絶対寿命
大振りで肉汁たっぷりなハンバーグステーキに、軽く焦げ目のついた焼き野菜、日本で食べていたそれと変わらぬ純白ライスと、オニオンドレッシングが飴色に輝くグリーンサラダ。
それらが鮮やかに盛り付けられたプレートランチ五人前をテーブルに並べ、それはそれは幸せそうに頬張るアルを横目に、僕とリッドは窓際の
「あれ、どこに入ってるんだと思う?」
僕とアルどちらの様子も
時間が経つにつれ、親交が深まるどころか緊張感が増していく様子に、フォークを
頬杖を突き目を細め、フォークの先で差し心境を尋ねた。
「ねぇ、リッド。君と仲良くなりたいって僕の意に反して、どんどん距離が遠ざかってく気がするんだけど。これって、どういうことなんだろう?」
言い方がマズかったのか、叱られた子供のように肩を
「だ、だって、その…。救世主様だし、すごい力を持ってるし、一緒に居るアルディートさんだって特別な力を持ってて。…そんで
周りに聞かれることを警戒し小さな声で呟くように答えていたが、うっかり漏らした
怯えた声で慌てて言い訳を続ける。
「いや、えっと、そうじゃなくて。あの、…た、対等に話しさせてもらうのが恐れ多いって意味で…。うぅ…申し訳ないっすぅぅ…」
なるほど。機嫌を損ねたら何をされるかわからない、くらいの認識まで彼の頭の中では到達してしまっているわけか。元が
これは意地でも
「とりあえず、冷める前に食べようか。」
おずおずと椅子に座り直し、緊張で
一々アルの
「ふぇ…え?な、なんすか⁉︎」
撫でられるのは思いの
「んー?少しは落ち着くかなと思ってね。ひょっとして
「えっ…あ、えっと、角の近くは敏感なんで、ソワソワ…するっす。」
「へぇ、そうなんだ。……快感で
悪い笑みを浮かべワキワキと指を動かして見せると、プレートを抱え座ったまま勢いよく後退。やたら動揺し残りを一気に口へと押し込む。
快感で
「言葉でお互いの距離が詰まらないのなら、ここはやっぱり身体の距離から詰めていこうか♪」
「っっっ⁉︎ぉうわぁっ‼︎な、ななななな!何…言ってる、すか…」
椅子ごと床に転倒するも、満更でも無い顔をして見上げる。
どうやら狙い通りだ。が、そうだった…
こちらが冗談のつもりでも、美女と見紛うこの顔面。種族は違えどその辺りの感覚は近いのだから、勘違いだってすると言うもの。
「あー…ハハハ、ごめん。冗談が過ぎた。一緒に身体を動かして遊べば通じ合えるかなぁ…なんて思っただけで、深い意味は無いんだ。大丈夫?どこかぶつけてない?」
「全然っ!大丈夫っすけど…。あの。本当のこと言うと、さっき本部を出る前に…カルムさんの機嫌を損ねるような真似をしたら町が滅ぶって皆にすげぇ言われて。そんでビビってたんす。でも、なんて言うかカルムさんて、見た目も中身も眩しくて。オレ……ドキドキしてるっす。」
「は…?」
頬を赤らめ、潤んだ瞳で見上げてくる。
あぁ、やっぱりエトバスの部下だ。言い方は可愛らしいけど、言ってる内容があいつとほぼ変わらない。
怯えられるよりはずっといいが、あぁいう
「リッド。褒めてくれるのはとても嬉しいよ。ただ、それだと口説いてるようにしか聞こえないから。僕が言うのもなんだけど、その辺気を付けような。」
手を引き立たせると、ワンテンポ遅れて僕の言ったことを理解したようで、わたわたとフードを深く被り顔まで覆う。
ふむ、まともな羞恥心はあったか。
おかしなものに感化されず、このまま真っ
「……心臓もたないっす…」
「いや。町を滅ぼすだとか、そんな物騒な話あるわけないだろ?それじゃ僕がやるべき事と真逆。もしリッドが僕を怒らせるような事をしたとしても、感情に任せて暴れたりなんて絶対に無いから。」
歯切れの悪い感じで何か呟いていたが、フード越しに頭を軽く叩いてやると、ようやく初めに見た無邪気な笑顔を覗かせた。
騒がしい僕らを気にする風でも無く存分に好物を堪能したアルは、背凭れに反り腹を
「な。リッドにしといて良かったろ?」
腹が満たされたことにご満悦なのかと思えば、どうやら僕のメンタルの回復具合を気にしていたようで。
リッドを構いすっかり上機嫌な自分に気付き照れ笑い。
「ホント、
席に戻り
程なく運ばれて来た食後のコーヒーをじっくりと
伝票に書かれた救世主割引済みの代金を女性スタッフに支払い、相変わらずカウンターで書類整理に勤しむベルデさんに声を掛ける。
「ハンバーグステーキ、とても美味しかったです♪」
「ご満足いただけたようで何よりです。自警団の
「はい、おかげさまで。ついでに彼をスカウトして来ました。」
昼食の
「新たな魔法習得のため、でしょうか。リッド君は自警団一の魔法の使い手、ギルドで保管している
その紹介に少し照れて頭を
教会でだけじゃなくギルドでも魔法を提供しているのか。ケアの他にも、僕が習得可能な魔法を使えるに違いない。
落ち着いたら追加で交渉してみるとして、だ。
一つ気に掛かるのは―――
「リッドって思ってたよりずっと優秀なんだね。そんな人材を簡単に借りてきて良かったのかな…」
「副団長の命令なんで!問題無いっす。て言うかオレ、ぜんぜんそんな…優秀とかじゃないっすから。」
SSランクのベルデさんがその能力を高く評価している時点で明らかに
本人に自覚が無いのだとしても、それに甘えて報酬をケチったのではブラックも同じ。能力
「悪いけど、自己評価の低い発言は聞こえないようになってるんだ。先に話した報酬の件、ちゃんと考える気が無いんだったら、こっちで勝手に決めさせてもらうから。…覚悟してね♪」
「え?な、何でそんな脅すみたいに…。アルディートさぁん、やっぱオレこわいっすぅ~!」
圧を込めた僕の笑顔を真に受けアルに
兄弟のように
「あの、ベルデさん。忙しいところ申し訳ないんですけど、…いいですか?」
「構いませんよ。場所を移した方がよろしいですか?」
書類の束を棚に置き僕へと向き直ると、少しだけ首を傾げた。
「あ、いえ。例の魔法なんですけど、どこかで練習はできないものかな…と思いまして。」
「ふむ、そうですね。経験の無いものをいきなり本番で使用するのは不安でしょう。しかし単発でもかなりの威力ですから、試し撃ちをするというのも…」
サンダークラップの効果範囲は半径五十メートル程度、地下訓練場の広さでは
また本番を
「やっぱり、魔法はやめといた方がいいか……。練習はスキルだけにしておきます。」
「その方が
「あ…、失念してました。助かります。」
五百メートル四方の範囲内で無数の雷が同時発生。言葉で表せば単純だが、実際にそれが起きるとなると大事件だ。それに、関わりの無い人を戦闘に巻き込むのも避けねばならない。
事前に警告しておくのが一番だけど、僕はこの辺のこと全く知らないしな。遠慮無く頼らせてもらおう。
「あの…気になったんすけど。複数同時発動とか大規模な魔法演習とか、どういうことっすか?戦うのは
僕が先に言った事と食い違う内容に疑問が湧いたのだろう、話しの区切りがついたのを察し
実のところ僕もちょっとは期待していたが、また自ら弄られに行くような真似をして。いったいどこまで天然なのか。
ほら、アルが待ってましたとでも言わんばかりの顔で背後から覗いている。
「もう仲間だしな♪リッドには教えといてやるよ。カルムが―――」
『
実に楽しそうに耳元で囁く声が、試しに使ってみたスキル『知覚強化』でハッキリと聞こえた。
「ぁ…ハハ、冗談っす…よね……」
真顔で停止したまま
正気に戻れば、唐突に何を言い出すかわからない。脳内処理でラグが生じている隙に、この場を連れ出した方が良さそうだ。
「ごちそうさまでした!朝食とランチ、明日の分も予約でお願いします!」
「はい、
「ありがとうございます!」
リッドの腕を引き、慌ただしくギルドを後にする。
そこそこの魔法の使い手であっても到底現実的では無い芸当ながら、僕がやるという時点で
我に返ると同時、
午後からの“
老衰に限らず絶対的な寿命が存在する時点で、今回の件を乗り切ったとしても翌日には尽きる可能性だってある。寿命がそこまでと示されれば、僕にはどうにもできない。
期待を裏切る結果となってしまった場合の、対象にかかる心的負担を最小限に抑える為。またアルはそれ以上に対象と直接向き合う僕を心配し、選択可能な終末を確認した上で個別に告げるべきだと言ってくれた。
悪質な
幸い始めに呼び出した三人は本人同意のもと、
終えた
夕食前にはアロガンさんに連絡を取り、現状の報告と今後の計画を伝えた。
避難民については教会と村長宅、また何軒かの家で分担し受け入れてくれると言う。一日だけとは言え、協力に対するお礼の挨拶すらしないままでは忍びない。全員の書き換えが済み次第、一度村に戻り改めて話しをするつもりだ。
招待されていた町長宅での夕食。序盤は存分に持て成され、豪華な料理に
が、時が経つにつれ順調に酒が回り、歌えや踊れやと盛り上がる面々。
客室の鍵は町長の管理
明くる日以降、“
また、やはり平均寿命に至る数年前で尽きる者も幾人か居て、僕からは選択可能な終末を示すのみ。本人が選んだ結末に添い、それが病死だろうが事故死だろうが、安らかに逝けるようにと
感情移入し
アルとリッドが
五日目の午後。今日で全員終えてしまおうと、残りの十三人を教会に呼び出した。
老衰による
僕の前に座ったのは二十歳を迎えたばかりと言う女性だった。
色白でふわふわとしたクリーム色の長い髪がとてもよく似合う可愛らしい容姿で、外見に似つかわしく口調もおっとりと穏やか。見ているだけでどこか癒される雰囲気を
これまでと同様に“
動揺を押し隠し、その日までは寿命を延ばせるのだと告げると、彼女は静かに涙を流した。自分が病に侵されていることも既に理解していて、あと五年も生きられるのなら十分だと言って笑う。
そこから先は、あまりよく覚えていない。
彼女の書き換えを終え、それから皆をもう一度集め口外無用という話しをして―――
気付いた時には教会とは違う見知らぬ部屋で、アルに背中を
悲しみや恐怖が胸の奥から次々と込み上げ、落ち着かなければと思うのにコントロールが利かない。
どれだけ泣いたのか。
ようやくマトモに呼吸できるくらいには
「もう大丈夫だから、少し休んどけ。」
落ち着いた途端に思考が巡り、やるべき事をこなすべく立ち上がろうとするも、急激な眠気に襲われ
そして、そのまま気を失うように……
僕は深い眠りへと落ちていった。
「すんませんでした!魔法で、無理矢理眠らせたりして…っ!」
目を覚まして早々、リッドが深々と頭を下げ全力で謝罪してくる。
記憶は
「あー…アルの指示だよね。あんな有様だったのに、まだ動く気でいたし。止めてもらって助かったよ。」
ベッドを下り軽くストレッチしながら努めて明るく返すも、リッドは浮かない表情のまま、今一度深く頭を下げた。
「スリープだっけ、それも後で教えて欲しいな。未習得の魔法はなるべく使えるようにしておきたくてさ。報酬はまとめてになるかも知れないけど」
「あのっ!…もう、平気なんすか?」
回復を装った演技と疑っているのか、間近に迫りじっくりと僕の顔色を確かめる。
アルの姿が見えないから、指示を受け夜通し様子を見てくれていたのだろう。いかにも寝不足な目元に心が痛む。
「う、うーん…。今はもう平気、かな。気持ちよく眠らせてもらえたおかげで頭もスッキリしてるし。特に不調は感じないよ。」
「そ…すか。はぁ〜、良かったっす。」
心底
自分のことながら、正直言って自信は無い。
迷惑も心配も掛けたくは無かったのに、下手に強がればこういう結果を招くんだってことも身をもって知り、己の
だが、今回はやっぱり一日に二十人って詰め過ぎたのと、最後に書き換えた彼女の感情に当てられたのが
そもそも一度寿命を書き換えるだけで僕の
そう考えると、ますます無理をしていたんだと思えてくる。
僕を転生させ力を与えたネルでさえ、こんな風に詰めて動くのは想定外だった可能性も。
ともあれ、今回はたまたま書き換えを望む者が九十八人居て、たまたま期限が十日と短かっただけ。こんな案件、
せめて、あの流れ込んでくる感情だけでも抑えられればな…
言えば改善してもらえるだろうか。いや、ネルにだって何か考えがあってのことかも知れない。もしそうなら、神様の考えを否定するのもどうかって話だし。
暫く頑張ってみて耐えられそうに無ければ、改善を求めてみるとしよう。
しかし。あの
あれこれ考えている間に軽食を運んで来てくれ、服も身体も生活魔法で綺麗にしてくれた。
「リッド。君もずっと見ててわかったろ。救世主なんて呼ばれて大層
「んー、よくわかんないっす!」
えぇぇ……
少しは否定してくれるかもと期待したのに、言ったことそのものを理解してもらえないとは想定外だ。
困惑する僕を
「そもそも。誰かを救える力を持ってるって、それだけで凄くないっすか?あと仕事見させてもらって思ったんすけど。辛いのずっと我慢して笑ってるのとか、常に周りのこと気に掛けていられるのとか、めちゃくちゃ大人だなって思ったし。と言うかオレ、アルディートさんに言われなきゃ正直カルムさんが無理してるの気付かなかったし…。限界超えるまでやっといて見返りも要求しないで続けるなんて、
「元はと言えば僕のメンタルの弱さが…って、これ反論しても意味無いか。すっかり幻滅されたんじゃないかと思ってたのに、そうでも無いみたいでホッしたよ。」
「
「あはは、ありがとう。」
まぁ、いいか。
精一杯やろうって僕の意思が伝わったのだと思えば、純粋に励みになる。わざわざ進んで自己嫌悪に陥る必要は無いんだ。リッドの言葉、素直に受け止めておこう。
「にしても、なんかやたらお腹空いたな。これ、いただいていい?」
「カルムさんのために用意したんで!どうぞっす。」
窓際の小さなテーブルに着き、柔らかなパンを
「んぅ、このスープ…美味しい!はぁ〜、野菜もトロトロで身体中に染み渡る…」
リッドは僕が目を覚ますより前に食事を済ませたのだろう、手持ち
「四十時間くらい寝てたんで、厨房に言って腹に優しい料理にしてもらったっす♪」
「………ん?」
「あ、ここオレの部屋なんす。すぐ横が副団長の部屋で、時々様子見に来てたっすよ?シラユキ?とか、眠れる森がどうとか言ってニヤニヤしてたっすけど。」
「あ、あぁ…そういう童話もこっちに…。って、そうじゃなくて!え、僕四十時間も寝てたの!?」
「途中何回か目ぇ覚ましそうだったんすけど、アルディートさんがもっと寝かせとけって言うんで。追加でスリープを…」
いや、もっと寝かせとけって。いくら何でも四十時間はやり過ぎだろう!
“
「あ!アルディートさんからカルムさんが起きたら伝えておけって言われてたの忘れてたっす。『精神ダメージを回復するには今のところ休息を取るしか方法が無いから、眠るのも救世主の仕事の一部だと思え。』って。」
僕が自責の念に駆られるのも予測済み、ね…。
普段は他人の言うことも馬鹿正直に信じるおバカのくせに、心理的な部分を察する能力の高さは異常なんだよな。でもって、その辺のことで反抗すると露骨に怒るし。
面と向かって
「了解。アルが言うなら従わないとな。」
「ほわぁ〜、信頼してるんすね。ただの護衛とは思えないっす。」
「んー、まぁね。」
救世主が勇者を連れてるなんて知ったら、リッドは腰を抜かすだろうな。
王様から正式に認められさえすれば、堂々勇者を名乗れるのだとか。このネタでもまた
「で、アルは?どっか
「魔法向きじゃない討伐依頼をこなしておくって、早朝から出掛けたっす。昨日も何件か受けたみたいで、すげぇ額稼いでたっすよ。流石Sランクっす。」
そういえば解体で稼いだ分は結局全額僕が持ったまま。こうして別行動の時もあるんだから、きちんと均等に分けておくんだったな…。まぁ、現状はアルの方が金持ちになってるようだから今更だけど。
にしてもアルのやつ、初めから冒険者登録しておけばお金には困らなかったはずなのに、何故あんなギリギリの
あー、有り
今は僕が居ることを意識して、今後の生活費を討伐報酬で
僕も気遣いに
「ふぅ、ごちそうさま。アルが働いてるんなら、僕もちょっと出掛けてこようかな。」
食事を終え、
「なら、オレも一緒に」
「あぁ、大丈夫。ユヌ村に受け入れの件で話しに行くだけだから。他にもちょっと雑用こなして、夕飯は向こうで済ませてくるよ。だから今日はリッドもゆっくりしてて。寝不足だろ?」
フィーユとの約束もあるし、せっかくだからアロガンさんの手料理だって満喫しておきたい。気晴らしも兼ねて一日を焦らず過ごそう。で、残り二日間はみっちりスキルの練習だ。
「じゃあ…お言葉に甘えて。アルディートさんが戻ったら、ユヌ村に行ってるって伝えておくっす。」
「コールしといても良いけど、もし戦闘中だったら邪魔になるしね。頼むよ。」
「了解しましたっす!お気を付けてっす!」
「ん。行ってきます。」
テレポート詠唱直後、目の前には慣れ親しんだユヌ村の教会。
村人達に発見されるや否や、あっという間に取り囲まれる。
「おぉ、カルム様!お帰りなさいませ!」
「
「カルム様っ、ぜひ!ぜひ我が家でお寛ぎください!」
おっと、これはまた…。
どうやらアロガンさんが過大評価の情報を村中に
「話は聞いているかも知れないけど、今日は
辺りを見渡せば、騒めきが絶えぬシャーフとは真逆に静かで穏やかな風景。
まだ村を出て
「か…カルム様⁉︎いつお戻りに?お出迎えもいたしませんで申し訳ございません!」
今日も村中を忙しく動き回っていたのだろう。人集りの中心に僕を見付けたアロガンさんが大慌てで駆け寄って来た。たった七日で変わりはしないが、相変わらずで何よりだ。
「いいよ、そんなの気にしなくて。むしろ何も知らせずに戻ってごめん。避難民受け入れの件でやっぱり直接話しておきたかったのと、急な我が儘で申し訳ないんだけど…今日一日だけ、ゆっくりさせてもらうかなぁ〜なんて。」
「っ…‼︎お任せください!皆さん、カルム様は暫し休まれます。お話はまた後ほど。避難民受け入れ予定の家の方は、鐘の音が聞こえましたら教会にお集まりください。」
アロガンさんの情熱には
にこやかに見送ってアロガンさんへ向き直ると、幸福に満ち溢れた顔で身を震わせた。
「あー……。えっと、最後にアロガンさんに連絡したのは確か六日前だったよね。その後の話、聞いてもらえる?」
「勿論です!すぐにお茶をお淹れいたしますね。」
コールで会話し、相談に応じたくらいでは献身的な思いは満たされないらしい。七日の間に蓄積されたアロガンさんの欲求が今、解き放たれる。
スプーンを握るのも許さぬ勢いで容赦なく世話を焼かれ、甘やかされ…
アルを連れず戻って来てしまったことを、少しばかり後悔したのだった。
村でやりたかったことを一通りこなし、再びアロガンさん宅のソファーで寛ぐ僕の目の前に、貴族のお茶会よろしくティーセットが並ぶ。
三段のケーキスタンドには色とりどりのスイーツ。魔法を駆使すればかなり工程を省けるとは言え、僕が服屋で作業して戻るまでの間で何をどうやればこれだけ作れるのか。
いやそれよりも、僕一人に用意する量としては完全に間違っているし。そもそも昼食だって、高級ホテルのディナー並みに豪華なフルコースだった。どこぞの大食い勇者じゃあるまいし、あの量を食べ終えてから三時間足らずでは、僕の胃は次を受け付けてはくれない。
「うん。これ、お土産に持って行ってもいいかな。」
「えぇ、勿論です。足りなければ、追加でお作りいたし」
「大丈夫。足りてるから。」
「はい……」
言葉の途中で
天使時代。常に先回りし仕事をこなしていたアロガンさんの能力は、僕の下でも
今回村に戻った主目的、シャーフからの避難民受け入れについての相談だが―――
食事や寝床をはじめとした細かな打ち合わせは既に済んでおり、逆に僕の方が内訳の説明を受けるカタチとなった。救世主の立場でやったことと言えば、教会に集まった村人達によろしくお願いしますと一言告げたくらい。
その一言に歓喜する皆に対し頭を下げる必要は無いと、アロガンさんにより軽やかに阻止されてしまった。
六日前コールをした際に知らせていた九十八人が、それぞれに大切な人を連れ避難して来るのも予測し、およそ倍の人数までの受け入れ準備が完了しているとのこと。
幼い子を持つ親も居たから、その辺を含め予定人数を増やして欲しいと頼み、準備も手伝うつもりだったのに…
何なら今晩からでも対応可能と言われてしまうと最早僕の出る幕は無く。更には何もしていないのに流石は救世主様だ!と称賛され、まったく意味がわからなかった。
教会に置いてある本から、西の山脈と
必要かと思い準備しておきました。と差し出された本には、この大陸で出現する魔物の特徴や弱点、生息地域などが詳細に記されており、今後の旅に携帯し役立てて欲しいと言う。その上、今居る大陸の簡略な地図まで添えてくれた。僕が戻った時に渡すつもりで、危険な地域を色分けし、扱い易いサイズに書き直したそうだ。
エトバスの部屋のコレクションに加えても遜色のない美しい地図。度々広げて劣化させてしまうのが勿体無い。
もう他に何ができようとも驚かないな。アロガンさんなら、できない事も瞬時にマスターしてきそうだし。
身体を移っても記憶は引き継いでいるらしいから、中身は有能な天使のままなのは間違いない。
「フィーユに約束してたテディベアの服、何着か作って届けたんだけどさ。薬屋に入ろうとしたら上から声がするもんだからビックリしたよ。他の子供達と屋根の上で遊んでたんだ。」
「彼女のお転婆ぶりにはアンデクスも手を焼いていまして。ついこの間まで
手を焼いているのはアロガンさんも同じのようで、紅茶を飲みながら苦笑する。
しっかりと守ってくれているようで安心した。
僕が初めて救世主の力を使った相手、せめて大人になるまでは見守っていたい。そこから先、僕に恋心を抱いてくれるのかどうかは少しばかり期待しておくとして。
やっぱりアルにも、フィーユの顔を見せてあげれば良かったな。実質彼女を救ったのはアルなわけだし。あの幸せそうな笑顔を見れば、きっとどんな苦労も
「次はアルも連れて戻るよ。フィーユもきっと喜ぶだろうし、アルだって…」
ぞわりと悪寒が走り咄嗟に顔を上げると、アロガンさんはいつもと変わらず綺麗な顔で微笑む。
「勇者様とは、少々会話が足りなかったなと感じておりました。次にお戻りの時には是非、勇者様もご一緒にお願いします。」
紅茶のおかわりを注ぎつつ、決して内側は微笑んでいない淡々とした口調で言った。
精神的な限界を超えて四十時間も眠らされた話をしたものだから、アルに対してかなりお怒りのご様子。そこに至った原因はあくまで僕にあるのだと念を押して説明したのに、あまりに盲目である。
「はぁ…アロガンさんにそんな感じでいられたんじゃ、
「っ‼︎も、申し訳ございません!勇者様とは友好な関係を築いていければと思っております!ですので!そのようなこと……おっ、おっしゃらな…ぃで、くださ…」
僕の言ったことを真に受け、
ネルに
「あ〜もぉ、今のは冗談…というか。僕が信頼する
「以後、カルム様の信頼を裏切ることの無いよう努めますので!何卒、お許しください。」
僕が跪かれるのを嫌うと意識し、頭は下げず必死の様相で迫ってきた。
「い、いや…だから、許すも何も。毎度頼ってるのは僕の方だし。これからも気兼ねなく帰れる場所であってもらえれば…」
「はいっ!カルム様に度々お戻りいただけるよう、精一杯励みます!」
わぁ…元気いっぱい、願望を前面に押し出してきてるなぁ。尽くすことが全てみたいな人だから、頼るにしても僕の方で加減をしなきゃ天使時代の二の舞になりそうだ。
「この村で過ごす時間は、もうこれ以上無いってくらいに十分な癒しだよ。このまま日暮れまで満喫して、心身ともにリセットさせてもらうよ。
クッションを抱きダラダラと横になれば、どこからともなく薄い毛布を取り出し腹に掛けてくれる。早速、依存させに掛かってくるあたり実に恐ろしい。
「
「え?僕今、結界に包まれてるってこと?寝てる間にアルがやってくれたのか…。全然気付かなかった。」
自分の身体に触れてみても実感は無いが、アロガンさんは見えるなり感じるなりしているのだろう。興味ありげに肌に触れるスレスレのところを撫で、静かに頷く。
「遠隔での維持は難しいのかも知れません。効力はかなり低下しています。…が、
低俗って…。あぁ、そうか。元堕天使、すなわち悪魔の経歴も持つアロガンさんにしてみれば、下級の悪魔なんて雑魚も同じ。
もしかしたら
「シャーフのギルドに討伐依頼が出てるみたいで。実害が出てんなら、本当は防ぐだけじゃなく見付けて倒したいところなんだけどね。確実な対抗策も無しには挑めないから、どうしたもんかな〜って。」
「八つ裂きにして構わないのでしたら簡単なのですが。捕らえた方がよろしいですか?」
「……へ?」
さも当然のことのように言って首を傾げた。
まさか僕の予想通りだとでも?
八つ裂きにってのがかなり怖いけど、捕らえるという選択肢もあるようで、返答を待ちこちらを見つめている。
「アロガンさんは結界維持のために村からは出れないんだよね?この場に居ながら対処できるってこと?」
「はい。低俗な悪魔を
まったくこの人は、綺麗な笑顔で恐ろしいことを言う。人と共存している
それに、血を少々だって?どう考えても悪魔の契約的なやつじゃないか!力を抑えたとしても酷いことになりそうな気しかしない。
他に手段が無いのなら頼るより仕方ないが―――
ここは一旦考えさせてもらおう!
「冒険者としての仕事になるから、一度アルと相談した上で決めてもいい?」
「えぇ、いつでもお申し付けください。」
どの程度の被害が出ているのかも聞いていない状況で、人型を成した相手を殺すというのも抵抗があるしな。それでも排除すべき悪と認識したなら、その時は覚悟しなければ。綺麗事だけでは、きっとこの世界では生きていけない。
空想じゃなく、現実なんだもんな……
真面目な話は結局それで終了。
日暮れまで
持ち帰ったアロガンさん特製スイーツはリッドにもエトバスにも好評だったが、やはり食べ物を土産にして一番喜んだのは食いしん坊のアルだった。
お金の管理は苦手だからと昨日と今日で稼いだ報酬を丸ごと僕に放り投げ、夢中でがっつく。
アル一人で三日は食うに困らない額を作っておいた巾着に入れ、好きに使って構わないと言って渡せば、初めてお小遣いを貰った子供のように目を輝かせて喜んだ。
自ら労働で稼いだって自覚はまったく無さそうだ。ギルドの規定通り報酬を受け取りはしたものの、アルにとっては全部ただの人助けなのだろう。
八日目、九日目の昼までは、万視での視認範囲を知覚強化で広げる練習にひたすら励んだ。
地面に沿い周囲を見渡す分には、カバーできる範囲が倍近くまで広がっただけのこと。特に苦労は無かった。
ただ、これといった目印の無い上空を対象に視点を定めるとなると、なかなかに難しい。
注視して霧がかった高度を探り、低位の光魔法ルミナスを等間隔に幾つも仕掛け同時発動させる。目眩し程度にしかならない魔法だが、魔力消費が少なく音も無ければ環境への影響も無い。練習には最適の魔法だ。
雲の中で光るのを見上げては調整する流れをひたすらに、
計十二時間程掛けてようやく、自信を持って本番に挑めるだけの感覚を掴むことができた。
長めの休憩を挟み、午後からは避難民の移動を開始。
この件を知らぬ他の住民達に気付かれれば
教会前のスペースを考え四回に分け移動させたわけだが、普通テレポートで一度に運べるのは多くても五人程度らしく、思わぬところで
目立つのも
日暮れ前、予定よりもずっと早く避難は完了した。
僕が口出しするまでも無く、テレポートで運んだ端からアロガンさんが名簿を作成。各家への振り分けも全てお任せで
意気揚々と僕の世話にも掛かろうとしていたが、明日全てを終えるまではお預けとして早々にシャーフへと戻った。
万が一の
僕がサンダークラップで群れを落とすまでの流れは変わらず、降ってきた
一太刀で首を切り落とせるアルと、一蹴りで頭部を粉砕できるベルデさんに対し、リッドは止めとなり得る攻撃手段を持ち合わせていなかった為、基本的には僕の
因みにリッド、物理的な防御と攻撃を対象とした強化魔法の他、
向こうは報復のつもりかも知れないが、僕だって死ぬほど消耗させられた恨みがあるんだ。キャパ的に全部は無理だろうけど何匹かは解体に回して、ストレス発散ついでにたっぷり稼がせてもらおう。
明日の本番を万全の体調で挑めるよう、ベルデさんオススメの少々お高めな宿屋に部屋を取り、行き届いたサービスをアルと二人存分に楽しんでベッドに入った。
上手くいくとわかってはいても緊張はするものだな。何せ、僕の魔法に懸かっているわけだし―――
…余計なことを考えるのはやめよう。胃が痛くなる。
もっと気楽に。全部終えた後のことでも想像すればいい。そう…これが済んだら僕、今度こそ平凡な冒険者としてマイペースに生きてくんだ……
って、これじゃまさに死亡フラグ!我ながら縁起でもない!
「
窓側のベッドで背を向けたままアルが言う。
「へ?あ、まだ起きてたんだ。…いや、平気。悪くない緊張感だと思うから。」
「ま、無理してんじゃないならいいや。けど、カルムが思ってる以上にこっちは心配すんだぞ、ちっとはそのへんも考えろよ〜。」
「あー…ハハハ。一人じゃないんだなって思うとリミッター緩みがちっていうか。いい加減自分の限界も見えたからね、これからは気を付けるよ。」
薄目で見やる大きな窓には深く澄んだ星空。
夏の始まりらしく、蝉の鳴き声も聞こえる。
「……明日、頼むな。おやすみ。」
「あぁ、うん。…おやすみ。」
やはり、本来迎えるはずだった結末を気にしているのだろう、いつに無く真面目な声だった。
プレッシャーではあるけど、頼られてると思うと勇気が湧いてくる。
しかし今更ながら、僕って未来を変えてるんだよな。別に過去に戻ってどうこうしているわけでは無いから歴史の改変には当たらないとは言え、意図的に未来を操作するとか完全に神様の領域なのでは?
駄目だ、もうこれ以上色々考えるのはよそう。セルフでプレッシャー割増しにして、本気で眠れなくなる。
無になるのは困難極まりない、目一杯ファンシーな妄想で埋め尽くす。
いつの間にかそれが夢にすり替わり、脳内お花畑で九日目を終えた。
エンディング専門の人気作家 桜楽 @yorozun
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