第2話 「白の英雄」
窓の隙間から差し込む暖かい光が、瞼に直接語りかけるように注いでいる。
「んぅ......まぁだ......もう少し......」
心地よい場所から引き摺り下ろそうとするその邪悪の根源を遮るように、枕を手繰り寄せて顔を埋める。
まだ夢と現実の狭間にいるような意識の中で、ぼんやりと昨日のことを思い返す。
......昨日は、らしくないこと言っちゃったなぁ。
マスターも困ってただろうなぁ......あとで大好きなオレンジパイでも作って持っていこう......。
「......すぅ......」
そう軽く反省したところで、再びあの心地よい世界に誘われていく。しかしその至高の快楽は、突如として「ある音」に打ち消されることになった。
ドンドンドドンドンドンドンドンドン——
「......? ひゃあっ!? ......なに!?」
その地響きで窓枠を軋ませる轟音は、どうやら外から響いているらしい。しかし、楽器一つのものとは思えない打撃音に、思わず朧げだった意識も完全に覚醒していた。
楽器の音とセッションするように心臓の鼓動も激しく動き始めている。音の発信源を確かめようと、その華奢でありながら研鑽を重ねた体を忙しなく起き上がらせた。そして顔の前で揺れている金髪を耳に手繰り寄せながら外を覗く。
「なんなの......今日お祭りでもあった......?」
すると、丸い石が規則的に並べられた坂道を沿うように住民がこぞって集まっているのが隙間から見える。その道の真ん中は開けており、まるで誰かがここを通り抜けるのを今か今かと待っているかのようだった。
その様子にいてもたってもいられず、使い古した紺色のマントを羽織り軋む階段を駆け降りていく。
「あらルシアちゃん。急にどうしたんだい?」
「あっカロおばさん! ちょっと外の様子見たら何かあるのかなって思って——」
「おや? まさか今日ここを『あの方』が通るのを知らなかったのかい......これはまた不憫だねぇ」
言葉の柔らかさと相まって目元からすら慈愛の心が溢れ出している壮年の女性が、せかせかと動き回る少女を慈しむように見つめている。「カロおばさん」と呼ばれる彼女は、階段下の掃き掃除をちょうどしていたところをルシアの慌ただしく準備する様子を、ドタドタと響く物音で察知していた。
「へ......? 『あの方』って......まさか」
「とんでもない奴らが襲撃に......はっ、もしかしてこの世界にもとうとう魔王が......!?」
何か悪い予感でも察知してしまったかのような口ぶりで話し始めたルシアの深刻そうな顔を見て、カロは暖かい目線を向けながら悪戯に笑うばかりだ。
「......くっ......あはははは! 大丈夫、そんな物騒なもんじゃあないよ」
「それに、この世界は『天帝』ゼーヴァ様が見守ってくださってるんだ。万が一にも魔王なんて物騒な存在、現れやしないさ」
——「天帝」ゼーヴァ。子供が読むような御伽噺で必ずと言っていいほど登場する神様のような存在だ。ある本には純白の翼が生えた天使、ある本には筋骨隆々とした男性の姿で描かれているが、その姿を見たものは殆どいないとされる。
「そういうのじゃないなら、一体この騒ぎは何なの......!?」
「......『凱旋』さね。それも、あの隣国テラスで名を馳せた『白の英雄』様がこの町にいらっしゃるって話さ」
「うそ、『白』って......町一つ平気で滅ぼせるモンスターも一人でやっつけちゃうっていうとんでもない人たちだよ!? どうしてこのノストラに......」
「うーん、おばさんも人から聞いた位しか分からないんだけどねぇ。どうやら、凱旋の他にも何か目的があるって噂だよ」
「......ねぇ、おばさん。もしかして話聞いた相手って——」
「もちろん、ルシアちゃんとこのマスターさんだよ」
「あぁ......やっぱり」
ルシアは心から納得したように、そして同時にいつものことと呆れるように何度も頷いた。マスターはその高い情報収集能力とあらゆる場所にまで広がる人脈でギルドマスターをしている。そして酒場の経営をしている以上、人は必然的に集まってくる。
——ただ、情報通すぎて真偽問わず情報が集まってくるのが玉に瑕だが。
「そうそう、『白の英雄』様に会ってみたいならそろそろ出たほうがいいかもしれないねぇ。楽器の音もだいぶ盛り上がってきてるし、ここの前を通るのももうすぐだろうから」
「......そうだね、せっかくならどんな人が『白の英雄』として選ばれてるのか興味あるし」
「そうかい、なら気をつけて行っておいで」
「......あ、ついでに美形だったらおばさんに教えておくれ?」
「カロおばさん、やっぱりそこなんだね......」
カロおばさんは「頼むよ」と念を押すかのように満面の笑顔をこちらに向けて手をひらひら振っている。いつもは「優しくて世話焼きな近所のおばちゃん」といった感じなのだが、なぜかイケメンの気配を少しでも感じた瞬間執念にも似た雰囲気を纏い始めるのだ。
ルシアはそれに苦笑しながら顔の横でひらりと手を振り、ドアノブに手をかけた。もうすぐそばまで楽器隊が近づいているのか、ドアノブが音に合わせて小刻みに振動しているのが伝わってくる。
「『白の英雄』、かぁ......やっぱりムキムキの大男とかなのかな?」
人生で初めて会う「英雄」がもうそこまで近づいてきているという期待と緊張、そしてカウンターから押し寄せる謎のプレッシャーをその手に感じながら、その「非日常」への扉を開いていった。
————————————————————————————————————————————
——もうそろそろ「白の英雄」様がここをお通りになられるのよね。
どんな方なのかしら......やっぱり「英雄」らしく、とても知的でいてその中に強かさも秘めるお方に違いないわ。
わたしは風の噂で聞いたんだけど、「冷徹で誰の指図も受けない一匹狼」のようなお方って話よ......。
ルシアが側道に出ると、住民たちの話は「白の英雄」のことでもちきりになっていた。年中温暖な気候であることやその景観の美しさから年中観光客で栄えるノストラだが、近隣の栄えた街や隣国「テラス」から要人、まして「英雄」クラスがこの町に来ることはないとされるほど辺境の地にあった。
「うわぁ......もうどこも人混みで身動き取れないよ......」
すでにカロおばさんの宿屋前はすべて人で埋め尽くされていた。皆が楽器隊を目で追いながら、かの「英雄」を拝もうと必死に体を上に引き上げている。もはや「祭り」とほぼ変わらないか、もしくはそれ以上の盛り上がりだ。
ドドンドドン......ドンッ!!!
突然、鳴り止まなかった歓声や人々のざわめきが、一撃で音を沈めるかのようなドラムの音色で静まり返る。その一発は全身を波紋が伝わるように響き渡らせ、心臓すら一瞬止まってしまったとすら思わせるものだった。
集まる人々はその静けさに息が思うように出来なくなるほどの緊張感を覚え、「英雄」が姿を表すその時を予感させていた。
そして——
うおおおおぉぉおおおお!!「白の英雄」様だああああ!!!
坂道の上の方から波のように歓声が伝播してくる。その興奮はみるみる人混みの中を突き抜けていき、ノストラ中がその凱旋を歓迎してるかのように錯覚させるほどだ。
「ついに......ついに見れるんだ」
「そうよ、目に焼き付けておきなさい? いつかアナタもああやって凱旋できるかもしれないんだから」
突然頭上から、妙に聞き覚えのある低音ボイスが降り注いできた。その声だけでわかる威圧感は、もうこれまで何度も言葉を交わしてきたあの人のものだと、すぐに気付くことができた。それでも、一切意識が向いていない状態で向けられた威圧は、ルシアの心臓を圧迫するには十分すぎた。
「うひゃあっっ!?!?!? マッママママスター!? 心臓飛んでいくかと思った......」
「あら、アタシはさっきからいたわよ? それでも気づかないなんて、よほどアナタも『英雄』が気になるのね」
「だ、だって......わたしだってソルジャーの端くれだもん。『英雄』って呼ばれる人たちがどれだけ常識はずれの化け物かは嫌でも耳にしてる」
「だからこそ、どんな人が『英雄』の称号を持っているのか知りたいんだ」
「そう......アタシも『英雄』の称号を得た人たちにはあまり会ったことないけど、まぁ、きっと思った以上に彼らも人間なんじゃない?」
「マスターでも、あんまり会えない人たち......ますます気になる......」
マスターはいつもの様子で淡々と語りかけてくれる。どうやら昨日のことはあまり気にしていないらしい。酒場のカウンターで見せるあの強烈な笑顔も健在だったが、その画風が突然変わったような覇気に周りが若干引き攣っているのも通常運転だ。
「——あっ、もう見えるわよ。 ふふ、おぶってあげましょっか?」
「へ!? いいいいいよ、恥ずかしいし! わたしもうそんな子どもじゃないんだから......」
「冗談よ、かわいいわねぇ。ほらあそこよ」
マスターはそういって目線を道の真ん中に向ける。その先に待っていたのは、ルシアのイメージとは180度違う「英雄」の姿だった。
その「白の英雄」は、一歩、また一歩と歩みを進めている。それだけなのに、ただ歩いているだけなのに、その眼球運動すら自由に行えないほどの迫力と強者だと一目で分かるような精悍さにその場の空気すら萎縮し怯えていた。
光を全て反射してしまうかのような銀髪、ノストラの潮風を大いに受けて靡く藍色のマント、女性なら誰もが嫉妬してしまうような透き通る白い肌に、鎧の中心に埋め込まれた「白の英雄」を象徴する純白の宝石。見た目だけでは性別を感じさせない妖艶さは、怯えていたはずの住民たちをたちまち魅了していった。
「......すごい。あれが、『白の英雄』——」
その銀の光が人々の前を通り抜けるたび、威圧から解き放たれたようにその歓声は徐々に高まっていく。ある人は「英雄」を拝むことができた歓喜を、またある人は極度のプレッシャーからの解放を、声に乗せて空へ放っていく。
しかしルシアは、その高貴さと威圧に打ち震えながらもある一つの疑問が心の隅を占領していた。
「......どうしてあんなにもすごい人が、この辺境の町で凱旋なんかするんだろう」
「んー、そうね。美味しいものでも食べたかったんじゃないかしら? 海の幸とか」
「マスター、いつにも増して適当な答え......もしかして興味ない?」
「まぁ、アタシらが知ったところでどうにかなるわけでもないでしょう。何か他の目的があったとしてもアタシらには一切関係がないことよ」
「......うーん、それはそうなんだけど」
マスターとルシアが他愛もない話を繰り返す中でも、住民の歓声は頂点を迎えようとしていた。この町にいる以上一生涯に一度目にできるかどうかの「奇跡」に、皆「白の英雄」の名を高らかに叫び続けた。
白の英雄、万歳! 白の英雄、万歳! 白の英雄に天帝の祝福あれ——
その声は徐々に連帯感を帯び、ノストラが一体となって「白の英雄」を称えている。しかしその喜びに溢れる空気は、とある一言によって根こそぎ崩壊することとなった——
「......黙れ。我は貴様らとは違う。身を弁えよ、一般人が」
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潮の音が風で轟き、ノストラに夜の訪れを告げている。空に輝く星々は広大な海に反射して満点の夜空を演出していた。
「......ねぇ、どう思うあの態度」
「まぁ、あれだけ勝手に祭りあげられちゃ誰しもキレるわよね......」
マスターとルシアは、臨時休業した酒場の中で静かに今日の「惨事」について振り返っていた。
「それでも『我は貴様らとは違う』、『一般人が』だってよー!? やっぱり『英雄』になる人って、厳しい世界で生きすぎてプライド高くなっちゃうのかなぁ......」
「確かに、『英雄』と呼ばれるだけでも想像を絶する苦悩はあったでしょうね......それを観客に向かって発散しちゃうのは少しいただけないかもね」
「白の英雄」といえば、一つの町を一人で守り切れるほどの力を持つ「黒の英雄」すら凌駕する実績と強さを持つといわれる。この世界では「黒」の称号を得るだけでも人々から敬愛されるほどであり、「白」ともなればまさに「英雄」として相応しい栄誉が約束されている。
「あの人、少ししゃべっただけであの場を一気に静まらせちゃったもんね......わたしも息出来なくなっちゃったもん」
あの時、「白の英雄」が言葉を発した瞬間、この世に流れる時が静止してしまうほどの威圧感が、ノストラの住民に襲いかかっていった。ある者は涙を流しながら気絶し、小さな子どもたちは恐怖に打ち震え泣き叫ぶほどだった。「英雄」という称号に期待を抱き、理想的な「英雄」像を創り上げていた彼らは、己の内に湧く本能的な恐怖に抗えなかった。
「マスターはさ、あの態度にあんまり驚かなかったよね」
「ふふん、鍛え方が違うのよん」
マスターは、その山のように盛り上がった上腕二頭筋を振りかざして自信満々に笑いかけた。もはやあの程度ではビビりもしないぞというばかりのその笑顔に、ルシアは底知れないマスターの一面を思い知らされた。
「それにしてもさ、その『英雄』様はまだこの町にいるんだよね? やっぱり何か他にすることがあって来たのかな」
「さてね、やっぱりノストラの美味しい海鮮料理に舌鼓でも——」
「......マスター、あのとんでもなく鋭い眼光を見てもそんなこと言える?」
「......まぁ、違うわよねどう考えても」
二人は目を合わせながら、同時に苦笑いを交わし合った。あの態度では料理どころか、この町の景観すら眼中になさそうとさえ思えた。
そしてルシアが徐に目の前のコップについた水滴をなぞった、その時だった——
うわああああぁああぁぁぁああああぁあぁぁっっ......
強まる潮風に乗って、何やら叫んでいる男性の声がうっすらと酒場に届いてきた。声の響き方からして、かなり遠くの方から響いているようだった。
「......ねぇマスター、今なんか人の声みたいなの聞こえなかった......? 何というか、思いっきり叫んでいるみたいな」
「んー、アタシ耳はいい方だって自負しているけれど、今は何も聞こえなかったわよ? 風の音がそう聞こえただけじゃないかしら」
「そう、かなぁ......うーん、ちょっと気になるし見てこようかな」
「あら、そう? 何かは知らないけど、気をつけて行ってくるのよ」
ルシアは壁にかけてあったマントを軽く羽織ると、勢いよく扉を開けて酒場を後にした。
「音の位置的には、多分下の浜辺の方だよね......」
高台のそばに作られた石の階段を二段飛ばしに駆け降りていくと、沿岸沿いに広がる浜辺が星の光に照らされているのが見えた。
「......やっぱり、綺麗だなぁ」
「でもそんなとこで、しかもこんな夜更けに叫んでいる人なんて絶対普通じゃないよね......」
もしかしたら何か助けを求めているのかも、という心配を胸に秘めながら変わらず響いている叫び声が徐々にはっきりと聞こえてくるのを感じていた。やはりその叫び声の主は浜辺にいるようだった。
そして階段をようやく降り切って顔をあげると、そこには誰かの人影が写っているのが見えていた。しかし、夜が老けて来ているせいか、その顔や全体像は明確には捉えることができない。
「......ねぇ! そこに誰かいるのー!?」
体を前に傾けながらできる限りの大声で呼びかけるも、返事は届かない。それどころか、その叫び声はさらに切迫感や悲哀を混じえながらノストラの海に轟いている。
「うわぁあああああぁぁぁああああぁ!!! どうし”で僕は!! こんなにダメなんだああああぁぁぁあ!!!」
「僕だって!! ちゃんとやってるのに!! なのに......あんなことになって、みんな困らせちゃって......」
「グズッ......何が!! 『白の英雄』だああぁ!! こんな僕が『英雄』だなんて、やっぱり何かの間違いだったんだあああぁあああ!!!」
「......へ?」
そのあまりの剣幕に、ルシアは思考回路が完全に混乱させられていた。
——ん? あれ? なんか、すっごい泣いてるし......「白の英雄」!? って......
いやいやまさか。だって「白の英雄」様はあのすごーい目つきで「我は貴様らとは違う」とか言っちゃってたんだよ!?
だって今......「僕」って......うそ、だ よ ね?
ルシアは必死に思考が止まろうとするのを必死に抑えて、今目の前で起きている異常事態を冷静に考えようとする。しかし、明らかに「そう」としか思えない言動を聞いてしまった以上、考えられる最悪のパターンが頭をよぎっていた。
そして信じがたい真実を確かめるように、一歩ずつその足を砂浜に埋めていく。そして今にも膝から崩れ落ちそうなほどに嘆いている「彼」の肩を、答え合わせをするように2回指でトントンと突いた。
「......あ、あの〜......」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
そしてその素っ頓狂な声に驚きを隠せないまま前を向くと、そこには——
あの時、ノストラ中を一言で沈黙させた「白の英雄」が、その鋭いはずだった目を涙で腫らしながらルシアを真っ直ぐ見つめていた。
とある落第ソルジャーの追憶 秋夜【あきよる】 @akiyoru041
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