第9話「学祭」

 学祭当日。


 クラスの出し物(ちなみにコスプレ喫茶)の休憩時間になったので、俺は単身で歩き回ってみた。ちょっとした遊技場やお化け屋敷などがあったが、中に入ることはしないで外から見ているだけに留めた。


 廊下の向こう側からホットドッグを片手にやってきたのは、鹿野山かのやま先生だった。

〈おう、楽しんでるか? 一人か?〉

〈まあ、一人です〉

〈一緒に巡る友達も恋人もいないのか〉

〈失礼です。後者はセクハラにもなります〉

〈固いことを言うなよ。これからお前のクラスに行ってみようと思っていたところなんだ。案内してくれよ〉

〈面白くないですよ〉

〈それは俺が決めることだ。じゃあ、行こうじゃないか〉


 先生は半ば強引に、俺を連れていった。


 コスプレ喫茶に入ると、女子たちがわっと歓声を上げた。モテモテな鹿野山先生は鷹揚に手を上げて、適当な場所に腰かける。俺もそれに続いた。


「————、————」


 適当な注文を済ませた先生は、「さて」と身を乗り出した。


〈それでどうだ? 噂の犬塚とは仲良くできているのか?〉

〈わからない〉

〈というと?〉

〈多分、俺は……その、犬塚さんのことが好きなんだとは思う〉

〈その言い方。何かあったのか?〉

〈……怖いんだよ。俺みたいなのが人を好きになっていいのかって。もしもこの気持ちが犬塚さんにバレたりしたらって。そんで……もしも俺から遠ざかるようなことがあったらって思ったらさ。色々考えてさ、怖くなる〉

〈んん、そうか〉


 女子からジュース入りの紙コップを受け取る。


 鹿野山先生はそれをぐいっと飲み干してから、〈それで?〉


〈それでって?〉

〈お前はどうしたいのかって話。犬塚とつき合いたいのか?〉

〈そうなる、のかな〉

〈遠くから見ているだけでもいいのか?〉

〈違う、と思う。それだけじゃ満足できない気がする。犬塚さんと太鼓を叩けるだけでも楽しいけれど……もっと、話したいって思う〉

〈それがつき合いたいって感情だ。一緒にいたいってのもあるな〉

〈…………〉

〈怖いか、そういう気持ちと向き合うのは〉

〈まあ、うん〉

〈別につき合ってもいいじゃないか。今さら人からの評判なんて気にするクチでもないだろう〉

〈俺はよくても、彼女がどう思うかはわからないじゃないか〉

〈まあ、そうだな。聞いてみないと、言ってみないとわからないことってのは山ほどあるからな。男と女の関係なら余計にだ。それなのにお前は障害のことも絡めて考えている。違うか?〉

〈違わない〉

〈彼女とは普通に話せているんだろう?〉

〈…………〉

〈一体、何を気にしている?〉


 俺は言葉に詰まった。


 クラスメイトからの好奇の眼差しを感じる。手話で話しているのが珍しいのだろう。相手が鹿野山先生ともなれば、余計にそうかもしれない。

でも、この視線がもしも六歌りっかに向けられたとしたら。


 それを六歌が気にするようなことがあれば。


 俺はその時に、「大丈夫だ」って言ってあげられるだろうか。


〈難しいな〉と先生は頬杖をついた。


〈俺にも経験がある。女子に恋をして、なんとか気を引こうと必死になって、そういう自分の情けなさみっともなさにぐるぐる回って。でもなあ、それは障害のあるなしに関係なく誰にでもあるもんだ〉

〈……先生は障害がないからそういうことが言えるんだよ〉


 言って、後悔した。俺の気持ちなんかわかりっこないって、自分から壁を作る発言だ。


 でも、先生は苦笑しただけだった。


〈耳に痛いな。まあ、確かにその通りだ〉


 俺は紙コップに口をつけた。喉がカラカラする。


 先生は頬杖を解き、〈これから太鼓を叩くんだろ?〉


〈そうだけど〉

〈俺も見に行く。犬塚と一緒に叩くんだってな〉

〈そうだよ〉

〈月並みですまないが、頑張れよ〉

〈……うん〉


 先生は立ち上がり、俺の分まで勘定を済ませた。


 背中が見えなくなるのを見計らってから、俺も教室から出た。ふと、なんとなく気になって、俺は隣のクラス――六歌のいる教室を覗いてみた。六歌のクラスはちょっとしたカジノをやっている。その中に、タキシード姿の彼女がいた。スタイルがいいから様になっていて、おもちゃのルーレットのボールを回している。


 でも、相変わらずここでも伏し目になってる。


 一回だけでも話しかけた方がいいのではないか。


 けれど――この状況ではためらわれた。多くの生徒が見ている中、俺が六歌に話しかけられたらどうなるだろう。


 俺は扉の陰に隠れるようにして、遠巻きに彼女の手の動きを見ていた。綺麗な指だ。もしも手話で話せるようになれれば、もっと彼女のことが好きになるかもしれない。


 できっこないよな、と思ってしまう。


 手話を一から覚えるのは大変だしな。


 俺は六歌のクラスから離れた。発表まであと一時間程度。


 それまでにどうやって時間を潰すかを考えて――何も思いつかなくて、結局校舎内をぶらつくだけで終わった。

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