「短編」regret ①

たのし

前編

綿アメみたいな雲。

トクトク注がれる牛乳。

まるまる太った白の毛糸玉。

ビー玉から溢れる光。


それと、立花くん。


私は真っ白で汚したくなる貴方に合わなかったらどんな人生を送ったのだろう。


もしかしたら、仕事をバリバリして六本木ヒルズに事務所を構えお洒落なカフェのコーヒーを飲みながら女社長として活躍していたかもしれない。


でも、そんな確信できない未来を捨て私は貴方のまた確信できない未来を引き継ぐことにした。


✴︎


私は貴方と出会ったのは、中学に入った頃。

複数の小学校の生徒が一つの中学校を目指して遅刻坂を両親と一緒に登ってくる入学式の日。私の運命をこうザーっとピアノのグリッサンドの様な一瞬で混じってすぐ消える。ある意味残酷って言葉を残した貴方に出会いました。


貴方は周りが両親を連れ校門の前で子供の晴れ姿をとる当たり前の風景の横を一人で風を切って入って行った。


余りにも大きすぎる制服を着て、親が行う入学に関する手続きも周りの大人の助けも借りることなく一人で行い、後を囲む生徒の両親の視線を感じながら一人席に就いていた。


私は大人の彼に向ける視線の冷たさにズキズキと歯の神経を抉られる様な近い物を感じていた。


次の日は週末で学校は休みであった。

私は新しい文房具を買うため、商店街へと向かっていた。


その時、パンパンに膨らんだボストンバッグを抱えた貴方はある施設に入って行った。


「児童養護施設 清風園。」


貴方は慣れた様にインターホンを鳴らし、出てきた職員に深々と挨拶を終えると荷物を持ち直し中へと消えていった。


慣れた大人への対応を当たり前にこなしてしまう立花くんに半分尊敬して半分悲しい気持ちになり、私は道を引き返して家に帰った。


「お母さん。私を捨てたりしないよね。」


「当たり前じゃない。お父さんもお母さんも美香を捨てたりはしないわ。美香は私達の宝物なんだから。」


私は何故か分からない不安で押しつぶされそうになっていた。それほど立花くんの立ち振る舞いは私の心に響めいていた。


月曜日。通常通り学校がスタートした。

ブカブカの制服を着た貴方は席に座り、真新しい教科書に目を通していた。周りでは新しい仲間を作ろうと男子そして女子がお互いの自己紹介を始め中学校生活への不安の穴を埋めようと必死に動いていた。貴方も話かけられたが、一言二言話してまた、目を教科書に向けていた。


「私、中間 美香って言います。何処の小学校から来たの。」


私は貴方の斜め後ろから声をかけた。


「俺、県外からここに引っ越して来たんだ。今は清風園って施設にいるよ。黙っててもいつかバレる事だから先に言っておくよ。」


一瞬クラスの雑音がシーンとなりまたザワザワと会話が始まった。


「それより、中間さん。新しい教科書の匂いっていいよね。始まりって感じがするよ。」


そう言って数学の教科書に顔を埋め肺を一杯にする様に深呼吸した。


私は両親がいない事の想像だけで胸が苦しいのに貴方はうまく栓をして、汚れなく白く戯けて見せる。その日の曇り空が嘘の様に。


✴︎


貴方のある噂がクラスを駆け巡ったのはジメジメする六月のある日だった。


「なー。立花。お前の親、人殺して刑務所にいるらしいじゃん。」


クラスはゾッとなり、全員の意識がこの会話を聞こうと硬直していた。


「そうだよ。母さんは人を殺した。懲役6年執行猶予無しの実刑だよ。それと君、何か関係あるかい。」


目がカッとなった貴方は淡々とそいつを見つめ言い返した。


「困るじゃん。人殺しの息子が同じクラスにいちゃ。」


貴方はそいつの水気を大量に含んだ泥みたいな言葉を聞き一瞬泣きそうな顔になった後。


「なら困る部分を明確に言いなよ。それを持って先生の所に行こう。もし、君の言う困る部分を先生が受け入れたら僕はこの学校を去るよ。」


淡々とでも明確に貴方はそいつを論破した。

それより、私の短い人生で体験する事ない、悲しみを余りにも背負いすぎている事への同情が爆発しそうになっていた。


その日の授業の話。

友達との会話は何も入って来なかった。


帰り道晴れ間から薄らと虹の破片が顔を覗かせる公園を歩いていると数人の子供と遊んでいる貴方を見つけた。


学校にいる貴方より子供っぽく遊んでいるのを見てあんな顔できるんだと、少しホッとしたのを覚えている。


目が合い、私は会釈すると貴方は私の所に駆け寄って来た。


「中間さん。今帰り。」


「うん。先生に呼ばれていて。立花くんと一緒に住んでる子供達?」


「そうだよ。可愛いんだ。みんな僕より歳下だけど施設では僕が一番後輩さ。遊んだり勉強教えたり楽しいんだ。」


「立花くん頭いいもんね。テスト全クラス一番だったし。」


「そうだね。僕はお母さん帰ってきたらこれでもかって甘えさせてあげるために頑張らないといけないんだ。」


そう言うと自動販売機に行き飲み物を買い私に渡してくれた。


「ありがとう。でも立花くん今日言われた事気にする事ないよ。私は頑張ってる立花くんを尊敬してるよ。私には立花くんの置かれている状況想像できないけど、大丈夫だよ。神様はみてるよ。」


私はその時浮かんだ気持ちを言葉にして貴方に伝えた。


「神様はいると思う。でも、全員に対して公平ではないと思うよ。公平だったらきっと母さんは刑務所に入らなくって良かったんだと思う。中間さんがもし僕に同情しているんだったらやめて欲しい。同情の言葉はナイフよりも痛いからね。」


淡々と話す貴方は空に浮かぶ虹のかけらをかき消すくらい十分な迫力があった。


私は同情と言う言葉に言い返すこともできず黙ってしまった。


「でも、中間さんの気持ちには感謝しているよ。そうだ。中間さんが良かったら時々ここで話をしないかい。」


私は彼の提案に二つ返事でうんっと言った。


その返事を聞いた後、貴方は子供達を連れ施設へと帰って行った。


私の心はその時貴方を一人の友人として出迎える準備を始めていた。


✴︎


それから度々、少しの時間ではあるが学校終わりの夕方私は貴方と公園で話す様になった。


難しかった数学のテストの事。

貴方の施設のご飯が美味しくて太った事。

好きな事。

嫌いな事。

学校での出来事。


貴方との話は凄く楽しかった。しかし、その状況に影を落とし始めていた。


ある日、いつも通りに学校に行くと何やらクラスの空気がおかしい。

静電気の様なチクチクとした感じが肌に刺さった。


友達に話しかけても無視をされ、私の周りには透明の幕でも貼られたかの様な空間があった。


友達に呼び出されトイレに行くと1人待っていた子に


「立花と公園で話したりしてるの。付き合ってるって噂になってるよ。辞めときなよ。変な目で見られてるよ。」


私が楽しいと思うから話しているだけなのに、それを許さないこの環境に腹が立った。


「分かった。ありがとう。」


私はそう言うと貴方の中身を見ないクラスの連中に腑が煮えくり返しそうだった。


その日の帰り、公園を歩いていると貴方が待っていてくれた。そして、私に近づいてきて


「公園で会うのは辞めた方がいいかも。中間さんに迷惑がかかってしまうよ。これからは話さない様にしよう。」


私は何かがプツリと切れた様に貴方の胸ぐらを掴み言った。


「ふざけるな。あんたと好きで話しているのは私。あんたが人殺しの息子だからって周りからどう思われようが構わない。私は一人のあんたと話をしてるのが楽しくて話をしてたの。私に迷惑がかかるから話さない方が良いって同情私はいらない。あんたが同情するなって感覚とほぼほぼ同じ。私達は間違ったことはしていない。だから私は堂々と今後あんたと話をする事にしたから。分かった。」


貴方は急に怒鳴りだした私を見て、目を丸め口を開け乾いた口で「りょ。了解。」っと返事をした。


それからは私達は公園だけではなくクラスの中でも話す様になった。幸い中学の3年間は同じにクラスになり、貴方は私を下の名前で呼ぶまでになっていた。


「美香。高校何処にしたんだよ。」


「A高校だけど。」


「一緒じゃんか。でも美香の頭じゃ厳しいと思うけど。」


「そしたら、立花先生教えてよ。施設の子供たちには教えてるんでしょ。」


「やだよ。馬鹿には教えないよ。」


「でも立花先生は教えてくれる。そう言う人だ。」


貴方は頭を掻きながら渋々分かったと返事をした。


「日曜の2時にそしたら施設に行くね。」


私は貴方が住んでいる施設に行くのが初めてで浮足だっていた。


当日になり、私はお土産を購入して施設へと向かった。


「ごめんください。立花くんを訪ねてきました。」


「話は聞いているわ。可愛い子ね。ささっ。入ってくださいな。」


私は奥の個室に通され貴方を待っていた。

すると、子供達が雪崩の様に部屋に入って来て私をまじまじと見つめてきた。


「この人、公園で話していた、にーの彼女?」


「違うよ。僕のお友達さ。ほらほら僕達お勉強するからそっちで遊んでおいて。」


バラバラと個室から子供達が立ち去り、私はみんなへとお土産を渡した。


「こんなに沢山ありがとう。きっと喜ぶよ。」


貴方は一呼吸置くとスイッチを切り替え「さー何処から始めようか。」っと教科書をパラパラめくりだした。


「私まだ来たばかりなんだけど。休憩させてよ。」


「駄目だ。今の時期は1分1秒が欲しい所だからね。それに、僕に教え欲しいならある程度の覚悟はしてもらうよ。今から5時まできっちり3時間やるからね。」


「はーい。」


それから私達は貴方の指導の元勉強をした。教え方が上手で私はすぐに難しい公式も理解できた。


「教えるの上手いね。将来は先生になりなよ。」


「んー。美香が頭いいからね。だから理解している所としてない所をしっかり補強してあげればいいんだ。でも、ここは簡単でしかも間違っているから、次までにここまでしっかりやって来て。」


「上げて落とすパターンね。了解。次までにしてきます。先生。」


それから私達は受験日ギリギリまで一緒に勉強し、受験日を迎えた。


「頑張ろうね。美香。どうせなら一緒の高校に行こうね。」


私達はお互い全力を出した。


✴︎


それから、受験結果が出るまでの間私は人生で一番長い時を過ごし、心臓はいつ活動を停止しても良いくらいドキドキしていた。


そして、結果発表当日。

私達は一緒に結果を見に行った。


貴方は受かりどうやら私は落ちたみたいだった。


その帰り、どんな夜より暗い暗闇にいる1匹の蟻の様な気分だった。


「落ちた。」


私はポツリと涙が出た。


「美香。別々の高校になったけど関係は変わらないよ。それより、悔しさを大学受験に向けようよ。」


「うん。分かった。高校ではちゃんと勉強する。」


「約束だよ。高校ではお互い将来の事を考えるんだ。何になりたいか。どう生きたいかを。」


「うん。考える。」


「美香なら大丈夫だ。これは確信だ。美香は大丈夫って確信している。これからは競争だ。ライバルだ。」


「うん。負けないから。アンタには絶対負けない。」


私達はそう約束してお互い違う環境に身を投じる事となった。


でも、この時本当に神様は公平ではないと私も確信する出来事が貴方に降りかかってくる。


✴︎


別々の高校に入学し、私は貴方に負けない様勉強に明け暮れ、貴方は勉強の合間にバイトを挟みお互い全力で人生と向き合っていた。


セミの声もまばらになり、最後のセミが1週間の命に終わりを告げる季節。


貴方からメールが入っていた。


"高校を変える事にした。じーちゃんの住む山形でお世話になる事になったんだ"


私はとりあえず貴方に電話をかけた。


「はい。」


彼は細く今でも途切れそうな声だった。


「メール見たけど何で急に。」


「母さんが自殺したんだ。刑務所の中で。」


元気なふりをしているように乾いた笑いを振りまきながら続けた。


「バカだな。自殺するなんて。バカだ。本当にどうしようもない親だ。」


「うん。うん。」


私は貴方の消えそうな声に耳を傾けるしかなかった。


「今は何も考えなくていい。いっぱいご飯食べていっぱい休んで。次はいつ会える。私会いに行くから。」


「分かった。ありがとう。また、連絡する。」


貴方の声を聞いた後、本当にこの世の神は不公平過ぎると思った。どれだけ彼を苦しめれば気が済むのか、私は死んだら神の胸に杭を刺してやりたい。ただこの世の不条理に絶望した。


それから1週間後貴方からメールが入った。


"今週末じーちゃんの所に行くから金曜日とかどうかな。"


私は金曜日までに彼にどう伝えたら良いか考えた。でも何も浮かぶ事なく金曜日を迎えた。


待ち合わせ場所の公園に到着し、彼が来るのを待った。


そして、いつもの様に彼が現れ「待った。」っと初めて貴方を見た施設の職員に挨拶する大人びた表情を見せた。


「正直今日まであんたにかける言葉を考えていた。でも何も浮かばなかった。こんなの不公平過ぎる。アンタのお母さんは本当に馬鹿だ。こんなに努力して、帰りを待ってる子供がいるのにそれすら叶えてあげない、アンタのお母さんは馬鹿だ。」


私は堪えた涙を隠すことができなかった。


「母さんは僕の父さんを刺したんだ。父さんは酒に溺れて僕を殴りつけてた。それを母さんは必死に守ってくれてたんだ。父さんがある日、ヤカンに入ったお湯を僕にかけようとした。母さんは僕を庇う様に父さんと殴り合いの喧嘩になって包丁で父さんを刺したんだ。」


貴方はこんな事実を一人で抱えて知らない土地で耐えて生きてきた。私には想像がつかない。


「母さんは僕を守ってくれた。いつも優しかった。だから次は僕が母さんを守る番だと思った。だから母さんがいる場所の近くに引っ越してきたんだ。母さんが出所したらじーちゃんのいる山形で母さんと3人で住む約束をしていたんだ。それももう叶わなくなってしまったんだよ。」


「うん。うん。頑張った。頑張ったよ。」


私はその時貴方を抱きしめる事しか出来なかった。私の人生ではあまりにも図り知れない出来事で何も言えないから抱きしめるしか無かった。しかし、貴方は私の前で涙を見せることもせず、「大丈夫かい。僕なら大丈夫だから」って私に気を使ってきた。逆にそれが歯痒かった。何もできない自分に悔しさを覚えた。


「美香。大丈夫かい。余りにも刺激が強かっただろう。山形でも僕は頑張るよ。」


「うん。私も頑張る。支えれる様に私も大人になる。頑張る。」


「それじゃ、落ち着いたら連絡するね。」


「分かった。」


貴方は私に背を向けると袖で目元を拭きながら街頭もない冬の暗い道を帰って行った。




つづく。

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