23 夜闇
カサ、と乾いた音を立てて笛が砂の上に落ちた。左手で拾い上げ、太陽は穴の中に入り込んだ砂を抜く。月明りがサングラスのレンズを拭いたあとを照らす。
静かに揺れる波の音の中、再び太陽は左手に笛を持ち、吹き口に口を付ける。
「太陽?」
だが後ろから聞こえた声に振り向いた。
眠たそうな目をこすり、キヨラは太陽の顔をぼんやりと見た。手に笛を持っているのを見て、ああ、と歩み寄る。
太陽の隣に座った。
「まだ傷もあるし、あんまりそっちの手、使わない方がいいよ」
「あ、ああ」
頷き、太陽は笛を左手に持った。右手に視線を落とす太陽をキヨラは見上げ、横で笛を握る太陽の左手を見た。
「手、まだ痛い?」
首を傾げ、腰に隠れる右手首を見ようとする。
「……大したことは無い」
「痛いんだ。まぁ、まだ一日しか経ってないからね」
抱えていた足を伸ばし、すっかりペディキュアの剥がれたつま先を揺らす。
「……まだ、一日しか経ってないんだね。昨日から」
静寂に包まれた海岸沿いの集落を眺め、漆黒の海に浮かぶ月を見る。
「ああ」
目を細め、太陽は左手に握った笛を横目に見た。細い木製の笛には幾つかの穴が裏表に開いており、端に赤と緑の線が引かれている。
「……太陽?」
キヨラに名前を呼ばれて顔を上げた。首を傾げ、キヨラは太陽を見上げる。
「……何だ」
「いや、えっと……何だか、寂しそうに見えて。何でだろう」
軽く笑って見せたキヨラを、太陽は笛を片手に見下ろした。小さくあくびをしてキヨラは夜風に体を震わせる。くしゃみをした。
黒い海の遠くでランタンの灯りが光っている。
「キヨラ」
呼ばれてキヨラは青い目に月を映して太陽を見上げた。キヨラの表情に、太陽の瞬きの回数が増える。視線が泳ぐ。
「あ、えっと。名前呼ばれたの初めてだったから……」
慌てて弁解し、キヨラは太陽の黒い目を真っ直ぐと見た。逸らされていた黒い瞳が、僅かにキヨラの方を向く。
「どうしたの?」
「少し、話がある」
膝を撫でる木綿のワンピースの裾を右手で軽く触れ、左手は強く握り、太陽は手を震わせて、息を吐き、吸い、言葉を続ける。
「手首の傷に発信機が入っている」
ぱ、と目を開き、キヨラは太陽の右手首を見た。
茫然と視線を逸らす太陽の顔を見上げ、左手に視線を落とす。
「……そっか」
「えぐりだす勇気は無かった」
俯き、震える声をこぼす。
「そっか」
「だから、ここまでだ。私は帰国する」
絞り出すように言いきった、太陽の声はほとんど消えかかっていた。波の音が鳴り、潮風が海の匂いを運ぶ。左手に握られていた笛が砂の上に落ちた。
「うん」
頷き、キヨラは太陽の左手を取った。そっと、握る。溢れ出た涙が下瞼からこぼれて頬を伝った。木綿の白いワンピースにこぼれる。
「太陽、でも私、また会いに行くよ。絶対」
左手を強く握って、ワンピースに垂れかかった鼻をすする。
「太陽、ありがとう。助けてくれて」
涙を自身の左手で拭い、キヨラは口角を上げて太陽の顔を見上げた。月が映る青い瞳から涙が溢れ出てこぼれ、頬を伝って顎からこぼれる。
「……こちらこそ、ありがとう」
呟き、太陽は震える右手の指でそっとワンピースを掴んだ。跳ねた黒い髪を、夜風が揺らしてサングラスに引っ掛ける。接着剤でとめられた支えの修復あとが月に照らされて透明に見えた。夜闇の中に、星が点々と浮かんでサングラスのレンズに映る。
「太陽」
涙声のキヨラに名前を呼ばれて、太陽はキヨラの方を向いた。
「ねぇ、太陽」
透明の板越しに真っ直ぐと青い瞳を向ける。
緑の帽子がずれ、黒い前髪がずりあがった。小麦色の両手を震わせて乳児の背中を抱く。耳に残ったピアスのあとを乳児が指でつまむ。
クーラーの音が部屋の中で静かに聞こえ続ける。
固定器具の下で僅かに口角を上げ、拘束衣の女は微笑んだ。
カチ、カチ、と時計の針が進む音が響く。微笑みを浮かべる女を見て、緑の制服の人物は柔らかに、笑みを浮かべる。
東洋の楽劇隊 完
東洋の楽劇隊 伊藤 黒犬 @itokuroinu
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