#4 そんな女性だから、好きでした

 それから。ゴスペルライブや他の合唱イベントを経て、二年生になった。

 二回目の文化祭では、演劇部と合同でミュージカルを上演した。元から言葉に強かった希和まれかず先輩が中心となって制作したシナリオは、少数派や異文化との共存を謳うようなファンタジーだった。僕はラップパートのある悪役に立候補し合格、希和先輩も「やってくれるの君だと思っていたよ」と嬉しそうだった。

 

 そして最後のコンクールを終え、先輩たちは部を去っていった。希和まれかず先輩がいなくなった僕は寂しさを振り切れなかったし、詩葉うたは先輩がいなくなった陽向も同じだっただろう。それでも、ここにいる仲間と出来ることをやり抜こうと、自分たちの道を歩き始めた。居心地よくしてくれた人がいなくなっても、自分が重ねてきた努力は消えない。人生で一番、自分の成長を楽しもうとした時間だった。


 それからも希和先輩とは連絡を取り合っていたし、何度か顔も合わせたが、日を追うごとに瞳の陰りは増している気がした。仲間と離れた寂寥、定まらない将来への不安、実らなかった想いへの失望。どれも外れではない気はしたが、僕から深く立ち入れはしなかった。彼に頼りきりの自分ではいられなかったし、彼だってそうだっただろう。


 三月。卒業生の進路が決まったタイミングで開いた、カラオケでの送別会。志望校に合格したらしい希和先輩は昔のような笑顔だったし、距離を置いていたらしい詩葉先輩とも楽しげに接していたようだった。彼なりに、届かなかった望みに区切りをつけて、友情をつないでいったらしい。


 なら、僕も。

 望みを相手に押しつけて自分を満たすのではなく。

 望みと相手を腐してまで痛みから逃げるでもなく。


 相手も、自らも、尊重できるくらいに。ちゃんと、音楽に向き合っておきたかった。


 *


 その頃、現役部員は新入生向けの企画を準備していた。


「さて、新入生の勧誘で披露する演目ですが。

 合唱に詳しくない人の耳もキャッチできて、合唱に興味ある人はレベルに唸るような、そんなパフォーマンスにしようと思います。私たちに合わせたアレンジは松垣先生が手がけてくださるとのことなので、楽譜の有無は気にしなくてOKです」

 同期ソプラノで部長の沙由さゆの進行で、企画会議が進んでいた。

「じゃあみんな、絞るのは後でいいので、とりあえずいっぱい案を出しましょう。ブレスト、ゴー!」


 沙由がぱちんと手を鳴らすと、思いついた部員がぽんぽんと意見を出していく。


「みんな知ってて合唱系……進撃とか? 紅蓮の弓矢」

「イェーガーしたいの分かります、アクエリオンとかもどうですか」

「やっぱアニソンばっかですねこの部、僕も好きですけど……ゴスペルの経験値で洋楽とかどうでしょう、Glee曲とか天ラブとかピッタリですし」

「あえてインストをアカペラで再現するのとかどうだろ、ドラマのメインテーマ盛り合わせとか」

「……みんな知っててアレンジしやすいの思いついた、信濃の国」

「なんたる郷土愛、県庁に補助金もらえるかな」


 という調子で降り積もり、議論や投票を経て決定したのが。


「……結果出ました、スパカリです!」

 ディズニー映画「メリーポピンズ」より、ミュージカルの代名詞ともいえる「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」、通称スパカリの原語版。


 抜群の知名度と共に「歌うのが難しい」というイメージも折り紙付き。それを歌いこなしつつ、今の部員の持ち味が活きるアレンジを効かせよう、という試み。

 企画や体制によっては生徒主導でアレンジを行うのだが、今回は歌い分けまで顧問の松垣まつがき先生に一任。


 その結果、僕には意外な出番が回ってきたのだ。

「続いて二番ヴァース。バックはボーカリーズとかで支えて、歌詞はデュエット、いやソリか……ともかく二人の掛け合いで印象づけようと思います。担当、ヒナちゃんとキヨくんが良いと思った」

「はい、ありがとうございます!」

「え、僕ですか!?」


 松垣先生の指名に、元気に答えた陽向と、盛大に戸惑う僕。総合力なら同期バスの福坂ふくさかの方が優秀だし、テナー後輩の泰地たいちだって僕よりよほど器用だ。驚く僕へ、先生は理由を説明する。

「基本は合唱っぽい発声で歌うんだけど、ここは思いっきり派手に遊びたいの。けどみんなでそれやると崩れそうだし、暴れつつもピッタリ息は合ってるみたいな方向で攻めたいじゃん。そうなったときに、ラップとかフェイクに慣れてるキヨくんと、ブレないし表情も上手いヒナちゃんが適任かなって。勿論、他の組み合わせも考えてみたんだけど、声が噛み合ったときに一番面白そうなのが君らだったの」


 先生に続いて、合唱経験豊富な香永かえも賛同する。

「いいんじゃねえの? 私はバックで支えてる方が適任だろうし。それにキヨは三年目に当たって、もひとつブレイクスルーが欲しい気がする」


 他の面々も納得しているようだ、となると肝心の陽向の意見が気になるが。

「陽向さん、僕とでいいっすか?」

「いいよ。だってみんなが聴きたいって思うなら、私が断る訳ないじゃん」


 陽向はこんな人間だ。女として、自分の望む相手しか見ていない。部員として、求められたなら絶対に退かない。

 根本がビビリでチキンな僕とは正反対だし、相性も悪い。


 けど、だから、どうしようもなく眩しい。


「……はい、お願いします!」



 そして、陽向との特訓が始まった。僕が勝手に過剰に意識していただけで、彼女からすれば僕は特に好ましくもない男子である。しかし、任されたことに手を抜かないのが彼女だ、想像していた以上に真剣に向き合ってくれた。


「まずだけど、英語の発音の確認をしていいかな」

「得意じゃないのでお願いします陽向先生」

 陽向の成績は図抜けている。一応の進学校である雪坂で学年トップ級、というか頻繁にトップを取っている。そして海外で仕事をしている母の影響とかで、英語力は明らかに高校レベルを越えている。

「うん。ゴスペルライブでラップのリードやってたときに気づいたんだけど、キヨくんの発音はネイティブ寄りなのとカタカナ過ぎるのとで差が激しいんだ。どういう練習してた?」

「発音を意識したんじゃなくて、原曲のフロウをそのまま再現していたから、かな。ただ、自分で追加した所はお手本なくて、ジェフさんに直してもらってたけど定着が間に合わなかった、みたいな感じ」

「なるほどね……よし、じゃあ早いところアレンジ固めて、一緒に発音もマスターしとこう。聴いてくれる人が英語に詳しくないとしても、日本語っぽさが残るのはやっぱり違和感になるからさ」


 そして、先生から任されたパートのアレンジを相談していったのだが。陽向は真面目に取り組みつつも、たまに訝しげな表情を覗かせていた。こちらが過剰に意識しているのが伝わっただろうか、と不安になる。


「陽向さん、もしかして僕とだとやりにくい?」

「……ごめん、モヤモヤが態度に出てた?」

 そんなことない、と回避しないあたりが彼女らしい。

「やっぱモヤモヤしてたのね……」

「キヨくんの所為じゃないよ、詩葉さんと練習していたときと比べちゃってただけ」

「ああ、すごいことしてたもんね、おふたり」


 陽向と詩葉先輩は、仲が良かっただけではない。歌でも踊りでも、ペアで取り組んだときの成長やシンクロの度合いが圧倒的だったのだ。合唱とは他者と歌声を合わせること、本来は合わないからこそ努力の成果は美しい――だが彼女たちは、一瞬ごとにそれを実現していたかのように見えたのだ。


 懐かしそうに、あるいは寂しそうに、陽向は語る。

「詩葉さんが相手なら、さ。目と耳に届く前に、動きも歌声もぴったり思い描けたんだよ。自然と、それに一番似合う私を出せたんだよ。自分でも驚くくらい、深くまでつながれていたんだよ。

 そんな魔法みたいな共演を体験しちゃうと、やっぱり他の人とは、もどかしいなって思っちゃうんだ」

 集中力と反復の成果、なのだろう。しかしその源を辿れば、お互いに向ける愛情があるはずだ。きっと性愛もあったのだろうけど、友情も、尊敬も、信頼も、このうえなく深かった。


 恋人、を抜きにしても。ふたりの間には強固な絆があった、皆が知っている実力と成果があった。だから、陽向は詩葉先輩との絆に迷いなく胸を張る。一番に大切な関係を隠さなくちゃいけない、それどころか異常と糾弾されるかもしれない――あってもおかしくない苦悩は、影すら見えない。僕が支えや助けに入る余地なんて、どこにもない。


 湧き起こる尊敬の念と、また顔を出す寂寥。


 しかし、その先で陽向は意外なことを言う。

「けどね。詩葉さんが引退してからも、ちゃんと楽しかったんだよ。

 香永と沙由は大好きで尊敬できる女の子だし、一生友達でいられると思う。

 君と福坂くんとだって、仲が良いかはともかく、いくつもステージ重ねてきたじゃん。君たちとの間に新しい発見はずっと続いてきたし、その瞬間だけの楽しさだって毎回あった」


 まっすぐな眼差しに、晴れやかな声に。思わず、本音が口を滑る。

「……陽向さん、男子にも興味あったんだ」

「興味……なんか変な解釈してる?」

「ごめんそうじゃなくて。だって陽向さん、つるむのって女子ばっかりだからさ。僕らのことに関心がないんだとばかり」


「そりゃ同性といた方が楽しいし、リラックスできるよ。他の人は知らないけど私はそう。女声合唱部だったらもっと伸び伸び過ごせたかもしれないし、男子の方が多い部だったらやりにくかったかもしれない。

 けどさ。私はずっと好きだったよ、混声での音楽。詩葉さんとふたりで重ねた私の声も、女声と男声が重なった中の私の声も。どっちも好きだった、どっちも出会えて良かった、その延長にいる私が好き。たとえ、こんなに大好きな人とじゃなくても、新しい私の歌に出会いたい。

 だから今だって。君の声と重なって、どんな私になるんだろうって楽しみだよ。そこに手を抜きたくはないよ……君は?」」


 僕の内心を射貫く眼差しに、背中を冷や汗が伝う。

 私に、自身に、音楽にまっすぐ向き合えているのか、そう突きつけられている気がした。


「……正直、僕は陽向さんほどしっかりできていないんだよ。僕は自分ひとりで自信を持つのが下手なんだよ。強くて綺麗で眩しい誰かに頼って、その近くにいることで自分を保とうとしてきたんだよ。合唱部でだってそうだった、ここじゃなきゃ歌えないって思ってるよ」

 陽向は答えない。ただ、真剣に聞いていてくれるのは分かった。


「けど、さ。陽向さんたち見ていて、そろそろ気づいた。

 誰かに頼るばっかりじゃなくて、場所に甘えるばっかりじゃなくて。自負と責任を育てて、みんなと向き合えるようになりたい。実力に差はあっても、向き不向きはバラバラでも、姿勢くらいは対等でいたい。だからさ、」


 まっすぐに見つめ返す。背筋を伸ばす。

 ずっとあなたが好きでした――その代わりに。


「全力でついていくからさ。君の所まで、引っ張りあげてくれないかな」


 陽向は眉を上げてから、口元を曲げる。

「不合格」

「えっと?」

「私の所まで、じゃ困るよ。

 まだ私が届かない所まで、二人で行くんだよ」


 僕へと突き出される拳。僕より明らかに小柄なはずなのに、どうしようもなく大きく見える彼女は。

 憧れて仕方なかった強気な態度で、僕に告げた。


「私たちの可能性に、見切りなんか絶対つけんなよ、清水礼汰」


 二年かけて。初めて、彼女と出会い直せた気がした。

 きっと、この勇気をもらうために、こんなに歪んだ恋を続けてきたのだろう。

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