第9話・おかえし

 明路は、私のスカートをキュっと握りしめ、囁くように語り始めた。

「喧嘩ばっかりしてたお父さんとお母さんが離婚して、せんちゃん家の隣のアパートに引っ越したとき、新しい場所に無理やり連れて来られて、なにもわからなくてすごく怖かった。

 でもすぐにせんちゃんが『はじめまして!』って話しかけてくれて……独りじゃないんだって、とっても安心したの」

 覚えてる。思えば私はあの時、既に明路のお母さん、輝咲きさきさんに一目惚れしていたのかもしれない。だから、何か会話の糸口が欲しくて……明路に声を掛けたのかも……。

「小学生になってすぐ、男の子から蓑虫蓑虫っていじめられて、先生も些細なことだと思って放置してて、みんな面倒くさがって助けてくれなかったのに……せんちゃんだけは違った。いっつも止めに入ってくれて、そのうち、ずっと一緒にいてくれるようになったよね。心強くて暖かくて、恐怖と嫌悪ばかりだった学校が、だんだん楽しくなっていったの」

 それだって最初は、輝咲さんの悲しむ顔を想像して体が勝手に動いただけ。……あんたの為なんかじゃない。

「小四の時、ずっと同じ服を着回してた私に、誕生日プレゼントで洋服を買ってくれたのも忘れない。何時間も歩き回っていろんなお店を物色して、試着室出たり入ったり……。結局最初に入ったお店に戻って、これが一番似合うって買ってくれたフリルの付いたワンピース。もう着れなくなっちゃったけど、ずっと大切にしてるよ」

 これは……輝咲さん、関係なかったかな。ただ、可愛いくせにそれを隠すような明路が許せなかっただけ。つまり私の為。つまりこれもアンタの為なんかじゃない。

「初めて美容院に連れていってくれたのもせんちゃんだった。美容師さんとあれこれ言いながら……ちょっと喧嘩みたいになりながらも、私にぴったり似合う髪型を必死に探してくれて。最後に美容師さんが鏡を見せる前にせんちゃんが『可愛い! これでいいです文句なしです! ありがとうございました!』って終わらせちゃったよね。美容師さんはすっごく慌ててたけど、私はすっごく嬉しくて……」

 こいつ……なんでこんな恥ずかしい思い出ばっかり、それも細部に至るまで覚えてるのよ。とっくに忘れてた記憶も連鎖的にどんどん掘り起こされていく。

「……お母さんはお仕事で忙しいっていうのはわかってたし、それが私の為だってこともなんとなく理解してた。でも、それでも、やっぱり家に帰ったら誰もいないっていうのは寂しくて。せんちゃんはそんな私の傍にいつもいてくれたね。お母さんが帰ってくるまで、あんなボロボロのアパートで……ずっと私と過ごしてくれた。折り紙したり、プロフ帳書いたり、テレビ見たり……。せんちゃんはもう覚えてないかな、一緒にお昼寝したときの心地良さ、私は一生忘れない。あの日々は、私に幸せの意味を教えてくれたから」

 ……もう……なんで……覚えてるのよ。私だって覚えてる。

 夏だったかな。酷く暑い畳の部屋で、明路は私にしがみついて寝てた。引き剥がそうにも強力な磁石みたいに離れてくれなくて、なんだかほっとけない妹でも出来た気分になって、結局私も一緒に寝たんだっけ。

「でもね、せんちゃんを好きって思う気持ちは、こんなに単純じゃないの。さっきみたいな、具体的に言葉にできるエピソードはほんの一部で、ただ一緒にいるだけで感じる幸せとか、視線とか、香りとか、何気ない言葉とか、そういう全部で……言い表せない全部も合わせて、せんちゃんのことが好きなの。もう……どうしようもないの……。」

 用意していたものを全て話し終えたのか、明路は膝枕から頭を離し、上体を起こして、右手をそっと、私の左頬に添えた。

「今せんちゃんの気持ちに……私がいないのはわかってる。だけど、どうしても離れたくないの。絶対幸せにしてみせるから。だから……、せんちゃん……お願い……」

 あっ、これ、まずい――キス、される。

「めい、ろ……」

 でも……なんで、拒めないの? なんでこんなドキドキしてんの……?

 女同士なのに……幼馴染なのに……明路なのに……。

 あ、やばい。これキスされたら……私……本気で明路のことを……。

 やばいのに、あーあ、目ぇ瞑っちゃった。

 高身長でイケメンの彼氏作るんじゃなかったのかよ。

 ……あれ、でも彼氏じゃなくちゃいけない理由ってなんだっけ。

 高身長で顔が良ければ……あれ、彼女でもいいの? 待って、わかんない。わけわかんないよ!

「……せんちゃん」

「っ……」

 触れた。

 間違いなく、唇に触れた。されちゃった。私の……ファーストキス……。

 幼馴染に、明路に奪われちゃった。

 でも……拒まなかったってことはそういうこと、なんだよね。いいだよね、私。

「せんちゃん、目……開けて?」

「……ん」

 もう一度彼女を視界に入れた時、何が始まるのかわからない。

 恐怖と期待が綯い交ぜになったまま、言われるがままにゆっくり瞼を持ち上げる、と――

「おかえし」

 ――明路は、慎ましくピースサインを作っていた。

 中指と人差し指のお腹を、まざまざと、見せつけるように。

「っ!」

 中学の卒業式のあと、私がやってみせた仕草と、全く同じの……!

「せんちゃんが受け入れてくれるってわかったから……唇同士はまた今度。もっとムードのある場所でしようねっ」

「なっ……なっ…………!」

 やられたぁー!!

 こいつ……やっぱり大っ嫌いだー!!

「ごめんね、泣かせるつもりはなかったけど……潤んでるせんちゃん……可愛すぎて……」

「な、泣いてないけど!?」

 わー、なんで泣いてんだ私! しかもそこそこしっかり……。はっず……。

「私、先に戻ってるね。このまま一緒にいたら……本気で襲っちゃいそうだから」

 なんて……なんて幸せそうな顔で出ていきやがる蓑宮明路!

 アンタなんてただの幼馴染なんだから! 絶対やり返してやるんだから!

 これ以上ないってほど幸せにして天国を味わわせて……そのあと地獄に……地獄に落とすかどうかは……まぁその、未来の私に任せる! 頑張れ!

 今の私じゃ、たぶん…………無理。

 普通に……幸せにしたいって思っちゃってる……自分がいるから。

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大嫌いな幼馴染は私のことが大好きらしいので、地獄を味わわせてやります 燈外町 猶 @Toutoma

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