第8話「珍しく、意地悪く」

「うまくいったね、狼山くん」


 あの夏の日と同じ場所で、俺と六歌りっかはアスファルトの上に腰を下ろしていた。


「うまくいって、よかった。これなら学祭でも、大丈夫かもしれない」

「そうなるといいね。……ねえ、狼山くん」

「どうした?」

狼山ろうやまくん、なんか変わったよね。太鼓の叩き方っていうか」

「そうかな?」

「うん。狼山くんが上手いのは相変わらずだけど、ちゃんと周りのみんなも引っ張り上げているって感じ」

「そうかな……」

「実力がないとできないよ。なかなかね」


 はあーと大げさにため息をついた。


「わたしね、狼山くんがうらやましい」

「何を言うのさ」

「本音だよ。狼山くんみたいに、一匹狼を貫けるわけじゃない。誰かとつながってないと不安なのに、誰かと合わせられるものがないの」

「…………」

「ダンスでも、太鼓でもそう。周りと合わせられないってわかると、逃げ出しちゃいたくなるの。これじゃあダメだって自分でもわかっているのにね」

「ダメ、なんだろうか」

「うん。わたし、ダメなんだ。昔から真剣に打ち込めるものがないの。人に合わせるために、なんかやってるって感じ。さっきのだって気持ち盛り上がったけれど、ふと冷めちゃう時があるんだ。こんなものなのかなって。そう考えている自分が――――、嫌になるの」


 六歌は癖のように、伏し目がちになった。


「——の時からバレエやってたんだけど、小学校に―――—辞めちゃった。スポーツもピアノもやっていたけど、ダメだったの。これ以上続けなくてもいいかなって。——に打ち込めている人を見ていると、ああうらやましいなって。わたしってなんだか中途半端な気がしてさ。彼氏がいても、すぐに別れちゃうし」


 彼氏。最後の一言で、思考を奪われそうになった。


「狼山くんがうらやましいな。一生懸命で」

「それ以外にできること、ないから」

「わたしにはひとつもないの。だからだよ」


 何を言えばいいのかわからなかった。


 六歌はつま先の地面を見下ろしていた。俺からの答えなんて待っていないのかもしれない。


 俺はうつむき、腕を組み、思考を巡らせたけれど、気の利いた言葉なんて思いつかなかった。


 言えるのはこのぐらいしかない。


「俺には太鼓しかできない。人とうまく話せない」

「……?」

「その、俺は……それを聞こえないからってことにしてる。周りに合わせられないことを障害のせいにしてる。そうしておけば楽だから。俺だって、人に褒められるような立派なことはしていないよ」

「そうかな」

「そうだよ。太鼓でも悪目立ちしてるみたいだし」

「ま、ちょっと前まではね。でも気にすることないんじゃない?」

「あ、思ってたのか」

「ちょっとね。でも、最近はみんな狼山くんに負けてられないって言ってるよ」

「そうなのか?」

「まだまだ狼山くんには敵わないかもだけど、ね」


 知らなかった。


 というよりは、知ろうとしていなかっただけかもしれない。


 六歌は腕をぐぐっと伸ばし、長い息を吐いた。


「なんだか疲れたね」

「そうだな」

「学祭、楽しみ?」

「……かもしれない」


「何それ」と六歌は笑った。俺もつられてぎこちなく笑う。


「狼山くん、学祭で一緒に巡る人っているの?」

「……いない」


「ふぅん」と言って、立ち上がる。


「わたし、今フリーなんだけどな」

「え?」

「あーでも、友達から誘われてるんだった。断っちゃったらまずいから、今のは聞かなかったことにして」

「いや、でも……」

「聞かなかったことにして。ね?」

「……うん」


 その後たわいない会話を交わして――その場で別れた。


 帰り道を歩く傍ら、俺は六歌の言葉を思い返していた。フリーとはどういう意味なのだろう。彼氏がいないということだろうか。もしくはただ単に、学祭で一緒に巡る相手がいないということだろうか。


 どっちだろう。どっちなんだろう。


 考えてもわからない。確かめるのも怖い。


 帰宅してから俺は、鹿野山かのやま先生からもらったあの用紙を穴が空くほど見つめた。ひとまず(犬塚)の下に(現在フリー?)と書いてみる。


 そこでペンは止まった。


 一体何を書いているのか、俺は。


 用紙を放り出して、俺は寝ることにした。胸の内で得体の知れないものが渦巻いていて、中心からどろりとした液体がこぼれ落ちそうに思えた。放っておけば――火傷しそうな――熱い、感情。


 心臓が高鳴っている。


 六歌の、珍しく意地悪そうな笑顔がまぶたに焼きついていた。

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