アンチ

エリー.ファー

アンチ

 私のことを知らない者たちばかりだ。

 間違えているのだ。

 自分と私の関係を。

 己では測れない世界であることを。

 アンチが嫌いだ。

 いや、本当は好きだ。

 うずくまる様に自分の考え方を抱えている、その外見が好きだ。


 そのような詩を見つけた。

 私にとっては無価値な詩である。

 おそらく、市場に出して金のつくようなものではない。どことなく含みというものはあるが、それは闇を表現するには至っていない。かといって光に近いかと言えば、そこから圧倒的に遠い場所に位置している。おそらくだが、これを書いた者は、そのことに気が付いているのだろう。

 自分が自分の想像よりも劣っていて。

 しかし、少しでも詩という表現で天才と呼ばれる人に追いつこうとしている。

 それは、事実だと思われる。

 私は詩の評論で飯を食っている。このあたりまでは確信である。

 さて、次だ。

 この詩を書いた者の性別だ。

 言い切ることの難しい世の中である。私の意見さえも簡単に口にだせなくなってしまった。けれど、詩というものは必ず、圧倒的な性差というものが存在する。これもまた確信である。

 今まで何度となく、詩を読んだだけで、書いたものの性別を当ててきた。

 今回も、当てられるだろうと思っていた。

 そう、舐めていたのだ。

 詩というものを理解しているから、そこに自分の足跡はあるだろうと思っていた。何の証拠もないのに、何も築き上げていないのに、である。これは先輩の評論家からずっと指摘されていたことだ。

 そう、詩的な指摘だ。

 それは素敵である。

 不適。

 散文的。

 そんな気分。

 私は自分のことを思い浮かべる。自分自身を冷静に見つめるためである。言葉を紡ぐことで自分の存在を社会の中に埋めているのは、きっと私だけではない。でも、そこに命をかけるとなると、より少なくなる。

 私の居場所は深海だ。

 比喩ではない。

 本当に深海なのだ。

 だから、ここに言葉があることにも驚いた。

 鯨という命の形が、結果として私を作り出したのだ。

 感謝はない。

 しかし、酷く退屈した気持ちだけが海の底へと私を導き始める。

 息が続かないような不安、心配、絶望、けれども快感。

 そう、これも詩だ。

 詩の評論というのは、最終的に詩の創作に繋がっていく。詩が書けないのなら詩を評価してはいけない。自分を超えた存在を評価してはいけない。自分の手の中に入る詩でなければならない。


 そんな詩があった。

 鯨で、詩を評論していて、しかも不安で。

 なんなんだ。この詩は。

 詩と呼ぶには非常にレベルが低い。

 僕からすればこんなものはただの言葉の羅列である。ただ、散らされているだけだ。誰が書いたのか知らないが、詩人を気取っているのだと思う。見苦しい。吐き気がする。すぐに見つけて殺してしまいたい気分である。

 何故なのか。

 何故、人は小説や、漫画や、絵本などを創作するとき、難しいと口にするのに。

 詩は簡単だと思うのか。

 詩を馬鹿にしている。

 そうは思わないだろうか。

 そう、そうだ。学生の君に尋ねている。

 気も、そう思うから詩の評論について勉強しているのだ。

 この校舎の天井に、このように何者かが書いた詩。しかし、不思議なものだ。一体、誰がやったというのか。

「ここも、深海なのではありませんか。そして、その詩があった場所は深海の天井ということではありませんか」

 何が言いたい。

「そのままですよ。先生、ここは息苦しいのです」

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