とある落第ソルジャーの追憶
秋夜【あきよる】
第1話 「戦えない少女」
——ここは、潮風が吹き抜ける港町「ノストラ」。
5大陸の一つ、プルータニア大陸の東海岸沿いに栄えるこの町は、ほのかに鼻腔を刺激する磯の香りと街のあちこちに装飾として使われているガラス片の光輝く様子から、年中その光景を味わいに訪れる観光客で賑わっていた。
「ふえぇええーーーーーっ......なんでえええぇえええぇえええ!?」
町を一望できる高台、その脇に構える酒場で一つの号哭が響き渡った。
短めに整えられた美しいブロンドの髪の毛に、過度の露出が控えられた軽量の鎧を纏った美少女は、カウンターの奥で酒樽を選りすぐる屈強な男性に詰め寄っていた。
「どゔじでよマズダー......これで仕事も全く無し......せっかく雇ってくれた冒険者の人にも逃げられちゃったんだよ!?」
「わだじの何がいげながっだの......ぐす......わああああああぁああん!!」
ヤケになりながらカウンターに突っ伏して感情を爆発させる少女をよそに、「マスター」と呼ばれる男性はため息をつきながら腰をゆっくりと上げた。
「はぁ......だってねぇアナタ、そりゃ『ソルジャー』っていわれて雇った子がモンスターから一目散に逃げ出して、戦闘が終わるまで木の上で隠れられてたら世話ないわよ?」
「それに、一応ソルジャーなら剣の一つや二つ扱えなきゃねぇ。ま、今回のご飯代はアタシがツケといてあげるから、たくさん食べて忘れちゃいなさい?いい?」
そう宥めつつ、マスターは調理場から大皿を一つ持って彼女の隣に差し出した。大皿の上では、潮の香り漂う濃厚なソースが真っ赤に茹で上がった巨大な海老のボイルを見事にコーティングしていた。
「ほぉら。ホントはアタシが後でこぉぉぉぉぉっそり食べちゃおうと思ってたけど、これ食べて元気出しなさい、ね? アナタがそうやって泣きじゃくってるの、せっかくの綺麗なお顔が台無しよん」
木のカウンターに突っ伏していた少女は、「綺麗なお顔」という言葉に恥ずかしさを覚えながら、目の前に置かれたご馳走に目を向ける。唾液腺をかつてないほど刺激する香りを前に、自然と感情は落ち着きを取り戻していた。
「ありがと......ね、マスター」
「ふふ、今更よ。いつからアナタの泣きっぷりを拝ませてもらってると思ってるの?」
マスターは、人差し指で口を当てながら、悪戯っぽく笑ってみせた。その頼もしさと優しさに、彼女はこれまでも幾度となく救われていた。
——小さい時からずっと、あの筋骨隆々とした肉体とモンスターですら一歩退いてしまうような魔獣の如き目つき、ゴツゴツしていて大きいのに包み込むように撫でてくれた手、その全てに甘え切ってしまっている。
そう自覚はあるのに、ピンチの時には嫌味を言いつつも必ず手を差し伸べてくれる、そんなマスターに逆らえなかった。
不意に鼻をつくアルコールの香りと、胃の運動を限界まで引き出してくるような焼き魚の香りを楽しみながら、目の前に置かれたマスターの優しさを味わった——
シュゴオッッッッッッ!!!!!
突然何かに吸い込まれたような轟音が、賑わい始めていた酒場を一瞬でお通夜のような静けさに変えた。
酒場に来ていた客も、その異常なまでの音がどこからなったのか不審そうに店内を見渡す。しかし、その元凶があまりにも見渡らず、店の外を探しにいく人も現れ始めている。
——なんだ!?
何か壊れたんじゃないのか?
店内が響めきで満たされようところで、その正体への好奇心はマスターの一言でかき消えた。
「ねぇアナタ。毎度のように思うのだけれど、その化け物じみた大食いをどこかで生かそうとは思わないの?」
「......へへ、わたしの唯一っていっていいくらいの特技だからね!けど、みんなこれ見た途端青い顔して逃げてっちゃって......」
「そらそうよ、そこだけは心底人間やめてるって思うわアタシ」
「全く、そんな華奢な体のどこにソレ入ってるのか見せてもらいたいくらい」
店の視線が全て彼女が平らげた大皿に向けられる。先程まで圧倒的存在感を示していた海老が綺麗さっぱり消えている様をみて、驚きを超えた、畏怖や平伏に近い感情が彼女に向けられていた。
——海老だけじゃなく、かかってたソースもどこいったんだよ......。
彼女にとっては、ご飯屋さんにいくたびこのような現象が起きるので、こう言ったことは少し恥じらいもありながらも日常茶飯事になっていた。
「ふう、気持ちも落ち着いたし、お腹もだいぶ膨れてきた。いつもありがとね、マスター」
「あら何よ急にしおらしい、もちつもたれずじゃないのよ昔から」
「そ・れ・に」
「アナタがたくさん来てくれるおかげで、アタシの副業も繁盛してるしね?」
マスターの本職はもちろん酒場の店主だ。しかし、人が集まる「酒場」という環境を使って「ギルドマスター」という裏の顔を持っている。本人曰く、「昔のツテを使った小遣い稼ぎよん」ということらしい。
「マスターが副業でいろんな冒険者さんの依頼持ってきてくれるけど、わたしは依頼先でやらかしてばっかり......全然恩返しできてないなあ」
「あら、アタシにとっちゃアナタはまだまだ哺乳瓶から離れられないお子ちゃまのままよ?もっとイイオトナになるまで『恩返し』だなんて、気にしなくていいのよ」
「そんなことよりアナタは、明日どうやって生きてくかの方がよっぽど大事なんだから、ね」
「そう!!そうなの......これから、また職なしだよ......あ、そうだ!」
「ねえマスター!何か依頼来てな......」
「ないわよ」
「うぅ......」
食い気味にマスターは彼女の僅かな希望を握りつぶしていった。
「食べ終わったんなら外で海風にでも当たってきなさい?ノストラの空気にそんなお先真っ暗、みたいなのは似合わないんだから」
彼女はその吸い込まれるように綺麗な瞳に涙を滲ませながら、マスターの言う通り店の扉に手をかける。後ろを振り向くとマスターはその屈強なボディに似合わないウインクを、こちらにこれでもかとプレゼントしてきた。
......普通に上手いのが、何だか悔しいが。
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店の外に出ると、入店した時にはまだ輝いていた太陽も、海岸線の向こうに飲み込まれてしまったようだった。
どこかロマンチックな雰囲気に浮かれつつ、高台に設置された手すりにゆっくり体重を預ける。
海風に攫われそうになる髪の毛を手繰り寄せて耳にかけ、今にも眠りにつこうとしているノストラの町並みを見下ろした。
「いつ見ても、波の落ち着いた音が似合う町だよね」
「はぁ......これから、どうして生きていけばいいんだろう」
「ソルジャーになるって決めた日から、マスターとか街の人たち、出会ってくれた人たちのおかげで生き延びれてるけど......」
「剣の練習、か......」
波と砂浜と奏でる音が高台まで聞こえるほどに静かだからか、やけに暗い考えばかり浮かんでくる。
わたし——ルシア=レメディアスは、物心ついた時からこの美しい町で生まれ育ってきた。
マスター曰く、両親はここから果てしなく遠い国で仕事をしなければならず、やむを得ず2歳だったわたしはこの町に預けられた......らしい。
この町で生まれ育った両親はマスターと古い友人だったらしく、この町で一番信頼できるマスターに預けたと教えられた。
ソルジャーはそんな親代わりのマスターが勧めてくれた、唯一自分一人で生きていくための道だ。
「わたしが不甲斐ないせいで、マスターにも気遣わせてばっかりだなあ......早く一人前になれたらな」
「そしたらマスターにも育ててくれた恩返しができるし」
「そして何よりも」
手すりを掴む手が震え、涙を目元で堪えながらも水平線の遥か先を力強く見つめる。
「——遠い国にいる両親に、会えるかもしれないんだから」
「......あらそんなまじまじと景色を眺めてたら、景色の方が照れちゃうわよ?」
店内で話すように飾り付けられた、あの高めの声とは違うリラックスした声が背後から届けられた。
その声に安心するように、頭の中に浮かんでいた不安やモヤモヤが解けてなくなっていくのを感じた。
「......ねえ、マスター」
「どうしたの?」
「どうしてわたしって、こんなに迷惑かけちゃうんだろうね......」
一度言葉を飲み込もうと喉をグッと堪えたが、これまで表に出してこなかった自責の念が溢れて止まらなかった。
「マスターが教えてくれた『ソルジャー』って仕事も、たくさん冒険者さんに迷惑かけて」
「剣もさ、たくさん練習してみたんだ。意識飛んじゃうんじゃないかってくらい、限界まで振ってたこともあったんだ」
「でも......ダメ、だった。いざモンスターを相手にすると、おかしいくらい剣を持った腕に力が入らなくなって」
「みんながいる場所なら誤魔化しが効くんだけど......一人になっちゃうと、余計に考えちゃうんだ」
「わたしって何のためにここにいるのかな、ってさ」
「ルシアちゃん......」
——こんな弱音をマスターにぶつけても、きっと困ってしまうだろう。
それでも、誰かに聞いて欲しかった。
ふと襲いかかってくる不安を。果てしない孤独を。そして自分の存在を肯定してほしいという願いを。
「ねぇ、ルシアちゃん」
手すりのギシッという音ともに、微かにアルコールの芳醇な香りを纏った大きな影が視界の端にみえた。
「......ソルジャーになったこと、後悔してる?」
きっと軽い気持ちで言っているんじゃない。それでいて相手を最大限尊重する、語りかけるような声で彼はつぶやく。
「アタシはアナタに強く生きて欲しくて、この優しくて容赦のない世界でも一人で生きていける力をつけて欲しいからソルジャーって職業を薦めた、って前にもいったわね」
「でも......それはアナタの両親から託された唯一の願いだったのよ」
「どうしてソルジャーなんて職業を娘にやらせたかったかなんて......アタシには......分からないわ」
「だけどね、一つだけ確かなことはあるの」
一つ一つの言葉を、ゆっくり咀嚼していく。珍しく言葉に詰まるマスターの声を聞いて、夜空と同化しかけている水平線が涙でぼやけ始める。
「アナタには、『自由』っていう生まれつき貰ったギフトがある。そのギフトを誰にも侵されず、自分のために使える子になって欲しいって願いが、ソルジャーって選択肢を生んだんじゃないかしら」
「自由」という言葉の重さは、まだまだ日が浅い人生の中でも少しだけ理解しているつもりだ。雇われて冒険者について大きな街に向かうと、そんな生まれ持ったギフトのリボンを他者に紐解かれた人たちをたくさん見てきたから。
だからこそ溢れんばかりの親愛を注いでくれるマスターの問いかけに、自信を持って答えられる。
「わたしは......自分でソルジャーって道を選んだんだよ、マスター。マスターが選択肢を与えてくれて、そこから選ばせてくれた」
「だから、後悔してない。わたしが『自由』に、これからの生き方を選んだ結果だから」
「だけど......少しくらい、みんなの役に立てるソルジャーになりたい。なのに、剣すら振るえない自分が心底悔しいの」
「ごめんねマスター、変に気遣わせちゃってさ。明日からはきっと元気になれるから、もう大丈夫!」
自分のことを、自分のこと以上に気にかけてくれる人がいる。それだけで、少しだけ未来を生きる希望が見えた気がした。
「......ルシアちゃん。アタシね、ソルジャーとして生きているアナタを見ているだけで嬉しくなるのよ」
「ソルジャーは危険なモンスターを討伐するだけじゃない。人々の希望になり、時に冒険者を多方面から支えてあげるっていう物凄く誇れる仕事よ」
「そんな仕事に全力でぶつかっていってるアナタは、紛れもなく一人のソルジャーよ?まあ、少し落第点ギリギリを攻めている感は否めないけど、ね?」
ふふん、と意地悪に微笑むと、夜風をその大きい体に巻き込みながら繁盛した店へ戻っていった。
その背中はどことなく嬉しそうで、楽しそうに揺れる体がそれをよく表していた。
「あの人、最後ちょっと恥ずかしくなったのかな?それでも......」
「——本当にありがとう、マスター」
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「......ふう」
見慣れた店内をなぞるように見渡しカウンターへ戻ると、全身に無意識に入ってしまっていた力みを取るように息を吐き出した。
「アタシってば、柄にもないこといっちゃって」
カウンターに置かれたあの大皿を一瞥し、彼女に伝えた言葉一つ一つを面映くなりながらも振り返る。
「ったく......アタシも随分、歳食った甲斐があるってもんだわ」
アナタには、『自由』っていう生まれつき貰ったギフトがある。そのギフトを誰にも侵されず、自分のために使える子になって欲しいって願いが、ソルジャーって選択肢を生んだんじゃないかしら——
改めて、何よりも愛しい「我が子」に向けて放った一言を回想する。間違ったことを伝えたつもりはなかった。どの言葉も、自分の心の洞窟に潜ませている本心からきたものだったと、自信をもって言える。
それでも——
「......イヤ、何も嘘はいってないわ。あの子には『自由』がある。それは、紛れもない真実だもの」
「......でも」
心に留めていた言葉、全てを今伝えることはできないけれど。いつかその時が来たら、あの愛しい子はどんな反応をアタシに見せるのだろう。
怒りか。絶望か。それともアタシを気遣って無理矢理取り繕った笑顔だろうか。
覚悟は両親か彼女の元を離れたあの日から、十分できているつもりだった。なのに、彼女に真実を伝えることが何よりも恐ろしくなっていた。
彼女がまだあの高台で物思いに耽っていて中にいないことを確認し、喉の奥を詰まらせながら、静かに呟いた。
「アナタは——」
「本当は『ソルジャー』には、きっと世界で一番向いていない子なんだから」
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マスターの背中を見届けた後で、再び夜の海岸線を見渡す。
星の光は海に映され、まるでこの町をいつまでも見守ってくれるような満点の星空がわたしを迎え入れている。
少し強さを増してきた風の音色は、後ろで微かに聞こえる楽しそうな音と混ざり合い、感傷的な雰囲気を創り出していた。
「ソルジャーは人々の希望、かぁ」
「——なれるのかな、落ちこぼれのわたしでも」
彼女は剣を振るう基礎的な筋力が足りていない、というわけではなかった。毎日剣技を磨きつつ、トレーニングを欠かさない彼女の肉体は、並のソルジャーが持ちうる肉体とは比較にならないほど均衡の取れたものになっていた。
彼女のソルジャーとしての素質は、肉体の完璧さだけで言えば十分すぎるほどだった。
致命的な欠陥は、彼女自身の特殊な体質にあった。
「剣の練習なら、誰を相手にするでもないからちゃんと出来てるはずなのに......」
「どうして、刃を他の誰かに向けた途端、剣が振るえなくなるんだろう」
なぜか、モンスターを前に「明確な殺意」や傷つけようとする意思が少しでもあると、自分の体が奪われてしまったかのように力が入らなくなるのだ。
泡立つような緊張と脱力が体から自由を奪い、全身に散りばめられたDNAの奥に眠る「本能」がまるで攻撃行動を拒否しているかのような......。
「やっぱり、こんなにビビリじゃ——」
またネガティブな言葉を紡ごうとしたところで、心からの言葉を伝えてくれたマスターの姿を思い浮かべる。
「イヤ、もうわたしは一人のソルジャーなんだ」
「マスターが帰る場所を用意して待ってくれてる」
「それだけで、わたしが明日を望む理由になる」
そう力強く前を向くと、両手でパンッと頬を叩いた。
——これまでの暗い言葉、不安、その全てをその一撃でかき消すように。
落第点ギリギリの崖っぷちソルジャーは、その音が空にかき消えるのを待って、静けさを取り戻しつつある酒場へと帰っていった。
彼女は明日も、これまでと変わらない「日常」が待ってくれていると信じて——
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