39話(終) 俺と早咲という異邦人は、これからもこの世界で。


きっと昨日の夕方から今朝までずっと忙しかったんだろう、疲れ切った様子……だけど、柔らかい顔つきになっている美奈子……母さんが言う。


「……ずいぶんと嬉しそうな顔をしているな、直人く……直人」

「慣れるまでは無理をしなくてもいいですよ、母さん。 だって、こんなに急なんですから」


「……はは、それを言うのなら直人、君の……と、お前の、の方が正しいのか? ……の話し方自体も変えないとな。 母親に、敬語ではなくともそう丁寧に話すというのはあまり無い。 そういう家もあるにはあるが……例えばこの学園とかな、だが私はほら、ただの一般人の家庭出身だからな」


「そうでした……そう、だね。 なら、俺が家で、「あっちの」母さんに話していたみたいにしてみるよ」


「……うん、それがいい。 男性の限りなく少ないというこの世界は、君……直人にとっては大層に窮屈だろうけど、直人がある日突然に……私たちとしては考えたくはないし、直人としてはその方が望ましいのだろうが。 「ある日突然に、また、直人のいた世界に戻る」というその日までは、ここにいる私たち……や、次第に受け入れていくだろうもっと多くの嫁たちやその家族が、直人の居場所になるよ」


「………………………………。 俺、もう、帰りたいのか帰りたくないのか、分からない。 たったの数日しかいないのに……だけど、そのたったの数日でもうひとりの母さんもお嫁さんたちも……あと、変な友だちもできたから」


母さんがさっき静かにして欲しいって言ったけど、やっぱり……そうだよな、男……女性同士が結婚する場合はどう表現するんだろうか、とにかく男役?……旦那の方はたぶんひとり。 それに対して女性は、お嫁さんというものは何人もっていう形になるんだろう。


そうじゃないと、この世界の女性のふたりにひとりは……女性らしい女性であっても男として、男の気持ちで生きていかないといけない。


それが難しそうなのは、この学校で男子の制服を着ている女子をほとんど見かけないというのからも想像がつく。


ちらっと聞いたように、ひとりの男装女子にたくさんの女子が……早咲ほどじゃないだろうけど、群がるそうだしな。


けど、それでも男と女が一対じゃないといろいろと困るっていうのは、現実としては……目の前で次第にヒートアップしていく姿を見れば、それは想像に難くない。


「だーかーらー! 直人は今日からひなたのどれいなのー! なんでも言うこと聞くってせいやくしょかかせたのー!!」


「でもでもですよー? 昨日の夜一緒に横になって、何度もうなされて泣いていたヒナタを毎回起きてよしよししてあげたのは誰ですかー?」


「う。 ………………………………でも大変だったのー!」


「ですよねー? あー、じゃあー、私もヒナタがいいって言った日には混ぜてもらうっていうのでどうでしょー? 今日から毎日ヒナタがサキを独占するのはしょーがないですがー、そこにお願いして混ぜてもらうのはいいですよねー? もちろん他の子たちも、ヒナタの許可次第ということでしてー」


こういうときには床で正座するのがいつものことなのかは分からないけど、それはもう綺麗な正座っていうものをして身じろぎすらしないで少し前の床を見つめている早咲と、その上の方で言い合い……にもなっていないじゃれあいをしているひなたとローズ先生。


話している内容が察せられてしまうけど、それって俺たちがいるこの場所でしてもいいものなんだろうか?


「………………………………!」


あ。


しょぼくれてしぼんでいる早咲と目が合ってしまった。


………………………………。


「………………………………」

「…………………………!?」


視線を逸らしておく。


夫婦喧嘩……になるんだろうか、それとも痴話喧嘩?


それに巻き込まれたくはないからな。


「……あの正座している姿を見て安心できるくらいには、まだたったの数日だけど、俺、慣れてきているんだ、母さん。 ………………………………初めはこの世界そのものに。 その次はどうして俺が、って。 それでいきなり晴代と沙映……さんを婚約者ってことにってなって、どうしようって、慣れない中なんとかしていたら襲われかけて。 で、あそこで正座してる早咲に助けられて。 で、昨日は……その、奥さんがふたりも一気に出来て。 こんな怒濤の数日にずいぶんと悩まされたし振り回されたけど、でも、おかげで生きていけそうだよ。 …………あっちの母さんには、とても悪いんだけど、でも、もう、思うんだ。 ――――ここで死ぬまで生きたいなって思うくらいには。 大切な人たちができた、からさ」


「…………………………………………っ、そう、か……」

「うん。 こっちの母さん。 美奈子さんも、そうだよ」


数日前までは何も考えずに、ただ学校が面倒くさいって思いながら過ごしていた。


今だから分かる、恵まれた環境なのになにひとつ俺からは何にも興味も持たず適当に過ごしていたからこそ、母さん……産みの母さんは怒ることが多かったんだって。


でも、それをこっちに来て……こっちでも相変わらずに恵まれているけど、それでもボタンを思いっきり掛け違えたみたいな世界に来て、さすがの俺も意識が変わった。


今、母さん……これからの母さんに言ったように。


……その直接の原因は、たぶん、俺自身のことながら単純すぎることだろう。


たったひと晩を女子……ふたりと過ごした、ただそれだけのこと。


それだけで……早咲に言ったらちょろすぎ、とか言われるだろうから絶対に言わないけど、でも、暇に飽かせて読んでいた小説とかに書かれていた気持ちが、今なら分かる。


そういうものに、俺たち人間は逆らえないんだって。


………………………………。


気がついたら美奈子……母さんが肩をふるわせているのが伝わってくるけど、黙っておく。


そうするついでに目の前の修羅場のあとの喧嘩を眺める。


………………………………。


もし。


仮に、だけど。


俺が、この世界に……同じように来たとしても、そのときにあのグラウンド、そしてひなたたちが見つけてくれるような場所じゃなかったら。


………………………………美奈子さん、こっちの母さんになった人っていう、俺がたったひとり顔を知っていて性格も知り尽くしていて安心できる人が、絶対に信頼できる人がいなかったら。


そして、母さんと一緒に働いていて、俺を見つけたもうひとりの早咲の……奥さんなローズ先生っていうすごい人がいなかったら。


――――――――――早咲って言う、俺の価値観……常識、考え方、感じ方と同じ「男」の友だちがいなかったら。


そうだ、なによりも早咲。


アイツがいなかったら、俺の心は今ごろどうにかなって。


「……なおとー、なおとー? 聞こえてますー? ……あ!! あのですね、そろそろ見ていないで助けてくださーい……」


「…………ふぅ。 さて、野乃? お前、どうやら反省が足りないと見えるな?」

「え? あ、あのー? 榎本先生?」


「呼び方を変えただけで私は変わらないぞ? ……途中でひなたが絆されてしまったから中途半端に終わってしまったことだし、せっかくだ、喧嘩両成敗と行こうじゃないか」


「あの、美奈子、せんせい? それは」


「……お前が昨日大変なことをさせたあの女子たちと、同室で反省文だ。 何、私が納得する内容のものができあがるまでは、私が教卓で監視しておいてやろう。 そうすれば安心だろう? なぁ、野乃。 そうだ、席は彼女らに挟まれる形で、机をくっつけてやろう。 そうしたら、仲良く反省できるだろう?」


………………………………。


まあ、ちょっと……いや、相当に、女関係にだけはぶっ飛んでいるヤツだけど。


友だちって言うか、あれは悪友……いや、俺が悪いわけじゃないけどそれ以外の言い回しが分からないし、けど俺は別に悪いことはしないけどなぁ……まあ、アレだけど。


でも、この世界でも素で話すことが出来て、素で話を楽しめる友だちがいる。


故郷の話をできて、同じ男として……適当な話ができるヤツがいる。


親友かどうかも怪しいけど……まぁ、そのうちになるんだろうな。


だって、コイツはこの世界でたったひとりの。


「美奈子せんせ――……ひなた、知ってます。 どーせひそひそっていいことささやいている内にあの女の子たちを丸め込んじゃって、今度こそ……仲がいい女の子たち、恋人たちにしちゃうんですよぅ……はぁ。 そういうの、もう10年以上見てきたんですからぁ――……」


「……ひなたー? 泣いてもいいんですよー? 私もヒナタのちょっと後から知ってますから、それもまたちゃーんと分かってますしー。 あのふたり、ジョー? ……うーん、アイが深ーい以外には、性格も体つきもなにもかもサキのすとらいーくですからねー。 だいじょぶでーす、私がきちんとキョウイクしますのでー」


「………………………………」


………………………………。


早咲の情けない顔つきが俺に迫る。


だがいくら見つめられようと、俺は助けないぞ。


で、あんな奴は置いておいて……俺にはもう、帰ることができない、いや、帰りたくない理由ができているんだ。


なりゆきとは言っても、早咲の策略とは言っても、何日か前までは知り合いですらなかったとしても――――俺には、彼女を通り越した奥さんたちがふたりもできた。


俺の気持ちはともかく、あのふたり……沙映と晴代にとっては、俺は生涯を一緒に過ごす相手として想ってくれている。


ここに来る前には想像もできなかったような……美人で、俺に対して最初から好意的で、あとすんごい家の出らしいお嬢様って人たちと、たとえ勢いだとは言っても結婚をしたんだ。


お嬢様そのものも晴代も、あっちの世界のどこのクラスにもいそうな雰囲気の沙映も、俺にはもったいないほどの人だ。


だけど、それは俺から見た……異邦人から見た話であって、こっちの世界で生まれ育ったふたりからしたら、俺こそがそういう感じの存在ってことで。


だから遠慮は要らない――っていう事実、常識に、ようやく慣れてきたんだ。


「……なおと――……」


あと、俺の爺さんと婆さん……両方共の、のこと。


ふと気になって母さんに尋ねたらすぐにスマホで見せてくれたけど、俺が知っているのと同じ顔をしていた。


っていうことは、世界自体は相当に違うものだけど、その本質……みたいなものは、変わらないのかもしれない。


だって、こんなにも母さんの若いときの写真そのものの母さんがいて、母さんそのものの……きっと慣れてきたら少しは荒くなるだろう話し方、そして怒り方をするだろう母さんが、ここにいるんだからな。


10年くらいしたら、俺が見慣れた顔つきにもなるだろう。


だったら、悪くはない。


こんな変になってしまっている世界で生きていくのも。


俺のいた世界みたいな気軽さはないし、自由はやっぱり少ないんだろうけど……その愚痴を言うことが出来る悪い友だちが。


「…………お願いしますぅ――……」


………………………………。


同性の、友人。


いくら少ないって言っても、いないわけじゃない。


話したいって頼めば、この世界の男子……や、年上、年下の男の人たちとだって話せるだろうし、そこで友だちもできるだろう。


時間がものすごく……俺が戸惑っていたせいでかかってしまったけど、それでも俺は、この世界で生きていくって言う決意をようやくでき。


「……直人直人なおとー! 聞こえてますよねー! あー、もうこうなればヤケですっ。 直人のひと言でこの場から助け出してくれたら私、直人が好きそうな女の子たちをリストアップ……あ、もちろんまだ私が手を出していない子たちです……したものをあげますからっ! ですからどうか」


「……野乃。 お前、いつの間にそのようなものを?」


「いえ、だってですね美奈子先生!? 直人のお嫁さん候補に私のお手つきを紹介するのはなんだかとっても悪い気がしますし、かと言ってですね、じゃあその子たちをそのままにしておいていいかって言ったらそう言うわけでもないわけでして、直人がある程度選んでくれたら残りはと思っていまして」


「………………………………早咲ちゃん………………………………」

「………………………………ダーリ、……サキ……………………oh」


「………………………………早咲?」

「!! あ、いいんですかお願いし」


「そうじゃなくて、早咲、お前……まさか、この学校、あ、いや、学園だったか、ここにいる生徒のうちの未婚者全員を毒牙にかけようと?」


「さすがの私にも好みはありますよ!?」


……これから先、どう考えても……一緒に暇を潰したり愚痴を言ったり出来る代わりに早咲のやらかしの尻ぬぐいに駆り出されそうな気はするけど。


………………………………。


けど。


「………………………………まあ、「親友」の頼みだもんな」

「直人!?」


「……みなさん、今日は俺が、晴代と沙映っていうふたりと結婚できた記念の日なんです。 なので、とりあえず今日のところはこの辺で許してやってください」

「直人……」


「どうせ。 きっと、明日にでもまた悪さするでしょうから、今日のいろんなのは明日にまとめてお願いします」

「なおとっ!?」


「いや、お前、絶対するだろ……しないって言えるか? 誓えるか?」

「いえ、あの。 ………………否定はできませんし誓いませんけども」


そこはしてお……けないんだろうな、コイツは。


けど、こんな冗談を言える相手がひとりでもいるんだったら、俺は平気だ。


「……あのさ、直人? 私、直人のこと最初からぜーんぶ面倒見ていたんですよ? もちょっとですね、もちょっと感謝してくれてもいいんじゃないです?」


「しているから言ってやったんだろ? ……それに、今朝もさんざんに見たし聞いたからな、お前の悪行も。 だから、どうせムダだって思って今のところを助けてやっただけだ」


「ひどいですねぇ、もうっ。 ………………………………ねぇ、直人?」

「今度は何だ?」


正座から……今度はしびれていないみたいだ……すっと立ち上がり、俺のところまで近づいてくる早咲。


そうして、俺の方に屈むようにして……告げてくる。


「――――――――――言い忘れていました。 言うのが遅くなりました。 ねぇ、直人。 「僕たちの世界」へようこそ。 これからもずっと、よろしくお願いしますね?」


「――――――――――………………………………ああ、うん。 そうだな、きっと長い付き合いになるだろうからな」


「ええ、だって僕たち、もう親友ですからね!!」

「……やっぱりさっきのは撤回だ。 親友かどうかは今後次第だな」


「ひどいっ!?」


「………………………………冗談だよ。 俺の方こそよろしくな、早咲」


新しい母さんの美奈子さん、俺の奥さんになった晴代と沙映。


早咲の奥さんのひなたとローズ先生――そして、親友、の早咲。


今、俺はきっと幸せなんだろう。


誰もが……俺の世界の男の誰もが羨むような世界で、きっと、羨まれるような人生に進んでいくんだろう。


この、女に関してだけはとにかく見境のない元男な、野乃早咲っていう親友、あるいは悪友とともに。


ああ――――――――――きっと、悪いものじゃないはずだ。






「女ばかりの世界に迷い込んだ俺と、そんな世界へ「異世界TS転生」をしていたあいつと」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。


あらすじにもありましたとおり、このおはなしは少し奥手……いえ、「ふつう」な男の子の直人くんと、ぶっ飛……「ふつう」ではなく、尋常ではなく女の子が大好きな、男の子だった女の子の早咲ちゃんが友だちとして仲良くなる物語でした。


男の子とTSっ子が男女としてくっつくことがなく、ただの友人としておはなしの最後までたどり着く、そのようなおはなしを読みたくて書いた物語です。


こちらを書き終えたのは数年前のため少々古さはあるかと思いますが、TSものでもあまり見かけない形のつながりを描けていたかと思います。


私の作品の致命的な特長である主人公の考え過ぎな場面は、私にとっては不可欠のものです。それをご容赦いただいてまであとがきまで呼んでくださいましたこと、改めて感謝申し上げます。


なお、このおはなしは早咲ちゃん視点の……予想されるとおりのおはなしのスピンオフとして、短編として書いたものです。ですのでいろいろな場面が落としてあります。早咲ちゃんが何を思い何をして直人くんをここまで導いたのか……など。そういう訳ですので早咲ちゃんも投稿したいのですが、中身が余りに余りなのと……そして何より、幼少期からのTS転生です。こちらよりもだんとつに長い内容になっておりますので、今のところ公開の予定はありません。



最後に、こちらは一旦完結と致しますが、1作目同様近い内にこの後の物語を少しだけ投稿する予定です。この作品を少しでも楽しんでいただけた方には同じように楽しんでいただけると思いますので、その際にもまたよろしくお願いします。


改めまして、39話という中途半端な話数にはなってしまいましたがお読みいただき、誠にありがとうございました(終)


2021年07月19日(月)

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女ばかりの世界に迷い込んだ俺と、そんな世界へ「異世界TS転生」をしていたあいつと あずももも @azmomomo

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