#3 百合に敗れ、百合から遠ざかろうとしたのは
入部してから四ヶ月。文化祭ではソロが入り乱れ楽器も交えての、変則的なパフォーマンスを披露した。コンクール県大会では、勝ち抜きこそならなかったものの、過去最高レベルである金賞まで到達した。先輩も同期も優秀なメンバーが揃っていたし、僕も初心者なりに必死だった、その成果だろう。
コンクールを終えて三年生が引退した頃から、
二学期になり、合唱部はゴスペルを演奏する企画に参加することになった。これまでと全く違う、洋楽テイストな表現をそれぞれ模索する中、陽向と詩葉先輩はペアでリードボーカルに取り組み、二人だけでの高度なハーモニーを追求していた。
僕は僕で、ラップパートに立候補して練習を重ねていた。高く金属質でもある声質は向いているのでは、と
共演する大学サークルとの合宿を終えた頃、陽向と詩葉先輩はさらに親密になった。取り立てて普段の距離が変わった訳ではないが、友情より深い間柄になったという確信があった。
ここまで来ると、薄々ながら分かってくる。
陽向と詩葉先輩は、付き合いはじめた。恋仲になった。レズビアン、と外から括っていいのかは分からないが、本人たちはマイノリティを承知でその道を歩もうとしている。華やいだささめきの裏に、そんな覚悟が見て取れた。
身勝手に邪魔できるふたりじゃない。間に入るどころか、囃したり茶化すのだって大間違いだろう。いくら表向きが変わらないとはいえ、全ては僕の推測でしかないとはいえ、意識した以上は見過ごせない。
同じ部の仲間、それ以上になる道はどこにもない。
それ以上にならないまま、仲間として讃え合い高め合う、その道を歩まないといけない。
なのに、ふたりへの憧れはひたすら膨らみ続けていく。いよいよ、軽薄を演じることにも限界が来ていた。
そんなとき、希和先輩に初めて打ち明けられたのだ。
*
合宿から少し経った日、部室で希和先輩と二人でいたときのこと。
「陽向さんと詩葉先輩、最近さらに熱い雰囲気になってません?」
詩葉先輩の変化をどう捉えているのか、という探りを込めて希和先輩に訊ねてみた。
「……相性もやる気も、春に出会ってからずっとじゃない?」
「二人がキマシで二人とも熱心なのは、確かにずっとなんですけど。それにしても、最近は質が変わったというか。もっと特別なものを分け合ったような……ほんとに付き合いでもしたのかなって」
抱えた深刻を感づかれないように、あえて軽い言い回しを選ぶ。彼女たちの情愛に踏み込みきらないために、百合というラベルは外さないでおく。フィクションと混同している、バカの振りをしておく。
「君の百合センサーが働きすぎているだけだろうし、仮にそうだとしたって僕らには関係ないでしょう? あれこれ勘繰るのも彼女たちに悪い」
冷静そうで正しい言葉、の裏。
自分は関係なくなってしまった、彼女たちは本当に手の届かない所に行ってしまった、という悲しみを堪えているのが、確かに聞こえた。
きっと彼は、僕より深く事情を知って、詩葉先輩への望みが叶わないことに傷ついて、そのうえで自分に相応しい場所を探している。
なら、僕は。
「そうなんですけど……素敵な人の隣には、素敵な人がいてほしいじゃないですか。
だから、あの方たちの間の絆が、より特別になったのなら。それは嬉しいんですよ……自分の努力でどうこうなる問題じゃないから、願いたいんですよ」
少しずつ本音を混ぜていく。祝福しているのも、無力さを感じたのも一緒なんだ。
お互いが思うほど、僕らの傷は寂しくない。
「前半は同意だけどさ……素敵な人を、自分で幸せにしたいとかは、考えたりしないの?」
きっとあなたは、僕より諦めが悪かった。自分が必要とされる道を、もっと強く意識していた。
あなたは謙虚なようで、卑屈なようで、根底のプライドは意外と強い。それは少し羨ましくもあるけれど、今は邪魔になってしまうだろう。
だったら、きっとあなたも、こっち側が似合う。
だからあなたには、僕を打ち明けます。
「その手の願望は希薄ですね。これ、僕が百合だなんだって騒いでる理由でもあるんですけど。僕、男性全般にあんまり価値を感じないんですよ。自分自身も含めて」
「……何かトラウマでもあった?」
途端に不安そうな顔をする希和先輩。彼もいじめられる側だったことは、思い出話にも聞いていたし雰囲気からも推測できていた。今でも過去の影を振り払えていないことを、彼自身は気づいていない。
「ど~ですかね、昔っから乱暴な男子に追い回される男ではありましたけど、そんな手酷いものじゃなかったですし。
ただ、今の僕が。人間の美しさってのを、女性にしか感じられないってのは確かで。生き物としての、社会としての都合がどうあれ、美しいものは美しい同士で結ばれてほしいって願望があるのは確かです」
初めて口にする、一番素直な感情は。思っていたよりも、すらすらと声になってくれた。多分、彼が相手だったからだろう。
「自分というノイズで汚したくない、けど近くで観察することはしたい。主役じゃなくて、特等席の傍観者がいいんですよ。
それに、男子が加わることで新しい彩りが生まれるなら、そのための協力は惜しみたくない……僕が合唱部にいるのは、そんな理由だったりします。混声だからこそ引き立つ女声の華。あると思うんですよ。
こういう、クソみたいに身勝手な動機なので、人には言ったことなかったですけど。僕なりにしっかり部員は務まっていると思うので、結果オーライかなと」
希和先輩は、僅かに目を細めたまましばらく沈黙した。僕の本心を反芻して、彼の現在と照合していたのだろう。
やがて、ゆっくりと返答を始める――叱られるか、呆れられるか、あるいは賛同されるか。
「気持ちは分かるけどさ。僕は、君が主人公になるルート、諦めてほしくないよ……君に助けられてるし、いい後輩だと思ってるし。その色で誰かの隣を彩ること、諦めてほしくない」
彼まで巻き込んだ自己嫌悪を受け止めた上で。
それでも彼は、希望を忘れたくない、らしい。
何より。誰かに大切に想われていると、こんなに感じたのも久しぶりだった。
「……そういうこと言われたの初めてなんで、だいぶビックリですけど。
嬉しいです。ありがとうございます……だから、希さんも。しっかり主人公、なってくださいね」
「任せなって。格好悪くて、一番になれなくて……そんな奴が主人公の物語だって、あった方が面白いでしょ」
世間はともかく。僕は良かったですよ、そんな人と出会えて。
「ええ。一目惚れした人と結ばれなくたって、そこからです」
つい勢いで言ってしまった秘密に、希和先輩は目を丸くする。鳩が豆鉄砲、の実例として記録したいくらいだった。
「……待った、誰の話?」
「僕ですけど」
「……差し支えなければ」
「陽向さんにですよ」
遅かれ早かれ、卒業しなくてはいけない片想いだ。彼に打ち明けて整理する、そんな頃合いだろう。
「ほら、初めて部室に来たとき、僕は彼女と一緒だったでしょう?
教室で声かけられたときに、すげえ好みの子に頼られた~って舞い上がってたんですよ。
なのに、部室に来たときの彼女、詩葉さんの所に飛んでいって。その横顔で、こりゃ一筋だなって直感して……三十分足らずのロマンスでしたけど。今の様子を見てると、あそこで見切りつけてて正解でしたよ」
改めて口にすると、ちょろいにも程がある。彼女からすれば、不足しがちな男子部員を手土産にする、それ以上の意図なんてどこにもなかったはずだ。浮き上がる恋心の軽さに、数ヶ月経っても色あせない重さに、笑いすら込み上げてきた。
とはいえ。この手の話を自分ごとのように抱えてしまうのが希和先輩である。
「――そんな辛そうな顔しないでくださいって! 僕は全然平気です」
付き合えるんじゃって企みこそ潰えましたけど。単に仲間としても、陽向さん格好いい人ですし。一緒に歌えるのが誇らしい人ですし……嬉しいんですよ、彼女の幸せが。
だから。詩葉さんと幸せそうにしている今の姿が、僕には嬉しいです。
だから――」
いつか、行こう。傍観者の先へ、それでも主人公だと言える人生へ。
けど、そのときに。あなたもそうじゃなかったら、嘘だ。
「
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます