同調警察

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 原田は後ろ手にドアを閉めて家を出た。

「はぁー」

 これから出勤だというのに朝から余り元気がない。

「今日は権太に会わないといいんだが・・・・・・」

 駅に向かう道を歩き始めたが、その足取りは心なしか重い。いつもの電車に乗った。まだそれほどは混んでいない。原田は1つだけ空いていた席に座り、ボーと窓の外を眺めていた。

 次の駅で、原田の前のつり革に掴まって立つ男がいた。

「よー、みっちゃん、元気?」

 見れば、警察官の制服を着ている。

「権太!」

 原田は思わず声に出した。権太は原田の名前が道夫なので「みっちゃん」と呼ぶ。権太は早速「取り締まり」を始めた。

「周りを見てみな、みんなスマホしてるか、寝てるだろ。どちらでもないのはけしからん!」

 原田はしぶしぶポケットからスマホを出すといじり出した。権太はニタニタしながらそれを見て言った。

「よしよし、罰金は許してやる。ま、気をつけな」


 権太は原田の高校時代の同級生だ。いじめっ子で、周りから嫌われていた。そいつが大学を中退して警察に入ったのだ。そして昨年発足した「同調警察」に配属された。この辺り一帯を受け持ちとして、取締りをしている。

 制服は警察官のそれなのだが、記章は丸の中に漢字の「同」が描かれた、「マルドー」だ。帽子と胸にマルドーを付けているので、一目で同調警察だと分かる。

 同調警察は警察庁直轄の組織で市民の「同調」を促進する組織だ。国の平和と市民の安泰な生活を支援するために設置された。多くの識者はこれに反対したが、安定多数の与党の一存で創設が決まった。


 原田は「ブラックリスト」に載っていた。といっても犯罪を犯した訳ではない。同調警察の取締りを何度も受けている者がリストに載る。原田は別に同調警察に反抗している訳ではなく、自然にしているだけなのだが、どうしても同調警察の注意を受けてしまうことが多い。最近は、もう運命だと思い始めていた。幸い罰金にまでは至っていないので、気が重いだけで実害は発生してない。

 一方、権太の方は取締りの回数による歩合制なので、原田のような「いいカモ」は歓迎だ。点数を稼げる。権太は、そんな今の仕事を楽しんでいた。


 ようやく権太と分かれて、原田は駅から職場に向かった。途中の横断歩道で立ち止まった。赤信号だ。

「こらっ、そこの。はよ渡らんかい!」

 振り向けば、そこには警察官が立っていた。権太では無いが、マルドーだ。しかし、信号はまだ赤だ。

「何しとる。皆、渡っているだろ。赤信号、皆で渡れば怖くない! だ」

 原田は、むちゃくちゃ言うマルドーを振り返りつつ、皆と同じように赤信号の横断歩道を渡り始めた。警察官が赤で渡れとは、なんという世の中だ。後ろに残って仁王立ちしているマルドーは満足そうな笑みを浮かべている。

 車が来たので慌てて渡り終える。その時、隣で一緒に渡っていた男性がこそっと、言った。

「皆が渡っているときは渡った方がいいですよ。でも、皆が立ち止まっている時は渡らないように、ね」

 そういうと男性は、足早に去っていった。


 原田は職場の建物に着くと、いつものようにエレベータに乗った。誰も乗ってこないのを確認すると「閉」のボタンを押した。

「ちょっと、待ちなさい。今、前を見ていましたね」

 閉まりかけたドアを押さえて、またもやマルドーが立っていた。

「普通は『閉』のボタンを押したら、直ぐに下を向いてドアが閉まるまでそうしている。前を見ていてはいかん!」

 よくもこんな細かい所を見ているもんだと思いながら原田は反論した。

「だって、後から乗ってくる人がいるかもしれないじゃないですか。そんな時は直ぐに『開』を押してあげられるように、前を注意して見ていたんです。前を見ていないと人がドアに挟まれて危ないですよ。何が悪いんですか」

 そのマルドーは反論されて怒り出した。

「逆らうか。良い悪いなんて問題ではない。お前以外は、皆、俯いてスマホなんかをいじっている。だから、そうしなさい!」

 原田はアホらしくなってスマホをいじり出した。別に何を見ようとしている訳ではなく、スマホの画面に目を落としているだけだ。ドアは、ゆっくりと閉まり始めた。


 帰りはたまに同僚と飲みに行く。独身貴族の原田は同僚の村仲を誘って、いつもの居酒屋に行った。まだ時間が早いのですいている。席に落ち着いた原田は、早速お茶漬けを注文した。

「村仲、今日もお疲れさま。俺、忙しくて昼飯喰えなかったんだよ。お腹ペコペコだ。先に飲んでていいよ」

 言われた村仲がビールを注文しようとした時だった。そこいたのは店員ではなく、権太だった。

「わっ」

 原田が驚いているのををよそに、権太はニコニコしながら静かに言った。

「みっちゃん、久しぶり。朝以来だな。それにしても、飲み屋で最初に『お茶漬け』を注文するなんてけしからん。普通は、お茶漬けやラーメンは〆で頼むものだ。これは罰金ものかなぁ」

 原田は慌てて店員にお茶漬けのキャンセルをお願いした。店員は迷惑そうな顔をしながら頷くと店の奥に消えていった。それを見た権太は言った。

「いい子だ。じゃあまたな、みっちゃん」

 原田はポカンとしてこちらを見ている村仲に言った。

「ごめん、あいつ知り合いなんだ。しつこくて。でも罰金にならなくて良かった。お前はどう? マルドーに取締りされる事は良くあるのか」

 村仲は同情するように言った。

「いや、一ヶ月に一回くらいかなぁ。もっと少ないかも。マルドーはあちこちにいるけど、気にしてないよ。他の同僚もそんなもんだと思うよ」

 原田は軽いショックを受けた。彼は朝から4回目だ。何がそんなに違うんだろう。


 村仲と別れ、自宅近くの駅まで戻ってきた原田は駅前のスーパーに行った。明日の朝飯とビールでも買って行こうと思ったのだ。もう深夜だったが、このスーパーはまだ開いている。買った物を袋に詰めた原田は、空の買い物カゴを出口のカゴが積んである所に返した。

「今、カゴを静かに乗せましたね」

 見れば、またもやマルドーだ。権太ではない。原田は腹立たしくなっていた。

「何が悪いんですか、何が」

 マルドーは真面目な顔をして言った。

「ご覧なさい。皆、がちゃん、がちゃんと大きな音を立てて放り投げるようにカゴを返しているでしょ。あなたもそうしなさい」

 重箱の隅をつつくのも、いいかげんにしてほしい。原田は、むしゃくしゃして、カゴを叩きつけるようにして返した。大きな音がした。

「これでいいでしょ!」

 原田はマルドーの反応を確認する事も無くスーパーを大股で出て行った。


 翌日は雨が降っていた。といっても小雨だ。傘が要るかどうか微妙なところだ。原田は、家の玄関を出てちょっと雨の様子を見ると、傘無しで歩き始めた。駅まで10分くらいだから傘差さなくてもいいだろう。

 しかし、駅に向かう人は皆傘を差している。原田はいやな予感がした。慌てて鞄の中をまさぐって、折り畳み傘を探した。しかし、遅かった。

 ――トントン

 原田の肩を叩く者がいた。見れば権太だ。こいつよほど暇に違いない。原田は、言われる前に言った。

「はい、はい、分かりましたよ。傘を差せばいいんでしょ。皆が差しているから」

「おう、分かってるじゃんか。少しは学んだな」

 権太は少し感心したようにそういうと、さっさとその場を去って行った。傘を差してから、何歩も歩かないうちに駅に着いた。原田は、ふて腐れた顔で出したばかりの折り畳み傘を仕舞いながら人ごみの中に消えて行った。


 久しぶりに原田はキャンプに来ていた。近場に週末キャンプに行くのを楽しみにしている。何をしに行くというより、自然の中に身を置いて日頃のストレスを癒す為だ。時にはハイキングもする。車は持って無いので、電車・バスで行く。なのでテントは小型で、簡単に担げるものだ。

 テントを設営して一段落し、草むらに寝っころがった。頭上には青空が広がっている。至福のひと時だ。近くのシラカシの木には、エナガの群れがいて忙しく枝から枝へと飛び回っている。良く見るとシジュウカラも混じっていてツピーツピーと鳴いていた。

「まあ、マルドーもキャンプ場までは来ないだろう」

 そう思った時、ヌーと視界を遮るものがあった。人だ。マルドーが原田を見下ろしている。原田は何か言われる前に言った。

「あのー、何か。キャンプしているだけなんですけど」

 マルドーはたしなめるように言った。

「君は、何故バーベキューをしていないんだね。ほら、河原では家族連れが皆バーベキューを楽しんでいる」

 原田は素直に答えた。

「僕は自然を満喫できればそれでいいんです。キャンプでバーベキューなんてやった事ないし、道具も持っていません」

 マルドーは覗き込むように原田に顔を近づけると言った。

「けしからん! キャンプと言えば、『キャンプファイヤー』『花火』、そして『バーベキュー』だ。どれもやっとらんとは何たることだ。罰金だ!」

 原田の頭脳はクルクルと回転していた。こんな事で罰金を取られては堪らない。数秒後、原田はザックの中からアルコールヒーターの着火用に持っていたライターを取り出した。マルドーは黙ってその様子を見ている。原田はライターの火をつけ、目の前にかざして言った。

「わーい、わーい、キャンプファイヤーだ、楽しいな!」

 嬉しそうに顔を左右に振りながらそう言う原田を見ていたマルドーはかぶりを振って言った。

「仕様が無い。その努力に免じて罰金は許してやる。今度来るときは必ずバーベキューセットを持って来るように」

 去って行くマルドーを見ながら原田は大きなため息をついた。

「あーあ、何でこんな事しないといけないんだろう。皆がバーベキューだけじゃなくて、人それぞれ色々な事をしてくれていれば良いのに」


 休みの日には近くの公園を散策する事もある。権太も休みならいいのに、と思いながら原田は広い公園を歩いていた。梅雨の中休みで良く晴れているが、昨晩の低気圧の通過で寒気が入り少し肌寒い。しかし、久しぶりのお天道様は気持ちいい。

「おーら、みっちゃん、なに半袖シャツで歩いとるんじゃい」

 その聞き覚えのある声の方を原田は振り向いた。権太だ。

「昨日の天気予報見てないんか。『明日は冷えるので長袖が丁度良いでしょう』といってただろ」

 原田は思わず周りを見回した。確かに、公園を歩いている人は、皆、長袖シャツや長袖の春物を身にまとっている。半袖なんかは誰もいない。ある意味見事だ。権太が迫ってくる。

「おいおい、長袖持っていないのか。これはもう罰金しかないなぁ」

 権太は嬉しそうだ。

 そんな時、木立の向こうから賑やかな話し声が聞こえてきた。グループのようだ。権太と原田が声のする方を見ていると、10人程のグループが現れた。英語で話しをしている。外国人のグループのようだ。それを見た原田の顔には笑みが浮かんだ。突然原田はそのグループの方に走って行き、中に飛び込んだ。

「ハローハロー、マイネームイズハラダ、ナイツーミートユー」

 それを見ていた権太は追いかけた。

「こら、逃げるか」

 しかし、数歩進んだ所で権太は立ち止まった。見ればグループ全員が半袖ではないか。原田は、勝ち誇ったように言った。

「権太。ほら、しっかり周囲の人と同調しているよ。何か文句あるか」

 権太はしばらく考えていたが、英語もできないし、面倒なのでその場を離れることにした。原田はそのグループにお礼を言った。

「サンキュー、サンキュー。シーユーアゲイン」

 グループのメンバーは去ってゆく原田を見ていたが、何が起きていたのか理解する者は誰もいなかった。


 ◇ ◇ ◇


 日本ではG7が開催されていた。持ち回りになっており、今年は日本が議長国だ。議題は安全保障に移っていた。日本の首相は、今回の目玉である新たな提案を切り出した。

「G7の皆さん、日本は世界に誇る『同調警察』を有しおります。この同調警察により、市民の生活は、今やほとんど均質化され、パターン化しました。逸脱する者はごく少数です。これにより国の平和と社会の安定を実現しました」

 一息入れると、首相は続けた。

「そこで提案ですが、この同調警察をG7に拡張してはどうでしょうか。G7全体で統一した同調警察を創設し、共有するのです。日本はノウハウの提供と支援を惜しみません」

 他の六カ国の首脳は即座に拍手で応じ、この構想は実現する事になった。

 しかし聞屋は、元々この提案が日本以外の国から促されていた事を突き止めていた。


 G7後、同調警察はG7統一のものとなり、その名も「G7 DOCHO POLICE」となった。DOCHOは、日本に敬意を表して日本語をそのまま使うことになったものだ。略して「GDP」だ。なんだか右肩上がりになりそうな勢いが感じられ、この略称は好評だった。日本では、同調警察は依然として馴染みのある「マルドー」という名前で呼ばれていたが、記章は変更された。丸の中に漢字の「同」だったのが、丸の中に「GD」と記されるようになった。関心の無い者はこの変化に気付いていなかったが、当のマルドー達は新しい記章が誇らしげだった。


 ◇ ◇ ◇


 マルドー達は相変わらず、取り締まりに勤しんでいた。権太は原田にいつもどおりちょっかいを出す日々を送っていた。ただ、ちょっと勝手が違った。というのは、今までは「日本の皆さん」が「同調」の基準だったが、今度は「G7全体の皆さん」の行動様式が基準となる。勢い、どうしても基準は欧米寄りになる。

 現場ではいろいろと問題が発生した。というのも、日本のマルドー達は日本人の行動様式は見ているし、知っているが、欧米のそれには明るくない。知らない事を基準に取締りができるはずもない。

 日本の現場は混乱し、あちらこちらで、市民とマルドーの言い争う光景が見られた。

「これが普通だ」

「いや、欧米ではそんな事しない」

「欧米に行った事あるのか? 知らずに言うな!」


 これを解決したのがAIだった。マルドーはカメラ付きのヘッドホンを装着して取り締まりに当たる事になった。カメラが捕らえた映像はリアルタイムで中央コンピュータに送信され、それが「G7標準の行動様式」かどうかが即座に判定される。「G7標準の行動様式」でなければ、取締りの対象となる。マルドーはAIの指示により取締りを行うようになった。


 原田はいつものスーパーで買い物をしていた。買い物を終えた原田はカゴを返した。その時、権太が目に入った。

「しまった」

 原田はまた取締りの対象になるのかと身構えた。近づいてきた権太は言った。

「おら、おら、おら。また静かにカゴを置いたな。怪しからんやつだ」

 その刹那、権太のヘッドホンからAIの機械音声が流れて来た。

《ただいまの行動は、G7標準に適合しています。取り締まりはしないでください》

 権太は原田に何か言いかけたが、飲み込んだ。以前は取り締まり対象だった「静かにカゴを置く」行為は、G7標準では取り締まれない。権太は口惜しそうに言った。

「今回は見逃してやる、さっさと行きな」

 原田は何が起きたのか良くわからなかったが、行けと言われれば行くしかない。そそくさと店を後にした。

 その頃、権太のヘッドホンには立て続けに音声が流れていた。

《前方2mでカゴをがちゃんと大きな音を立てて置いた行為はG7標準に抵触します。直ちに取締りを発動して下さい》

《右方3mでカゴをがちゃんと大きな音を立てて置いた行為はG7標準に抵触します。直ちに取締りを発動して下さい》


 エレベーターでも同様の事がおきていた。現場のマルドーのヘッドホンの中では取り締まりの要請が発せられていた。

《ドアが閉まる時に下を向いているのはG7標準に抵触します。直ちに取締りを発動して下さい》


 原田は、後ろ手にドアを閉めて家を出た。家から出てくる足取りは軽い。原田には何が起きているのか良く分からなかった。ただ、同調警察の改革があった事は聞いていた。権太の制服の記章が変わったのにも気付いていた。それにしても、この改革以来、マルドーが原田に声を掛ける事はめっきり少なくなった。むしろ、原田の周囲の人達を取り締まっている。

 原田は試しに、ちょっと小雨の日に傘を差さずに歩いてみた。周囲の人達は皆、傘を差している。恐る恐るマルドーの前を通り過ぎる。何も言われない。その時マルドーのヘッドホンでは状況コメントが流れていた。

《G7標準では、傘を差す差さないは個人の自由です。取締りをしないでください》

 念のため、もう一つやってみた。秋も深まり、かなり寒くなって皆コートを羽織り始めている時に、ちょっと無理してTシャツで公園を歩いてみたのだ。わざとマルドーの前を通り過ぎる。マルドーは原田を一瞥しただけで、何も言わなかった。ただ、マルドーのヘッドホンでは状況コメントが流れていた。

《G7標準では、厚着、薄着は個人の自由です。取締りをしないでください》

 原田は、後ろにマルドーを振り返りながらふぅーと息をついた。緊張が解け、笑いが込み上げてきた。

「あー、なんだか束縛から解放されたいい気分だ。そういえば権太のやつどうしてるかな」


 日本では「G7標準」への抵抗が起きていた。市民はこれまでの習慣を大きく変えないといけないので大変だった。マスコミも報じた。

《同調警察の改悪、G7の陰謀か》

《G7、日本の欧米化を策謀》

 しかし、G7で宣言したのは他ならぬ日本だ。政府はGDPの堅持を続けるしかなかった。少数ではあるが、好意的ともとれる報道もあった。

《外圧で、ついに古来からの慣習を打破。自由意思の解放へ一歩》


 ◇ ◇ ◇


 ドイツはベルリン。外務省の一室には英、独、米の外相がソファに深々と座りながら、コーヒーの味を楽しんでいた。

「まあ、たまにはコーヒーも悪くないですな。今度英国においでになった際には、飛び切りおいしいイングリッシュティーをご馳走しましょう」

 イギリスのクラーク外相は言った。米国国務長官のスミスはGDP計画について話し始めた。

「クラークさんは計画途中で就任したので詳しくはご存知ないと思うが、元々GDPを提案するように日本に促したのは我々3カ国だ。日本は彼らの同調警察が国際的に認められたと大喜びだった。無邪気なものだよ」

 その後をドイツのシュミット外相が続けた。

「表向きの目的は、日本をより欧米化し、日本に親欧米路線を維持させる事だ。なぜこの目的を設定したかと言えば、イタリアやフランスを説得するためだ。特にフランスは『自由・平等・博愛』が国是だから、『同調』という言葉には抵抗が強い。日本を今よりさらに欧米化して、我々の方に付けるんだよ、と説明したらフランスやイタリアも、GDP計画に喜んで賛同してくれた」

 クラークが口を挟んだ。

「フランスの気持ちは分かるな。イギリスが『わが大英帝国』と言うのと同じで、フランスも『偉大なるトリコロール』ここにあり、で自分達が欧米文化の中心と思ってやまない連中だからな。欧州心をくすぐるような理由付けには乗ってくるだろう」

 再びスミスが後を続けた。

「しかし、GDP計画には隠された本当の目的がある。それは日本経済だ。単に日本の生活様式を欧米化したい訳ではない。というか、彼らはもう十分欧米化している。日本に旅行した者なら分かるが、至る所横文字の看板だらけで、学者も政治家も話しの中に大量に英単語を散りばめている。ろくに英会話ができない連中もだ」

 クラークがまた口を挟んだ。

「日本人は誇り高き民族って言うじゃないか。サムライ精神だな。なのに、なんだか良く分からないな、それほど安易に欧米化してしまうとは。ところで、本当は日本経済が目的だって、どういう事だ?」

 スミスはシュミットに目配せした後、続けた。

「これは元々あなたの前任者、つまりイギリスの前外相のアイデアだ。日本はG7の中でアメリカについで2番目の経済大国だ。にもかかわらず、ここ数十年に渡って経済が停滞している。これはG7の安全保障上、好ましくない。G7がC国やR国に対抗して行く為には、経済的にも強固である必要がある。それには日本経済の復興は重要だ。かつて自動車や造船、エレクトロニクスで世界を席巻した成長期の面影は今は無い。ITで完全に出遅れて、医療もじり貧だ。自動車だってあとどのくらい持つか分からない」

 クラークは興味深そうに先を促した。

「で、それとGDP計画とどんな関係が?」

 スミスが続けた。

「今、世界では技術革新が加速している。IT分野を見てもイノベーションの連続だ。インターネット、Windows、Linux、iPhone、Android、AIニューラルネットワーク、検索エンジン、ビッグデータ処理、SNS、クラウド、仮想化などなど。これらは全て欧米で開発されてきたものだ。一方、日本は完全に『エンドユーザ』になってしまっている」

 クラークは笑いながらちゃかすように言った。

「日本人も発明したよ、ポケモンやスシとか。ジュードーもかな」

 日本人が聞いていたら怒るだろう。スミスも苦笑しながら続けた。

「従来から指摘されているが、これは日本人の能力の問題ではない。日本の教育は最高レベルであり、依然として国民は勤勉だ。では何が問題か。慣習や同調圧力などによりイノベーションの能力や機会を奪われている事だ。我々はそう結論付けて、GDP計画を発動した」

 クラークにもようやく事情が飲み込めてきた。

「なるほど。欧米化により、企業や技術者がもっと柔軟で自由な発想ができるようにし、それを経済発展の原動力にしようというんだな。同調警察を同調破壊の為に使うなんてのは実に巧妙だ。確かに日本に『同調は良くないから自由にしましょう』と言っても、プライドの高い彼らは従うはずもないものな。そこで、彼らが作った同調警察をうまく逆手に取って利用したという訳か。これは愉快だな。まあ、それにしても気の長い話しだ。経済的な効果が見えてくるのに5年、いや10年はかかりそうだ」

 スミスはGDP計画で使われているAIについて言及した。

「GDP計画ではAIが重要な役割を果たしている。日本にAIを米独で開発する旨を伝えら、快諾してくれたよ。日本はAI技術に立ち遅れている事を自覚しているからね。そのAIには、最も開放的で奔放な考え方をした学者や企業家の行動様式を学習させてある。学者でいえば、コペルニクスや、アインシュタインなんかだ。ダーウィンも。物事を根本から変えてしまうような、ね」


 クラークが、日本について聞きかじったことを披露した。

「日本人はいろいろな所で縛られているよ。ただ、自覚が無いのが問題だな。本来、何でも自由なはずなのに。そういえば聞いた話だが、日本にはCoolBizというのがあるらしい」

 スミスが口を挟む。

「なんだね、それは。言葉からは、カーシェアーのような粋なビジネスの事だと思うが」

 クラークは遮るように続けた。

「いやいや、これは和製英語で、夏に涼しさを感じられるようなビジネスの事らしいんだ。面白いというのは、それを国が音頭をとっていて、何月何日からCoolBizだから、涼しい服装で出勤しましょう、なんて言っているんだ」

 クラークは、米独の二人が大笑いしてくれると思って自分も笑いかけた。が、二人とも眉間にしわを寄せ、真剣な眼差しでクラークを凝視している。

「あれっ、面白くない? だって、国が全国民に今日からこんな服装しなさいっ、て言うんだよ。笑い話でしょ」

 聞いていた米独の二人は同じ思いでいた。スミスが先に口を開いた。

「それは本当の話しかね。まさか、第二次世界大戦中に日本帝国が施行していた、あの悪名高き治安維持法による国民への強制の事じゃないだろうね。受けを狙って冗談言っているんじゃ無いよね」

 シュミットも心配そうに言った。

「今の話しが本当なら事は深刻だ。それほど日本国民が操り人形の様になっているとは思わなかった。GDP計画だけで、矯正が効くか少し疑問だな」

 クラークは二人の反応に戸惑いながらも、場を和ませようと取り繕うように言った。

「ま、GDP計画は発動されたんだ。どうなって行くか、高みの見物と行こう」


 窓の外には、暮れなずむベルリンの街並みが広がっていた。シュミットは新しいコーヒーに砂糖を入れ、スプーンでくるくるかき回しながら言った。

「誰だって上からのお達し通りに動くのが楽チンさ、大戦中の我が国の様に。日本人は同調警察のお陰で安穏な日々を送ってきたが、そんな日々も終わりだ。同調警察のG7化で、日本人は一人ひとりが自分で考えて、自分で判断して行動して行く事を迫られる。これまでとのギャップは大きいから、いろいろ問題が起きるだろう。まあ、生みの苦しみだな。その先には大きな経済発展が待っていると期待しよう。尤も、その頃にはここにいる我々三人は引退しているかもしれないが。さあ、ベルリンのおいしいコーヒーをもう一杯いかがかな」

 広い応接室の片隅にあるテレビには、日本のニュースが流れていた。そこには同調警察に反対して暴徒化したデモ隊に、機動隊が催涙弾を打ち込み、放水をする映像が映し出されていた。

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