第19話「今日という日をトボトボ歩け!」

 恋とは何か。考えてはみたものの、私には、恋が何であるか、よく、わからなかった。

 恋とは幸せであると、いつか、母親が言っていた。

 彼女のように、好きな人がいて、結婚したり、子供を産んだりすれば幸せになれるんだろうか。たぶん、それも一つの正解ではあるのだろう。でもそれは、誰かの正解であって私の正解では無い気がしていた。


 衝動に任せてペダルを踏み込んだり、下手くそな歌に心を揺さぶられたりした時、生きているって、生が私の手の中で、ぎゅっと握った手の中で、蠢いている気がした。たぶんそれが幸せだった。そうであればいいと思うな。

 この世に、いろんな宗教があるように、いろんな幸せってヤツがあってもいいんじゃないかな。それぞれ、分かり合えなくても、あァ、なんかそんなやつもいるんだな……って、ただ認識するだけで、優劣なんかなくて。


 思考がループする。夏も終わりだというのに、厚い前髪の裏に熱がこもって、頭がクラクラする。

 ……私はとにかくミヤモトと一瞬でも多くの時間を過ごしたかったんだ。ただ、それだけだった。これは執着なのだろうか? わからなかった。でもわからなくてよかった。


 「好き」なんて曖昧な気持ち、初めて人に伝えたものだから、相手がどんな反応をするか、なんて考える余裕もなかった。

 意識をミヤモトに向ける。気持ちを伝えられた彼はどんな顔をしているんだろう……


 ミヤモトは……

 めっちゃ照れていた。


 誤魔化すように頭をかいて、「あー」だとか「うー」だとか言って、顔を真っ赤にしていた。私より長く生きているはずなのに、この瞬間、彼が、まるで中学生みたいに見えて、かわいいな……なんて思い、少し申し訳ない気持ちになった。


 何分、何秒過ぎたんだろう……永遠みたいな一瞬の後に彼は一言、

「おう……ありがとな……」

 とだけ返事をして私の手を取って、川沿いの道を歩き始めた。

 彼が捨てようとしていたゴミはみんなレジ袋につっこまれて、気まずい空気から逃げるかのように気配を殺していた。


 ——


 二人共何も話そうとしない。

 私には不思議と、その時間が心地よかった。

 彼にとってもそうであればいいなと思った。


 ただずっと、あてもなく、トボトボ、トボトボと歩いていた。トボトボという擬音は間抜けで、私はその間抜けさを少し愛おしく感じる。


 ……もう何十分、何時間歩いたんだろうか。

 そんなことわからなくなっていた。ずっとこのままでいたかった。このままずっと何も言わないで、でも、何でもわかるような時間を過ごしていたかった。


 知らない道や知っている道を歩いていく。高架下にさしかかる。知らない高架下なのに、なぜだか懐かしく感じる。

 近くにあった自販機で、チェリオを奢ってもらう。私は彼に貰ってばっかりだから、今度、何かプレゼントでも贈りたいな、なんて思ったよ。今度なんてあればなんだけどさ……


 ——ガタガタッガタッ

 橋の上を列車が通る。いきなり頭上で大きな音がしたので、ちょっとびっくりした私たちは——

「わっ……」「おお!?なんだ……!?」

と声を漏らした。


 なんだか恥ずかしくなって、照れを隠すように、一緒に笑った。笑っているうちに楽しくなって、大きな声で、また一緒に笑った。緊張なんか、気がついたら消えていた。


 私は、この記憶だけあれば、この先どこへだって歩いていけるなと思った。前もそんなこと思ったんだけどさ。どうやら私は欲張りらしい。


 ——


 ひとしきり笑った後、また、手を繋いで歩き始めた。もうすぐ夜になって、もうすぐ今日が終わってしまう。


「……そういえばミヤさん、もう長くない、みたいなこと言ってましたけど、治療が難しい病気とかになっちゃったんですか……?」

 私は、気になっていたことを聞いてしまった。そんなこと、聞いたってどうしようもないのに。


「……あ、いや、その」

 彼は、晩御飯に用意していたシャケの塩焼きを、まるっと盗み食いしてしまった猫ちゃんのように気まずそうな反応をした。


「まさか、ホラ吹いてたんですか? なんか、カー! ってなって衝動に任せて、取り返しのつかないこと言っちゃった感じで……」


「あ、いや、その……お医者さんに『タバコの吸いすぎだよ! って、このペースで吸ってたら、アンタもうあと5秒で死ぬよ!』って脅されて……」

「あぁ! 俺は死んでしまうんだと絶望して……もう終わりだ! ってなっちゃって……病気とかでは無くて……あの、その、ご、ごめんなさい……」


 よかった! よかった……! 志望校に合格した時なんかよりずっっと嬉しい!! この先、生きていれば、こんな嬉しさが、たくさんあればいいな。

 いや、まぁ、ドラマチックではないと思うよ? だけどさ、マヌケなくらいでちょうどいいんだよ。

 

「一日、何本、いや、何箱吸ってたんですか?」

「……ナイショ」

 イタズラがバレた子供のようにシュンとした彼を見て、私は年上の弟と話しているような陶酔感を覚えた。これが……「萌え」……?


「ミヤさん、その……」

 彼にどう返事をすればいいか口ごもったその時——


 ——シャシャシャッ

 草葉の陰から、いつか見た、つま先だけが白い黒猫「靴下」が現れ「にゃあ……」とめんどくさそうに鳴き、ミヤさんのレジ袋を引っ掻いた。

 袋が破けて、猫用のお菓子と、朝食のゴミと、それから大量のタバコがポロポロと地面に転がっていった。


「……やけに大きいレジ袋だなとは、思っていたけど何箱買ったんですか?」

「や、増税前で、買いだめしとかなきゃって……普段はこんなに吸ってないよ?」


「……これ」

 私はポケットから取り出した棒付きのキャンディーの封を開け、彼の口に突っ込んだ。

 おやつにとっておいた大事なやつだけど、本当に些細だけど、彼にお返しができた気がして、嬉しかった。


 いちご味のキャンディーを咥えて、キョトンとして、まるで萌えキャラみたいになった彼を横目に、『禁煙の始めかた』と検索する。


 検索エンジンの一番上に出てきたアフィリエイト記事の、「参考になりましたでしょうか?」という問いに、長く吐いた、ため息で答えた。


 猫はおやつを強奪して、どっかにトボトボと歩いていった……



 了

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君は暗闇で迸る命、若さを叫べ あじその @azisono

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