22 夕焼け
砂利混ざりの砂が続く海岸を進む。
薄く空に広がった白い雲が途切れ、千切れてほのかに赤くなった夕焼け空に染まる。
ペットボトルのキャップを開けてキヨラは水を一口飲んだ。キャップを閉め、腹が鳴る。つま先に砂のついた足で砂を蹴り、かかとで踏む。
「……何も無いね」
ぽつりと呟き、キヨラは空を見上げた。
「ああ。厳密には砂と海はあるけどな」
ペットボトルを指で押しながら尹が言い、再び波の音だけが静寂に響く。振り向き、キヨラは後ろを歩く太陽を見た。
「太陽、静かすぎて本当に居るのかなって思っちゃうよ……」
「なら後ろを歩けばいいだろ」
手首に包帯を巻いた右手を鞄にのせ、口を閉じて太陽は素足で砂の上を進む。まだ少し腫れている瞼をしぱしぱと瞬き、塩水の跡が残るサングラス越しに砂を眺めている。
「そういえば、いつもと位置が逆だ」
尹と太陽を不思議そうにキヨラは眺める。
「……そうだ、今夜は」
「あ」
尹が立ち止った。後に続いていたキヨラも立ち止まる。
「どうしたの?」
「あそこ、あれ舟じゃないか?」
キヨラが目を凝らして見ると、尹が指さした先には木造の小舟が置かれていた。
「ホントだ……じゃあ、人が居るのかな」
ぱっと笑顔になり、キヨラは舟のある方へ砂を蹴って走り出した。あ、おい、と慌てて尹がその後を追う。太陽は立ち尽くしたまま、ぼんやりと二人の後姿を眺めていた。
尹が立ち止り、振り向く。
「太陽……えっと、ちょっと待っててくれ。何か探してくる」
太陽が頷いたのを確認し、尹は再び走り出した。
少し砂の上を進むと民家の屋根が数軒見えた。太陽はそこで立ち止まり、ボタンのほつれかけたマントのフードを被って、その縁についた血を見る。
振り向き、離れようとした太陽の肩を誰かが叩いた。
「ちょっとあんたさん、その血どうし」
肩を跳ねさせて振り向いた太陽に白髪交じりの中年の女は驚いて手を離す。胸を押さえ、はぁと息をついた。
「びっくりしたじゃないか。で、豚の解体でもしたのかい?」
「あ、え……は、はい」
「その恰好じゃ困るでしょ、ちょっとおいでよ。何か出してあげるからさ」
中年の女は太陽の左手をぱっと掴むと民家の方へと引いて歩き出した。塩のついたサングラス越しの目をしばたたかせて太陽は中年女の後頭部で団子にされた髪を見る。
突如女が振り向いた。
「にしてもあんた、随分とベッピンさんだねぇ。うちの男共が騒ぎそうだよ」
え、と手を引かれながら太陽は茫然と声をこぼした。それから、自身の開けた胸元を見て、あ、と呟く。女がにやにやと口角を上げた。
「若い子は肌出せて羨ましいよ。あんたさん幾つだい?」
「えっと……二十四です、確か」
若いねぇと女が声を上げる。一番手前に置かれた木造の舟の傍、藁ぶき屋根の家の前で止まり、女は扉を開けた。
「さ、お入りよ。まだ誰もいないから安心おし」
あの、と太陽は辺りを見回すも、尹とキヨラの姿は見えなかった。さあさあ、と背中を押されて家の中に入った。
扉が閉まる。
「おーいっ!」
砂浜に声を響かせてキヨラは辺りを見回す。首を傾げ、尹の方に駆け寄った。
「どう?」
「こっちもいないな……」
不安げに呟き、尹は夕日に染まって赤くなった海の方を見る。中央に浮かぶ舟の上で網を持った数人が漁業をしている。船に吊るされたランタンが点灯した。
海面に星が点々と漂っている。
「誰かに聞いてみよう。もしかしたら見てるかもしれない」
「え、でももし見られてたとしたら」
キヨラが言いかけた時、二人の横で扉が開いて誰かが出てくる。
「丁度良い。聞いてみる」
あの、と尹は藁ぶき屋根の家に駆け寄った。
「は、はい……え」
だがその声と、顔を見て尹は静止する。後を追ってきたキヨラも立ち止まった。
跳ねた黒髪とサングラスはそのまま、薄茶色の木綿のワンピースを着た太陽は二人の顔を見て、扉の前で立ち止まった。目を開き、あ、と声を漏らす。
「どうしたんだい?……って、あれ、もしかして旅仲間かい」
太陽の背後から顔を覗かせ、中年女はキヨラの白いシャツに目を留める。
「あら、そっちの嬢ちゃんも服が汚れてるじゃない。一緒に着替えてお行き」
オレンジジュースの染みが出来たままのシャツを見てキヨラは戸惑い気味に、小さく頷く。中年女に手を引かれ、入り際に太陽を見た。
「確かにかわいい」
「確かにはどっから来たんだ」
小声で言った太陽の眉間に微かにしわが寄る。扉が閉まり、家の前には尹と太陽、それから海から歩み寄ってきた中年の男のみになる。
男は腕を組み、太陽を眺め回した。
「こりゃあめんこい姉ちゃんだ。あんたら夫婦かい?」
髭を生やした中年男に聞かれてすぐさま尹は首を振り、太陽の顔色を見た。
「いや冗談さ。どうだい姉ちゃん、うちにとつがねぇか?」
「あんた、あんまり旅人さん困らせるもんじゃないよ」
扉から耳を引っ張られ男は家の中に入る。入れ替わりで中年女に連れられてキヨラが出てきた。太陽よりやや小さい白いワンピースを着て、頭に花を飾っている。
「髪が長けりゃもっと飾れるんだけどね。それより、夕飯食べてくかい?」
え、と顔を上げた太陽の腹が鳴る。
「……す、すみません」
「いやいや。生きてりゃ当たり前だろう? お入りよ」
家の中から手招きされて、太陽は軽く頭を下げて中に入る。やや狭いものの設備は整った家の中に計五名、膝を縮こまらせて座る。
「まぁまだ出来てないんだけどね。丁度良い、嬢ちゃんこの大根切っとくれ」
ワンピースの丈を気にしていた太陽に中年女は白い大根を差し出した。左手で大根を受け取り、太陽はキヨラと尹の視線の中机の横を通ってまな板の前に立つ。右手で置かれた包丁をそっと握り……大根の表面に当てる。
「ちょっと嬢ちゃん、それじゃあ切れないよ。もっとぐっと!」
肘を突きあげて太陽は押し付ける様に包丁をまな板に降ろす。ガン、と音を立てて切れた大根が転がってまな板から落ちた。
「……嬢ちゃん、もしかして料理したことないのかい?」
「……はい」
貸してごらん、と中年女が太陽から包丁を受け取る。
包丁の使い方を教わる太陽をキヨラと尹は膝を抱えて眺めていた。
「太陽、普段ナイフ使ってんのに包丁は苦手なんだな」
意外そうに小声で呟く尹に、キヨラも頷く。
「うん……」
再び包丁を握り、指導されている太陽に、キヨラは首を傾げた。
ことん、と手からすり抜けた包丁がまな板に倒れる。
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