魔導官グリモアの憂鬱

天宮伊佐

Hidden Hero

魔導官まどうかんグリモアよ、世界の侵略状況はどうであるか」

その日。魔王まおう様は、重々しい声で私に訊ねてきた。


「上々でございます」

私は答えた。

「先日はネフィリム王宮が、我が軍のドラゴン部隊によって陥落しました。もう東大陸が我々の手中に収まるのは時間の問題かと」

「うむうむ、素晴らしいことである」

私の報告に、魔王様は上機嫌で頷く。

「しかし、よくネフィリム王宮を落とせたものだ。あそこの騎兵部隊は、人間の癖にかなりの強者つわものぞろいだったはずだが」

「部隊の編成を変えたのです。今まであの近隣に生息していたレッドドラゴンとブルードラゴンを退かせ、代わりに辺境から連れてきたポイズンドラゴンとカオスドラゴンを送り込みました。火炎や冷気との戦いには手慣れていた人間どもも、初めて見る毒霧や暗黒吐息による攻撃には一切の免疫が無かったというわけでございます」

「なるほど、素晴らしい」

私の説明に、魔王様は感心したようだ。

「さすがは魔導官グリモア。お前の叡智えいちには、このですら一歩届かぬわ」

そう。200年前に生まれてから世界のありとあらゆる魔術に傾倒し、今や魔王様の側近魔導官である私は、魔王軍――いや、人間も精霊も、この世界に生きる全てのものたちの中で、最も高度な知能を持つ存在であると断言できるだろう。

「お前がいる限り、我が軍に敗北はない。愚かな人間どもを消し去り、この世界が我ら魔物たちの楽園となる日は近いであろうな」

魔王様は呵々かかと笑う。

「その通りでございます。ああ、偉大な魔王様に栄光あれ!」

私も追随して笑う。

しかし魔王様と違い、私の笑みは決して心からのものではない。


この世界で最も頭の良い私には、大きな悩みがある。

頭が良すぎて、この世界が虚構フィクションであることに気づいてしまったのだ。


この世界は、我々より上位の世界に存在する人間たちが造り上げた超高度な自律型演算機械――いや、言葉を濁しても仕方があるまい。ぶっちゃけAIである。AIによって演算され続けている仮想世界なのだ。

そして、そのAIが我々の住む世界を夢想シミュレートし続けている理由も、もはや私には分かっている。人間たちの、だ。

彼らは世界の外側から私たちを観察し、ただそこに映し出されるものを娯楽ゲームとして楽しむためだけに、私たちの世界を創作しているのだ。

この世界で禁忌とされている何千冊もの魔術書を読み漁っているうちに、私はその事実に気がついてしまった。


そして、そのことに気づいた時、私は自分の役割を理解した。


私の役割は、人間を滅ぼすことではない。

このまま『世界は何の山場も迎えず魔物のものになりました』では、娯楽ゲームとして成立しない。そんなことをしたら、我々の世界は『破綻した物語クソゲー』として消去されてしまうだろう。

私の本当の役割は――この世界を、この物語ゲームをつつがなく進行させることなのだ。


ある日。魔王軍の定例会議に、一つの知らせがもたらされた。

「アリエヘンの村で、額に竜の紋章を持つ人間が生まれたとのことです」

その一報に、魔王様をはじめとして幹部たちの間にどよめきが広がる。

「竜の紋章を持つ人間。不吉な予兆に思えますな」

悪魔騎士ガイエルが、腕組みをしたまま呟いた。

「まさか、古き伝承に聞く『勇者』とかいうやつでは!」

氷炎鬼ドグマが身を乗り出し、会議室の机が少し焦げた。

「そんな伝承、嘘っぱちに決まってるわ。でも、万一ということもあるわね」

妖貴妃エルローザが扇情的な笑みを浮かべつつ、無駄にセクシーなポーズを取った。

「うむ。不穏な芽は早いうちに摘むべきであろう。魔導官グリモアよ、早速アリエヘンの村に大量のストーンゴーレム部隊を放つのだ」

一番の上座から、魔王様は仰られた。

三人の幹部も、まあ当然だろうなというように私を見る。

――いよいよ、この日がやってきたか。

私は大きく息を吸い込んだ。


「お言葉ですが、魔王様。その必要は全くないと思われます」


「なに?」

私の言葉に、魔王様は眉を寄せた。

「どういうことか、グリモア」

「額に竜の紋章とか、あるわけないでしょう。見間違いです、見間違い」

私は魔王様と幹部たちに力説する。

「青空に浮かぶ雲が林檎に見えたとか、木を切り倒したら年輪に苦悶の表情が浮かんで見えたとか、猫の毛並みの中にもう一つ猫の顔が見えるとか。あるでしょう、そういうこと。単なる目の錯覚です。恐らく英雄願望メサイアコンプレックスのバカ親が、我が子の額のあざがそれっぽく見えたから言いふらしただけですよ。大体なんですか額に竜の紋章って。爬虫類はちゅうるいですよ。額に爬虫類。速攻いじめられますよそんな子どもは。我々魔王軍が手を下すまでもない。すぐに自殺するでしょうな」

「そ、そうであるか……」

私がくし立てると、魔王様は黙り込んだ。

いかな絶対の魔力と暴力を誇る魔王様と言えど、会議の場において、魔物たちの智謀の頂点である私の意見には軽々しく逆らえない。

「ではグリモアの意見を尊重し、今回の件に関して特に目だった対応はしないものとする。まあアリエヘンの近辺は強力なサイクロップスやパイロヒドラがうようよしておるから、万一『勇者』が生まれたとしても未熟なうちに殺されるであろうしな」

しまった、そうだった。

「いえ、魔王様。サイクロップスやパイロヒドラは、思い切ってアリエヘン村の周辺から撤退させましょう」

「なに? どうしてだ」

「額に爬虫類の痣を持つ子どもが生まれるようなしょうもない村は、すでに天に見放されているのです。ほっといてもすぐに滅ぶでしょう。貴重な戦力である魔物たちは、そんなクソみたいな村に構わせてないでもっと有益な戦地に派遣すべきです」

「そ、そうであるか……」

魔王様はたじたじとなった。

この世界において、詭弁で私に勝てる者などいない。

「では、アリエヘン周辺からは全ての魔物を撤退させよう。まあ辺りに魔物が一匹も棲まない環境であれば、万一『勇者』が生まれたとしてもそもそも戦いの経験を積む機会がないであろうから、成長せずにそのまま寿命を迎えるであろう」

なるほど。それも困るな。

「いえ、魔王様。サイクロップスやパイロヒドラの居なくなったアリエヘンの周辺には、代わりに大量のプチスライムを配備しましょう」

「プチスライムを? なぜだ」

ぎゃくに、ですよ」

「逆に……??」

魔王様は困惑した。

「そう。敢えて、逆に、ちょっぴり経験値を持っている弱小スライムを配備するのです。ここまで言えば、魔王様も他の幹部たちもその理由がお分かりでしょう……」

私が意味ありげな沈黙とともに見回すと、魔王様と三人の幹部たちは黙り込んだ。

「……な、なるほど。そういうことか。うむ、分かった。お前の言葉の真意を、は完璧に理解したぞ……」

やがて魔王様が口を開くと、他の幹部たちも揃ってうんうんと頷いた。

「やはり魔導官グリモア、恐るべし。何手も先を読んだ深い策略よ……」

「氷炎鬼の俺ですら背筋が凍りつきそうだぜ……」

「さすがは魔王様の智謀を上回る唯一の男。わたしも魅了されそうだわ……」

権力を持つ者ほど、会議の場で自分の無知を晒す危険リスクを避けたがる。世界で最も頭の良い私にとって、その場を誘導するのは赤子の手を捻るようなものだった。

「……うむ。では、アリエヘン村の周囲には大量のプチスライムを配備し、さらに村を中心とした放射状に魔物たちを少しずつ強くしてゆくことにしよう」

魔王様の言葉と共に、一時間余りの会議は幕を閉じた。

こうして、私は物語の『理想の舞台』を整えた。

16年前の話である。


それからの私の活動は、が一番よく知っているだろう。

君の歩く先々に、絶妙に役立つものの入った宝箱を置いた。

魔物の大神殿にあった6つの祝福結晶ブレスオーブを、集めやすいよう世界中に飛散させた。

冒険の中盤で船を、終盤で飛行船を手に入れられるように世界経済を操作した。

ガイエルとドグマとエルローザを弱い順番から、単騎で君のもとに向かわせた。

この魔王城ラストダンジョンを包む無敵の結界に、あえて侵入できる綻びを作っておいた。

そして今、私は魔王軍最後の幹部として君の前に立ちはだかっているというわけだ。

私を倒したら、後ろの階段を上ると魔王様がいる。

それで最後だ。

話が長くなったね。では、始めようか。


おいおい、そんな顔をするなよ。

君が私をそんな顔で見たら、物語ストーリーが矛盾するじゃないか。

大丈夫だ。私も君には多くの思い入れがあるが、決して八百長はしない。さっき、全ての知性や理性と引き換えに絶大な力を手に入れる究極の秘薬を飲んだところだ。

もうすぐ私の自我は消え、目に入ったもの全てを焼き尽くす大魔獣に姿を変える。


言っておくが、変身後の私は強いぞ。6種類の元素魔法の中から、最強の攻撃を一ターンのうちランダムで3種類も撃ってくる。属性対策は万全にしておけ。


さて、そろそろ限界だ。意識が朦朧としてきた。私の肉体が崩壊と再生を迎える。


うぅっ。私、は、滅ぼ、す……全てを……グゴゴゴゴ……。


ああそうだ、最後に一つだけ。魔王様は無敵の『闇の衣』をまとっている。

『光の珠』を使わないとまともにダメージが通らないぞ。しくじるなよ。


だから、そんな顔をしないでくれよ。

エンディングまで、泣くんじゃない。


さあ、愚かな人間の勇者よ。かかってきたまえ。

この魔導官グリモアが貴様のはらわたを喰らい尽くしてやろう。グゴゴゴゴ……。


みんなの世界を、頼んだぞ。


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