英雄の歌の吟遊詩人

狼二世

次はどこで歌おう

 あちぃ。くそ、愚痴すら口から出ねえ。


 大地が燃えている。吹きあがる熱風が灰と火の粉をまき散らして夜を焼いている。

 たしか一日前、この道を通った筈だ。風の渡る草原を貫く向きだらしの土の路。道標の代わりに植えられた木々が等間隔に立ち並び、旅人が行き交う賑やかな光景が広がっていた筈だ。


 だが、それは一瞬のうちに消え去った。


「くそ、アイツらはなんだったんだよ!」


 街道の上をボロボロの服で逃げ惑う人々。周囲に響き渡るのは怒号と悲鳴。

 炎に照らされた大地に、血の跡が続いている。

 はるか南――かつて街があった場所からは、異形の方向と生命の断末魔が吹きあがっている。

 この世の終わり――黙示録。

 予言された終末が、ここにあった。


 そう――俺は知っていたはずだ。だってのに、なんで情けない顔をしてるんだ。


「あれが、魔界の軍勢だってのか?」

「じゃあ、やっぱり吟遊詩人の歌は本当だってのか?」


 僅かばかりに理性を残したやつらが意味のない答え合わせをしてやがる。


「ああくそ、内容をちゃんと覚えておけばよかった。勇者がどうこうだとか……」


 焦る男の耳に届くように、わざとらしくアコースティックギターをかき鳴らす。弦の鋭い音が混沌を貫くと、人々の視線が一期に俺に集まった。ああ、それでいい。


「君は、吟遊詩人なのかい?」

「ああ、その通りさ。勇者でも戦士でもない、歌うことしか出来ない木偶の坊だよ。

 自慢できるのは逃げ足と歌声。そして、往生際の悪さくらいさ」


 なにせ、『死んでも』歌い続けてるくらいだからな。


「その、よかったら君が知っている『英雄の歌』を教えてくれないか?」

「ああ、お安い御用さ」


 だって、俺たちが広めた歌なんだから。


0.◆◆◆


――あ、俺死んだ。


 逆転する視界。制御を失った体。痛みを通り越して吹き飛んだ感覚。

 なんだっけ、車に引かれたんだっけ? どうでもいいや。たぶん死ぬんだ。なんか走馬灯が見えて来たし。


 高速で再生される人生。二十一世紀の日本では当たり前すぎる人生を歩いてきた中学生の時代。一念発起してギターと一緒に高校デビューをキメたあの日。いやあ、若気の至りって奴だ。ちょっとくらいギターをひけたからってチヤホヤされて、その気になっちまったもんだ。


 ギターさえあればどこまでも行けると思っていた。

 この歌が届くのなら、どんな場所でも歩いて行けると思っていた。

 なんてイキっていたけれど、自分はどこまでも凡人で、本物の天才を前にすると月とスッポン。どんな見栄を張っても自分は玉ではなくて石でしかなかった。


 プロになるだけの力がなかった。


 同級生たちが会社に就職して堅実な人生を歩いている中、俺だけ夢を追い続けるなんてカッコつけていた。

 あと何年、こんな生活を続けられる? アルバイトで食いつなぎながら問いかける。いつだって答えは保留だ。


 それでも諦めずに歌い続けた。結果が――こんなものか。不注意で事故るなんてダサくて仕方ねえな。

 ああ、地面が目の前に――


◇◇◇


 ――目の前に地面があったはずだ。

 気が付けば五体満足、痛みも痒みもない状態で俺は座り込んでいた。

 周囲は真っ白な空間。ここが死後の世界だと言うのなら、三途の川も流れてない。手抜きもいいところだな。


「……死んでねぇ?」


 この声も誰にも聞かれてねぇ。ただ響くだけ――


「いや、死んだわよ」

「じゃねえ!?」


 聞こえて来た声に全力で振り返る。

 後ろか? いや違う、上だ!!


「馬鹿な! 人が空に浮いてやがる!!」


 純白の翼を広げながら、女性――それもとびっきりの美人が舞い降りてきた。まるで天女……いや、違う。


「女神か」


 人ではない。身に纏う空気は間違いなく人を超えた存在。

 であるなら、天使――いや、女神だ。


「ええ、その通り」


 透き通るような声が耳に届いた。いい声だ。バラードが似合いそうだ。

 顔も悪くない。プラチナブロンドの顔に蒼い瞳。お人形さんと言うか、『美人』と言う記号を完全に重ね合わせたような完璧な容姿だ。そんなものを前にされたら、女神なんて自称されても疑いようはない。


 となれば、俺も常識を捨て去る必要がある。


「真っ白な空間に女神。あー、これって異世界転生って奴っすか?」

「話が早すぎんだろ」

「ナウなヤングには大人気っすからね」

「お前の発現がナウでもヤングでもねえわ。バブルの幻想を捨てろ。まあ、この不景気な時代にギター片手になんとかなると思ってる脳ミソお花畑だからしょうがないか」


どうでもいいけど、死ぬほど口が悪いなこの女神。


「全世界の夢見る若者に謝ってくれませんか」

「夢見れるくらい幸せな奴に対する評価は間違ってねえだろ」

「と言うかその整った容姿で死ぬほど口が悪いと容姿の無駄遣いもいいところなんで謝ってください」

「うるせえだまれ……コホン!」


 あ、わざとらしく咳払いした。


「選ばれしものよ。汝は報われない人生に悔いはありませんか? だいたい事情は理解しているようなので話を飛ばしますが――特別な力を手に入れて、異世界で活躍してみませんか?」

「いやあ、勇者になるようなガラじゃないんで。可能なら今と同じ世界でもう一度ミュージシャンを目指したいな」


 さて、なんか選ばれしものだとか言われても俺はしがないミュージシャン気取りでしかない。異世界で勇者にされたりチートを貰って好き勝手やるなんて興味はないし。


「そう言うと思ったわ」


 うわ、なんか全部を見通したような目をしてやがる。ムカつくなぁ。


「汝、異世界で吟遊詩人になってみない?」


1.◆◆◆


――百の夜を超えた先、この地に災いが訪れよう。

――魔界より太陽を狙う悪魔たちが大地にあふれ出る。

――大地は腐り、山は怒り、海は嘆き、空は沈む。

――けれど命は死なぬ。世界は死なぬ。

――聖剣を携えた勇者は災いを祓うためにこの地に立つ。


――みよ、その勇士よ。

――続け、その姿に。


――不安はない。在るのは希望。さあ、歩いていこう。


 相棒――アコースティックギターの調子は最高だった。もちろん、俺の喉も最高だった。

 バックは青空と生い茂る森林。ステージは切り株の椅子。聞いてんのは農村の連中。最高のライブが終わった。


「いよー、吟遊詩人の兄ちゃん、いい歌だったぜ!」

「ども、ありがとうございまーす」


 手を振りながらおひねりが投げ入れられている桶を見る。評判は上々みたいだ。結構重いだろうな。


 ――あの日、女神から提案された条件は、異世界で吟遊詩人となること。

 不老不死の肉体と、いくらでも修復できる魔法の楽器を寄こされた俺は、中世ヨーロッパ風の世界で適当に生きている。


『とりあえず、この内容で歌を作って』


 渡された紙には、数百年後にこの世界に侵略者が訪れること。そして、聖地と呼ばれる土地に刺さった聖剣を引き抜いた勇者が希望の旗印になること。

 予言か? そう聞くと、女神は意地の悪い笑顔を浮かべてたな。


『半分。魔界からの侵略者は来るけど、勇者が生まれるかは分からないわ』


 さて、その意図は俺には分からねえ。

 ただまあ、俺としては別に気にすることもないと思って深くは聞かなかった。

 ここではない世界で、永遠の人生を歌い続ける。それも悪くないかもしれねぇ。そう思っただけだ。


「詩人様、次はどうするんですか?」


 おっと、またファンを作ってしまったかな。美人に好かれるのは悪くないね。


「さあ、風任せに西にでも行きましょうか」


 いけねえ、美人の前だからカッコつけちまったな。

 まあ、嘘じゃない。どうせ死ぬこともない。適当に生きていくよ。風任せ。

 不滅の喉と、無敵のギターさえあれば生きていける。


「また、来てくださいますよね」

「そうだね。君が家庭を持つ頃にはもう一度来るかもな」


 樽を持ち上げてギターを背負う。おいおい、そんな泣きそうな顔をしないでくれよ。

 俺みたいな根無し草より、堅実な人生を歩いている奴の方がずっと立派なんだからよ。それは二十一世紀の日本でも、この世界でも同じさ。


◇◇◇


 居心地が悪くなっちまった。まさかあの女が村のアイドルみたいな存在で、あの子を狙ってる男たちから敵意を向けられるとはな。

結局、必要な物を買ったらさっさと村を出てきてしまった。

 まったく、なんでカッコつけてるようで女を泣かせるようなクソみたいな対応しかできねえのかな。まあ、そんなんだから前世はあんな結末だったんだろうけど。


『女を振るのも慣れたものなのだわね』


 空からせせら笑いと一緒に女神の声が降って来た。顔は見えないけど、さぞかしいい顔で見てんでしょうね。


「そりゃあまあ、もう百年は歌い続けておりますから」


 この地に降り立ってから、歌い続けてきた。

 世界は平和そのもの。人間たちの小さないざこざはあるけれど、大量破壊兵器なんて影も形もないこの時代は大分穏やかなものだった。


 平和な世界で、生活を考えずに歌い続けられる。スポンサーからは多少の要求はあるけれど、これ以上に満ち足りた生活はない。

 まったく、選ばれしものだとか大層なことを言ってたが、その判断は間違いなく的確で、この女神は正しかったんだろうな。


「しかしまあ、回りくどいことをするもんだね。遥か未来に目覚める魔王を倒すため、魔王を倒す『勇者』の伝説を歌にして世界を広めるなんて」


 侵略者の存在が分かっている。警鐘を鳴らすにしても、歌による伝承なんて不確かなものに頼る。回りくどいにも程がある。


「それこそ、女神様が自分で勇者を見繕って討伐に向かわせたらいいんじゃないですか?」

「それは簡単だけど、それじゃあ一生この世界は女神の保護下から抜け出せないのよ」


 ケラケラと笑い声が響くと、女神の気配は消えていた。

 反論も真意を問いただすことも出来ず、結局俺はまた歩きはじめる。

 さて、次はどこでどんな歌を歌おう。


2.◆◆◆


――往こう往こう、果て無き荒野の果てへ。

――その先に路はない。けれど足跡は路になる。

――剣を閃き、声は大地を揺らす。

――彼の者の名は勇者。

――彼の者の名は英雄。

――たとえ空が暗雲に覆われていようとも、祝福を受けた眼は曇らない。

――たとえ行く先を邪なる存在がふさごうと、彼の者は諦めない。


 今度のステージは、そこそこ大きな商業都市。

 レンガの敷き詰められた道の上で、都市の観衆を前に歌声を披露する。


 歌い終わると、一斉に拍手が鳴りひびいた。

 路の上で聞いていた人。家の窓を開けて拍手をしてくれた人。屋根の上で熱狂してる男は危ないから落ち着いてくれ。


 おひねりですっかり重くなった桶を担ぐと、握手を求めるファンに応える。

 世界は、どこまでも平和だ。

 その平和は、この街にあふれる音――人々の息遣いと、歌で分かる。


 人が集まる場所となると、俺の同業者に出会うこともある。もちろん、神様に認められたのは俺くらいで、いつかの俺みたいに歌で食っていきたい奴らだ。


 あちこちから聞こえてくるメロディーに耳を傾ける。

 愛の歌、髪を称える讃美歌。子供たちの童謡。

 この世界には音と歌が満ち溢れてくる。


「~~」


 ふと、心を振る合わせるフレーズに出会った。


――彼の者、大地を走る。

――北にそびえる山脈を超え、全てを叩き潰す拳で持った正義を為す。


 英雄の歌だ。俺が歌うモノとは違う、もっと荒々しいこの土地の勇者の物だ。

 歌っているのは、俺が死んだ頃と同じくらいの若者。悔しいが、いい声をしている。どうやったらそんな高音が出るんだ。


――希望はある。我らも往こう。平和を取り戻すために。


 歌い終わると、周囲から拍手が沸き上がった。当然、俺も手を叩いていた。

 おひねりを帽子に放り込みながら、さりげなく語りかける。


「いい歌じゃねえか」

「そうでしょ。ご先祖様が誰かから聞いた曲をちょっと変えたんだって。昔故郷の国に居た、英雄様の姿なんだよ!」


 嬉しそうに語るその姿を微笑ましく思いながら、また新たな歌を求めて歩き出した。


3.◆◆◆


 風と一緒に街道を西へ東へ。

 熱いと思ったら北へ旅立ち、寒いと思ったのなら南へ行き先を変える。

 ただ、呑気に歌だけを歌いながら漂っていた。


『明日、世界が終わるわよ』


 だから、女神から警告をされても実感がわかなかったな。


 その日の朝は、何も変わらなかった。鳥がさえずり、涼やかな風が大地を駆け抜けていく。

 人々は変わりばえのない日常を過ごしている。それが永遠に続くと信じて。


 異変が起きたのは夜だった。

 地平線から昇った月が真っ赤だった。それでも、平和に漬かりきった人々は気にしなかった。

 夜の帳が下りた直後は静かなものだった。夕食を食べるころには月が赤いことを気にする人は殆ど居なくなっていた。


 日付が変わる頃、異変は起きた。

 大地が異形の存在――悪魔が湧きだしたんだ。

 紫色の四肢に二本の角。鋭い爪は人の身体はおろか、岩ですら容易く切断する。

 

 深夜の突然の襲撃に、平穏に慣れ切った人々は耐えきれなかった。

 成す術もなく蹂躙され、栄華を誇った都市も瞬く間に灰になっていく。

 炎が大地を覆った。血が流れ、川になった。地獄ってのは、ここにあったんだ。


 かくして、予言の歌は現実のものとなった。

 その中で、人々は逃げ惑う個しかできない。

 それは、俺も同じだった。

 出来ることなんて、自分の身を守るだけだった。


 自分には、女神の祝福を得た不死身の肉体がある。だけど、それだけだ。

 死なないでけど、敵を倒すような力はない。自慢なのは相棒のアコースティックギターと、声だけ。そんなものは災厄の時代には何の役にも立たない。


「……歌うかぁ」


 難民の列に向かってギターを弾く。

 酷い音だ。まったく響かない。

 聞いている人間なんていない。みんな、死んだ目で悪魔から逃げている。

 誰かが言った、早く逃げろと。

 炎の中、迫ってくるのは悪魔の影。そいつ相手に何もできない。それは俺自身が知っている。


――けれど命は死なぬ。世界は死なぬ。

――聖剣を携えた勇者は災いを祓うためにこの地に立つ。


 そう歌ったのは、俺自身だ。

 酷く無責任な歌詞だ。


4.◆◆◆


 一月も過ぎた頃、地上から三つの国が消えた。いくつの命が消えたかなんて、数えたくもない。

 緑に溢れていた大地は炎に焼かれた。長閑な農村も、人が集まる都市も瓦礫に埋もれた。

 悪魔は来た。しかし、勇者はまだ出てこない。


「おい、女神」

『何よー』


 いつものように、天の女神様に文句を言う。


「このまま放っておくのか? アンタの手で勇者を生み出すことだってできるんだろう」

 いつかと同じ質問をぶつける。だけど、返ってくる言葉は同じ。


『いや、するわけないわよ。だって、つまらないじゃない』

「何を言ってんだよ!」


 本当に、この女は同じことしか言わない。

 そう、神様の目線でしか言わない。


『それじゃあ聞くけど、君は女神様が指先一つで生死を左右される存在になりたい? 全部ぜーんぶ、女神が決めてしまってもいいのかしら? そんなのキミだって嫌でしょ。女神が直接介入しなければ回らない世界なんて、面白いと思う?』


 ひどく人間味がないくせに、どこまでも人間みたいに感情を持ち出してくる神様。この上なく厄介で、面倒な存在だ。


「神殺しの歌でも歌っておけばよかったぜ」

『あら、いいじゃない』


 皮肉を女神は笑い飛ばす。


『つまらないのよ。女神が生きるも死ぬも決められる存在を見守ったってお人形遊びにしかならないのよ。私が見たいのは世界。神様はキッカケを与えるだけ。その先に神殺しがあるのなら上等でしょう? それこそ、女神が望む世界の自立なのだから』


 どこまでも傲慢で、それでいて正直で。

 

「ホント、神様なんだな」

『かーみーさーまーでーすー』


 子供っぽくて、人間臭くて、どうしようもない。


『それとも、君が見てきた世界は救世主気取りの支配者が介入しなければ成り立たない程に脆弱な世界なのかしら。違うよね。女神は人間って存在にそれくらいは期待してるわよ』


 それでいて、人間が好きなのだ。

 

 歌声が聞こえてくる。家を失い、傷つきながらも生きている人たちが歌っている。


 いくつもの国が消えた。命が刈り取られていった。

 だけど、まだ生命が全て消えた訳でなかった。


「大変だけど、こんな時こそ歌おう!」


 どこかで、誰かが声をあげた。

 勇者でもない、ただの人間が声をあげた。


「そんなのに意味があるのか?」

「だからこそだ! 意味を与えるんだ」


――最後に家族と寝たのはいつの事だろう。

――大地に穿たれた火は消えない。

――平穏はまだ遠く。けれど命は続く。

――乾いた大地を傷ついた足で歩いて、歩いて、それでも歩こう。

――希望は毒。けれど薬にもなるだろう。

――さあ、往こう、平穏の日々のため。


 それは、強がりの歌。

 力は持っていなくても、強く在ろうとし続けた歌。


 歌に力がある。口にするのは簡単だけど、それを形にするのは難しい。

 俺は二十一世紀の日本で歌い続けた。それに意味があるか分からなかった。

 自分には才能がなくて、結局世界を動かすような歌は生まれなかった。

 異世界でもそれは変わらなくて、自分の人生に意味なんて無かったのかとも思った。


 だけど、認めるなんて悔しいじゃねえか。

 たとえ強がりでも、声を出す意味は在る。

 何もないと言うのなら、何もないなりに胸を張るんだ。


「ええ。そりゃあこんな生意気な女の手のひらで転がされるだけの命じゃないですから」

『そうそう、それでいいのよ。神様に出来るのなんて見守ること。あとはちょっとだけヒントと道具を貸すだけのこと。何れにしても大事なのは『自分の力で解決した』と成功体験を与えて自立を促すことよ、一生依存されるのなんてたまったものじゃないのよ』

「十分おせっかいだろ」

『そこはまあ、滅ぼされたらそれこそつまらないでしょう?』

「ほんと、女神様は気まぐれだ」


 それでいて、優しい。


◇◇◇


 何度目かの戦いの夜だった。

 戦える男はもう居ない。いや、立ち上がれるのは俺くらいだろう。

 さて、どうしよう。

 決まっている。歌おう。最後まで希望の歌を歌って、悪魔どもに五月蠅いって言われながら地面に倒れよう。


 ギターを持って立ち上がる。

 今宵のステージは決まった。炎をバックに最高のナンバーを奏でようぜ。

 観客は、残された人類――そして、悪魔ども。


 いくらでも聞かせてやろう。最後の最後まで歌い続けてやろう。

 たとえ圧倒的な力に蹂躙されようと、最後まで俺たちは自分の意志で立ち続ける。


 目の前に悪魔が迫る。かまわない、一応俺には女神の祝福を受けた不死身の肉体がある。

 痛いのは勘弁だが、気にすることは無い。


 爪が振り下ろされる。肉が断たれる――その前に、黄金の刃が閃いた。

 圧倒的な力。そして、どこか女神と似通った光。

 なんとなく分かった。こいつは勇者だ。


「――大丈夫ですか?」


 聖剣を携えた勇者が、そこに居た。

 女神は、この地に聖剣を残した。それを抜いた存在は、超人となる。

 なぜ知ってるかって? そりゃあ、歌にして伝えたのは俺だからだ。


「おお、あの聖剣こそ間違いない!」

「災厄が予言されていたように、勇者の到来も予言されていたのだ!」


 人々が一斉に沸き立つ。

 俺は――何をすべきか瞬時に理解した。

 今こそ、歌おう。


――百の夜を超えた先、この地に災いが訪れよう。

――魔界より太陽を狙う悪魔たちが大地にあふれ出る。

――大地は腐り、山は怒り、海は嘆き、空は沈む。

――けれど命は死なぬ。世界は死なぬ。

――聖剣を携えた勇者は災いを祓うためにこの地に立つ。


――みよ、その勇士よ。

――続け、その姿に。


――不安はない。在るのは希望。さあ、歩いていこう。


 気が付けば、声が重なっていた。

 人々の声が悪魔の方向をかき消していた。

 勇者は、声にどう応えるべきか分かっていた。

 黄金の刃を高く掲げると、号令する。


 稲妻のような叫び。恐怖ではなく戦う意思。

 そして、再び歌が広がっていく。


――往こう往こう、果て無き荒野の果てへ。

――その先に路はない。けれど足跡は路になる。

――剣を閃き、声は大地を揺らす。

――彼の者の名は勇者。

――彼の者の名は英雄。

――たとえ空が暗雲に覆われていようとも、祝福を受けた眼は曇らない。

――たとえ行く先を邪なる存在がふさごうと、彼の者は諦めない。


 足音が大地を揺らす。

 人が往く。希望と言う旗印を頼りに、歩いていく。


「なあ、女神さん」

『何よー』


 嬉しそうな声で答えてんじゃないよ。


「これって、女神さんが送り込んだ英雄かい?」

『まさか、伝説を信じて聖地まで聖剣を抜きに行った勇者様よ。あなたの歌を聞いて、その伝承を信じた本物の狂人にして勇者。君が蒔いた希望だよ』


5.◆◆◆


 女神の祝福を受けた聖剣。それを持つ勇者。

 伝承の再来に、人々は湧きたった。何故って、歌の結末は人類の勝利で終わっているから。

 事実、歴史は物語を再現した。

 旗印を得た人類は破竹の勢いで大陸を取り戻すと、地獄の悪魔たちを追い返した。


 ――そんな戦いから十年が過ぎた。


 俺は、相変わらず歌を歌っている。


「たとえ傷を負おうと勇者は立ち上がる。振り上げた黄金の剣に宿すのは希望の光。

 みよ、今、極光の刃は悪を討ち果たした――」


 新しい英雄譚を奏で終わる。弦の揺れが止まったころ、溢れんばかりの拍手がわきおこる。

 いや、溢れんばかりってのはちょっと言い過ぎか。なんせ、ここは辺境の小さな村。聴衆は百も居ない。これは俺の歌が下手なのではなくて、村の人口自体が少ないせいだ。ほら、その証拠に聴衆はみんな満足してるだろ。


 世界は、復興に向けて歩いている。

 すぐには元通りとはいかないけれど、歌を聞く人々の顔も大分柔らかいものになっている。こんな都市から離れた辺境の山村でも、真新しい家や畑が今日も生まれている。

 そして、目の前にいる子供みたいに新しい命も生まれている。

 はしゃぎながら俺に近寄ってくる。可愛いもんだ。


「詩人さん、すごかったよ。まるで勇者様は目の前に居たみたいだった」

「そりゃそうさ。だって目の前で戦いを見てたんだから」

「えー、嘘だぁ。だって詩人さんは弱そうだもん」


 おいこら。いやまあ、俺はそこそこのイケメンではあるが、頼りない見た目と言うのは分からなくもない。

 でも、勇者の戦いを最後までこの目で見たってのは嘘じゃないぞ。


 あの日、無謀……いやまあ、俺としては不死身の肉体を持ってるから無謀と言うのも微妙に語弊があるのだが、ともかく勇者に助けられた日からこの世界に平和を取り戻すために戦うアイツと一緒に居た。

 最初は多少鬱陶しがられたが、戦いの後に人々の心を落ち着けるのに俺の歌が役にたった。それにまあ、英雄譚にはコメディリリーフが必要だろう。仲良くやってたと自分でも思ってる。英雄として周囲から祭り上げられたアイツと口喧嘩を出来るのなんて俺くらいのもんだった。


 ――だから、失踪するなら行き先くらい教えてくれたっていいのにな。


「ねえ、詩人さんどうしたの?」

「なあに、ちょっと昔を思い出してただけさ」

「そんなことより、続きの歌はないの?」

「悪いが、それは今作っている最中だ」


 あの日、勇者は役目を終えたかのように人々の前から姿を消した。

 多少の目撃情報はあるけれど、潔く表舞台から消えてしまったのだ。まあ、王に謁見して政治的なアレコレを吹き込まれた時に露骨に嫌な顔をしてたし、戦後のゴタゴタに巻き込まれたくなったんだろうな。


「続きが出来たら、教えるよ」


 だから、英雄の歌に続きがあるなら、アイツを見つけた後に書くさ。


「きっとだよ!」


 そう言うと、子供は元気に駆け出して行った。

 アンコールはないと理解した聴衆も、一人、二人と仕事へと戻っていく。

 そうして、この場には俺だけ――にはならなかった。

 

 一人だけずっと残っている。

 ああ、分かってるさ。見覚えはある。だけど、名乗り出ない。

 まったく、中途半端なことをしてるんじゃねえよ。


「よっ」


 俺の軽口に、男の顔が僅かに緩む。

 覚えてるよ、その優しい顔。勇者だろ。

 でもまあ、名乗り出ないってことはそう言う事なんだろう。


「詩人さん、もう一曲、お願いしていいですか?」

「分かってるよ」


 もう一度、英雄の歌を奏で始める。

 何度も何度も歌った一曲。英雄が立ち上がり、世界に光を取り戻す戦い。

 百年間、世界を巡って広めた歌。

 戦いの最中、傷つくアイツの隣で叫び続けた歌。


「好きなんですよ」

「ああ、知ってんよ」


 何度も聞いたからな。


「……小さいころ、弱かった僕は英雄に憧れた。自分がその歌にあるような英雄になれるか分からない。だけど、カッコイイと思ったんです」


 始まりは、子供の小さな希望。


「いつしか、魔界からの軍勢は現れた。歌は本当だと人は言ったけれど、勇者はいつまでたっても現れなかった。悪はそこにあるけれど、勇者は居ない。居ても、もう悪魔に殺されているかもしれない」


 歌の半分は本当で、歌の半分は偽物だった。

 女神が世界に与えた警鐘であり、希望でもある。

 だけど、その希望は人々が手を伸ばさなければ届かない。


「悔しかったんですよ。自分が素敵だと思ったものが嘘だと言われるのが。だから、実在するって証明したかった。聖地を見つけるだけで限界だと思ったけど――まさか自分が勇者になれるとは思ってもみませんでしたけどね」


 だけど、蒔いた芽を育てる人が居た。それが目の前の青年で――かつて勇者と呼ばれた男。歌なんて不確かな希望を、勇者と言う形にしたこの世界で一番強くて優しい男。


 頬には傷が残っている。背中にはもっと沢山の傷がある。

 いつか、見せてもらったことがある。その壮絶さに思わず言葉を失った。


「辛くなかったか?」

「まさか。辛いのはみんな同じですよ」


 だけど、こいつはいつだって勇者であり続けた。

 俺は、何度も英雄の歌を歌った。だけど、現実の勇者ってのは、その想像を勝手に超えていきやがる。


「……次の歌が出来たたら、また聞かせてやるよ」

「うん、ありがとう」


 笑顔と言うには寂しくて、泣き顔と言うには明るい顔で挨拶をする。お互いに背を向けて、歩きはじめる。

 まあ、生きているならそれでいいさ。どこぞの王様には所在が分かったら教えろとか言われてるが、知ったことじゃない。


 ギターと歌さえあれば、何でも出来ると思ってた。

 だけど、二十一世紀の俺は何も成し遂げられなかった。

 この世界に来て、歌っても世界は変えられなかった。

 だけど、歌を道標に世界を変えた勇者が居た。


 俺は、ただ歌っただけだ。

 だけど、それが希望になって、意味が変わった。

 なら、それでいいだろう。


「さて、次はどんな歌を歌おう」


 女神が言うには、百年先にもう一度魔界からの侵略があるらしい。

 その時に、また新しい歌が出来るだろう。

 それまでは、風と一緒に歌っていよう。


《了》

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