぬ。そちらもか」

高源   「ああ」

老翁   「がは、ごほごほ」

泰半   「これによるか」

高源   「これもあるが」

老翁   「ごほっ、ごほごほ」

高源   「驟雨のあと風もぱたりと已み、強烈な湿り気がまた寝苦しくて敵わん」

泰半   「分厚い夜の雲」

高源   「まったく、雨に打たれたかのように汗みずく」

泰半   「水を掬すれば月、手に在る無し」

高源   「汗を拭えば月、指に在り」

泰半   「はは、月もないのに呉牛二匹が暑さに喘いでいるわけだ」

老翁   「すぅ、がっ、ごっ」

高源   「ああ、ああ、いよいよ嵩じて」

泰半   「困ったな。早くて寝て、明日はもう一丘二峠三山と、九十九折の坂道をゆかねばならんのに」

高源   「未明に発って、社にはよくて午の刻あたりか。また暑い時分だ」

泰半   「我々の出番はもう少し遅いとはいえ、各所へあいさつ回りなどにも時間がかかろう」

高源   「向こうの権禰宜は、師とも旧知の仲という。下手な様子を見せたら、また後が恐ろしい」

泰半   「そうだな」

老翁   「おほっ、があ、ごふ」

高源   「咳の主、心配だな」

泰半   「悪疫でなければよいが。大事にしてほしいものだ」

高源   「どうにもこうにも眠れん時は、薬師如来の十二大願をば」

泰半   「光明普照」

高源   「随意成弁」

泰半   「施無尽物、安心大乗」

高源   「具戒清浄、諸根具足」

泰半   「除病安楽、転女得仏、安心正見」

高源   「苦悩解脱、飲食安楽、美衣満足」

泰半   「いい加減寝ろ」

高源   「ああ、いい加減」


【窓外に夏の夜は更けてゆきます。草木には虫がすだいて大合唱し、声明に聞こえるわけもありません。夕立に活力を得た蛙は落ち着きなどあるべうもない。蒸し暑さに苦しむ人間の耳を、さらにいっそう苦しめる。蒸し暑さと五月蝿さに悶え、じっとしていられない二人】


泰半   「まぁなんだな、ここらも冬の時期など、ひどいものだろうな」

高源   「ひどい、とは」

泰半   「雪と氷とに閉ざされて」

高源   「ああ、そういうこと。それで言えば、毘沙門天を奉じていた頃から、その風土とは付き合っているのだろうよ。いや、もっと太古からか」

泰半   「で、夏はこの通りだ」

高源   「でもまぁ、さっき入った湯など、冬の寒きには無論のこと天恵。夏の暑きにも、こうして汗みずくの体躯を流すにまさに天恵」

泰半   「ものはとらえよう」

高源   「さも」

老翁   「ごほっ、すぅ、がは」

高源   「そんなことを言ってたら、またじとりと汗が。ああ、いっそ無理くり眠れればいいのだが、このしわぶきでは」

老翁   「ごほっ、ごほっ、がっ、げぇ」

高源   「ううむ、心頭滅却して」

泰半   「悟り、いや眠りに入られるか。いやはや立派な。わたしはどうもいけない。昼のうちは何とかしのげたものの、この夜の湿気は。さっぱりしたく、今一度、湯へ行って参る」


【そう言って、静かに襖をあけて室より出るお一方。もうお一方はと言うと、少しの間じっと寝床にとどまっていたものの、とうとう我慢ならなくなったようで、夜の蒸し暑さに身を悶えさせます】


高源   「う、ううん。ああ」


【うめき声とともに苦しげに手足を伸ばすと、その勢いよく床から出した右足の指の先には、残り一つしかない、人の涼み袋。親指が袋に刺さり、同時にこの暑さを吹き飛ばす爽快な冷気に触れます】


高源   「おっと、しまった。あ」


【気が付くと、この上座さん、涼み袋のなかの残りの冷気を無駄にせんと、やをら袋を麻衣の腹の中へと掻き入れ、ありがたや、霊山の冷気を貪りいだく】


高源   「ふう、極楽、極楽」


【その極楽もつかの間、次には悔悟の情】


高源   「ああ、なんということ。さぁ困った。湯から帰ってきたら、必ず責めを食らうに違いない。何よりも面目が立たぬ」


【この上座さん、わずかのあいだ頭をひねっていましたが、ふと、妙案をひねり出したような顔。使ってしまった涼み袋の破れた穴が小さいことを確かめたのち、袋の口をちょいと開け、それを尻へと持ってゆき、スゥーーっと長い長い屁を放ちました。素早く袋の口を元通りに閉めなおして、元あったところへ置いて何事もなかったかのように床に入りなおします。先に味わった清涼な気が功を奏したか、そのまますんなりと眠りへと誘われます】


泰半   「ふう、夜になっても泉は尽きず、熱さもちょうどよかった。お、寝ておる寝ておる。静かに、静かに」


【こう言って何も知らずお湯から帰ってきたもうお一方。よおく温まってきたと見え、夜目にも汗がきらきら光っております】


泰半   「湯上りゆえ、暑くて暑くて、しかたない」


【そうして見つける涼み袋】


泰半   「ああ、そうだ、こんなものがあった。今使わずしていつ使う、と」


【涼しい風を楽しみに、袋の口を開けてみると、その途端、それは臭い臭い風が吹き上がります。それを満面に受けた上座さんが一言】


泰半   「こりゃ暑くてむべなるかな。風まで饐えて臭くなっておる」


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【落語台本】涼み袋(すずみぶくろ) 紀瀬川 沙 @Kisegawa

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