飲み屋で会い

夏伐

食い逃げ

 その日は珍しく人に飢えていたのだろうと思う。

 盆休みを仕事に費やしながら、俺は帰省した同僚に恨みを馳せていた。


 仕事終わり、飲みに行った。一人でゆっくりつまみを楽しみながら冷酒でも飲もう、そう思ったのだ。


 普段は全国チェーンの店にしかいかない。


 変な客に絡まれることはほとんどないし、どんな酒を置いていて、どんなメニューがあるか入る前から把握できるからだ。


 ただ、その時は違った。


 オレンジの明かりに導かれるようにして俺は小さな小料理屋ののれんをくぐった。


「いらっしゃい。空いてるとこに座って」


「あ、はい」


 席が五つくらいしかない小さな小料理屋。俺の他には隅に座っている男しか客がいない。


「何にする?」


 促され、俺は冷酒とだし巻き卵を注文した。


「はいよ」


 店主は無愛想に卵を割り始める。ぼーっとしていると冷酒が差し出された。


「どうも」


 ちびちびと酒を飲みながら、俺はただ卵をかき混ぜる音に耳を澄ませた。


「――あのぅ」


 声を掛けてきたのは、端に座っていた男性客だった。


「何ですか?」


「あなたは今幸せですか?」


 大分酔っている様子でそんな事を言われた。


 俺はこの定型文を知っている。日本人特有の謙遜で生活の不満なんて言ってみろ、宗教だかサプリだか、ロクでもないことに巻き込まれる。今までにも大学に入った頃と卒業する頃に、友人が染まっていくのを見ていた。


 だから言ってやった。


「はい、幸せです」


 男はそれは嬉しそうに「そうですか! それは良かった」と言いまた端に座って飲み始めた。


 まさか本当に、俺が幸せか気になっただけなのか? そう思った。


 数か月後、実家に帰った時、あの居酒屋の男が仏壇で笑っていた。その時は意識していなかったが、どうやら俺の父親のそっくりさんだったらしい。


 母にその時の話をすると、盆に帰ってこないから心配したんじゃないの、と軽口を言われてしまった。まぁ、そう考えた方がいいよな。


 あの男が飲み食いした代金、店主に払わされたんだよね。無関係な俺が。親父だっていうんならまだ我慢できる。


 俺は一度だけ強く仏壇に置かれた鉢をチーン!と鳴らしてやった。


 次はもっと分かりやすい出会いを期待する!

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