エピローグ
7-06 エピローグ
ゲノム教授が放った暗黒昆虫との戦いから、三日が過ぎた放課後。
「あっ、カブトん~」
「先輩、おつかれっす」
廊下を歩いていると後ろから声をかけられ、振り返るとオサム先輩が駆け寄ってきた。セーラー服の上からなぜか白衣を羽織っている。先輩はそばへ来ると、ニヤニヤと笑みを浮かべてオレを見上げた。
「なんすか?」
「ううん。前から思ってたけど、カブトんってボクたちとおんなじ学校だったんだね~。影が薄かったから、今まで全然気がつかなかったよ~」
「うっ……。どーせオレは影が薄いっすよ! てか、そのカブトんっていうあだ名、やめてほしいんすけど……」
「えぇ~。じゃあ~、カーさん?」
「オレは先輩の母さんじゃないっす!」
なんて言い合いながら、廊下の角を曲がり、階段を上がる。オサム先輩も行く方向が同じなのか、オレについて階段を上がりだした。
「ところでカブトんは、どこに行くの~」
わざとらしく、答えを知っていながらといった感じで先輩が訊いた。
「決まってるじゃないっすか」
オレはその問いに鼻で笑って、ニヤリと笑みを浮かべる。
階段を上りきると、目の前にひとつの扉が現れた。「科学準備室」と書かれた部屋の下に、小さなプレートが下げられている。
「オレたちの部室っすよ」
そう言って、引き戸を開ける。中は狭くて、真ん中に机が置かれていて、周囲に棚が並んでいて実験道具が入っている。そして西日の差す窓の前に、だれかが腰に手を置いて立っていた。
「やあ! オサム君、カブト君」
「あっ、アゲアゲのパパだ~。来てたんだね~」
「おじさん。勝手に学校入っていいんすか?」
言いながら、机の前に置かれたイスに座る。オサム先輩はオレの向かい側に座った。
「ちゃんと許可はとったさ。なんたって俺は、虫研の外部顧問だからな!」
自分の胸を親指で差しながら、自信満々に言うアゲハの父さん。
タテハ先輩の念願は叶い、虫研は学校の部活として認められた。虫採り全国大会で優勝した功績が認められたらしい。ただ、虫採り全国大会の決勝戦は、戦う予定だったチーム
「まぁ~正確に言うと、アゲアゲのパパは虫研の顧問というより、科学部の顧問になってるんだけどね~。虫研は科学部昆虫研究班だから~」
オサム先輩が、机の真ん中に置かれた大会のトロフィーをつつきながらつぶやく。
部員が四人しかいないから、虫研は科学部の一部という形になった。科学部は隣の大きな科学室を部室として使うことになり、虫研はこの小さな準備室を与えられた。
「ところで、おじさん。ゲノム教授はどうなったんすか?」
イスを斜めにずらして、オレはアゲハの父さんに訊いた。アゲハの父さんもイスに座り、真剣な表情になって口を開く。
「ゲノム教授の行方は、残念ながらまだつかめていない。今まで使っていた研究室も、もぬけの殻になっていた」
「採った暗黒昆虫は?」
「あの昆虫たちは、俺の知り合いの研究所に持っていって、厳重に保管されているよ」
知り合いの研究所というのは、アゲハの父さんが身を潜めていたところらしい。
「ゲノム教授が探していた暗黒昆虫に関するデータも俺が回収した。木に潰された衝撃で、もう壊れていたけどな」
そう言って、アゲハの父さんは肩をすくめてみせる。
トロフィーをいじっていたオサム先輩が、うんと背伸びをして口を開いた。
「まぁ~、ゲノム教授の行方は気になるけど~、一件落着したんじゃないかな~」
先輩の言葉にオレはうなずいた。暗黒昆虫はオレたちが採って、データもなくなった。ゲノム教授が再びあの虫たちを創り出す可能性も否定できないが、その時はまた採ればいいんだ。オレたち四人が、力を合わせて。
「それにしても、遅いっすね。アゲハとタテハ先輩」
オレは時計を見ながらつぶやいた。今日は本格的にやってくる夏に向けて、なにをしていくのかミーティングをする予定のはずだ。けれども、集合時間が過ぎているのに、二人の現れる気配がない。
すると、アゲハの父さんが思い出したように言った。
「ああ、二人ならさっきまでいたけど、アゲハがタテハ君を連れ出していったな。場所は確か、校舎裏だったかな」
「こ、校舎裏!?」
オレはガタリッと音を立ててイスから立ち上がった。変な汗が出てきて、額を伝う。
「なんだかアゲハのほおが赤く染まっているように見えたな。いやあ、青春だなー!」
アゲハの父さんは腕組みをしてうんうんうなずきながら感傷に浸っている。
アゲハが先輩を連れ出して、向かった先は校舎裏。しかもほおを染めてたなんて。
間違いない、あいつ、告白する気だ!
「させねぇ! オサム先輩、行くっすよ!」
「まぁまぁ~、落ち着きなよ、カブトん~」
「これが落ち着いてなんかいられるっすか!?」
のん気になだめるオサム先輩に向かって、オレは声を荒げた。一方の先輩は立ち上がる気配もなく、ほおづえをついてこちらを見上げる。
「だって、タテぴーだから、ねぇ~?」
「は?」
言っている意味がわからず首を傾げた。
オサム先輩がニヤニヤと笑みを浮かべながら、校舎裏のある方向へ視線を移した。
* * *
梅雨ももうじき終わりを迎え、夏本番の到来を予感させる青い空の下。じりじりと照りつける太陽から隠れるようにして、あたしとタテハ先輩は校舎の裏へとやってきていた。
「そういえば、アゲハ君。体調のほうは大丈夫かい?」
「はい。もうすっかり元気ですよ!」
ゲノム教授が放った暗黒昆虫との戦いの後、あたしは力尽きて倒れてしまった。けれどももう体力は戻って、元気いっぱいだ。いつでも虫を追いかけることができる。
「それで……、あの……タテハ先輩!」
でも今は、虫を追いかけるよりも大切なことを伝えたくて、声を詰まらせながら先輩に詰め寄った。
先輩はそんなあたしに戸惑う素振りも見せず、優しくほほえみながら首を傾げる。
「どうしたんだい?」
「あ、あの……」
胸がドキドキと高鳴っている。顔が沸騰しそうなくらい熱くなっている。
戦いの時、先輩が抱きしめてくれたことを思い出す。手を握ってくれたことを思い出す。そばにいてくれて、励ましてくれたことを思い出す。
先輩がいたから、あたしはあの戦いを乗り越えることができた。
そして、確信したんだ。
「あたし、先輩のことが好きです!」
この気持ちを、先輩に伝えたいって。
あたしは身体を震わせながら、先輩の顔をまっすぐに見て告白した。
タテハ先輩はこちらを見つめ、いつもの優しいほほえみを浮かべる。
「そうか。ありがとう、アゲハ君」
その言葉を聞いて、あたしの胸は舞い上がりそうになった。
告白をして、「ありがとう」って言ってもらえた。ってことは、告白を受け入れてくれたってことだよね。タテハ先輩とお付き合いができるってことだよね。
「それじゃあ、僕らは今からつがいになる、ということだね」
……ん?
タテハ先輩の言葉にあたしは一瞬固まった。つがいって、確か、夫婦って意味だよね。えっ……、夫婦!?
「昆虫の場合はすぐに繁殖行動をとるものが多いんだけど、アゲハ君も、そうしたいのかな?」
……んん!?
ハンショクコウドウ? 繁殖行動ってなに? どんな行動をすればいいの?
「タテハ先輩……、本気で虫のことしか頭にないんすね……」
「ボクも一回やられたからね~。だから言ったでしょ、タテぴーだから大丈夫だって~」
頭が混乱している時、コソコソとささやく声が聞こえてきた。振り向くと、校舎の角からカーくんとオサム先輩がこちらをのぞきこんでいる。
タテハ先輩も二人の存在に気付き、振り返って軽く手をあげた。
「オサム君、カブト君。今、アゲハ君が、」
「わーっ!? わーわーっ! 先輩、なんでもないです! さっきのは忘れてください! なんでもないですーっ!」
悪びれる素振りもなくなにかを話し出そうとしたタテハ先輩に向かって、両手を振って首を振る。恥ずかしいのか悲しいのかもわからず、顔は一段と熱くなって、きっと真っ赤になって見えているだろう。
そんなあたしの横を、チョウが一羽、ヒラヒラと通り過ぎた。
「アオスジアゲハだ!」
あたしは動きを止めて、アオスジアゲハに注目した。こんなこともあろうかと持っていた虫採り網を構える。お父さんが新しくあたしにくれた物だ。
隣ではタテハ先輩も、網が折りたためて柄が伸縮自在な虫採り網を手にしていた。
「行こうか、アゲハ君」
「はい、タテハ先輩!」
タテハ先輩の隣にはオサム先輩が、あたしの隣にはカーくんがやってくる。
「ボクたちも忘れないでよね~」
「いっしょに採りにいこうぜ!」
四人が並び立ち、前を向く。視線の先にある日なたで、アオスジアゲハはブルーの模様をちらつかせながら翅を羽ばたかせている。まるで、採れるものなら採ってみろと言っているみたい。
よーいどんっ! と、合図が鳴ったかのように、あたしたちは一斉に駆けだした。
「行くよ! 必採技――!」
熱い日差しを受けながら、白い網が大きく揺れた。
〈おしまい〉
虫採れっ! 宮草はつか @miyakusa
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