ファウストばっちゃ

朽木桜斎

第1話 メフィストフェレスと時間旅行

 秋田県某町。


 浅倉喜代蔵あさくら きよぞうと甥の水谷流みずたに ながるが特別養護老人ホーム「山海苑さんかいえん」へ到着すると、祖母・浅倉サチコのかたわらには、ケア・マネージャーの北林明美きたばやし あけみが立っていた。


「ああ、北林さん、お疲れさまです」


「喜代蔵さん、流くんも。来てくださったんですね」


 喜代蔵があいさつをすると、北林は笑顔で答えた。


「ばあさん、ちょんしどんだがあ?(調子はどうだ?)」


「……」


 喜代蔵が呼びかけたが、サチコはそちらを向いたまま何も言わない。


 彼女は十数年前、脳梗塞に罹患しているので、反応がどうしても遅いのだ。


「おばあちゃん、流もいますよ」


「……」


 流の呼びかけにもやはり、答えられない。


「サチコさん、喜代蔵さんと流くんが来てくださいましたよ」


「……来て、けだがあ(来てくれたか)」


 サチコはここで、やっと反応ができた。


 彼女は次いで、にこりと笑った。


「リハビリはすごくがんばってくれているんですが……」


 北林は申し訳なさそうに言った。


「いえいえ、こればっかりはなんともですよ……」


 喜代蔵が気をつかって答えたので、流もつらくなった。


 祖父・喜代志きよしに先立たれ、自分はといえば老人ホームの個室に、ずっとひとりぼっちだ。


 喜代蔵と流がときどき見舞いに来てくれるのが、せいぜいの楽しみだった。


「今日はずいぶん、天気が悪いですね」


「ええ、いまにも降り出しそうですよね」


「天気予報では、快晴のはずなんですが」


 北林・喜代蔵・流の三人は、とりとめもない会話を繰り広げていた。


 そのとき、空が光り、雷鳴がとどろいた――


「おわっ――!」


 稲光にひるんだ面々が顔を上げると、そこには「赤いクラゲ」のような生物が、ぷかぷかと宙に浮かんでいた。


「こんにちは~! わたしは悪魔のメフィストフェレスと言います~!」


「……」


 赤いクラゲはみずからを悪魔であると名乗った。


「わたしはいま、サチコさんの願いをひとつ、かなえるためにやってきたのです!」


「……え、え……?」


 三人はキョトンとした。


 サチコは目玉を向いて、メフィストフェレスをながめている。


「さあ、サチコさ~ん、願いをなんでも言ってくださ~い。ひとつだけかなえてさしあげますよ~」


「……ど」


「ええっ? なんですか~?」


「……どでん、したじゃあ……(びっくりした)」


「おやおや~、これではらち・・があきませんねえ。しかたがない、頭に直接聞くことにしましょう」


 メフィストは赤い触手を、サチコの頭へと伸ばした。


「ちょ、ちょっと! 何をするんですか!」


 北林が声をあらげた。


「ご心配なく~。サチコさんが何を願っているのか、それを探るだけですから~」


 メフィストはしばらく、触手をサチコの頭に当てていた。


「……なるほど、そういうことですね……わかりました、その願い、確かに心得ましたよ~」


「ばあさんは、何を願ったんですか……?」


「いえいえ~、よくあるパターンですよ~。若返って、人生をもう一度やりなおしたい。サチコさんは、そう願っているのです~」


 喜代蔵の問いかけに、メフィストはそう答えた。


「まるで、小説のファウストですね……」


 流がつぶやいた。


「そうそう、ファウスト。流くんは賢いですね~。ここは秋田県です。秋田の方言で『おばあさん』は『ばっちゃ』ですから、さしずめ『ファウストばっちゃ』ですね~」


 メフィストは知識の豊富さを見せびらかすように、ふにゃふにゃとおどけてみせた。


「そうと決まれば、さっそく参りましょう!」


「参りましょうって、どこへですか……?」


 触手でガッツポーズを作るメフィストを、北林はいぶかった。


「これからみなさんで、サチコさんの人生を振り返る、時間旅行に向かうんです。それがサチコさんが若返るための、儀式となるんですね~」


 メフィストは触手で腕を組むようなしぐさをした。


「なんで、僕たちもいっしょなんですか……?」


「それはまあ、旅は道連れって言うじゃありませんか~」


 メフィストはかなり適当な理由を述べた。


「うわっ――!」


 サチコも含め、喜代蔵たちの体が、銀色の球体に包み込まれた。


「ちょ、ちょっと、これは……」


「こうすると移動が楽ちんになるでしょ~? さあ、サチコさん、準備はいいですか~?」


「……こ、こいだば、いでゃあ……(これはいい)」


 四人を包んだ球体は、それぞれがふわっと、宙に浮かびあがった。


「わ、わ~っ!」


 そして黒い雲を貫き、太陽の下まで一気にやってきた。


「さあ、みなさん、まずは十年前、喜代志おじいさんが亡くなったときまで行ってみましょう! れえっつ、ご~っ!」


 銀色の球体はさらに加速し、黒っぽい時空の渦の中へと、入っていった――

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ファウストばっちゃ 朽木桜斎 @Ohsai_Kuchiki

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