#5 百合がなくても、僕は僕と
それから四月まで、九分九厘がツンでムチな陽向と先生の指導を受け。
パフォーマンスの初日。
「きゃー!! 沙由先輩優勝!!」
後輩の黄色い声に迎えられたのは、メリー・ポピンズを意識した衣装に身を包んだ沙由。部のパフォーマンスでは、持ち前の可愛らしさを活かしきることに余念がないのだ。ちなみに衣装アレンジは以前から親交のある演劇部に協力してもらった、部長の
「じゃあみんな、宣伝しながら校舎回ってきてください! ただし集合時間は厳守でね」
それぞれが散開し、僕も女子の後輩と共に看板を担いで練り歩く。明るさを演出するのは昔から得意だったが、今は本心もついてきている。全部が思い通りじゃないけど、楽しい場所だと知っているからだ。視線を捉え、機を見て距離を詰め、後輩と息を合わせて部を紹介していく。
そして頃合いを見て演奏場所に向かい、準備を整える。
「じゃあキヨくん、宜しく」
「うっす、陽向さんも頼んだ」
陽向とエールを交わし、隊列へ。全員の準備ができたのを確認して、同期アルトの香永が進み出る。
「お通りの皆さん、こ~ん~に~ち~は!!」
まさに歌うように、太い声が高らかに校舎の間を駆け抜け、周囲の注目を集めていく。集まる視線の先に沙由が歩み出る。
「初めまして、合唱部です! 新生活にワクワクの皆さんにも、後輩との出会いにドキドキの皆さんにも、ぴったりな一曲をお届けします。ご存知の方も多いでしょう、『メリー・ポピンズ』より」
一拍置いて、部員全員によるタイトルコール。
「『スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス』!」
これを全員で決めて心を掴むんだ、という主張を沙由が曲げず、練習を繰り返してからのチャレンジだったのだが、綺麗に決まっていたはずだ。
沙由が最初の一音を伸ばし、同時に先生が全体へと指揮を始める。
メロディに入るところで全員が歌い出す、と思いきや。
「――え?」
前に出た沙由以外、口を動かすだけで声が出ていない、という光景に聴衆が不思議がる。
ひとり歌い続けていた沙由は、大仰に不思議がりながらアルトの部員に近づき、呪文を掛けるような手振りをする。途端、その部員の歌声が聞こえだす。沙由は嬉しそうにターンを決めてから、部員ひとりひとりに「呪文」を掛けていく。失った声が魔法で再生されるという、ファンタジーを意識した演出だ。ちなみに演じる沙由は「解ける呪いなんてつまらなくない?」派らしいが。
ともあれ、つかみは上手くいった。全員が合流してのユニゾンで勢いを出し、その上でハーモニーを足していく。楽器での伴奏がないぶんボーカリーズで表情を広げ、歌詞を強調したいときは四声で深みを出す。コーラスの終盤、女声の高低がぴったりと寄り添う中、テノールは高音から下がっていき、バスは低音から上がっていく。
ユニゾンで締めた後のスキャットでの間奏。シンプルなフレーズをパートごとにずらし、束の間の輪唱に。入りとデクレッシェンドのタイミングに気を払い、素早く次の歌詞へ。
最初のヴァース、四声でのボーカリーズに乗せて一小節ずつソロを回していく。後半で驚かせるぶん、ここでは合唱部らしい丁寧な発声だ。あえて二年生の出番を増やし、経験値を貯めておくという意味合いもあった。去年の途中から入った後輩も、見違えるように成長していた。
コーラスに戻り、今度は手拍子も煽っていく。合唱に限らず、ライブハウスでの歌唱やトラックでの謎リレーも経験してきたのだ、熱を伝える感覚は濃く残っている。手振りに、表情に、歌に、意識して「熱気」を込めていく。精神だけでも技術だけでも成り立たない生の楽しさを、僕らはずっと重ねてきた、今だって届いている――やや離れた位置で聴いている男子と目が合う、もうちょっとその予感を追ってみようぜ、少年。
そして二番のヴァースの前、沙由が「静かに」のゼスチャーを周囲に向け、合わせて間奏のボリュームも引き下げる。共に演出しているという意識を聴衆にも味わってもらいながら、続く二人での歌唱がクリアに聞こえるための布石を打っておいたのだ。
空気が変わったのを感じつつ、パートから抜けて息を整え、陽向と同時に踏み出す。自分たちらしさを詰め込んだ、自分たちを越えていくための八小節。
最初の二小節、陽向の主旋律に僕が合わせる。歌でありながら演説にも聞こえる、陽向らしい旋律に抑揚まで同調させる。意識しなくなるまで脳と喉に覚えさせた、その道を瞬く間に駆け抜けていく。
次の二小節で交代、僕が主旋律に。原曲をラップ調にアレンジしつつ、メロディーの起伏をさらに強調したジグザグのフロウを考案、全て楽譜に起こした上で再現性を徹底した。当初は「ごめん良さがよく分からない」と困惑していた陽向だったが、やがて「私だけじゃ絶対にこんなのやらない」とノリノリになっていった。自分から遠いアプローチもすぐにモノにする、恐ろしい相棒だった。
続いて、細かく区切った文を交互に歌いつないでいく。元から目まぐるしく前のめりなフレーズを、勢いはそのままに分割しているのだ、そもそもリズムの把握から困難だった。さらに、つなぎ合わせて上手く聞こえるような音程や抑揚を探すのにも苦労した。互いに要求した、互いに食らいついた、その日々を一瞬で成果に変換する――きっと成果になった。ただお互いの声と声で向き合った時間だった、彼女を望んだことも忘れていた。
ラスト二小節。陽向の躍動するボーカルに、僕の遠吠えのようなフェイクが重なり、最後のフレーズで力強くユニゾン。
ステージの上でなら。音楽と一緒なら、僕らは変われる。誰かはそれを成長と捉えるだろう、僕はそれを変身だと思っている。自己嫌悪と卑屈が詰まった日常の自分と同じ体で、誇らしく情熱を歌い上げる。日常で叶わない恋だって、歌を導く絆になる――今だって、こんな風に。
二人の声が響いた直後、木霊したように他部員の掛け声。ソロの間は加速しつづけていた意識が落ち着き、明らかに変わった会場の空気が、仲間の昂揚が流れ込んできた。
磨いた技術、重ねた練習、理詰めの調整。
どれも不可欠だけれど。最初と最後のピースはやはり楽しさ、なのだろう。ラストの全員でのコーラスは、練習よりも確かに伸びやかに聞こえた。
徐々にクレッシェンドをかけ、最後はターンからの決めポーズ。こちらの合図を待たず、自ずと湧き起こる盛大な拍手。多分、上手くいった。
沙由が前に出て、両手を広げてから腰を折る。
「ありがとうございました、皆さんよい新学期を!
そして興味の湧いたそこのあなた、音楽室で会いましょうね――以上、合唱部でした!」
*
その日の練習終わり。
「はい、お疲れ様」
「ういっす」
僕は陽向と、自販機のそばで乾杯をしていた。
「とりあえず、目立った失敗はなかったし、練習の成果はバッチリ出せたと思うよ。キヨくんは?」
「成果が出たのは同意……後、笑うかもしれないけどさ」
「真面目な話だったら笑わないよ、何?」
「久しぶりに、格好いい自分になれた気がした。今なら実感持って『B-BOYイズム』歌える気がする」
「曲は知らないけど……良かったじゃん、大事だよその感覚」
そうだね、キヨくん格好よかったよ――やっぱり、彼女はそんなこと言わない。
それでいい、僕に本当に必要だったのはそれじゃない。
「そうそう、この前の陽向さんとの話でちらっと言ったじゃん。この部じゃないと歌えないって」
「……なんか言ってた気がする、それが?」
「覚えてないんかい……撤回しようと思って。ここ卒業しても、流れ着いた所でまた歌やろうって、ここじゃなくても歌やれるって思い始めてる」
奇跡みたいな関係性が、そばになくても。
魔法みたいな誰かに、甘えなくても。
ここで積み上げた自分は、ずっとついている――ここの終わりに怯えなくても、その先を描ける。それを言葉にしておきたかった、彼女に聞いてほしかった。
「そっか。私も大学でも音楽やる気だからさ、お互いに良い出会いあると良いね」
「うん、またタイミング合ったら、そのときは遊びにきてくれれば」
「ごめん、本気で叶える気のない約束はしないんだ私」
「はいはい知ってた!! お達者で!!」
百合と百合厨男子の片想いアンサンブル いち亀 @ichikame
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