第10話「伏し目がちな君と」

 和太鼓部の出番まであと二十分。


 俺たちは講壇の袖で固まっていた。ちなみに衣装は代々受け継がれてきた法被はっぴと、各自で選んだ鯉口こいぐちシャツと、お揃いの股引ももひき。普段はジャージ姿で叩いているから新鮮に感じるのか、部員たちは浮足立っている。


 部長と副部長が音頭を取って、みんなで円陣を組んだ。「ファイト、オー!」というかけ声なのかはわからないけど、みんな気合入っているのは確かだ。


 円陣からばらけ、ペアになった者同士は最終的な動きを確認している。俺はつい六歌りっかの姿を見——六歌もまた、俺を見返した。


「もうすぐだね」と彼女は言った。


「緊張している?」

「いや、全然」

「凄いね、狼山ろうやまくん。わたしなんか心臓どきどきいってる」

「そんな風には見えないな」

「そう見えるだけだよ。狼山くんはほんと、クールだね」

「はは……」


 六歌は俺の顔を覗き込み、「狼山くん」


「もしかしてさっき、わたしのクラスに来ていた?」

「え、あ、まあ……」

「入ってくれればよかったのに」

「そう、だな。でもちょっと用事があってさ」

「どんな用事? って、立ち入ったことを聞くのはよくないよね」


 発表の時間が迫る。


 俺と六歌は二人で大太鼓の取手を持ち、講壇の上へ運んでいった。照明が六歌の横顔の輪郭を照らしていて、眩しかった。


 発表まであと五分。


 顧問が講壇に立ち、マイクを手に持っている。俺と六歌は大太鼓の手前で膝をつき、バチを持って待ち構えていた。


 六歌が顔を向ける気配がした。


「がんばろうね」と言っていた。


 俺は「ああ」とできるだけ力強く、うなずいてみせた。




 発表はまずまずの結果に終わった。


 他の部員たちにミスがなかったわけじゃないし、途中で音がズレたり、バチを振る方向を間違えることもあった。俺も二度くらいはミスをした。とはいえはじめと終わりがきちんとできていれば、印象としては悪くはない。


 部員たちは太鼓を音楽室に運んでから、わいわいと盛り上がっていた。中には六歌に話しかける女子もいて、俺は意外な気持ちでその光景を見ていた。


 ひとまず着替えのため、いったん解散。


 自分の教室で着替え終えると、南が近づいてきた。「お疲れ!」と言っていたのはわかったので、こちらも「お疲れ」と返す。


「うまくいったな!」

「ああ、そうだな」

「ところでさ、————、ているのか?」


 俺は首を傾げた。


 南は頭をかき――それから思いついたようにホワイトボードに駆け寄った。珍しく真剣に伝えたいことがあるらしい。


〈狼山くんってさ、犬塚さんとつき合ってんの?〉


 俺は胸を突かれ、「まさか」と首を振った。


〈みんなウワサしてる〉

「そんなことないって」


 そうだったらいいけれど。


〈変なこと聞いて悪かったな〉


 南はそう書いてからボードの文字を消した。本当にそれだけが聞きたかったらしい。


 着替えと帰宅の準備が終わった俺は、廊下に出た。日没が近く、学祭も終わり間近だ。


 ふと、六歌の姿を見かけた。着替えの終わっている彼女は上階へと向かっていく。なんの用事があるのだろうと思い――つい、追っかけてしまった。


 これってストーカーだろうか。


 六歌は音楽室に入っていった。もう誰もいないはずだ。扉の窓から覗き込むと、六歌は運び終えた太鼓の前でとんとんと面を叩いている。


 さっきの発表で何か思うところがあったらしい。


 俺はできるだけ自然に、そして音を立てないように扉を開けてみた。


「あ、狼山くん」


 陰の差した顔がぱっと明るくなる。「やあ」と俺は手を上げてみせた。


「さっきのわたしの太鼓、どうだった?」

「よかったよ。とても初心者とは思えないぐらい」

「狼山くんが引っ張ってくれたおかげです」


 冗談のつもりらしく、深く頭を下げる。


 六歌は太鼓の面に視線を下ろし、ため息をついた。


「どうかした?」

「どうしたんだろうね。自分でもよくわからないや」

「というと?」

「楽しかった。楽しかったのに、胸にぽっかり穴が空いてる感じ。どうしてなのかわからないの。わたし、どうかしてるのかな」

「…………」

「ごめんね、突然こんな話をして」


 窓から陽が差し込んで、俺と六歌との間に太鼓の影が長く伸びた。


 俺はすっと息を吸い込んでから、一歩踏み出した。


「あ、あのさ」

「う、うん……」

「犬、塚、さんはさ。顔を上げた方が美人だと思うよ」

「……え?」

「気を悪くしたらごめん。でも、俺はもったいないなって、思ってた。太鼓だって上手いし、きちんと人に合わせられるし、それで、えっと……」


 あたふたと言葉を探している内に――六歌が吹き出した。


「無理して褒めなくてもいいよ」

「い、いや無理なんか……」

「でも、ありがとう狼山くん。そういうことを言ってくれる人って、わたしの周りにはいないから」


 はぁー、と息をつく。


 そして六歌は顔を上げた。彼女の口元が、目がはっきりと見える。


「これでどうかな?」

「ああ、うん……いいと思う」

「ありがと。……あのさ、狼山くん。太鼓って楽しい?」


「そうだな」と俺はうなずいた。


「組んでいる人がわたしみたいな下手な人でも?」

「からかうなって。それに、謙遜するなって」


 くすくす、と六歌は肩を揺らした。


 それから彼女は自分のバチを鞄に戻し、俺に向き直る。


「なんだかすっきりしちゃった。もう帰らない?」

「そうだな、それがいいな」


 俺と六歌は音楽室から出て、それぞれ鞄を持って――校門まで一緒に出た。その間特に言葉を交わしたりしなかった。


「じゃあ、またね」

「うん、また」

 六歌と別れ――俺は彼女の背中を肩越しに見ていた。


 告白するチャンスだった、んだろうか。




 帰宅して、あの用紙を引っ張り出した。


(六歌)の下に(悩み事?)と書く。その悩み事がどのようなものかはわからないけれど、彼女なりに気にしている。


(俺に解決できる?)——(ノー)


(人に相談してみる?)——(鹿野山先生?)——(わからない。保留)


(六歌のことが好き?)——(イエス)——(力になりたい?)——(イエス)


 ここまで書いて、行き詰まりを感じた。


 彼女が何を気にして何を悩んでいるのか、まだわからない。話してくれるかどうかも。


 それを抜きにして俺の気持ちを伝えるのは、まだ早いような気がする。


 告白しない、できない言い訳だろうか。


 何ひとつ進展していないかもだけれど――それでも六歌が顔を上げてくれたのは俺にとって喜ばしいことだ。


 今はそれでいい。今はそれでいい。


 俺は半ば自分に言い聞かせるようにして――伏し目がちな彼女が顔を上げた瞬間のことを、思い返していた。

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