#2 百合に逃げ、百合に惑う日々でした

 そして進学した雪坂高校。迎えた部活見学の初日。

 合唱部に見学に行く、と放課後の教室で話していたところ、彼女に声をかけられたのだ。


清水しみずくん、合唱気になってるの?

 だったらさ。見学、一緒に行かない?」

 やや小柄だが、きりっとした眼光や伸びた背筋からは強気さの滲む、初対面の彼女は月野陽向といった。

 意識してしまうと期待が膨らむ、期待をしぼめようと焦りだす、それくらいには魅力的な子だった。有り体に言ってタイプだった、勘弁してほしかった。

 あれこれ理由をつけて同行を断ろうとしたものの、まんまと乗せられて一緒に行くことになった。恋愛には結びつけないと決めていたはずなのに、高揚は止まってくれなかった。


 しかし、途中で先輩部員に遭遇し、案内してもらう途中から流れが変わってくる。

 陽向は去年、雪坂高校合唱部のステージを目にし、いたく感動を覚えたという。終演後には部員相手に入部を宣言し、既に部内では期待の新人との呼び声高いと先輩は語った。


 なお。そのときに陽向が声をかけた部員は男女二人。

 そのうち女子の方は、陽向もばっちり覚えていたらしく、思い出しては嬉しそうに語っていた。

 一方、男子の方は全く覚えていなかったらしい。というより、案内している先輩その人だったが、先輩の方しか覚えていなかったという。

 どうも陽向は、男子への興味が薄い――期待通りで期待外れな予感を抱きつつ、活動場所である音楽室へ入り。


「お久しぶりです、先輩」

「ずっと待ってました、おめでとう!


 去年出会った女子――詩葉うたは先輩と、手を握り合って再会を喜び合う陽向の横顔を目にして。


 陽向は本気で詩葉先輩のことが好きなんだと、確信した。

 

 こんなに眩しい百合が、この場所にあるという喜び。

 僕はどう頑張っても、彼女から真剣に想われることはない、という諦め。


 それは想定内だった、むしろ歓迎したかった。陽向から恋愛対象として意識されたなら、確実に部活に支障をきたす。僕は部外者でいい。


 それなのに。


 陽向が詩葉に――女が女に向けた、あのまっすぐに燃える眼差しが。


 自分に向いたなら、それはどれだけ幸せなのだろう、なんて思い描いてしまったのだ。


 あれだけ。あれだけ、百合を信じてきたはずの僕は。この手で触れないことを至高としてきたはずの僕は。

 結局、自分が触れることを諦めきれないらしい。


 そして、情欲と百合との全面戦争が始まった。


 *


 とはいえ百合(というか節制)に情欲が勝ったらマズイので、僕は進んで百合厨になることにした――正解でなかったことは今なら分かるが、この合唱部の百合濃度の高さに甘えたのだ。男女カップル(あるいはその予備軍)もいたが、それにしても百合濃度が高かった。

 ボーイッシュな美形部長が後輩を愛でて回っていたし、二年のリーダー格は見事すぎるツンデレだったし、同期には豪快と可憐で対照的な幼馴染みがいたし、そもそも全体的に褒め合いや触れ合いのハードルが低い。文化部の雰囲気は女子校に近くなりやすいと聞いていたが、それにしても、だ。


 何より詩葉先輩を口説く陽向のスタンスは、どう見てもガチのそれだった。

 誇張でなく、近づくタイミングを逃さないのだ。いくら仲良くても、練習中にずっとくっついている訳にはいかない。しかし場所の自由が出てくると、スッと隣をキープして、徐々にスキンシップの度合いを上げていくのだ。指や腕を絡める、髪に触れる、顔を近づける。どれも目を引く、しかし珍しくはない動作を着実に積み上げていく。


 そして言葉も直球である。

「こんにちは詩葉さん、今日も素敵な笑顔ですね」

「分かりました、詩葉さんが褒めてくれたので忘れないです」

「今日の詩葉さん、調子いいですね? 何か良いことありました?」


 詩葉先輩の方も、とにかく反応が素直なのだ。

「えへへ、ヒナちゃんも編み込み可愛いよ!」

「バッチリだよ、ヒナちゃん優秀!」

「ちょっと~、そんな格好いい顔するのズルいよ!」


 好意に好意が返ってくるインフレーション。

 さらに、雰囲気との取り合わせが恐ろしかった。

 陽向はオオカミを思わせる強い眼力が特徴で、クールそうな面持ちが一転して柔らかくなるタイプ。詩葉が絡むと色気すら滲んでくる。

 詩葉先輩は子犬のように幼げで、ガーリーな表情がくるくると変わるタイプ。女子の中でも華奢で、身長も陽向よりやや低い。


 つまり、見た目やムードが実際の年齢と逆転しているのである。

 年下セクシータチと年上ロリネコの急接近、練習時の真摯な表情とのギャップ付き。間近で浴びたら気が狂うわそんなの。


 間接的な流れ弾とはいえ、そんな陽向の魅力にやられそうなのは僕も一緒だった。自分が本気になる可能性を塞ぐために、あるいは女子からの警戒心を解くために、徹底的に百合厨の道を進むことにした。ときに囃し、ときに拝み、ときに本気で悶絶し――今になって思い返すと、デリカシーに欠けすぎていたが。一度でいいからこの手で殴りたい、過去の自分。


 そんな迷惑な対策に加えて。


 そもそも練習自体、皆それなりに真面目に取り組んでいたので、あまり気を散らす余裕もなかった、という側面もあった。地声が高かったことからテノールに加わったのだが、パートの真田さなだ先輩は恐ろしく上手く、かつ男子への愛想がない人だった。顔が良すぎて軽率に女子に愛想よくもできないらしく、彼女(同じく部員)以外には大体ツンツンしている人でもあったが。ともかく、彼の指導に食らいつくのはそれなりにハードだった。


 加えて、珍しく、本気で気の合う同性の友人ができた。初日に案内もしてくれた、一つ上のバスパートの希和まれかず先輩である。同じインドアもやし眼鏡サブカルオタクで気が合ったから……というのが周囲からの印象で、それも確かなのだが。

 最も大きかったのは、希和先輩も同じ葛藤を抱えていたからだろう。本人から聞いていないので推測の域を出ないが、彼はずっと詩葉先輩に好意を抱いていた。そして恐らく、恋仲にはならないで卒業していった。根っこにある自己矛盾を、僕はどこかで感じ取っていたのだろう。


 ともかく。そうした面々と歩んだ合唱部の日々は、自分で言うのもなんだが、成長と充実に恵まれていた、と思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る