アニューラの歌

鳥辺野九

アニューラの歌


 宇宙大航海時代だって言うのに、僕は根っからの日本人なんだな。そう思い知らされたのは、同じゼミのシリウス星団系人とチームを組んでレティクル星系ゼータ湿地惑星での両生綱無尾目系原生生物の現地観察をしていた時だ。




 彼女は歌うように言った。


「アニューラの歌ってとても涼しげで、まるで水の中にいるみたいです」


 彼女は使い慣れた日本語で、たんたんと歌詞を紡ぐように喋る。


「それぞれに深い個性があって、どこか物悲しくて、水によく溶ける素敵な音楽です」


 トゥエクはシリウス星団系人だ。母星のモノならまだしも、こんなレティクル星系の原始の音楽にも興味があるのだろうか。


「悪いけど、僕にはカエルの歌にしか聞こえないよ」


 そもそも太陽系音楽の流行り廃りすら詳しくない僕は、水によく溶ける音楽とやらに困ったような笑顔で返すしかなかった。


「あのですね、シンタ。私も、彼らのように歌えるんです」


 そう言って、爬虫類特有のくるりとした大きな瞳を潤ませて、トゥエクは喉の奥からころころと鈴が転がるような音を奏でた。それは生物が鳴らす音とは思えない澄んだ金属音に聴こえた。


 レティクル星系ゼータ湿地惑星に棲むアニューラと名付けられた高度な社会性を構築した原生生物は、地球の両生綱無尾目によく似た生き物だ。無尾目、つまり、カエルだ。彼らの外見は地球のカエルとそっくりだった。


 体の大きさこそ違えども、水辺に生息する両生類としてその身体構造は地球産のものとよく似ている。ただ、太陽系人の僕やシリウス星団系人のトゥエクのようにいわゆる人間型生物とは声帯の構造が異なるので言語を喋ることはできない。彼らの言語はこの歌だ。


 地球の小型犬くらいの生物はアニメーションに出てくるカエルのようにどっしりと胡座をかいて、頬をぷっくりと膨らませて草笛のような音色を奏でていた。


 音楽性のある音色に合わせて薄緑色した濡れた皮膚がぷるぷる震えて、皮膚に含まれる色素細胞を明るく瞬かせては暗く沈ませる。それが彼らのコミュニケーション方法だ。


 軽やかでメロディアスな鳴き声は風に乗り、遠くにいる別のレティクルガエルが音を折り重ねて返す。カエルの歌の音色は深みを増して、幾重にも積み重なるようにして湿原に響き渡り、僕とトゥエクは彼らの歌に聴き惚れた。ただし、太陽系人の僕は世に溢れる自然音の一つとして。シリウス星団系人のトゥエクはたった一つの思いを込めた歌として。


「友達を呼んでるみたいです」


 トゥエクはメガネ型端末を作業着の胸ポケットから取り出して言った。メガネをかけた爬虫類型人間は僕に卵型の顔をにっこりと向けた。湿原を渡る風が彼女の青みがかった硬そうな前髪を揺らす。


「こいつの言葉がわかるのか?」


 気持ちよさそうに歌う大ガエルを思わず二度見してしまう。僕の声に反応したか、歌うカエルは丸い頭を傾げるようにして僕を見上げた。


 アニューラたちが声でコミュニケーションを図っているというのは最近の研究から解っている。しかし彼らの歌声を使った意思疎通方法は、未だ言語を発明しているまでには至っていないはずだ。


 僕が慌ててボード端末でアニューラの歌を記録し始めたのを見て、トゥエクはクスクスと可愛らしく笑う。


「そんな気がするだけです」


「それってシリウス星団系人特有の感覚?」


「かも、ね?」


 トゥエクは湿原を走ってきた僕たちのライトクルーザーに寄りかかって、メガネ型端末のフレームをダブルタップ。きょとんと僕を見上げるアニューラとそれを戸惑って見返す僕とを、主観動画で記録し始めた。


「何となく、未知の言語体系でも何を言ってるかわかる時ってあるじゃないですか」


 シリウス星団系人は地球で言うところの爬虫類から進化した人間型知的生命体だ。大きく開閉する瞳孔、針のように太い青みがかった黒髪、濡れたように艶のある薄褐色の皮膚、スラリとした長身で細いボディライン。ずいぶん昔のSF映画に登場するトカゲ型宇宙人とはだいぶ印象が違うが、やはり僕のような哺乳類から進化した太陽系人とは精神構造がだいぶ異なっている。何をもってかわいいと感じるか。その根本から僕たちは違うはずだ。


「何となく、か。やっぱり僕にはカエルの歌にしか聴こえないよ」


 両手の指で画面のフレームを形作って、柔らかな笑顔のトゥエクは僕とアニューラのぎこちないコミュニケーションを録画しながら話を続ける。


「いいんです、それで。聞いたことない言語の歌を聴いても、ワクワクしてるとか不安がっているとか、そういう感情の揺らぎがわかるものです」


 湿原の草むらからひょっこりともう一人のアニューラが顔を出した。彼らは泥塗れの土地に穴を掘って住居を作る。その泥トンネルは長いもので数百メートルにも及び、数人のアニューラで家族を作って暮らしている。現れたのは、こいつのパートナーか。それとも親子関係の個体か。


「例えば、この歌は恋してる歌だって感じ取れば、それはもう誰かにとっての恋の歌なんです。アニューラも、それこそ地球のカエルもおんなじです」


「音楽に言葉は要らないってことかな」


「うーんとね、ちょっと日本語でどう表現したらいいか難しいけれど」


 トゥエクが僕の隣にやってきて、地面が泥だらけなのにもかかわらずぺたんと座った。ちょうど二人のアニューラたちと向かい合うようにして、トゥエク先生による音楽講義は続く。


「歌詞の意味なんてどうでもよくって、音楽が言葉であり、意味であり、行為なんです」


 僕も直に泥に座る。アニューラたちと視線の高さが近くなる。歌うカエルは曲調を変えて、僕にもう一歩近付いてきた。


「つまりこういうことです」


 トゥエクは瞳孔が開いた潤んだ瞳で僕を見つめた。喉の奥から再び澄んだ金属音をコロコロと鳴らす。混じり気のないきれいな音の塊は素直に僕の耳の中に滑り込んだ。


「これって言語? 歌? それとも生命活動音?」


 シリウス星団系人がこんな音を鳴らすなんて僕は知らなかった。少なくとも宇宙人類学の教科書には載っていない。


「さあ、何でしょう」


 トゥエクはぷいとそっぽを向いた。


 それを見ていたアニューラたちがまた曲調を変えて僕たちに話しかける。まるでトゥエクの歌にリズムを重ね合わせるように、原始の音楽を聴かせてくれる。


 トゥエクが照れ臭そうに片方のアニューラに笑顔を見せると、そのアニューラもまたにいっと感情豊かに口元を緩めた。その光景は、まさに女子たちのたわいのないお喋りの時間だ。


 日本語を含めて多宇宙籍四ヶ国語を喋れるシリウス星団系爬虫類型人間と、泥と苔の惑星に生活するレティクル星系両生類型原始知的生命体。その異文化女子的コミュニケーションを見ている太陽系哺乳類型人間の僕。なんてワールドワイドな風景だろうか。


「シンタ。彼が何か伝えたいみたいです」


 ふと気付くと、僕に歩み寄ってきた一人のアニューラが両手を僕に差し出していた。その手には翠色した琥珀が握られている。


「うん。交易だね」


 堆積した泥の中で古い時代の植物の樹液が化石化したものが翠琥珀だ。泥に穴を掘って住居を作るアニューラたちにとって、どれだけ翠琥珀を発掘できるほど穴を掘ったかがある意味ステータスとなる。そして翠琥珀は労働の価値を持った貨幣的な役割を獲得した。透き通った緑色した翠琥珀は言わば彼らのお金だ。


「そうだな、何が欲しいんだろ」


 僕とトゥエクは宇宙民俗言語学のゼミ生としてアニューラの歌の現地調査のためにこの地域に何度も入っている。彼らともすでに顔馴染みだ。でも、調査と言ってもただの大学生だ。現地のカエルが喜びそうな、そんな特殊な贈り物なんて何も装備していない。


 ライトクルーザーに積んでいる食べ物も、加熱滅菌処理されたタンパク質や炭水化物類ぐらいで彼らの口に合うものではないだろうし。生の野菜や果物はこの惑星の生態系を保全するために持ち込み禁止になっているし。アニューラが提示した翠琥珀の価値に見合うブツ、何か持っていたかな。


「あっ、そうだ。いいものがあるよ」


 ピンときた。僕は画期的な交易品を思い付いた。スプーンだ。


 ライトクルーザーの居住スペースに潜り込み、食事用のスプーンを一本持ち出す。柄が長く、軽くて丈夫なチタン製だ。


「アニューラにスプーンを? それでどうするんですか?」


 トゥエクもアニューラもきょとんと目を丸くする。まあ見ててくれ。僕は彼らにチタン製スプーンを見せびらかすように掲げて、そしてそれを地面の泥にざくっと突き立てた。さすが純チタン製だ。曲がったり跳ね返されたりもせず、ずぶりとプリンをえぐるように泥に潜り込んだ。


「君たちの家造りが格段に捗ると思うよ」


 少しもったいぶってから、ゆっくりとスプーンを持ち上げる。チタン製スプーンは見事に泥の地面に大穴を穿ってくれた。


 それを目撃したアニューラは大きく丸い目をさらにまん丸くしてケロロっと叫んだ。トゥエクも縦長の瞳孔をまん丸く開いて声を上げる。


「スコップですね! アニューラたちの身体にピッタリサイズ!」


 アニューラは恐る恐るチタンスプーンを受け取ってくれた。商談成立だな。アニューラ史上最高の取引になった、そんな笑顔でチタン製スプーンを頭上に掲げている。


「いいんですか?」


 トゥエクがささやかだけど歴史的な商取引を見物しながら微笑む。


「チタンのスプーンなんていくらでも手に入るよ」


「そうじゃなくて。アニューラたちにとって、異星人によってもたらされた未知なる素材の道具は技術的ブレークスルーになるはずです」


 たしかに。アニューラが泥塗れの湿地帯に横穴式住居を掘る時、木の枝や小石を道具として活用するのが確認されている。そこへ来て格段に使いやすくて頑丈なチタン製スプーンのスコップが与えられたのだ。蒸気機関の発明による産業革命レベルの発展になりうる。


「いいんだよ。この道具はきっかけに過ぎない。どう使いこなすか、彼ら次第だ」


 はるか未来、何百万年後か、あるいは何十万年後かに両生類型人類への進化が確定しているアニューラにとって、このチタン製スプーンは地球の聖書レベルのシンボルアイテムとなるだろう。


 そしてその頃には、僕もトゥエクも、太陽系人もシリウス星団系人も次のステージに進化済みで、もはやスプーンなんて古臭い道具のことなんて記憶の片隅にも置かれていないはずだ。


 いったい誰が彼らにスプーンを与えたか。それを気にする奴なんて宇宙に誰一人としていない。


「これくらいの進化の手助けをしたっていいじゃないか」


「その考え方、太陽系人らしいです。と言うよりも、日本人的? シンタっぽくていいですね」


 トゥエクが笑いながら言うと、それに同調するようにアニューラが僕を見上げて歌い出した。さっきまで歌っていたのとはまた違ったリズムの、曲調も跳ねるようにアップテンポで、丸っこい身体を揺り動かす楽しげな歌だった。


 それを聴いているこっちまで肩を左右に揺らしたくなるような柔らかな音楽。やがて彼のパートナーであろうもう一人のアニューラも歌を重ねた。アニューラの歌は彼らの言葉だ。何かを伝えようと、泥と苔に覆われた原始の惑星での即興のコンサートが始まる。


「トゥエクは、この歌の意味がわかる?」


 哺乳類である僕よりも、爬虫類であるトゥエクの方が両生類である彼らに近いはずだ。トゥエクはメガネ型端末の向こう側でちょっとだけ意地悪そうに目を細めて、主観動画で困惑する僕を記録しながら胸の前で腕を組んだ。出来の悪い生徒に簡単な問題を投げかける外国語教師のようだ。


「感じ取れませんか? 音楽って耳で聞くものじゃなく、心で聴くものです。地球の音楽もそうでしょ?」


「考えるな、感じろ。ってこと?」


「それ、日本語を勉強した時に習いました。いい言葉です。さあ、シンタも感じて」


「感じてって言われてもなー」


 身体を揺り動かして歌うアニューラ。胸を揺らすように肩でリズムを刻むトゥエク。どうしたものかと歌声に乗り切れない僕。アニューラの歌は泥に染み入るように奏でられた。


 原始の音楽はいつだって直情だ。変に深読みする必要もない。素直に感情を表現すればいい。異星人に未知の道具をもらった人類は何を思い、何を歌う。


「ありがとうの歌、かな」


「正解」


 トゥエクがぱちぱちと小さく手を合わせた。


「正しくは感謝の気持ちが込められた歌です」


「同じだよ」


「違います」


 ありがとうと感謝の気持ちと、どっちがより原始的か僕にはわからなかった。それでもトゥエクが小さな拍手をアニューラに向けると、彼らはうやうやしく頭を下げるようにして歌を終えた。


「どっちにしろ、ほんとに気持ちがいい歌だ。歌のお礼に、地球のカエルの歌を聞かせてあげるよ」


 僕は思い付いた。レティクル星系のカエルの歌と太陽系のカエルの歌。十数万光年離れた遠くの惑星の決して出逢うことのない種族たち。その原始の音楽を融合させたらきっと素敵なことが起きる。彼らにとっての新たな未知との遭遇だ。


 何をしてるの? と言いたげにアニューラたちは僕の手元のボード端末を覗き込んだ。泥に汚れた僕の指が画面上でステップを踏み、アニューラはその指さばきを大きくてまん丸い目で追う。


 座標固定していたブラックホール通信に繋げて、指針を太陽系方面へ。これで十数万光年の距離を無視して時間差なくリアルタイム通信ができる。座標指定、太陽系、第三惑星地球、ユーラシア大陸の極東の島、日本。今の日本の気候なら、東北地方だ。梅雨入り前の青々とした稲が水面に眩しく映る田んぼへズームする。どこかの大学か、稲作実験場の田んぼライブビューイングカメラと僕のボード端末が双方向通信で繋がった。


 その途端に、田んぼの水がきらめく原風景からカエルの歌の大合唱が流れ始めた。


「さ、どうだ? 君たちによく似た地球の生物の歌だ」


 アニューラはびっくりしたように丸い目をさらにまん丸くして、ボード端末に身を乗り出して食らいついてきた。それはもう画面の中に飛び込むぐらい前のめりになっている。


「田んぼですね。私、日本語を勉強していた頃にネットで観たことあります」


 トゥエクも興味深げに端末の画面に魅入っていた。この宇宙大航海時代においても、日本の農産業地域では未だ人の手で稲作農業が行われている。地に水を張り、規則正しく苗を植え、長方形のビオトープを成形する。そのミクロサイズの生態系の頂点に立つのがカエルだ。日本の田んぼにはいつもカエルたちがいた。我が物顔でうるさいくらいに歌っている。いつか、トゥエクに聴かせてやりたいと思っていた地球の原始の音楽だ。


「僕が生まれた国の田舎の風景だよ」


「いいなあ。いつか、行ってみたいです」


 と、トゥエクと肩を寄せ合って原風景の音楽に聴き入っていると、アニューラが静かに歌い始めた。さっきの歓喜の歌ともまた違う落ち着いたリズムで、メロディーラインも単調だけど深く、そして音が長く、物哀しく繰り返される。


 アニューラたちの言語を研究している僕でもそう何度も聞いたことのない歌だ。


「トゥエク、記録してる?」


「もちろん、ずっと録画中です」


 メガネ型端末のフレームにトゥエクの細い指先がそっと触れる。トゥエクはアニューラたちが歌う姿に見惚れ、画面の中から流れてくるカエルの歌に聴き惚れ、そして潤んだ瞳で僕を見つめてくれた。


 鱗が退化した痕跡が色素として青黒く沈着した指先と手の甲。透明感のある真っ黒い縦長の瞳が丸く開く。針金のような太い髪を撫で付けてメガネ型端末を僕へ向ける。トゥエクは僕を記録していた。


「……どうかした?」


 僕が首を傾げて訊ねると、トゥエクは僕を真っ直ぐ見つめたまま答える。


「このアニューラの歌の意味、わかります?」


 友達を呼ぶ歌。ありがとうの歌。アニューラの歌は彼らにとっての言語だ。まだまだ発展途上の知的生命体だが、惑星を包み込む原始の音楽で無限に湧き上がるメッセージを伝える。顔を見合わせることなく、不思議な道具も未知の機械も使わずに、遠くの穴に潜った仲間に気持ちを送る音の波。それは音が届く限り隅々まで響き渡り、惑星に散らばる無数の意識を一つに結び付ける。


「地球のカエルの歌にびっくりしてるの歌、じゃないよな」


「不正解」


 ちょっと怒ったトゥエク。少し拗ねたトゥエク。かなり笑ったトゥエク。いろんなトゥエクが僕に歌う。


「シンタって日本人らしく繊細なのに、意外と鈍感です」


「カエルの歌の解読なんて哺乳類型人間には無理だよ」


「だから、考えるな、感じろ、なんです」


 ふと、また曲調が変わった。いや、変化したんじゃない。重なったんだ。


 地球生まれのカエルたちがゼータ惑星育ちのアニューラの歌に自分たちの声を乗せてきた。ブラックホール通信の特徴であるマイナスゼロ秒のタイムラグのおかげで、田んぼのカエルと泥のアニューラの歌がぴったりハーモニーを奏で始めた。


 こんなことが起きるなんて。僕とトゥエクは思わず顔を見合わせた。十数万光年離れた遠くの惑星同士のコールアンドレスポンス。カエルとアニューラのコーラスが一つに結ばれた。カエルがアニューラの歌を、アニューラがカエルの歌を、お互いを求め合うように歌っている。


「これは、求め合っている?」


「正解」


 トゥエクが恥ずかしそうに言った。


「これは恋の歌。求愛のラブソングです」


 そしてまた喉を鳴らす。ころころ、ころころと、澄んだ金属音が僕の鼓膜を震えさす。生物が放っているとは思えない透き通った音で、それでいて耳触りが有機的でとても心地いい。


「私とおんなじ。もう一度歌いますか?」


 えっ?


「もう一度歌わないと通じませんか?」


 トゥエクの血流がかなり激しくなっているのか、薄褐色の頬が真っ赤に染まっていく。カエルとアニューラが囃し立てるようにさらに大きく歌い出す。


「ええと、それって、そういうこと?」


「もう、ほんっとに鈍いんですね」


「だって、ほら、僕たちは違う星の生まれだし」


「そんなの関係ありません。ようやく気付いた罰として、日本語ではっきりとシンタの気持ちを伝えてください」


 怒ったようにまつ毛を逆立て、トゥエクは真正面から僕に迫ってきた。日本語で、はっきりと、って言われたって。


 僕は根っからの日本人なんだなと思い知った。ハグなのか。キスなのか。自己主張の強い人間なら真っ直ぐに気持ちを伝える行為をするのだろう。でも、僕にはそれができない。恥ずかしいじゃないか。カエルやアニューラたちが見ているし。


 カエルの歌が、アニューラの歌が響く泥塗れの湿原で、僕は覚悟を決めた。


「……つき」


「つき?」


 トゥエクに伝える。


「月がきれいですね」


 言ったぞ。言ってやったぞ。僕はやったぞ。月がきれいですね。君のように。


「昼間の月なんて出てませんよ」


 トゥエクは瑠璃色に輝く空を見上げてとぼけた。


「いいんだよ。月がきれいなんだから」


「月は三個あります。どの月ですか?」


 わかってて言ってるんじゃないのか、トゥエクは。




 ところで、アニューラの歌に促されて意識の改革スイッチが入ってしまった田んぼのカエルたち。彼らは歌い、言語を発達させ、知的に進化し、そしてついに両生類型人類にまで発展して、哺乳類型人類を追い抜いて地球の支配者になったのはこれから二十万年後のお話。

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