第21話 慣れないこと

 シェイクテイルが鹿の足にかぶりついている間に、古い倉庫の大扉を開ける。

 騎獣が一頭すっぽりと収まる荷車は、ちょっとした小屋に車輪がついているのと変わらない大きさだから、それを出し入れするための大扉も木製とは思えない重量がある。

 扉の金具が錆びついていたならば、扉を開ける、と口にするほど簡単に済むことではない。


「っ~~~」


 閂を外し、息を詰めて力ずくで扉を開く。

 ぎぎぎ。と錆びた金具が悲鳴じみた音を上げるけれども、音が大きいわりに大扉の動きは悪い。


「昨日っ、油っ、させば良かった!」


 古い様式の石造倉庫は、ヴァーグナー家の記録が確かであれば、家がまだ育成牧場ではなく騎獣装具屋をしていた時代約五〇〇年前からあった建物で、使用頻度の高くない荷役調教道具や、遠征時に使用する騎獣運搬用の荷車が四台収められている。

 時折にしか使わないものだから、施設の保守作業も間隔が長くなりがちで、こういう横着は、いざ使おうとした時必ず自分自身に降りかかるのだけれど、たまになら構うまいなんて思っていると、やがては施設自体をダメにしてしまう。

 いっそ今、金具に油を差してしまおう。よくよく考えれば、しばらくの期間毎日この大扉の開閉をしなければならない。毎度顔が真っ赤になるほど力んではいられない、時間と労力の無駄だ馬鹿らしい。

 汗をふきそうになる労力の対価に開いた人間一人分程度の隙間から、倉庫に入る。

 やっと青みがかってきた空の明るさでは倉庫の中まで明るく照らすのには力不足だが、幼い頃は遊び場にしていたような倉庫であるし、何より昨日必要な道具の用意を済ませたばかりであるから、ほとんど真っ暗であろうとも歩くに困ることはない。

 大扉から入ってすぐ、倉庫の真ん中には騎獣運搬用の荷車が、でんでんででん、と四台並んで停めてある。比較的使用頻度の高い調教道具や、荷車用の騎獣装具は左右の壁際の棚に、あまり頻繁に使うことのない整備道具や、古い道具、使い古した廃油などは奥の壁際の棚だ。

 季節毎に一度、荷車の車軸が錆で固まるのを防ぐために油を差す。今夏、誰が荷車の整備をしたのかは忘れたけれど、誰が道具を使っても戻す位置は決まっているから、荷車の間を縫って奥の棚まで進み、手探りで油差しを見つけるのは、そう難しいことではない。


「ん?」


 水差しと大差ない形状の油差しを手に持つと、思いがけない軽さを感じて声が出た。


「カラか。使ったら足せと」


 言うのに。と言いかけてやめた。

 油差しの置き場所は決まっていても、どのような状態でしまうか、厳密にこうしましょう。とは決まっていない。だからそもそも、不満に思う方が間違いである。

 それに俺は、使ったら足せ、と誰かに言ったことも無いし、油を注ぎ足すのに、実際大した手間も時間もかからない。

 俺は次の使用者がすぐに作業できるように油を足しておくタイプだが、前回油差しを使った人は次の使用者のことを気にしないか、油差しに油を入れておきたくないタイプの人だったのだろう。


「ああ、でも、暗いな」


 油差しのすぐ近くに廃油を貯めておく容器があって、その容器の中には柄杓ひしゃくが突っ込まれている。埃やゴミが入らないように布切れで蓋がされているのだけれど、周りが暗いせいで、油差しに油を注ぎ足そうと思っても、どこに何があるのか全く見えない。

 暗さに悪戦苦闘しながらも、なんとか記憶を頼りに手探りで油差しに油を足し、倉庫から出る。

 大扉の付け根にある金具の継ぎ目に油をたっぷり垂らして、反対側のまだ一ミリも動かしていない大扉の金具にも同じようにする。


「よし。これで何度か動かせば勝手に油が染みるっとぉ」


 背を逸らして、深く息を吸う。大扉の上の方にも金具があることをようやっと思い出す。


「梯子いるじゃん。段取り下手か、寝ぼけてんの?アホたれかぁ?」


 自虐の言葉を吐きながら、再び倉庫に入り、入口の狭さに難儀しながら梯子を持ち出して、上の金具にも油を垂らした。

 梯子と油差しをしまって、今度こそ大扉を開ける。

 初めこそ金具の悲鳴ばかりが響いたけれども、何度か開閉するうちに滑らかに動くようになった。

 大扉を目一杯開けて、留め具で固定する。

 後はシェイクテイルを連れて来るだけだが、なんだか無駄に疲れた気がしてならない。


 普段使いの道具が収められている新しい方の倉庫に立ち寄って、無口(※革紐や縄でできた頭部を捕縛するための道具)と歩行調教用の短い引き綱をもってシェイクテイルの居る獣舎に急ぐ。

 空になった二つのバケツを見るに、とうに食事を済ませたらしいシェイクテイルはお座りの姿勢で俺を待っていたようだが、俺の手に無口と引き綱があるのを見つけると、立ち上がってそわそわし始めた。

 特に、二本の触手が激しく蠢いている。外に出して貰えると分かったからだろう。


「はいはい、落ち着け。シェイクテイル、首出して」


 ばふ。と小さく一吠えして、にへら。と口を開けて笑ったような表情のシェイクテイルはゲートの上から頭を出して、そのまま俺の顔を舐めた。


「うぶっ待て。待て待て。はい、キリッ」


 俺の合図に応じて、シェイクテイルが口を閉じた。ちょっと血生臭いが、今は我慢。

 目つきには若干笑顔が残っているけれども、絵画に残したくなるような顔が決まると、手早く無口を装着し、顎の下に引き綱も結ぶ。

 引き綱を手に持ち、閂を外してゲートを開ける。


「よし。出ろ」


 シェイクテイルが房から出たらゲートを閉じて閂をする。


「よし、行くか」


 ばふ。とシェイクテイルが返事をして、顔を寄せてきた。

 俺の顔並みに大きな舌で顔をべろべろ舐められた俺は、今度こそべとべとになった顔を袖で拭いながら獣舎を出たが、顔の血生臭さに耐えかねて、古い倉庫に行く前に井戸に立ち寄った。



「遅い」


 引き綱でシェイクテイルを誘導し古い倉庫に到着するなり、倉庫の中から声をかけられて、若干肩が跳ねた。


「お前は早いな?終わったのか?」


 ここまで大人しく付いてきていたシェイクテイルが、なぜか俺の前に出ようとするのを宥めて、言い返す。

 退屈していたのか、所在なさげな様子のエミリアが両の手を後ろ手に組んだまま荷車の引き手に背中を預けていた。


「さっき終わった」

「そうか、余計なことをした分、時間食ったな」


 空を見れば、先ほどまでよりも幾分色合いが薄まっていて、確かな時間の経過を感じさせられる。

 出がけの挨拶を済ませた気になっていたせいか、なんとなく決まりが悪い。


「明日はもっと早くに動いた方が良いか。シェイクテイル、お座り、待てだ」


 倉庫の中へ必要な装具を取りに行こうとすると、シェイクテイルは、当然とばかりについてこようとする。

 荷車で一杯の倉庫は、シェイクテイルを引き連れて入るには狭すぎだ。

 不満げに喉を鳴らすシェイクテイルに申し訳なさを感じながら、エミリアの前を通って倉庫に入る。


「大丈夫でしょ」

「ん?なにが?」


 必要な装具は昨日の段階で既にまとめてある。それらを手に取りながらする返事は相槌以上の意味はなかった。


「誰もしなかった仕事をして遅れたんだから、明日は問題ないでしょ?」

「なんだ、見てたなら手伝ってくれても良かったんだぞ?」

「見てませ~ん。その頃はたぶん焦げ剥がししてました~」


 荷引き用の鞍と、鞍の下に敷く緩衝材。御者台まで届く長い手綱と、俺が引いて歩く時、荷車を止める時用に短い手綱、は今結んである物で良い。

 巨大な騎獣に装備するためのものだから、装具もそれなりに大きいが、鞍を器代わりにすれば一度で運べないこともない。


「じゃあ何で俺がそういう仕事をして遅れたって分かったんだ?」

「大扉の金具の下の地面に、油の垂れたような跡がある」


 装具を抱えて、シェイクテイルの傍に戻る。


「あ~。なるほど。よく見てんな?シェイクテイル、立て」


 シェイクテイルはお座りの姿勢からすぐに立ち上がったけれども、チラチラとエミリアの方を気にしていた。


「初歩だよ。ジルバ君」

「うるっさぁ」


 冗談実を含ませた相槌を返して、一旦装具を地面に置く。

 まずはシェイクテイルの背中と腰の中間あたりに、綿花を何重にも重ねて圧縮した緩衝材を敷く。その上に鞍を乗せ、胴回りをベルトで留める。このままだと激しく動いた時に鞍がズレてしまうから、T字状の留め具でシェイクテイルの首と鞍を固定し、残った部分は腹側のベルトと繋いで、最後に増し締めを行う。

 騎獣の中でも特に敏捷性に優れるレイオン種は、比較的乗り心地が悪いため騎乗用として運用されることはあまりないが、その場合は専用の留め具を尻側にも装着し、どの方向に動いても鞍がズレないように固定する。

 走行中に鞍がズレると騎乗者にとっては危険であるし、騎獣にとっても走りにくく、腰や外皮を傷めるため、良いことは何もない。

 だが、荷役の場合は激しく動くことも、後ろ向きに力がかかることもあまり無い。だから騎獣の快適性を優先して、前側のみを固定するにとどめる。

 長い手綱は無口に繋ぎ、自由に頭を動かせるくらいの遊びを持たせて鞍に縛り付けておけば良い。

 残りの装具は荷車と鞍を繋ぐためのものだから、今から用意できることはない。


「シェイクテイルぶるぶるして」


 シェイクテイルが水に濡れた時にするように体を震わせても、鞍にズレは生じない。


「よし、良いな。エミリア、扉閉めるから倉庫から出ろ。なんか作業するなら開けておくけど?」

「あ、出まーす」


 手を後ろ手に組みながら軽快に倉庫から出たエミリアを確認し、留め具を外し大扉を閉め始める。

 多少金具の軋む音はするが、油を指す以前より何倍もスムースに扉は閉まる。うん。横着して楽をしたと思っても結局、良いことはないな。

 そんなことを考えながら反対の扉もスイスイ閉じて、閂をした。


「よし。これで本当に行ける」


 シェイクテイルは俺が背中に乗るのを嫌がるから、シェイクテイルに乗って新聞社に向かうことはできないが、空の明け具合から見ても、仕事に遅れることはなさそうだ。


「はい」

「なんだ?」


 シェイクテイルの引き綱を持とうとした俺に、エミリアが何物かを押し付けてきた。

 柔らかい肌触りの布で包まれているらしいそれを、反射的に受け取る。

 重くはないし、鹿の後ろ脚ほど大きくもない。


「お弁当」

「は?」


 俺は知らない間にそんなことまでエミリアに頼んだのか?んな訳あるか。エミリアはトレーナー見習いであって、家政婦じゃない。それにウチの人間は家政婦を雇う程上等な暮らしなんて求めていない。自分がどうしても朝飯を食いたかったのなら、もっと早くに起きて飯の支度ができる時間を確保すればいいだけのことだ。それをしなかったのは、単純に朝飯が食える時間がないのなら食わなくても問題ないと判断したからだ。


「とはいえ期待はしないであり合わせで作ったサンドイッチだからパンは堅いのしかなかったし具はベーコンだけだし暗かったからベーコンも上手に切れてるかわかんないし水筒に果実酒も入れて来たけどお腹空かなかったら食べなくても良いし背負えるようにしたけど邪魔だったら持って行かなくても良いし」


 いつだかのニワカ雨のような勢いでエミリアは言う。

 早口すぎて何を言っているのか聞き取れなかった所は多いが、どうやらこの布に包まれている物は、俺の弁当であるらしい。


「え、いや、貰えるなら食うけど」


 食えないなら空腹に耐える覚悟はあるが、食えるなら当然食う。


「そう!なら良いけど!」


 なぜか横を向いているエミリアの声が異様に元気なのも気になったが、それよりも気になったことがあった。


「俺弁当頼んだ?」

「頼まれては、ないけど」

「だよな?」


 自分が上司権限を乱用していなかったことが確認できて安心する。

 しかしそのことが分かると、今度は、なぜ?という所が気になった。


「焦げ剥いでる時に気付いちゃったんだから仕方ないでしょ!?シェイクテイルは満腹なのに、ジル兄だけお腹空いてるとか可哀想じゃん!」

「それで急いで作って来てくれたのか?」


 まだ尋ねてもいなかった疑問の答えを口にしたエミリアは、酷く焦っているようにも見える。


「そうですけど!?なに!?いらないなら私の朝ご飯にするから返してよ!」

「いや返さんが?ありがとな」


 衝動的に思いついたことを行動に移してしまったことを後悔しているのか、それとも弁当を作るなんてことがあまりにも自分らしくない行動のように思えて恥ずかしさを感じているのか知らないが、ごにょごにょ言いながらも絶対に俺と顔を合わすまいと頑張っている姿は、ずいぶん昔に見たエミリアの幼少期と似た雰囲気があった。

 だからだろうか。


「わっ!なに!?」


 随分年の離れた幼い女の子にそうするように、わしわしと頭を撫でてやりたくなったのは。


「ありがたく食べさせてもらうわ。でもな、明日からは自分で用意するから大丈夫だ。寝て良い時はちゃんと寝ろ、背伸びないぞ」

「もう伸びませーん!」


 軽口の応酬は、気安くて良い。

 でもな、素の口調は思いがけない時に出るから気を付けろと教えたはずだぞお嬢さん。大人は底意地が悪いんだ、ジル兄からの忠告は聞いておけ?

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荷車引きのシェイクテイル 乾縫 @inui_nui_

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