【3分×日常×ホラー】夜風にあたっただけなのに

松本タケル

夜風にあたっただけなのに

 愛里あいりは30代後半、独身のキャリアウーマンだ。自宅の高層マンションは既にローンを完済している。結婚願望はあるが、いい人が見つからないのが悩みだ。大学時代の友人の多くが結婚してしまった。しかし、愛里にあせりはなかった。容姿に自信はあったし、若い頃ほどではないが言い寄ってくる男性もいる。


 その日も愛里は自宅のベランダに出て外を見ていた。タバコを吸うためだ。これは誰にも内緒だった。10階から都心の夜景を見ながらの一服いっぷくは最高のリフレッシュだった。


 ベランダでの滞在たいざいは5分と決めていた。電子タバコはめ時がわからず、自制が必要だった。

「そろそろ、入ろう」

 リフレッシュタイムを終えた愛里は自身に言い聞かせた。そして、窓に手を掛けて開けようとする。

「あれ? 開かない」

 窓が接着剤で止められたようにビクともしない。力いっぱいスライドさせようとしても駄目だ。

「おかしい。こんなことは初めて」

 窓ガラス越しに見える鍵は開いたままだ。5分ほど格闘するも無駄だった。

「仕方ない。警察に連絡しよう」

 そう思ってハッとする。スマホを室内に置いてきたのだ。窓ガラス越しにテーブルに置かれたスマホが見える。

「仕方がない、最終手段だ。ガラスを割ろう」

 泥棒がやる手段だ。鍵の周囲だけ割ればいい。窓ガラスの入れ替えが必要だが背に腹はかえられない。

 

 しかし、ベランダを見渡すもガラスを壊すために使える道具がない。お手上げだと思ったとき、非常用の避難ハッチが目に入った。ベランダの床に金属の扉があり、開けると下の階のベランダに降りられる仕組みだ。

「下の人にビックリされるかもしれないけど」

 愛里は金属の扉を開き、備え付けの簡易ハシゴで下の階に降りた。


 バタン。愛里が下の階のベランダに降りた瞬間、頭の上の金属の扉が閉じた。驚いたが、そういう仕組みなのだろうと思った。


「あれ?」

 下の階には電気がいていない。窓にカーテンもない。月の光に照らされた室内には家具も何も置かれていなかった。

 愛里は記憶をたどった。

「ポストには全戸、名前が入っていたような? 空き家かしら」

 この高層マンションは、誰か売りに出すと中古でもすぐに完売となる人気物件だ。空き家なのは不可解だった。愛里はダメ元で窓に手をかけた。

「あれ?」

 窓がスッと開いた。

「ラッキー。玄関から出させてもらって家に帰ろう」

 そう考え忍び足で室内に入った。無人で電気はかない。月の光で室内がっすら照らされている程度だ。

「急ごう」

 と思ったその時、 

「お話したいと思っていたんですよねぇ~」

 突然、暗がりがら声が聞こえた。年配の男性の声だ。

「ギャー」

 短い叫び声を上げて愛里は腰を抜かしてしまった。周囲を見渡すも人影はない。

「いつも聞こえてましたよ~。足音とか~」

 入ってきた窓が閉まった。

「ヒッヒイッ」

 声にならない声を出して、愛里はって玄関の方に逃げた。ドアの鍵に手を掛けるが回らない。

「ここは私の城なので私の許可がないと出られませ~ん」

 声が近付いてくる。荒い息遣いきづかいまで分かる程の近さだ。しかし、姿は見えない。

「何が望みなの!」

 愛里は半狂乱はんきょうらんで叫んだ。

「わ、私と結婚してくださ~い」

「結婚ですって!」

 愛里はパニックで頭が整理できない。

「ず~っと、気になってたんですぅ。あなたのことぉ~」

 まとわりつくような気持ちの悪い話し方。

「出られるならどうでもいい。結婚でも何でもしてあげるから」

 愛里は泣きながら叫んだ。直後にガシャと音がして鍵が開いた。ドアから飛び出した愛里は死に物狂いで自宅に戻った。

 自宅の玄関の鍵は開いていた。偶然、締め忘れていたのが功を奏した。その日はしっかり戸締りをしたあと、電気をけたまま早めにベットに入った。


―翌日

 スッキリと目覚めた愛理は、昨日の出来事が夢に思えてきた。いつものように準備をして出勤する。マンションのエントランスでふと足を止めた。

「そうだ、下の部屋の名前、見ておこう」


 自分の部屋のポストにあるのは『山之内』。愛理の苗字だ。そして、下の部屋のポストにあった名前は・・・・・・『山之内』。

「えっ」

 背筋が凍るとは、この事だと知った。

(了)







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