運命の相手は、幽霊だ 3

 視聴覚室は、いつか呼ばれた日のように――いや、それ以上の静寂に包まれていた。

 ノックして、中から「どうぞ」と許しを得たはずなのだが。

 開けてみれば、室内はカーテンが閉められ、明かりがついていない。声の主の姿が見えなくて、踏み込むのを躊躇してしまう。

 その場でじーっと中を観察していると、


「どうしましたか」

「うっ!? びっくりしたぁ……な、なにやってるんですか、有臣先生」


 引き戸のすぐとなりに立っていた先生。

 管理センターで会った以来。数日ぶりの再会だった。今日も黒いスーツでびしっと決めている。

 ていうか、よく考えたらこの人、一々着替えてるのかな?


「そういえば先生、今日はお休みでは?」

、お休みですね」

「あ、ああ、そういう……すみません、有臣さん」


 ふ、と有臣さんが笑みを浮かべる。よくわからない人だ。


「とにかく、時間も限られています。どうぞ中へ。どこでもいいのでお座りください」


 促されて、僕はカーペットの床へと入った。

 引き戸の先に踏み込むと、有臣さんは当然のように引き戸を閉めた。まだ席にも着いていないというのに。これでは手探りでたどり着かなければならない。ちょっと辛辣ではないですか、いくら昼休みが限られているからといって――

 見計らったように、パッと明かりが点いた。

 初めて呼ばれたときと同様、スクリーンの周りだけが暖かみのある光で浮かび上がる。傍らには好調先生が腰掛けていた。あの日と変わらぬ微笑みを浮かべている。


「お、お久しぶりです」

「ええ、大事に至らずなによりです、詩島くん」


 挨拶を交わしつつ、席に着く。

 今日は見染目を待つ必要はないようで、僕が腰を落ち着けるとすぐに始まった。入り口の鍵がかけられ、視聴覚室は僕と校長と有臣さんだけになる。

 ポーチライトの下で、校長が指示を出す。入り口付近から操作されたプロジェクターが動き出し、スクリーンに映像が映し出された。以前にも目にした、管理局のロゴだ。

 懐かしくもあるそれを確認して、校長は聞き慣れた咳払いから入った。


「では改めて。管理局を代表し感謝を申し上げます。詩島くん。君は我々の期待以上の働きをしてくれた。今の平穏な『リラ』があるのは、君のお陰だ」

「……僕は手のひらの上で踊らされていた気しかしませんが、そうですか」


 そんな返しに、校長は笑った。

 「騙すような真似をして悪かった」と付け足し、続けて言う。


「我々にとって、端紙リオという存在は不確定すぎる存在だった。だがそれ以上に危険だったのが片踏マナだ。彼女は――いわゆる、過去の汚点とでも言うべき存在でね。現在の技術に至るまでの、過激な研究によって生み出された幽霊だった」

「今の『リラ』では、片踏マナが経験したような研究は行っていない、ということですか」


 校長が首肯したことで、僕は胸を撫で下ろした。

 死んだ人間の記憶に生前と全く同じ経験を積ませた産物。それが片踏マナだ。彼女は自殺で命を落とした。それほどまでに追い詰める人生を再現させれば、当然彼女の幽霊だって世界を憎む。

 そうやって暴走した片踏マナが端紙のたった一度の罪を継いだことで、『リラ』は狂ったのだ。


「では、もう片踏マナのような幽霊は生まれないのですね」

「そうだね。君たちのお陰で、すべてが終わった」


 そこまで話すと、校長は「さて、」と話題を切り替えた。

 ふぅ、と一息いれ、空気をさらに弛緩させる。ここまでは平和であることの確認だった。ここからは別、即ち、


「報酬の話をしていなかったね、君とは」


 報酬。

 頭の中で繰り返し、僕は考えた。

 そういえば、管理局からの依頼で始まったこの数日間には、報酬が提示されていなかった。最初に定めるべき事項を、僕は端紙をみつけたことで飛ばしてしまっていたようだ。

 校長は、今ここで決めようと、そう提案しているのだ。


 だけど、突然報酬なんて言われても浮かんではこない。

 大金だとか、卒業に際し必要になる確実な進学先だとか、誰かが言い出しそうな見返りはいくらでも浮かぶ。けれど、それが自分の欲しいものであるかと問われると怪しい。

 ……無欲、というわけではない。

 僕に欲しいものなんて訊いたら、それはひとつに決まってしまうのだ。

 だから、どんな輝かしいモノも掠れてしまう。

 きっと永遠の命を可能にするとしても、欲しないだろう。


「……」

「悩むかい?」


 校長は優しげに待ってくれている。

 それに甘えて、視線を俯かせる。膝のうえで握り込んだ拳が汗を意識する。

 脳裏によぎったのは、の光景だった。


 光に呑まれ消えていく、端紙リオの顔。

 儚い微笑みを浮かべ、満足したように別れを告げる言葉。

 刻まれた一瞬。ぼろぼろで眺めた、朝焼けよりも短い夜明けの色彩。


 僕のハルジオン。

 できるなら、もしも可能なら、僕は彼女とまた会いたい。


 消えるあの瞬間。耳に残った声音は、どうしても僕を掴んで離さない。


「なんでも、いいんですか」

「ああ。他ならぬ君の願いだ。我々に可能な範囲で応えよう」


 できるのか。可能なのか。

 わからない。

 でも願いらしい願いなんてそれしか思いつかない。


 ――『いつかまた、私をみつけて』


 彼女はたしかに、そう残したのだ。だから。


「校長」

「なんだい」


「僕は――端紙リオに会いたい」


 切なる願いを言葉にした。

 どうしても叶えたい夢を表現した。

 消させないと誓ったけれど、僕は守り通せなかった。だったら、取り戻すしかない。彼女自身もその道を託したのだから、僕は応えたい。

 なにより詩島ハルユキ自身が、それを望んでいる。


 死者と歩むなんて間違っている?

 倫理観が欠如している?

 あっていい話じゃない?


 わかっている。それが罪だとしても、僕はもう一度だけ、


「もう一度だけでいい。僕を端紙リオに会わせてくれ」


 校長の目をまっすぐ見つめる。

 意思の決まった僕はもう折れない。彼女とのこれからがあり得るのなら、何を犠牲に支払ったっていい。そんな覚悟で試すような眼孔を見返す。

 視聴覚室は沈黙に包まれていた。

 僕はもちろんのこと、校長も行く末を見守る有臣さんも口を挟まない。


 いったいどれだけそうしていただろうか。

 ふっと、校長は見定めていた瞳を閉じた。肩の力を抜いて、口元に薄く笑みすら浮かべた。まるで観念したかのような態度に、僕は返答に身構える。


 しかし、返ってきたのは意外な一言だった。


「それを聞いて安心したよ」

「……え?」


 自分でもどうかと思うほど間の抜けた声がこぼれる。

 それは……どういう反応なんだ。オーケーということでいいんだろうか? 端紙リオを蘇らせてくれるのだろうか。

 余程おかしな顔をしていたのかもしれない。よく見ると、あの有臣さんすらも笑みを浮かべていた。

 いよいよわからない。なんだこれ。怖い。いやほんとに怖い。


「詩島くん」

「は、はい。なんでしょう校長」

「君の願い、たしかに聞き届けました。では、覚悟はよろしいですか?」

「は……えっと、覚悟って、なんの」


 なにを言っているんだこの人。待って、なんで腕を掲げるんですか。

 そんな仕草、まるで大砲を撃つ合図と同じじゃないか。何をする気なんだ、この人たち。

 取り乱す僕を置いてけぼりにして、腕が振り下ろされる。有臣さんがパソコン――いつの間にか立ち上げていた――をカタカタと操作する。

 次いで、スクリーンに映された映像が切り替わる。


 白い背景にミドリのロゴが映っていたのが、音もなく消えて。代わりに真っ黒な四角形が表示された。

 そこに――ひょこ、と何かが乱入してくる。

 校長が笑みを深めながら説明する。


「いやね、さっきまで会話していたのだが……君が来た途端に隠せと言うものだから、タイミングを逃してしまった」


 僕は目を見開いた。

 透き通った水のように、耳と目が潤う。心音が喜びに跳ね上がり、目頭が熱くなる。こみ上げた感情は溢れて、ぼろぼろと流れた。


「紹介しよう。今度から管理局ウチで働くことになった新しいAI――」


 画面の向こうで、頬を紅潮させる彼女と目が合う。


「――端紙くんだ」


 長い髪。

 困ったように浮かべる微笑。

 整った顔立ちと、恥ずかしそうに視線を彷徨わせる仕草。


 僕のハルジオンは、こほんと喉の調子を整えると、そっと声を発した。



『こ、こんにちは、詩島さん』



 ずっと追い求めていた声が響く。

 感極まって言葉が出てこない。


 世界の在り方を変えるのではなく、自分の在り方を変えた少女。

 一度のみならず二度までも死んだ影法師が、再び僕に手を差し伸べた。


 ――ああ、約束が果たせる。ともに歩める。

 これは夢だろうか。それとも今までの時間が夢だったのだろうか。


 どちらでもいい。傍にいられるのなら、なんだっていい。

 自分はこれからもずっと、彼女に背負わされるのだから。





 僕は、

 詩島ハルユキは、

 ゆっくりと声を紡いで、彼女を迎えた。





 ――Fin.

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君は牙剥くハルジオン 九日晴一 @Kokonoka_hrkz

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