第20話 なんかんだ言ってもね

 事件と言ったら大袈裟に感じる人もいるかもしれないけれど、少なくとも私達にとっては大した事件だった。

 きっかけは、ゲストで招いた小鳩プロレスの代表グレート小鳩社長がリングに上がり挨拶したところ、小鳩社長が「今度、神林高校の文化祭で何試合かやらせてもらいたいと思います」と突然ブチ上げたからだった。

 既に会場に戻っていた私と中村君はリングサイドで聞いていたが、あの物静かな中村君が珍しく「ええ?」と声を張り上げていたし、社長の付き添いでついてきた洋平さんも目を丸くして驚いていた。村上先輩や隼人、他の選手やスタッフも明らかに戸惑っている様子で、またお互いの顔を見合わせていた。

 中村君の件からサプライズ続きなこともあって「打ち合わせしっかりやれよ」と観客席から野次が飛んだほどだ。

「村上先輩と磯崎君たちの試合を見て、これならいけると考えたみたいだよ」

 昨日、家に七連戦のDVDを届けに来た折原が誇らしげに語っていた。

 私達は隼人の部屋に集まり、折原の隣には村上先輩が座っていて難しい顔をしてうんうんとしきりに頷いている。

「小鳩プロレスは地域密着型のプロレス団体を目指している。普段の我々との繋がりもあることだし、アピールするには良い機会だろうからな」

 二人とも大会で会った時よりも肌が陽に焼け、夏休みなのに制服姿だった。

理由を聞くと小鳩プロレスに寄った帰りだという。

 プロの団体が学校の文化祭に参加するということで、当然、話は大きくなり、村上先輩と次期同好会代表を務める折原は夏休み中にも関わらず、学校と小鳩プロレスを行き来する日々を過ごしていた。

 主な調整は学校側と小鳩プロレス側で進めているから毎日というわけでもないけれど、他の催しものとのスケジュールの調整やスペースの確保など、細かい打ち合わせもあるので大人に任せてのんびり過ごすわけにもいかないらしい。肌が若干、小麦色なのもこの炎天下の中歩き回っていたからだろう。


「しかし折原も、俺達に手伝えくらい言えばいいのにな……」

 隼人はテレビを消した後も、真っ暗となった画面をじっと眺めていた。

「なんでよ? アンタだって洋平さんとのシングルマッチだし、村上先輩と中村君は小鳩社長だよ? 練習に専念してくれと言ったの折原からなんでしょ。アイツだって楽しそうにやってんじゃん」

「……そうだけどさ」

 隼人のなかで、今一つ釈然としないものがあるのか、隼人は小さく首を振って溜息を洩らした。

 折原が代表に名乗りを上げたのは、みんなのバックアップに専念したいからだという。

 試合は全部で三試合。

 第一試合に隼人で、小鳩プロレス提供試合を挟んだ後に中村・村上組の試合がメインに組まれている。

「屈指のハイフライヤー同士の対決だし、メインはあのグレート小鳩が復活だよ?こんなの今後、見られるかわからないのに、全力でサポートできる人がいなくてどうするの?」

 目を輝かしながら弁じていた折原の目は既に文化祭へと向けられているようで、気苦労の多い仕事だろうにちっとも辛そうには見えない。

 隼人の心配なんてとりこし苦労でしかないと思うけど。

 ひょんなことから折原もリングに上がることとなり、鬼マネージャー役が観客にウケたが村上先輩がいなくなるのではあのキャラは成立しないからと、今後は封印する決意を最終日の打ち上げで述べていた。

 田中さんやその他の選手も惜しんで継続を望んだが、折原は今後もリングに上がるつもりはないらしい。

「文化祭は村上先輩が輝いて欲しいし、学校だとあのキャラは浸透していないから相応しくない。でも、もしどこかで村上先輩がリングに上がったら、またあのキャラをやると思う」

 隼人が封印宣言の件を持ち出すと、折原は空になったコップをいじりながらそんなことを言って村上先輩を感動させた。

 確かに、折原の発言で三人の間にはしんみりとした空気が広がっていたので、一見すると感動シーンのようにも思えるが、折原が封印すると言っているキャラというのは対戦相手や村上先輩を〝このシャーペン野郎共!″と罵りながら、鞭をふるい乱入して汚い反則を繰り返す悪役キャラである。

 果たして感動する場面なのかと、私のような外部の人間からしたらつい疑問に思ってしまうけど、短い期間でも折原の鬼マネージャーは学プロで人気キャラになりつつあったから、関係者からすると折原とあのキャラは非常に惜しい存在なんだろう。

 この間の大会でも、レフリーの隙をついての椅子攻撃や乱入など反則攻撃はしていたが、タイミングは素人目の私が見てもばっちりだったし、ラ・マヒストラルや外道クラッチなどの丸めこみ技も巧みに操る。

 それに持ち前の運動能力で高いスワンダイブ式のミサイルキックや、フランケンシュタイナーなんかも披露して場内を沸かせていた。

 折原の試合は確かに面白かったのだ。

「その折原は折原で頑張ってんだし、面倒なことは折原に任せてアンタは洋平さんとの試合に準備しときな。今度の相手はプロで期待のマスクマンなんだから」

「……でもよ」

 隼人の顔が、より暗く、思いつめたような表情に変化していく。

「さっきからアンタ、折原のことばっか言ってるよね。折原はアンタと違ってしっかり者だし、困ったらちゃんと相談する奴だよ」

 私は冷蔵庫から持って牛乳を開け、隼人を横目にコップになみなみと注いだ一杯目を一息に飲み干した。

 洋平さんは、次のシリーズから隼人がヒーローショーで演じたシャイニングマンとしてリングに上がることになっていて、素顔での試合は文化祭のリングが最後となる。

 隼人のヒーローショーでの活躍を見た主催者が、ご当地ヒーローをよりPRする手段として思いついたらしい。ショーの功労者である隼人に白羽の矢が立たずに、対戦相手になるというのは皮肉な話だけれど、なんにせよあの栗栖洋平さんが相手だ。

 練習では何度も肌を合わせているし、隼人の長所や短所を知りつくしているだろう。考え方も隼人に似ていて何を仕掛けてくるかわからないところがある。試合が決まって、洋平さんは隼人に「素顔じゃ最後だからよ。俺達で目一杯暴れようぜ」なんて隼人に言ったらしいけど、洋平さん相手だとかなりハードでタフな試合になるんじゃないかな。

 その洋平さんとは、あの大会後に少し話をした。

 私がひさしぶりに挨拶へといくと、まるで昨日あったばかりかのように、よおと軽いノリで返してくれたので長い間、小鳩プロレスに顔をだしていなかったことを謝ってから近況について雑談した。

 洋平さんは自分の娘さんがとても可愛いらしく、携帯の待ち受け画面をみせて「目元が俺によく似ているだろ?」と嬉しそうに自慢していたものだ。

 別れ際、「文化祭では今日の試合以上のものを見せるから」と笑っていたが、目だけは笑っておらず既に試合モードに突入しているようだった。

 皆、それぞれ大事な試合を控えて、これから辛い練習が待っている。

 改めてそんな考えると、中村君に会いたいという気持ちがよけいに膨れ上がって、いてもたってもいられないような気持ちになっていた。

 昨日の電話では、トレーニングを軽めに済ませて家でのんびりするつもりと言っていたけれど、勉強を教えてと言えば付き合ってくれるかな?一昨日はデートしてから家で真琴と遊んでもらったし、大会の疲れもあるだろうから、そっとしておきたい気持ちもある。

 告白されてから一週間くらい経つけど、恋人同士の距離感がまだ掴めていないのがじれったい。

 他の人たちもこんなものなんだろうか。

 折原は文化祭で大変だろうし、目の前にいるこいつじゃ役に立たないしなあ。

 隼人と折原の関係も、あれからも全く進展ないし。

 心の中で隼人をなじりながら、二杯目のコップに口をつけた時だった。

「……なあ、愛美。いや、姉ちゃん」

 隼人が不意に私を姉呼ばわりしだした。

 思わず、ぶふっと私の口のなかから白い毒霧が吹き出し、せっかく拭いたちゃぶ台は白い液体に覆われていた。

 私はそんなちゃぶ台につっぷしたまま咳き込んで、呼吸が治まるまで随分と長い時間を要した。

「な、なによ、急に……。姉ちゃんなんて幼稚園でも呼ばなかったくせに」

「いや、今日はちょっと、姉として相談したいことがあるんだ……」

いつもより神妙な顔をして隼人がじっと見つめるので、白いまだら模様が施されたちゃぶ台を拭いてから私は居住まいを正し、正坐をして耳を傾ける姿勢をつくった。

「……で、何よ」

「折原てさ……、村上先輩と付き合ってんのか?」

「へ?そんなのあんたらの方が知ってんじゃないの」

「俺、今までプロレスしか頭に無かったから、人の恋愛に鈍くてさ。試合前、中村から愛美のこと好きなんだと相談された時もスゲエ驚いて、驚き過ぎて逆に中村に驚かれたんだから。それに、昨日も折原が『村上先輩がリングに上がるならリングにあがる』と言ってたろ。ああ、アイツらやっぱりそういう関係なんだと思っていたんだよ」

 もう呼名が〝愛美″に戻っているが、姉ちゃんと呼ばれるよりずっとマシなので何も言わないことにした。

「七連戦の打ち上げでも一緒に恋愛ソングをデュエットしていただろ」

「あの歌、内容は失恋でしょ」

「そうだけど……」

 隼人はむすっとしたまま目をちゃぶ台を眺めている。

 大会後、打ち上げでカラオケに行くことになったのだが、村上先輩はシーモの『マタアイマショウ』を歌い、折原が合いの手を入れる女性役を務めている。

 パートナー解散を惜しんでと村上先輩が言い、学プロの皆さんもそう捉えていたが、あれは私に向けたものだと知っている。

 単に自分の憶測では無く、村上先輩が私の隣に座った時にこの歌を一緒に歌ってくれないかと言ってきたのだ。

 私もあの歌詞じゃないけれど、笑顔で別れた方が良いと思っていたから、いいですよと私も承知したのだが、直前になって何か心境の変化があったのか、突然、折原を呼んで「パートナー解散を惜しんで」とマイクで告げたのだった。

「そりゃあ、村上先輩と折原は組んでいたから仲良いけど、付き合うとかそういう関係じゃないよ」

「ホントに?」

「ホントだよ」

「ホントに、ホントにか?」

「しつこいね。アイツら付き合っていると言ったら気が済むの?」

「そうか」

 隼人はふっと小さく息をついた。その表情には明らかに安堵の色が浮かんでいる。

「でも、どうしたのよ。いままでそんな話したことないのに」

「……以前さあ、七連戦前だけど、お前がここで鈴木浩子の話になった時に〝折原が村上先輩のお嫁さんになるのか″と聞いてきたよな」

「そんなこと言ったっけ?」

正直、覚えていないな。

 隼人と空回りする噛み合わない会話はそこかしこで繰り広げているし、中身が無い分、覚えている会話の記憶もさほど無い。

 言ったんだよと隼人の声は若干、苛立っていた。苛立っているけども自分から持ちかけてきた手前、我慢してやる。世界中の苦虫という苦虫を噛み潰してやるから話を黙って聞けといったふうな顔をして、目をいやにぎらつかせている。

「お前があんなこと言ったから、あれから、折原のことが気になって仕方ねえんだけど」

「……へ?」

「折原て変わっているけど、可愛いくて面倒見良いだろ?こんな俺らにも付き合ってくれてさ。スゲえ良いマネージャーが入ってくれたなと思っていたんだけど、お前に言われてから見方が少し変わったつうか……。村上先輩といつも一緒にいるのが気になり始めてさ」

「……」

「この間の中村との試合も、リングサイドにいるあいつの声が良く聞こえた。結局、負けちまったけど、あいつの声は俺の力になっていたんだ」

「だからさ、何が言いたいの?」

 隼人が言いたいことはもうわかっているけど、あえてしらばっくれた。

 趣味や気も全く合わないけれどもこれでも双子だ。

 察しない方がどうかしている。

 でも、ここでしらばっくれたのは、隼人にその一言をきちんと言わせないと、次の行動をためらってしまうかもしれないと思ったからだ。中村君だって隼人に思い切って打ち明けたから物事が進んで、あの試合が出来て、今の私との関係がある。

 黙っていたら何も進まない。

「俺さ、折原のこと好きかもしれねえ」

「……」

 これまで折原と隼人を近づけようとあれこれやってみても、アフリカゾウみたいな鈍感さで通じなかったのに、私の何の気なしの一言で一人の男の心を動かしたと思うと、可笑くも不思議で、感慨深いものが胸の中で入り混じっている。

「村上先輩じゃなかったら、アイツのタイプってどんな奴だ? お前なら折原のことはよくわかるだろ。以前に振った井上でもないなら、どんな奴が良いんだ?」

「そりゃあ……」

 アンタだよと言いかけて、私はそこで口をつぐんだ。

 これまで周囲を散々やきもきさせたコイツのことだ。これで二人の関係もある程度進展していくだろうし、普通に教えただけではつまらない。少しは貸したものを返してもらわないとね。

「あいつさあ、意外とぽっちゃり系が好きなんだよねえ。B組の森嶋君が可愛いとか言ってたよ」

 森嶋という太った男子生徒が存在しているのは事実だが、私の台詞は全て出鱈目である。

 いつもの隼人だったらこんな嘘なんてすぐに見破っただろうが、折原のことで頭が一杯なものだから簡単にひっかかった。急にうろたえたような顔をして、アイツはデブ専かよと落着きなく身体を揺さぶり、膝を叩き始めた。

 じゃあ、もっと太った方がいいのかと聞いてきたので、熊みたいに目をパチクリさせるところが良いらしいよと、これまた適当に答えると、こうかよと真面目な顔つきで目をぎょろぎょろさせて私を凝視した。

「くっ……!」

 私は笑いをこらえるのに必死で、隼人に気づかれないようにちゃぶ台の影で腿をつねって口元に力を込めて、なかなか愛嬌があるよと雑巾でも絞るように声を出した。

 中村君もそうだけど、なんで男ってこうも馬鹿で面白いのかねえ?

「ただいまあ」

 玄関から真琴の声がした。

 意外と早く帰ってきたなと思うと、複数の足音がして居間を覗いた真琴の後ろに、兎の人形を抱えた女の子が恥ずかしそうに立っている。

 こんにちは、斗緒子ちゃんと私が声を掛けると、斗緒子ちゃんは顔を真っ赤にしたまま、消え入りそうな声でこんにちはと返事をした。

 かなりのはにかみ屋で、見ているこっちが心配してしまうもじもじしている。

「姉たん。トーコちゃんとここで遊んでええ?トーコちゃんち、工事の人が来ててうるさいから遊べんのよ」

 いいよと答える私の横で、隼人が真琴これを見てくれと例のパチクリを幼女二人に披露した。

「どうだ?お兄ちゃんもちょっとは可愛らしくなったか?」

「兄ちゃん、熱あるん?」

「……おばけ」

 真琴と斗緒子ちゃんの冷淡な反応に、私の中で堪えていたものが一気に噴き出した。

そこで漸く隼人はかつがれたと覚ったらしい。顔を真っ赤にさせて怒りを露わにしているが、子どもたちの手前、声を荒げることも出来ずに口だけをもごもごと動かし、どうにかすると泣きそうなくらいに顔をくしゃくしゃに歪ませて私を睨みつけている。

 普段から、何も考えずに行き当たりばったりの勢い任せ。その場式すぎるから、いざという時こんな適当な冗談にも引っ掛かるんだってば。

でも、スッキリした。

「ごめんごめん。今度はちゃんと教えるって」

「俺、真剣なんだけど」

 隼人はどこかを傷いたようで、仏頂面したまま庭を眺めている。私は気を取り直すつもりでひとつ大きく深呼吸をした。

「私も、今度は真剣に話すから」

深呼吸をして真琴に向き直った。

「真琴、私の部屋を使っていいから、そっちで斗緒子ちゃんと遊んでて」

 真琴は不思議そうな顔をして私と隼人をしばらく見比べていたが、大事な話があると言うと真琴も硬い表情になって頷き、斗緒子ちゃんを二階に連れて行った。

 トトンと、小気味良いリズムを立てながら二人の足音が遠ざかっていく。

 やがて、二階の戸が閉まる音がすると、居間は静寂の空気に包まれた。

 風鈴の音。

 町の喧騒。

 蝉の鳴き声。

 全てが遠く、ここだけ別の空間に切り取られたように静かだ。隼人は身体ごと私に向け正坐し直し口を固く結んだまま、じっと私を見つめている。

 風鈴がチリンと鳴り、その音に促されるようにして私はゆっくりと口を開いた。

「……あのね」



 私の双子の弟、磯崎隼人。

 無茶で無鉄砲な性格は昔からで、何にも考えないで突っ走る。

 プロレス以外に頭に無く、人の好意には牛みたいに鈍感で能天気な大馬鹿野郎。

 普段から趣味も合わないし、考え方も全然違って、とても双子には思えない。

 何だか、「その場式」て感じ。


 ……でも、まあ。


 なんだかんだ言ってもね。

 私の可愛い弟です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その場式すぎる彼について 下総一二三 @shimousahifumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ