第22話 守護者と守護獣


 ライドゥが刺客を放ってから3日目の夜。クレントに辿り着いた仕事人達は、外が闇に支配されるまで時間を潰すと遂に行動を起こした。


 先頭を歩く男の手にはクレントで購入した今日の新聞が握られていて、5人は街灯で照らされたメインストリートを歩き出す。


 傍から見れば冒険者、もしくは冒険者業をドロップアウトしたチンピラにしか見えない。実際、彼等はそんな身分であったが大迷宮のあるクレントではこういった手合いは然程珍しくもなかった。


 まだ開いている酒場から出てきた客が彼等の脇を通り過ぎるも、不審者を見るような視線は向けられないのがその証拠だ。


 彼等は自然な動作で裏通りへと入って行く。敢えてコソコソとしない様はこういった犯罪行為に慣れているように思えるが、それを問う人物はいない。


「あれだな」


 5人のうち1人が手持ちのメモと先にある建物を見比べた後に顎をしゃくって指し示した。建物には『ウィッチクラフト』と書かれた看板があって、彼等は足音を立てぬよう近づいていく。


 建物の裏手に回り込むと淡々と準備を始めた。1人が新聞紙を大きく千切り、裏口の隙間に新聞紙の端っこが出るよう差し込んだ。その端っこの上には更に千切った新聞紙を積み上げる。


「オイルをくれ」


 仲間から酒瓶に入ったオイルを受け取ると新聞紙に振りかけていく。これで準備万端だ。


「楽な仕事だな」


「まったくだ」


 男達はニヤニヤと笑いながら感想を漏らす。楽な仕事の割には報酬が良いせいか、報酬を得た後はどう過ごすかで頭がいっぱいのようだ。


 ポケットからマッチを取り出し、仕事の仕上げに入ろうとした時――


「おやおや。こんな夜更けにどうしたのかねぇ?」


 5人の背後から突然老婆の声が聞こえてきた。近寄って来る気配すら感じなかった老婆の登場と声に驚いた5人は、肩を跳ね上げつつも勢いよく振り返る。すると、腰の曲がった老婆が笑顔を浮かべながら立っているじゃないか。


 彼等はこの近所に住人なのだと察する。だが、犯行現場を見られては放っておけない。


 男達の1人が懐からナイフを取り出すと、老婆に刃を見せながら歩み寄る。老婆は刃を見ても逃げなかった。男達は自分達に恐怖して足が動かないのだと思っていたが――。


「婆さん、わる――」


「ほっほ。最近の若い子は動きがトロいねぇ」


 動けなかったのではない。ただ、動かなかっただけだ。


 目の前にいた老婆は一瞬で姿を消し、ナイフを持った男の背後に回り込んだ。一体何が起きたのか男には理解できなかったろう。一部始終を見ていた他の男達も老婆が影に潜るような姿が一瞬だけ見えただけだ。


「いけないねぇ。本当にいけない。この家の子は私の腰を気遣って薬を作ってくれるんだ。優しい子なんだよ」


 腰が曲がった老婆――マギーは腰に差していた草刈り鎌を抜くと男の首筋に刃を当てる。


「そんな子を害そうなんざぁ……。死神が許しても、この私が許さないよ」


 いつもはのんびりとした様子を見せるマギーだが、この時だけは目付きが違った。まるで獲物を狩る狩人だ。


 いや、王国内に蠢く他国の諜報員を狩る国王直属の番犬と言うべきか。


 彼女がゆっくり刃を引くと男の首筋が引き裂かれて血が滴った。首を裂かれた男は痛みすらも、裂かれた事すらも感じはしなかっただろう。


 ただ首から血を流し、着ていた服が襟元から徐々に赤く染まっていく。ジワリジワリと赤が侵食していくにつれて、男の体が痙攣を始めた。脇腹の位置まで血が染まると遂に男は地面に倒れ込む。


 倒れ込んだ男はピクリとも動かない。仲間が殺されたと悟った男達だったが、彼等に振り返った老婆の目を見て背筋を凍らせた。


「ヒッ……!」


 明らかに人を殺し慣れている目だ。それも1人や2人じゃない。腰が曲がっている老婆だと油断したのが馬鹿らしくなるほど、マギーの目には『本物』の貫禄があった。


 男達は脱兎の如く逃げ出した。彼等の取った選択肢は半分正解で半分不正解だ。


 確かに老婆は腰を痛めているせいもあって派手には動けない。人の持つ視覚の隙を突くような瞬間的な動きで超超短距離を翻弄するのが精いっぱいである。


 走って逃げ出したのは正解だ。だが、先に語った通り不正解でもある。


「爺さんや」


「ああ、分かっているとも」


 不正解である理由は老婆にパートナーであり、旦那がいたからである。いつの間にか向かいの家の屋根にいた老人は弓を構えて矢を二本同時に放った。


 放たれた矢の速度は疾風の如く。それでいて狙った男の背中に吸い込まれるように突き刺さる。


「グゲエ!」


「ウグゥ!」


 突き刺さったのは心臓の裏側。背中側から相手の心臓を狙い、心臓のど真ん中を撃ち抜いた。勿論、射抜かれた二人の男は即死だ。糸の切れた人形のように崩れ落ち、走っていた事もあってゴロゴロと転がるも以降は一切動かなくなる。


「ハァ、ハァ! な、何なんだ!? 何なんだよあいつらは!!」


 こんな話は聞いていない。あんな化け物が二人もいるなんて。事前に話を聞かされていれば絶対に仕事を受けなかった。


 先ほどまでは割が良いなんて話をしていたが、一変して割に合わない……どころか、こちらから死にに行くようなものである。


「いけないね。彼は私の作るパンをいつも美味しそうに食べてくれる上客なんだ。婆さんの腰も労わってくれるしね」


 歳を感じさせぬ軽快な動作で地上に降りた老人――弓を構えるグレンの表情と姿勢には国民を守る為に戦ってきた騎士の風格が漂う。


 王より受けた命に従って護衛対象者を守る使命を遂行するプロフェッショナルたる表情を浮かべて、狩るべき害獣の背中を鋭い目付きで捉えるが……。


「おや」


 グレンが発していた雰囲気は霧散して、スッと静かに構えていた弓を下ろす。


 飛んで来るであろう矢の軌道を見切ろうと老人に顔を向けていた男達はチャンスとばかりに走る速度を上げる。


「所詮はジジイだ! 今のうちに――」


 歳のせいで自分達の速度に追いつけない、不意打ち以外で射る事が出来ないのだと男達は察した。彼等の表情が途端に明るくなり、生を掴み取ったという希望に溢れる。


 だが、グレンは歳で耄碌したのでも、失敗したわけでもない。 


 彼は視線の先――裏通りがいつも以上に真っ暗になっていて、続くべき道が闇一色に染まっているのを見つけたからだ。


『グルル……』


 道の先を消すように充満している闇から獣の鳴き声が放たれた。その低い鳴き声は狼のもの。


「今度はなん――うわあああ!?」


 男達が向かう闇の中に無数の『目』が浮かび上がる。赤くて獰猛な、獲物を待ち受ける獣の目。その数は10どころじゃない。真っ暗な闇の中に100以上も浮かんでいて、事の異様さを男達に叩きつける。 


 獣の目がスッと細くなると闇から大量の黒い触手が伸びた。触手は男達の体に巻き付き、徐々に闇の中へと引っ張り込む。


「ひ、ひいいい!!」


「いやだ、いやだああああ!!」


 男達が全力で踏ん張っても比べ物にならないほどの力でズルズルと闇の中へと引っ張り込まれてしまう。先ほどまで老人達を化け物と称していたが、目の前にいる『何か』は正真正銘の化け物だ。


 元冒険者である男達は迷宮内に闊歩する魔獣相手とは違う、別の形容し難い底知れぬ恐怖に悲鳴を上げるが遂には闇の中へ完全に引き摺り込まれた。


 無数の目が浮かぶ闇の中から咀嚼音が聞こえてきて、音が途切れると闇の中から無傷の男1人だけが吐き出されるようび飛び出した。


 グレンは地面に吐き出された男に近付く。男は白目を剥いており、男の首筋に指を当てると脈はある。どうやら気絶しているだけのようだ。


「ふむ。手土産にしろ、という事ですかな?」


 グレンが顔を上げると既に闇は無く。そこには黒い狼がジッとグレンを見つめていた。


「ワフ」


 グレンの問いに頷くようにが小さく吼える。


「承知しました。どうぞ、この場は私達にお任せを。ジジ殿はクルツ君のところへ。あまり長居をすると心配してしまいますぞ?」


「ウォン」


 そうだね、と言わんばかりに吼えたジジはグレンの横を通り過ぎ、更に奥で見守っていたマギーの横を通過していく。


 ジジは家の2階にある窓にぴょんと飛ぶと家の中へと入って行った。家の中に入ったジジは毛先についた汚れを払うように全身を震わせる。


 汚れを払い、顔を向けた先には部屋の主であるルカがいた。


「大丈夫だった?」


「ウォン」


 何も心配はない。もう終わった。そう言わんばかりに一吼えすると、ジジは窓に近付いていくルカをの脇を通り過ぎて部屋を出て行った。


 ルカの部屋を出たジジは寝床があるクルツの部屋の前に辿り着く。脚を器用に使いながらドアを開け、部屋の中に入るとクルツのいるベッドへ近づく。


 あれだけの騒ぎが家の前であったものの、主はベッドの中で気持ちよさそうに寝ている。これが良いのか悪いのか、きっとジジには関係ないのだろう。


 ジジは床にある専用の寝床には向かわず、クルツの寝ているベッドの中に潜り込んだ。


「ん……ジジ?」


 外の騒ぎには気付かなかったのにジジが潜り込んだ事には気付いたようだ。なんともお気楽な主であるが、これもジジには関係ないのだろう。


 ジジは静かに頭をクルツに擦り付けて彼の体温を感じ取る。


「ふふ……」 


 クルツも顔を擦り付けてくるジジを抱き、もふもふとした感触を楽しみながら再び眠りにつく。


『これで良い』


 そう言わんばかりにジジは主の隣で目を閉じた。 

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裏通りの魔導具店 ~大魔導師の弟子が送るのんびり生活~ とうもろこし@灰色のアッシュ書籍化 @morokosi07

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