エピローグ

 あれから二年が経ち、今この原稿を書いている時点で特に誰かに不幸があった、ということは無い。私は今も看護師をしており、日々の業務に粉骨砕身する毎日である。

 二〇二一年現在の情勢下で帰省が叶わぬため、郷里で出会った人々とは電話越しに近況を聞くにとどまっている。この原稿に書き記す各々の許可も電話越しに得たものだ。

 佐々木夫妻とも、あれからよく連絡を取るようになり、日々度合いを増す佐々木の親馬鹿ぶりに知恵が辟易しているらしいと聞く。が、瑞樹の絵を褒めた際に見た佐々木のにやけ顔を報告した時、知恵もまた一瞬同じ表情をしていたので、やはり夫婦とは少なからず似てくるものなのだろう。

 小学五年生になった瑞樹は不穏な行動も落ち着きを見せ、友人たちと毎日遊びつつ絵を描く姿がよく見られているという。高校生になった大樹とも時折一緒に下校しており、仲の良さは健在だそうだ。

 待ち合わせ場所にはやはり千代と出会ったあの皆鹿目第三公園を使っているというが、あれ以来空のブランコが揺れ動く姿を見ることは無くなったという。

 私の母と祖母とも電話連絡を密にとるようになった。電話口では非常に元気な声が聞けているので安心しつつ、情勢が落ち着いたらまた会いに行こうと考えている。



 さて、ここで私が何故二年も前の出来事を書き起こそうと考えたのか、その切掛けとなった話を書いておこうと思う。

 あの後、私は妙な胸騒ぎと共に、どうしても山口千代の母親である真由子の行方が気になっていた。しかし、どうやって調べればいいのか見当もつかず諦めかけていたのだが、一年経った頃の暑い夏の日、市川氏を紹介してくださったあの女性から連絡があったのだ。

 本文中では省略したが、その女性はご夫婦で現役の自営業をされている。そこの顧客の一人に私の事を話したところ、その人物が真由子の行方を知っていたというのだ。

 事件発覚から一年後、遺棄罪等にて実刑判決を受けた真由子は五年間の懲役をえて出所。その後は県外にいた友人を頼って移住し、風俗などで生計を立てていた。

 しかし、移住から三年経った一九七七年、友人との旅行中に海で溺れた彼女はそのまま帰らぬ人となってしまった。溺水自体に事件性は無かった為、特に報道に載る事も無かったのだろう。

 だが、この話をした顧客は『事件の際に妙な目撃情報があったらしい』と女性に言った。

 それは、真由子が溺れている事に気づいた最初の人物が、集まった衆人の前で何度も何度も警察官に訴えていた事だった。

 『溺れている女性の足元に女の子がいて、足を掴んで引きずり込もうとしていた』

当然、警察官は『海藻か何かを見間違えたんだろう』とそれを諫めていたそうだ。が、それを聞いていた衆人の中から、こう尋ねる声が上がったという。

 『それって、赤いスカートの女の子じゃなかったか? 』と。

 それは皆、当時浜辺で事態を見守っていた人々だった。彼らが沖の方を何事かと見ていた時、その中に赤いスカートを履いた少女がいた。


 その少女は、溺れている真由子を見て楽しそうにニヤニヤと笑っていたそうだ。


 ――この話をした人物こそ、真由子と旅行に行っていた友人であり、彼女が溺れた海岸は、皆鹿目町の隣町にある海水浴場であったという。

 彼女の魂はこれからも彷徨い続けるのだろう。そこに水がある限り。


最後に、この原稿を書くにあたっては改めて本谷住職と酒井禰宜に連絡をとらせていただいた。お二人とも健在であったが、本谷住職は今も町で、赤いスカートを目にしているという。

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幽霊の町 彼方 @far_away0w0

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