時雨

弥生

時雨

「ありがとう」

俺が時雨しぐれの手を握りしめてそう云うと時雨は俺の手を握り返して微笑ほほえんだ。

「おつかれ」

そう云われて俺は時雨に微笑み返して、ゆっくりと目を閉じた。


時雨と再会したのは高校の学園祭だった。頼まれると断れない性格から俺はクラスの代表として学園祭の実行委員に担ぎ上げられた。同じようにして他のクラスから選出されて来た時雨は実行委員長にまで担ぎ上げられ、同様に俺も副委員長になった。俺は押し付けられた実行委員副委員長と云う役割を嫌々いやいや遂行すいこうしていた。同じ境遇きょうぐうはずの時雨はとうと、やはりって頑張がんばっていると云う感じでこそないが、嫌な顔はせずに、それでいて楽しんでいる風でもなく無感情むかんじょう無表情むひょうじょう坦々たんたんと話をまとめたり準備を進めたりしていた。

学園祭初日の朝、実行委員の会議室代わりに使っていた音楽室に入ると、まだ実行委員長の時雨の姿はなかった。今まで時雨が俺よりも遅く来ることはなかったので俺は時雨のクラスの教室まで時雨を迎えに行った。時雨のクラスの教室が見えたと同時に教室の入口にもたれかるようにしてたおれている時雨が見えた。あわててけ寄りひたいを触るとすごねつだった。学園祭の準備で無理をしていたのだろう。まだ他の生徒も登校してきていない時間帯だからと俺は時雨に承諾しょうだくて時雨をおぶって保健室まで連れて行った。


俺がまだ小学生しょうがくせいだったころの話だ。

登校中とうこうちゅう自宅じたくのそばの交差点こうさてんわたろうとしていたらうしろからランドセルをられ尻餅しりもちをついた事があった。

振り向くと同じ位のとし格好かっこうおんなが同じように尻餅をついた状態じょうたいから立ち上がるところだった。

その女の仔は俺に

「信号機の青をうたがったこともないのか!」

と意味のわからない台詞ぜりふててけて行ってしまった。

その女の仔の姿はそれ以来、学校でも近所でも見掛みかけることはなかった。


「ねぇ、人類がおかしてきているもっとも重たい大罪たいざいってなんだと思う?」


サバンナでは肉食動物は自分が生きていく上で必要な最低限のりしかしないし、草食動物も自らが自然しぜん連鎖れんさの中で肉食動物のえさであることをわきまえている。

時雨の話はいつも唐突とうとつで注意深く最後まで聞かないと理解出来ない話が多かった。ゆえに、時雨の話を理解出来た時は達成感たっせいかんのようなものがあった。

ライオンがインパラのむれおそい始めると、われこそはごろと云う自覚じかくを持った一頭いっとうおさないインパラやいたインパラが逃げる時間をかせぐ為にみすかおとりになるらしい。そして群が安全な距離を確保すると、観念かんねんしていさぎよえさとなる。ライオンは悪戯いたずらにインパラを苦しめないように一撃いちげきどめをす。その瞬間、囮りとなったインパラの脳には多量たりょうのアドレナリンが分泌ぶんぴつされ、痛みや苦しみどころか、この上ない快楽を味っていると云う研究があるらしい。ライオンのえさとなったインパラは勿論もちろんのこと、群の中のインパラでその餌食えじきとなったインパラをしんだりかなしんだりするインパラはなく、ごくごく自然しぜんあたまえ出来事できごととしてれている。


解熱剤げねつざいを飲んだら少しは楽になるから、歩いて帰れそうになったらお医者いしゃさんにてもらってきなさい。熱が下がらないようなら、おうちに電話してあげるから、お母さんにむかえに来てもらう?」

保健の先生に差し出された解熱剤を時雨は受け取らなかった。10分だけ待って欲しいと云い残し勝手にベッドに上がりこみカーテンを閉じた。


学園祭2日目、午前中の見廻みまわりで俺は時雨とチームを組んでいた。見廻りとは云ってもただ校内こうない一周いっしゅうしながら危険きけんな出し物をしているクラスはないかだとか校則こうそくや学園祭の規定きてい違反いはんしているクラスがないか確認するだけで、自由に模擬店もぎてんに入って楽しんだりすることも出来た。手持ち無沙汰ぶさたに俺は時雨と2人分のホットドッグを買い、それを食べながら巡回じゅんかいを続けた。

巡回しながら俺は時雨に、初日の朝、解熱剤を飲まずにどうやって10分間で熱を下げたのかをたずねた。答えは「いいよ」だった。

時折、時雨は想定そうていはるかにえるすっとんきょうでちぐはぐな返事を返してくる。俺はその意表いひょういてくる時雨の反応はんのうが好きだった。


「おれい、云ってなかったね。これでお相仔あいこってことで、いいよ」


ちょうどホットドッグを食べ終えた頃合ころあいに、下級生のクラスの呼び込みに遭遇そうぐうする、うらないのやかただ。時雨は自分の運勢うんせい体調たいちょうなみは自分で把握はあく出来できているからと断ろうとしていた。そもそも根拠こんきょの無いものや実態じったいの見えないものを信用しないのみならず、そのたぐいのものに軽い嫌悪感けんおかんいだいているたちで俺にもその呼び込みを断らせようとうながしてきた。けど、頼まれると断れない2人にすべはなく占いの館に引きずり込まれてしまった。


俺が中学生になった頃の話だ。

登校中に自宅のそばの交差点を渡ろうとしていたら後ろから左折して来た乗用車がブレーキもかけずに俺の目の前を横切って行った。信号機を見上げると歩行者信号の歩いてる人物がえがかれた青い方のランプが点灯てんとうしている。俺の進行方向の信号機が青になっているのだから俺は安全にこの横断歩道を渡ることが出来るはずなのに、信号しんごう無視むしかなにかだろうか?

そんな事を考えながら再びゆっくりと横断をし始めるとななめ後ろから別の車のクラクションの音が鳴った。

「ちんたら渡ってんじゃねーよ!」

と云う運転手の怒鳴どなり声に押されて俺は小走こばしりでその交差点の横断歩道を渡りきった。


「文明よ」


人類だけが何故なぜか死を恐れ安心を求め自然の摂理せつりから逸脱いつだつした身勝手みがって規律きりつ秩序ちつじょきずき上げてあらがっていると時雨は云った。寿命をまっとうする事が幸福だとちがえた概念がいねんあやつられて天寿てんじゅさからってみずからのいのちばそうと足掻あがく。どのみち人類は一人残らず必ず最期には死ぬのにたけに合わない科学や医学を発展させて肉体にくたいむち打って死をとおざけようとしている。身体の健康だけをたもとうと悪足掻わるあがきをしている弊害へいがいはあちらこちらに如実にょじつあられているのに気付かない。

熱が出るって云う症状しょうじょう身体からだが心になんかしらの警告けいこくを出している状態で、ウイルスやバイきんなど外的がいてき要因よういん場合ばあいもあるけれど、あの時の発熱はつねつ疲労ひろう原因げんいんだったと時雨は云った。

10分のあいだに自分の心と身体とで話し合って、学園祭が終わったなら充分じゅうぶん休養きゅうようって身体を休ませると約束する代わりに学園祭が終わるまでは「熱」と云うこの警告をめていてしいと説得せっとくしたと。

実際、10分後に保健室の体温計で何度なんどはかなおしても時雨の体温が平熱へいねつもどっていたのをたりにしていただけに、俺には反論はんろんうたがいの余地よちはなかった。


占いなんて女の仔の遊びだ。そんな偏見へんけんを持っていなかったとしても俺とはえんどおい遊びに違いないと云う印象いんしょうだった。星座せいざにせよ血液型けつえきがたにせよ、統計学とうけいがく的にありがちな事柄ことがら万人ばんにんてはまるような汎用性はんようせいの高い事柄とをならべて、それらに適当てきとうな「こと」をぜて楽しませてもらうのが占いだと思っていた。大方おおかた恋愛運れんあいうんの波が近付ちかづいているだとか金運きんうんが来ているから思わぬ収入しゅうにゅう期待きたい出来るとか云われるのだろうと予測よそくしていた。うらなやくの下級生と向き合うようにして時雨と並んで椅子に座ると、その下級生はカードを2枚めくった。この時点で俺や時雨の血液型や星座とはなんら関連性かんれんせいのないカードが2枚、つくえの上にならべられたことになる。

占い師役の下級生はわるびれることなくそのカードの解説書かいせつしょを開き各々それぞれのカードの示唆しさする暗示あんじを読み始めた。なんともお粗末そまつな占い師だと思いつつ俺は話を聞いていた。時雨のカードは隠者いんじゃと呼ばれるカードで、フードをかぶった白髭しろひげの老人が片手につえをもう片方の手にはランタンを持っていた。思慮しりょ悲観ひかんを暗示しているカードらしい。しくも当たっているなと、俺は心の中で思っていた。この占いのカードには天使や悪魔や死神と云ったような人物じんぶつえがかれているのだと思っていたが、俺のカードはとうだった。俺は自分の耳と目とを疑ったが、確かに俺の前にめくられたカードには灯台とうだいのような塔が描かれていた。しかもわざわいや災難さいなんの暗示だと云う。確かに、交差点を渡っているだけでもランドセルを引っ張られて転ばされたり理不尽りふじんに怒鳴られたりする受難じゅなん体質たいしつの俺には相応ふさわしいカードのようにも思えた。なんら明確めいかく根拠こんきょもなしに自分の事を語られるなんて、時雨にとってはもっときら行為こういに違いない。だけど、偶然ぐうぜんにせよ今回みたいにあなが間違まちがえでもない事を云い当てられた場合には、それだけでちょっと楽しいなと俺は感じていた。


後夜祭の体育館でのライブ中に、ひとたたずむ時雨の姿を見付けて俺は体育館の外に時雨を連れ出した。

この後、学園祭の反省会が終わってしまったなら実行委員会は解散かいさん。別々のクラスの俺と時雨とは会ったり話したりする機会きかいが一気に無くなる。それがさびしかっただけかも知れない。

学園祭で高揚こうようしていたいきおいに任せて俺は時雨に告白こくはくをした。


俺が高校生になった頃の話だ。

登校中に自宅のそばの交差点を原付げんつきバイクで左折しようとした時に横断歩道を渡っていた小学生をきそうになってコケた事があった。

俺はその小学生に信号を守るようにと注意をしに歩み寄り、その小学生の進行方向の信号機を指差した。信号機の青い方のランプが点滅てんめつし始めていた。この小学生が横断歩道を渡り始めた時は青信号だったことになる。言葉をうちなった俺を尻目しりめにその小学生は走って横断歩道を渡って行ってしまった。


その直後ちょくごに占い師役のその下級生が発したカミングアウトに俺はおのれの浅はかさを思い知らされた。その下級生は何の脈絡みゃくらくもなく唐突とうとつにタロット・カードで占いをするのは初めてだと自分から白状はくじょうした。ただ、彼女にはオーラを見る力があるそうだ。彼女のその能力のうりょくかして占いの館をクラスの出し物にしようと決まった後に、占いの館なら占いの館らしく水晶すいしょうやタロット・カードを用意よういしようと云う流れになりさわったこともないタロット・カードで占いをする羽目はめになってしまったらしい。彼女が見えるのはオーラだけで、その運勢うんせいだとか未来みらい予知よちするなどの能力とは別物べつものだと云った。そして彼女かのじょいわく、俺のオーラと時雨のオーラとは物凄ものすご相性あいしょうは良いらしい。2人の関係も分からなければ将来しょうらいどうこうなる等の予言よげんは出来ないけれど、こんなに相性の良い2人は珍しいと云った。如何様いかさまタロット・カード占いでカードの1枚や2枚 欠番けつばんしていても支障ししょうはないからと笑いながら彼女は記念にと俺と時雨に各々のカードを持ち帰って欲しいと差し出してきた。そもそも占いの類いを毛嫌けぎらいしている時雨がそれを受け取るはずがないと思い俺が丁重ていちょうにお断りしていると、となりに座っていた時雨はすんなりと隠者の描かれた自分のカードを受け取りポケットに仕舞しまった。


「愛してるって言葉はパラドックスだと思わない?」


本当に相手をおもんぱかいつくしんで大事に想っているならば、愛してるなどと云う重たい言葉をその相手にけるだろうか?実際に愛してると人が口にする場面では大抵たいていの場合、愛をりかざして相手をせたり何かを正当化せいとうかさせようとしたり論理的ろんりてき証明しょうめいしきれない時にふだようくと時雨は云った。その証拠に男女がやましい事をしている最中さなかにお互いに責任をなすりうかのようにその言葉を連呼れんこすると時雨はあざわらった。愛とか恋とか幸福と云った漠然ばくぜんとした形の無い物に対しても時雨は自分の特異とくい持論じろんを話して聞かせてくれた。げるなかの2人の内の1人がもう片方に看取みとられる時に自分の相方あいかた貴方あなたで良かったと手を握り、微笑ほほえみ合えたなら愛してると云う言葉以上にそこに愛が介在かいざいしていたことの証明にもなるし死別しべつであるにもかかわらず至福しふくの瞬間になるはずだと


体育館の外で付き合って欲しいと告白した俺に時雨は何の躊躇ちゅうちょもなく即答そくとうで「いいよ」と返事をした。ただ、時雨の云う「付き合ってあげる」は俺の意図いとしていた「付き合う」とは若干じゃっかんズレていた。俺は時雨と恋人こいびと同士どうしになりたいと云う申し出をしたツモリだったけど、時雨の返事の「いいよ」は俺の脳内のうないに新しい思考しこう回路かいろ構築こうちくした。

恋なんてものは一時いっときの気のまよいで流行はや風邪かぜのようなものだと時雨は断言だんげんした。俺の中で時雨に対する恋心こいごころ芽生めばえたと思っているのなら、その気持ちがめるまではうと云うニュアンスの「いいよ」だった。そして最後に「治癒ちゆしたら云ってね、そこまでだから」とした。俺が時雨のことを好きでいる間は俺に付き添って、俺の気持ちがめたなら、その時になん未練みれんのこさずに俺の前から消えてしまう準備じゅんびが、付き合いだす前からととのっているかのような口振くちぶりだった。


俺の親に時雨を初めて紹介しょうかいした後の話だ。

助手席じょしゅせきに時雨を乗せて実家じっかのそばの交差点を左折しようとしたら時雨が思いもよらない台詞せりふいた。信号機の青を疑ったことがあるか?と俺に聞いてきたのだ。両親の離婚りこんともな夜逃よに同然どうぜんす前に時雨は幼少期ようしょうきをこの町でごしていたらしい。そして青信号は横断出来ると云う大人の教えを愚直ぐちょく盲信もうしんして左右さゆう確認かくにんもせずにこの交差点を渡ろうとしていた男子が車にねられる場面に遭遇そうぐうして時雨は自分の全体重ぜんたいじゅうけてその男子のランドセルを引っ張って自分も尻餅をついたと。時雨が俺の命の恩人おんじんだったと知ると同時に、俺は高熱こうねつを出した時雨を保健室まで連れて行っただけなのにその時に時雨が俺に「これでお相仔あいこってことで、いいよ」と云った意味いみ理解りかいした。


俺が大学を卒業して無事に就職先しゅうしょくさきも決まったおいわいにと時雨と2人で居酒屋いざかや乾杯かんぱいをした。俺より一足ひとあし先に社会人になっていた時雨は「ようこそ社会へ」などと云っておどけて見せた。プロポーズなどする用意もなかったけれど俺が酔った勢いで結婚をほのめかすような台詞を吐いてしまった時にも時雨は即答で「いいよ」と云って微笑んだ。ヒト人間にんげんとしてせいさずかったからには時雨にも子孫しそんを残さなければならないと云う努力どりょく義務ぎむせられていると話し始めた。人類の大半たいはんがそうしている様に時雨が人類のおすに恋をして求愛きゅうあい求婚きゅうこんをすると云う可能性かのうせい皆無かいむだと断言だんげんした後、残される道は自分に求婚して来る雄がいたならばそれをこばまずに受け入れると云う方法でしか自分には自然界しぜんかいから課せられた努力義務をたすすべはないからと云いサワーの最後の一口を飲み干した。


時雨と結婚けっこんしてお互いに三十路みそじの声が聞こえ始める様になった頃、俺は余命よめい3ヶ月の末期まっきガンと云う診断書しんだんしょけられた。あまりに突然の宣告せんこくでビックリはしたものの、死に対する恐れや癌とたたかおうなどと云う発想はっそうは全く無かった。俺の人生が後3ヶ月も残されているのであればその3ヶ月間を時雨と有意義ゆういぎごしたいと入院にゅういんもせずに自宅じたく療養りょうようと云う形で時雨と2人きりの時間を過ごした。人類の半数はんすう近くが寿命じゅみょうまっとうすることなく病気で間引まびかれる。俺がたまたまその間引かれるがわかずに入っていただけの話だ。人に云わせれば人生じんせい中半なかばで癌で命を落とすなんて災難さいなんだと悲観ひかんするところだろうが、俺にはわれこそはごろていしてむれを守る勇敢ゆうかんなインパラのようほこらしさすらあった。死を目前もくぜんにしてこんなにもおだやかな気持ちでいられるのは一重ひとえに時雨のおかげでしかない。俺の人生をともに歩む伴侶はんりょが時雨で本当に良かったと思っている。きっと時雨もまた、先立さきだつ俺の事をしんだりかなしんだりする事もなく自然しぜんで当り前の出来事できごととしてけ入れるのだろう。そう思うと俺も安心して先にけるなと思った。病床びょうしょうのサイドテーブルにはフォトスタンドに入った2枚のタロットカードがかざられている。俺はそれをながめながら学園祭の占いの館で時雨がすんなりとカードを受け取った時に何をポケットに押し込んだのか理解りかい出来た気がした。そして俺に人生お疲れ様でしたとでも云い出しそうな時雨の目差まなざしに今晩こんばん眠りにいたらならきっと明日の朝俺は目覚めないだろうと云う確信かくしんうかかび上がってきた。いつか時雨が云っていた通り死にぎわ最期さいごに愛してるなどとげるのはあまりにも身勝手みがってで重たすぎる言葉だと思えた。俺は一生分の感謝を伝えたくて時雨の方へ手をべた。迷うことなく時雨も手を伸ばして来てしばらくのあいだ手を繋いでいた。その時間をめていたら自然と俺の口から最期の言葉がこぼれ出た。

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時雨 弥生 @yayoi0319

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