六話:夏越の大祓

「おじゃまします。」

「ああ……。

悪い、タイマーをかけ忘れた。 飲み物を持ってくるから少し我慢してくれ。」


稼働音を立ててエアコンが温い風を吐き出す。

硝子製の座卓の下に白いコットンバッグを置いた楓は、背後のベッドに凭れて膝を抱えた。

ファブリックミストの香りなのだろうか、ウッドベースに胡椒こしょうが混じったようなオリエンタルな香りが鼻を擽る。

川崎家はいつお邪魔してもモデルルームのように洒落た家だ。一樹の部屋は特に生活感が薄く、テレビ台代わりの本棚に納められた幾つかのゲームソフトと教科書以外からは部屋主を窺えるものが見付からないはずだった。

部屋に入ってきた時には気付かなかったが、扉の上に画鋲で御守りのようなものが飾られていた。

珍しさに目を凝らせば、青い井草のようなもので出来た輪っかに御札のような小さな習字紙のようなものがくっついているのが見えた。

正月の玄関飾りよりはずっと簡素だが、今はそんなものを飾る時期だったろうか。


いつもシンプルな一樹の部屋には浮いて見えるそれに気を取られているうちに段々部屋が涼しくなっていく。

今年はまだ蝉の鳴き声を聞いていない気がするが、今日は朝十時前にしてもう三十度を越える猛暑だ。

楓の住む黒坂町くろさかまちは日本海側に位置し、極めて湿度が高い。

冬の雪も厄介だが、夏の湿度も辛かった。


「待たせた。ただの炭酸水なら大丈夫なんだよな?」

「うん。ありがとう一樹。」


お盆を手に戻った一樹の声に慌てて居住まいを正す。楓を笑って手で制した一樹は楓の正面に胡座をかいて座り、金色のエンゼルフィッシュが泳ぐ細長いグラスを二つ卓上に並べた。それぞれには三つ氷が入っている。

ジンジャーエールのボトルキャップを外してラッパ飲みをしながら一樹がエアコンのリモコンを弄る。除湿から冷房に切り替えるようだ。

楓も受け取ったペットボトルからグラスに炭酸水を注ぐ。氷が入っているせいか、思いの外泡立ちが良くて慌てた。


「……暑いな。テレビでも点けるか?」

「いいよ。机動かす?背中向けてて見辛くない?」

「いい、気にするな。」


楓が返事をするよりも早くエアコンのリモコンを置き、パチパチとテレビのチャンネルを回し出す一樹は蓮司より関白くさい。

一頻りチェックをしたものの結局見たい番組が無かったのか、ハードディスクから旅番紙を選んで再生している。芸人がメロンのヘルメットをしてバイク旅をするやつだ。

リモコンを握り締めたまま首を捻ってテレビを見始めた一樹を気にせず、楓も社会のドリルを開いて勉強を始めた。




「こういう風にテレビで、風土だとか地形だとかを見るとピントくるんだけど……。

この県は葱の生産が豊富!以上!みたいな丸暗記だと漠然としているんだよねぇ。」

「まあな。」

「理科と社会の進捗が重なっていたら分かり易いんだけど。」

「無理だろうな。理科はやることが多すぎる。ダイジェストでバンバン進んでいかないと科学も地形も物理もだなんて、終わらん。」

「そっかぁ。面白いなぁって思うと次の単元って感じなんだよね。」

「ああ。続編は進学の後といった感じだろう。」

「あー、そういうの僕だめ。完結済み作品をガツンと読みたいタイプ。」

「奇遇だな。俺もだ。」


にやりと悪どい顔で笑う一樹に軽く手を揺らしてドリルを閉じる。

ティッシュを二枚引き抜いてグラスまわりに溜まった結露を拭き取って、気の抜けた水を煽る。

丁度その時、視界の端を掠めた若草色に気を取られて目を向けると、楓の視線を追って一樹が口を開く。


「あれか。婆さんが毎年送ってくるんだ。」

「京都の?」

「ああ。先日ニュースになっていただろう?夏の大祓ってやつだ。」

「ああ、草のトンネル潜るやつ?

毟って持って帰らないでって呼び掛けてるよね。」

「ああ、それの小さいやつで茅の輪守りと言うそうだ。

俺もどうせ夏休みに遊びに行った時にやるんだが、先にやっている所で買って送ってよこす。

ほら。」

「ありがとう。

へぇ……。なんでこの形なんだろ?注連縄ともお正月の飾りとも違うよね?」

「わからん。

元々は神様が民泊した際にお礼として、授けてくれたものらしい。これを腰に下げると疫病から逃れられると。」

「腰?」


クローゼットから踏み台を取ってきた一樹が飾りを取り外して楓に手渡してくれる。

掌にポンと乗せられたそれは畳のようなザラリとした手触りで、青草の良い匂いが微かにする。

一樹の話を聞きながら腰骨の上に翳す。腰を回した序でに肘を当てて擦ってしまいそうで怖い。

ブレスレットというには少し大きめだし……。

飾りを空に翳してしげしげと眺めてみる。僅かに青みがかったようなダークグレーの天井が見える。

今度は腕に通してみる。楓の腕には大きいだろうが……――


――――スポンッ。



「えっ……?」

「どうした?」

「え、いや、なんか今変な音が……。」

「……そうか?」

「うん……あれ?」


首を傾げながら草の輪から腕を抜く楓を、怪訝そうな顔をした一樹が見ている。

差し出された手に草の輪を乗せると、一樹がまた元通り扉の上に飾り直した。

なんとなく狐に摘ままれた思いでその背を眺めていたが、結局上手く言葉にする事もできずもだもだとしているうちに昼食を促す一樹の母の声が届き、その思考は四散してしまった。

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駄菓子屋まんげつ ねろ @lavender3274

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