現代百物語 第46話 アプサラ

河野章

現代百物語 第46話 アプサラ

 谷本新也(あらや)は律儀な男だ。連絡を入れれば即座に返信を返す。

「なのにもう丸二日も、返事がないんですよ」

 林基明が困った様子で藤崎柊輔に電話をしてきたのは5月の連休入りの直後だった。なんのことはない、連休中のちょっとした飲み会に新也を誘おうとして連絡を入れたが返事がないというのだ。

「子供じゃないんだ、そんな二三日のことで……」

 電話へそう答えつつも藤崎は特異体質の、なんに対しても律儀で押しに弱い後輩のことを思い出していた。連絡が途絶えて二日、か……。仕事はカレンダーどおりに休みだと言ってたはずだと、手帳を何気なくパラパラと見る。

「一応、今、部屋の前までは来てみたんですけど、外から伺うにどうも留守みたいで……」

 こちらも妙に律儀なところがある林が泣きそうな声を出す。

「新也くんのことだから、また妙な何かに巻き込まれてるんじゃ──」

「そうは言ってもなぁ……俺はその妙なこととあまり縁がないし」

「そんな薄情な。先輩は新也くんが心配じゃないんですか!?」

「いい年齢の男がちょっといなくなったってだけだからなぁ──……いや、もしかしたら」

 ふと、もうしばらくは行っていない路地裏の店が脳裏に浮かんだ。藤崎自身では少々洒落た美味い店という認識だが、新也曰く普通ではないモノが集まる店らしい。あそこでなら、藤崎でも何か情報を得られるかもしれない。幸い店主とは馴染みだ。

「何か思い当たる節があるんですか?」

「そう、だな……宛がないわけじゃない。少し俺の方でも探してみるよ。なにか分かったら連絡する」

「そうですか! やっぱり先輩に相談してよかった……僕の方でも連絡入れ続けてみますね」

 頭をペコペコと下げる様子が手にとるように分かる声音で林は電話を切った。


「さて」

 林との通話を切ると、藤崎はスマホを操作しあの店の電話番号を呼び出した。

 日中の中途半端な時間だったが、ワンコールで相手は出た。

「もしもし。藤崎と申しますが……」

「ああ、藤崎様。お久しぶりです」

 名前を名乗っただけで、店主は藤崎が分かったようだった。

「こちらこそご無沙汰してます。それであの」

「お連れの谷本様でしょう?──随分前からお待ちですよ」

「え?」

 これにはさすがの藤崎も首をひねった。メモのために開いていた手帳をバッと振り返ると、今日の日付で「昼十一時より会食予定」と記されている。先程確認したときには、たしかに何も書かれていなかったのに……。

「例のお客様も、お待ちです。宜しかったら今からでもお越しください。今日はお客様は谷本様と藤崎様だけですので」

「……新也が誰といるって?」

「おや、谷本様からお聞きになっていませんか? では谷本様とお約束されていた方、とだけ。兎に角お待ちしておりますね」

 そう言ったきり、電話は切れた。

「どうなってんだ……」

 狐につままれたようなとはこういうことだろうと思いつつも、藤崎はジャケットを手に立ち上がった。


 地下鉄から降りると、表通りから裏通りに入り、ビルとビルの隙間を縫うような路地を歩き右に左にと藤崎は進んだ。太陽はちょうど真上の位置にきていて足を早める。

 狭い道の突き当り。見覚えのある白い構えの店舗に洒落た薄墨の暖簾がかかっていた。店の前には相変わらず、大きな水鉢に小さな赤い金魚が水草の間をゆらゆらと泳いでいる。

 知らず識らずのうちに息が上がっていた。呼吸を整えて、額の汗を拭う。妙に湿気が多い。

 扉に指をかけると軽い重みでカラリと開いた。暖簾をくぐる。

「いらっしゃいませ」

 すぐ目の前の一枚板のカウンターの奥から店主がニコリと挨拶をした。

「奥の座敷で、谷本様とお客様が……お待ちですよ」

「……もしかして、新也は二日前からここにいたんですか」

「さあ……しばらく前からとだけ」

 やはり店主は前と同じ、若いとも年寄ともつかぬ笑顔で対応しながら躱すばかりだ。

 奥に座敷があるとは藤崎も知らなかった。カウンターの端から奥へと続く廊下に見覚えがないから、増改築でもしたのかもしれない。小さな池のある小庭を右に、左には障子が並ぶ廊下の一番奥。

「こちらになります」

 若い店員が頭を下げて障子をすっと横へ開いた。一瞬、小上がりの和室の机に縋るようにして眠る新也の姿だけが見えた。  

「新也!?」

 声を思わず上げると、机上に放り出された手がピクリと反応する。新也はすぐに気がついたようだった。

「あれ? センパ……藤崎、さん?」

 目を擦りながら顔を上げる。どうやら眠っていただけらしい。ほっと胸をなでおろすと涼やかな声が聞こえた。

「おや。……お待ちしておりました」 

 そこで漸く、藤崎は新也の目の前にもうひとり人物が座っていることに気がついた。

 年齢は二十代も半ばか。ただ、その容姿が、もっといえばそもそもの性別が判別できない。スーツを来たスラリとした美青年にも見えれば、鮮やかなブルーのワンピースを着こなした細身の美女にも見える。ただ、ふわりとした巻毛は栗色で柔らかく、切れ上がった大きな薄茶の瞳と合わせて人間離れした美人だということだけは共通していた。

 その彼(?)が新也を見て微笑み、それから藤崎に向かって頭を下げた。

「私はアプサラと申します。先だって、谷本様と知り合いまして……こうしてご一緒させて貰うことになりました。そうしたら、面白いお知り合い、藤崎様のことが話題に登りまして、お呼びだてした次第です」

「何を言っているのかさっぱりわからないが。あの手帳の手品もあなたが?」

「手品だなんて。私と……約束、なさったでしょう?」

 手を軽く差し出され微笑まれると、そうだ前からの約束だったのだとそういう気もしてくる。いや、違う、ここで会ったのが初対面だ。その前に約束なんてできるはずもない。

 藤崎は軽いめまいを覚えながら、店員へ促されて靴を脱ぎ座敷へ上がった。新也の隣へ座り、アプサラと対面する。

「……どういう手を使ったかはどうでも良い。この男を、新也を返してくれませんか。あなたが思っているよりも早く、時は流れているんですよ。ほら先程も眠り込んでいたし、そろそろ彼も疲れているようだ」

「ああ、そうですねぇ。けど、眠っていただいて構わないんですよ。私は彼を我が君に献上しようとしていたんですから」

「我が君? 献上?」

「私は外つ国から渡ってきたもの。普段は踊りを生業にしているのですが、たまたま通りかかったこの国で珍しい土産の一つでも主に持って帰りたくなりまして……」

「それが、新也か」

「いえ、まだ決めかねています。……私はあなたでも良い。あなたも谷本様と同じくらい変わった気配をされておられる。我が君は人間が大好きでしてね」

「……人間を食うのか、それともペットとして飼うのか?」

「そんなひど言いようをなさらなくても。──ご想像にお任せします」

 どちらにしろ碌なことにはならないようだと藤崎は浅く息をついた。先程からアプサラの方から香のような匂いが香ってきていて考えが纏まりにくかった。藤崎にしては好戦的に話を進めてみたものの、相手はニコニコと笑うばかり、横では二人のやり取りを新也が黙って聞いているのみだ。

 いや、黙って聞いていることしかできないということなのかもしれない。藤崎のすぐ脇についた新也の手が細かく震えている。

「……ちの……」

 新也が絞り出すように声を発した。

「……つちの、……にいる……」

「なんだって?」

 横に座る新也は入ってきた障子の当たりを見ている。

「つちの……したにいる……」

 そう言い終わるとあげようとした手をパタリと落とし畳にズルズルと体を伸ばしてしまった。どうやら力尽き眠ってしまったようだ。

「異なことをおっしゃる。しかし眠ってしまわれたなら頃合いでしょうか。……お連れしても構いませんか? 何、悪いようにはいたしません」

 それとも一緒に参られますか? と誂うように問われ、藤崎は焦った。このままでは新也を連れて行かれてしまう。

 アプサラは立ち上がり、藤崎をちらりと見てから新也に歩み寄る。

 側を通り抜けたアプサラは今や細身の男でも美女でもなかった。背へと鳥の鮮やかな羽を生やし、素肌に薄い天女の衣を羽織った美丈夫の男だった。筋肉の張る肩から背へはゆるく長い髪がなびいて、瞳も金色に輝いている。

 土の下にいる。

 新也はそう言った。土は近くにあった。ここに来るまでの回廊が土間だったのだ。靴を脱いでこの座敷に藤崎は上がった。しかし、その土間におかしなところはなかった。真っ直ぐな回廊に隠れる場所もない。一箇所を除いては。

「俺は単純だからな。新也、信じてるぞ」

 藤崎は二人に背を向けて、障子を開け放った。アプサラが止める前に、畳へ膝をつくと身を屈めて新也が履いてきたと思しき革靴をばっとその場から持ち上げる。

「っ!」

 土の中の大きな金色の瞳と目があった。

 ギョロリとこちらを向く瞳孔は真円で、まばたきをする瞼には魚のような黒い鱗がある。瞳は大きく、藤崎の手のひらほどもあり、地中にどれだけ大きな生き物がいるのかと藤崎は珍しく総毛立った。

「我が君!」

 アプサラが驚いたような声を上げた。藤崎の目の前の瞳は応えるように二三度瞬きをすると、土間がぐらりと傾いだ。まるで龍の背骨のように波打つ廊下はひとしきり揺れると瞳が消えると同時にすっとその動きを止めた。

「主の姿を見られては仕方ありません」

 あまり残念でもなさそうに、どちらかといえば面白そうにアプサラが告げた。姿は前の男とも女とも見える姿に戻っている。横たわる新也の体を軽々と抱き上げると、藤崎が止める前にしぃっと指を立てて見せた。

「なに、カウンターまでお連れするだけですよ。今回は引くことにします」

「今回もなにもない」

「そうおっしゃらずに。我が君は退屈しておられます。また機会があれば参りますゆえ」

 首を傾げて言うアプサラに連れられて、土間を歩く。気づけば、カウンターの前に新也と二人、様々な料理を前に酒を飲んでいた。アプサラの姿はない。

「え……?」

 いつの間にか起きていた新也がきょろきょろとあたりを見渡す。

「……彼女は……?」

「美女とまる二日間も飲んでたっていうのか、お前は」

「ええ!? 二日間?」

 どうやらアプサラが美女に見えていたらしい新也はしきりに首をひねっている。

「連休の前日に、駅前で声をかけられたところまではよく覚えているんですけど」

「林が心配していたぞ、連絡してやれ」

「うわ!本当だ……着信がいっぱい」

 そこへ碗を店主が二人の前へと差し出した。コースの締めの天茶漬けだ。

「……新也がここを奇妙だというのが、少しわかりましたよ」

 カウンターの横には廊下などない。その真っ白な壁を見つめながら藤崎はため息交じりに笑った。

「どうぞ、これからもご贔屓に」

 店主がニヤリと控えめながら口元を歪ませるのを見て、藤崎も苦く笑った。


【end】

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