僕が神様になってから

広河長綺

僕が神様になってから

東京ではまず見れないような澄んだ青空の下で、僕の心は沈んでいた。


ここ、コンゴ民主共和国の離島A島に来て、最初は楽しかった。

太陽を反射する白い砂浜。

青空も、海も、東京で働いている日常では感じることができない物だったから。

でも現地通訳の少女とともに、日本人を探して歩き回ること1時間。

うんざりするとともに、自然の目新しさは都会から離れた心細さに変わっていく。

東京の薄汚れた空が「お前はここで暮らすべき生物だ」と呼んでいるかのような気がしてくる。


そんな幻聴を途切れさせたのは、僕を小ばかにしたような、元気な声だった。

「ねぇたける、もうホームシックなの?心弱すぎじゃない」


僕の名前を呼ぶ声に振り返ると、砂浜を歩いてこっちに近づいてくる少女がいる。

僕の専属のガイド兼通訳の少女のアミサだ。

当たり前だが、この島において日本人というだけで珍しいのだろう。新しいおもちゃを見つけた子どものような、好奇心に満ちた蒼い瞳で、僕を見つめている。


海みたいな色の目だな、と見とれていると、いつのまにか僕の横にいた。

「そもそもコンゴで誰を探してるのぉ」と流ちょうな日本語で聞いてくるアミサの顔が近い。

海風になびいたアミサの髪が、僕の肩を撫でた。

「妻を探している」


「奥さんがこの島に家出したってこと?」

唖然とした様子で、アミサが首を傾げる。信じられないといいたそうな顔だった。

「はるばる日本からコンゴまで?」

「うん」

「日本という綺麗な都会からこんな辺境の地に来るのは大変だったでしょー。でも偉いじゃん」純愛ラブストーリーにうっとりする乙女の表情で、彼女は言った。「奥さんを探しにこんなところに来たんだから。奥さんのことを深く愛しているんだね」


「いや、そんなんじゃないよ」

愛してなんかいないからという言葉を、発する直前で飲み込む。


3Dプリンター会社での技術者としての地位を強くしたい。


そんな理由で結婚した自分自身が、恥ずかしくなったから。


技術者として働いていたころに、会社を経営する坂田一族の令嬢に惚れられた。

僕自身は、そこまで魅力を感じなかったが、会社での立場が良くなることを知って結婚した。

そして今に至る。

結局ここに来たのも、妻自身がメールを送ってきたからに他ならない。

今までずっと僕は妻のいいなりだった。

愛ではなく、妻の親族の存在によって。

自己嫌悪を感じていると、いつの間にか、カバンの中の疑似皮膚マスクを握りしめていた。


心にネガティブな感情が溢れたとき、何か手元にあるものを握りしめるのが僕の昔からの癖だった。

赤ん坊が不安になると毛布の端を握りしめるのに似ているかもしれない。

嫌な気持ちが強いほど、手に力がこもっていく。


「体の筋肉が強張ってるね。私がかわいくて緊張した?」

と、僕の様子に目ざとく気づいたアミサがからかってくる。

「これを握りしめていたんだよ」

と、疑似皮膚マスクをカバンから取り出して、ちょっと驚かせてウザがらみを止めようと思いながら見せつけた。


これは僕が務める3Dプリンター会社の技術の粋を集めた傑作だ。

合成樹脂でできているのだが、ぱっと見、本物の皮膚にしか見えない。

しかも僕の顔の皮膚をコンピュータに取り込んで、3Dプリンターで出力している。

これを被ればだれでも僕になれるという、僕が務める3Dプリンター部門の最先端技術のグロテスクな結晶。


しかし、予想に反してアミサは驚かない。

むしろアミサの「もしかしてこれが、3Dプリンターのマスク?」という呟きに、僕の方が驚かされてしまう。

なぜ知っている?

家出した妻が僕に送ってきたメールに「コンゴ民主共和国のA島に迎えに来て。そして、わが社の3Dプリンターであなたの顔をコピーした疑似皮膚マスクを作って、持ってきて」と書かれているのは、僕しかしらないはずなのに。


「僕の妻のことをしっているんじゃないか。なぜ隠した?」

ウソをつかれたという思いから、語気が荒くなる。


「ちがう」そう言って首をブンブン横に振ったアミサは、心底申し訳なさそうだった。「わざとじゃない。というか、みんな知ってるけど、あなたの妻だとは思わなかった」

「なんで」

「神だから」


あまりにも、意味が分からない。

僕はオウム返しに言葉を繰り返した。「神?」


「あなたの妻はここで神になってます。あなたが神の夫とは思わなかったから、妻ときかれてもピンとこなかったの」

アミサは僕を納得させようと、言葉を重ねている。

1つ、思い当たる物がある。

「もしかして、カーゴカルトか」

「ご名答」

アミサは頷いた。


カーゴカルト。

島に外から来た人を崇める宗教。

世界では別に珍しくもない。戦闘機を神と崇めたり、アメリカ軍人を神と崇める部族が存在するのだから。

そう考えると、僕の妻が神になっていてもなんの不思議もない。


「でも、じゃあなんで僕は神と認識されない?」

「ここは外から来た人は誰でも崇拝するような単純なカーゴカルトではないんだよ」アミサは少しふんぞり返った。得意げに説明する。「外から来てなおかつ奇跡を起こさないといけないんだ」

そこら辺の他のカーゴカルトよりは賢いと、自慢したいらしい。


「僕の妻は奇跡を起こしたのかい」

「うん」僕の質問にアミサは頷いた。「宿に泊まっている時外で儀式をしていたんだけど、長老が日の呪文を唱えた瞬間に、尊の奥さんがいる宿泊施設から火が上がったんだよ」

「 誰かが火をつけたんではなくて?」

「島の住民220人は全員儀式に参加していたよ」

「じゃあ僕の妻が自殺目的で火をつけたと思わないのか」

「宿泊場所の中から儀式をしている場所を見えない長老の呪文に合わせて火をつけることができない。だから奇跡なんだ 」

「なるほど」


釈然としない思いを抱えたままだが、とりあえず妻の所へ行こうと思う。わからない事は妻に聞けば良いのだから。そもそも端を連れ帰ることができれば奇跡の正体が何であったかなど知る必要はない。


神となった妻の所へ行くにあたってそのエリアは女人禁制と言うことで別の通訳が僕につくことになった。

僕の妻は女のはずだが、神だからそれはノーカウントらしい。

「バイバーイ」と手を振って集落の中に帰っていくアミサと入れ違いに、スキンヘッドの屈強な男がやってきた。日本語はアミサよりも拙い。


話しかけづらいなとおもっていたら、男は「これどうゾ」とアルミホイルの塊を差し出してきた。

アルミホイルを剥いて中を見ると、ホクホクしたサツマイモが入っている。

驚く僕に「この島唯一の和食デス」と言って男は 笑っている。サツマイモが和食かどうかはともかく 男がいいやつなのは明らかで僕はほっとした。


端の所行くまでの間にアミサから聞いた話を確認すると、本当のことだったらしい。

密室状態の部屋にいる妻から火があがったのを男もみたそうだ。

「あれは本当に奇跡デシタ」と僕を先導しながら砂浜を,歩く男は繰り返し言う。

「あなたの奥さんが神となって この島をまとめてくれたんです、ありがとうございマス」

そう言って男は僕に頭を下げた。僕は曖昧に笑った。今からあなた達の神を日本に連れ帰るつもりだ、とは口が裂けても言えない。

罪悪感に胸を痛めていると、ついに、「祭壇」についた。


「祭壇」と言っても、この島では普通の丸太小屋だ。

変わっていることといえば、少し奥に細長いことと、入り口に呪術的な紋様が描かれていることぐらいか。

この中で神となった僕の妻がいるらしい。


すると男は「施設の中は暗いので明かりを持ち込んで下さい」と言う。

手には、懐中電灯と松明がある。

極端な選択肢だ。

「宗教上のルールとしては松明なのかな?」と聞くと、

「ええ、イチオウ。でも海外ヒトは懐中電灯でも許容サレル」と言ってくれた。

僕は郷に入っては郷に従えと思っている。

松明でも大丈夫だよと、笑って見せた。

男は「アリガトウ」と言いチャッカマンで火をつけた。チャッカマンはありなのか、と少し面白かった。


男が去っていき、松明と僕だけが、施設の入り口に残された。

明るい雰囲気の男がいなくなり、急にさみしさが増す。

海の潮騒、松明のパチパチという音、僕の息の音すらうるさく感じてくる。


僕は静かにドアをあけた。

草と血の匂いが混じって、室内からあふれてくる。

明かりを奥に向けなくても、妻の姿がわかった。


本当に体が焼けている。

瀕死の体で口をパクパクしているさまは、魚のようだった。


何を言っているのだろう。

妻の顔に耳を近づける。


「気をつけて。あなたも焼かれる」


僕は、息をのんだ。

妻は誰かに焼かれたと言っている。

自殺未遂じゃなく、人為的な物だったのか?

しかし誰がどうやって。



10秒考えて、気づく。

慌ててここを出ようとして振り返ると、アミサが立っていた。



「お前が僕の妻を焼いたんだな。奇跡の演出のために」


「どうやって?」僕の指摘を受けても、アミサは可愛い笑顔を崩さない。「当時この部屋には誰も近づいていないんだよ」


「電気とコヒーラ検波器を使ったんだろ?懐中電灯から電気回路を取り出し、スイッチとしてアルミホイルを丸めたものを設置した」僕は自分の推理をまくしたてた。

黙っていたらアミサの思い通りになる気がしたから。

「アルミホイルの表面には酸化被膜があり、このままではずっとスイッチはオフだ。でも電波がアルミホイルに当たると、酸化被膜が破れて通電する。電波でスイッチをオンにできる仕掛けだ。あとはスイッチがオンになったら火がつくようにしておけばいい」


それでもアミサは言い訳を続けようとする。

「でもこの島に電波を発生させる装置なんて…」

「チャッカマンならこの島にある」僕が言葉を遮った。「チャッカマンは発火させるときに圧電素子を使う。着火の時に電波が発生しているんだよ」


「私である証拠は?この島の住民ならだれでもできるよね」


それは事実だ。でも。

「お前は日本に憧れているように見えたから」

「正解」と言うと同時に、アミサは右手を開いた。


中から、煙のような粉が舞う。


不意を突かれた僕は、その粉を吸い込んでしまった。

周囲の景色が回転する。視界が狭くなっていく。

立つことすらできず、僕はその場にしゃがみこんだ。


「軽い毒草です。あと1時間すれば歩けるようになりますよ」


頭上から声がする。うずくまる僕を見下ろすようにしてアミサが声をかけているのだろうか。


「尊さんが日本に帰りたいのは、ここにいると自由だからです。あなたは東京に帰って、会社のしがらみに縛られていたいと思っている」アミサの軽蔑を感じさせる声が響く。「なんて弱い。私がこの島から外にでて自由になりたいと思っているというのに」


アミサは、目も開けられず倒れている僕が抱えているカバンから、3Dプリンターのマスクを取り出す。


「それじゃあ、私はこれかぶって、日本に行くので。あなたが捨てた自由を、私がもらいます」

アミサの声を聴いて僕はやっと、あのマスクを要求するメールはアミサが妻を脅して書かせたのだと気づく。

僕をこの島に呼び寄せ、マスクを使って僕に変装して、島から出ていくつもりだったのだ。

だが、今更気づいてもどうにもできない。

意識が。

遠のいていく。





翌朝。

僕は目を覚ました。

横をみると妻が寝ている。


一緒に寝るなんて、まるで普通の夫婦みたいだ。


そんな感慨にふけりながら、外に出ると、島の人々が祭壇外の砂浜にひざまずいて祈っている。見る感じ、島の住民全員いるようだ。

「2人目の神様だ。ありがとうございます」

「よくぞ、この島に降臨してくださった」

口々に感謝の言葉を叫ぶ信者の集団の中に、アミサの姿はない。

なるほど。アミサが僕のフリをして島を出て行った後に、祭壇から僕が出てくれば、島の外から祭壇の中へ瞬間移動するという奇跡を起こしたことになるということか。


こうして僕は、妻とともに神様になった。

島の住民たちに祭り上げられ、祭壇から降りることもできない。

お供え物を食べるので、食事を自分の意思で決めることもできない。


でも、その「自由のなさ」がとても心地よい。自分の意思で何も決めなくて良いからだ。

迷ったり悩んだりするという不快な体験とは無縁でいられる。


僕が神様になってから、今日で1週間になった。

この生活も悪くないな、と思い始めている。

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