第4話 オリュンポスの神に、俺はなる!

 さて、こうして八年と一カ月をかけて十のお題をクリアしたヘラクレス。ですがエウリュステウス王は二番目のヒュドラ退治と五番目の家畜小屋の掃除は自分一人ではない・報酬目当てでやったという事で「あれはノーカンやノーカン!」という事であと二つのお題を追加しやがりました。


 ヘラクレスの事ですからさぞかし腸が煮えくり返ったと思われます。が、神様のお告げでやっているわけですからエウリュステウス王をしばき倒す事もできません。辛いところですね。英雄と言えども神様のご意志には逆らえません。


 とにかく十一番目のお題は黄金の林檎をゲットする事。あのトロイア戦争を引き起こしたアレ……ではなく、ゼウスとヘラが結婚する際に大地の女神・ガイアが送ったもので、現在(当時)は「宵の明星」の娘達ヘスペリデスが守っているのです。なのでトロイア戦争のリンゴと区別するために「ヘスペリデスの黄金の林檎」と呼ばれています。


 しかも百の頭を持つ不死の巨竜も番をしているというオマケ付き。流石のヘラクレスも困った事でしょう。何よりも何処にあるのかさえも分からないのが厄介なところ。


 まずやるべきは情報収集です。知っていそうなのは物知りの水神ネーレウス。訪ねていく途中で軍神アーレスの息子キュクノス(キュクロプスではないので念のため)と一騎打ちをするも落雷により引き分けに終わります。凄いのかそうでないのか微妙なエピソードですが、ガチ神様の息子と引き分けたんですから凄いんでしょうね。旅を続けてエーリダノス河でネーレウスを見つけると彼を脅してヘスペリデスの黄金の林檎の在処を聞き出すのです。


 目的のためとはいえ、もう少しやり方がありそうなものですが……。


 目指すべき場所はアトラス山と判明しました。アポロドーロスによれば極北のヒュペルボレオイとなっていますが、通説ではアフリカの西北端です。


 その後は襲い来るものは打ち倒し、腹が減ると通りがかりの牛車の牛を奪って食べるといういつもの旅を続けてリビュアやエジプトやアジア各国を経て、ようやくアトラスの国に到着しました。


 カサカウス山に行きつくと、そこで人類に火を与えたために貼り付けにされているプロメテウスを助けました。プロメテウスはその礼としてヘラクレスに計略を授けます。


 ヘスペリデスの父・アトラスに林檎を取りに行かせればよいというものです。アトラスは天空を支えている巨人。メルカトル以降、地図の巻頭に彼の姿が描かれるようになった事から地図の代名詞としてもお馴染みの彼です。


 ヘラクレスは彼に「ワシが代わりに担いでやるから取って来てくれへんか?」と持ち掛けます。一時でもこの苦行から解放されるならと応じたアトラス。


 よく考えたらドラゴンを倒すのと天空を支えるのとどちらが楽なのか……。個人的にはドラゴン退治の方がまだマシに思えますが、ヘラクレスには筋肉だけで片付く方がいいと思えたのでしょうか。


 さて、アトラスは首尾よく黄金の林檎を持ってくるのですが、また担ぐのが嫌なのでしょう、「ついでにワシが届けたるからもうちょいやっといて」と見え見えの引き延ばし工作に出ます。


 さすがのヘラクレスもこれはアウトな奴だと気付いたのでしょう、「ほなやり易い態勢に担ぎ直すさかい、ちょっと持っといてや」と天空を渡した隙にトンズラするというファインプレーで解決してしまうのでした。


 こんな見え透いた手に引っかかるアトラスもどうかと思いますが、ヘラクレスを褒めてあげる方がいいんでしょうね。


 そんなこんなで持ち帰った黄金の林檎はエウリュステウス王からアテナ様の手に渡り、元に戻ったと伝えられています。何のために手に入れたのやら……。



 最後のお題は最も困難と言われる地獄の番犬・ケルベロスを連れて来る事でした。ケルベロスと言えばファンタジーでもお馴染みの三つ首の魔獣で尾は蛇。アポロドーロスによれば背中にも無数の蛇が……となっていて、取りあえず化け物です。


 エウリュステウス王はヘラクレスが二度と戻って来ないようにとこれを命じたのです。酷いですね、気持ちは分かりますが。


 実際ヘラクレスもほとんど絶望したという事ですが、アテナ様とヘルメスに励まされ、エレウシスの秘儀という怪しげな秘術によって冥界に降りる事に成功。


 そこで多数の亡霊に会い、英雄メレアグロスには彼の妹デーイアネイラと結婚する事を約束します。えらくあっさり決めてしまうんですね。後悔すんじゃないでしょうかね、こんなんじゃ。


 ハーデスの館に到着すると、そこで英雄テーセウスとその相棒ペイリトオスに出会います。彼等は「忘却の椅子」に座ってしまい全てを――目的はおろか立ち上がる事さえも忘れてしまっていたのでした。


 哀れに思ったのか似た者同士のシンパシーか、ヘラクレスはテーセウスの手を取って立ち上がらせ救うのです。ペイリトオスはというと、手を取ろうとした時に地震が起きたので救う事が出来ず、ずっと冥界に留まる事になるのでした。哀れな……。


 本題のケルベロスですが、こいつは地獄の番犬と言うだけあってハーデスの飼い犬。誰かが冥界を訪れた際には真っ先に襲い掛かるというのです。番犬の役目は果たしていますね。ヘラクレスの時は違ったようですが、昼寝でもしていたのでしょう。しかもコイツの存在が知られてからは訪れる方も対策を練って、眠り薬入りの餌を用意するようになったという事です。つまりケルベロスが薬入りの餌を食べて寝ているところを通過するんだとか。あんまり役に立っていないようですケルベロス。


 ヤバい割には無能な番犬ケルベロスを貸してくれとハーデスに要求すると、「ええで? ただし、素手でコイツを屈服させたらな」と意地悪な条件を出してくるのです。人間に出来る訳はないと高を括っていたのでしょう。しかしそこはゼウスの血を引くヘラクレス。例の獅子の毛皮を着こんで首を絞めるという作戦に出ました。ネメアのライオンを仕留めた時の発展版ですね。


 あのライオンの毛皮を着こんでいるんですから、防御面は安心です。実際、ケルベロスの尾である蛇に噛み付かれるのですがその程度ではビクともせず、見事ケルベロスをギブアップさせる事に成功します。


 ハーデスも予想外の展開に驚いた事でしょう。しかし神たる者、一度公言したからには易々と反故にはできません。渋々ながら連れて行く事を許します。


 ヘラクレスは意気揚々とこの魔獣をアルゴスに連れて行くのですが、あの小心者のエウリュステウス王がまともに対面しよう筈もありません。例の青銅の甕の中から恐々と身震いしながら、口から火を噴く魔獣をチラ見しただけでした。期待通りですが情けないですね……。


 王は地獄のワン公を「さっさと連れて帰れや!」と喚き散らし、ヘラクレスも「こらあかんわ」と思ったのか、或いは早く返さないとハーデスが怒ると踏んだのか、早々に冥界へ連れて行きハーデスに返却するのでした。



 さて、めでたく合計十二の偉業を成し遂げたヘラクレスはその後どうなったのか? ご神託では神となる筈でした。が、達成した途端に変身! となる訳ではありませんでした。


 なので取りあえずテーバイに戻ります。その後なにをしたのかというと、喧嘩をしたり再び狂気の神・リュッサに取り付かれて殺人をしたり、第九の偉業の際の復讐にトロイアを攻撃して陥落させたり、第五の偉業の際の復讐にエーリスを攻撃して陥落させたりしていました。


 暴れてばっかりですね……さすがは肉体派の極み。ですがアルゴー船での遠征もこの期間中だと言われています。英雄らしいこともしているんですね。


 その後も彼は暴れまわり、幾つもの都市を陥落させ、アルカディアの王女をご懐妊させ、「イリアス」にも登場したテーレポス(アキレウスから受けた槍傷が癒えなかった人)を誕生させるなど手広く忙しく活動していました。


 その最中(時期については諸説ありますが)冥界で出会ったメレアグロスの妹デーイアネイラと結婚しています。約束は果たすんですね。感心です。


 ヘラクレスの活躍は止むことなく続き、カリュドーンの人々と共にテスプロートイ族を攻め、その都エピュラーを陥落させます。彼は降伏したピューラース王の娘アステュオケーと逢瀬を重ね、トレーポレモスを生ませました。ゼウスの血を引くだけあってお盛んですね。「ワシはヘラクレスの子孫なんやで!」と言いたがる人が多いんであっちこっちでの「武勲」が増えていったんでしょうけども。


 さて、その後カリュドーンに戻ってオイネウスの宴会に臨んでいたおり、彼はまた大失敗をやらかしてしまいます。しかしこれは定められた運命なのでした。


 王の親族であるアルキテーレスの子エウノモス少年が給仕をした際、ヘラクレスの手に水がかかってしまったのです。彼が手を振って水を払おうとした時、うっかり手がエウノモスに当たってしまいました。それだけならまだしも、なんと打ちどころが悪く死亡させてしまったのです。


 ああ、なんという事でしょう。馬鹿力にも程があります。制御できない力なんぞ災いしか招かないんですね。


 父アルキテーレスは宥恕しようとしたのですが、ヘラクレスは贖罪の為に自ら追放される事を望みました。さすがに反省しているようです。


 さて、問題はここからです。この後ヘラクレスは最期を迎え神となるのですが、その顛末は少々回りくどいものとなっています。資料によっては分かりにくかったりしますのが、なんとかまとめてみます。


 彼は追放後、妻のデーイアネイラと共にテッサリアの南、トラーキスに向かいました。エウエーノス河に差し掛かったところで運命の事件が起きます。


 その河の渡し守をしていたのが第四の偉業の際に逃げのびたケンタウロスのネッソス。彼はヘラクレスのせいで一族が散々な目に遭った恨みを忘れてはいませんでした。しかしまともに戦っても勝ち目などありはしません。そうとは知らぬ(或いは完全に忘れていた)ヘラクレスは自分は先に自力で川を渡り、妻はネッソスに連れて来させる事にします。


 フラグ成立です。もうトラブルの予感しかしませんね。


 ヘラクレスが渡り切った頃合いを見て、ネッソスはデーイアネイラに襲い掛かり、不埒を働こうとします。これはいけません、大ピンチです。


 事態に気付いたヘラクレスはネッソスに矢を放ち成敗するのでした。その矢は例のヒュドラの血に浸した超強力なあの毒矢。もちろんイチコロです。


 一族を不幸に追いやった毒矢で自らも命を奪われる羽目になったネッソス。あまりにも哀れな……。自業自得とは言え不幸の上塗りです。このままでは終われないと決意したのか、ネッソスは最後の力を振り絞りデーイアネイラに囁きかけます。


「夫の愛を繋ぎ止めておきたいんなら、ワシの血をとっておくんや……」


 もちろん親切の言葉ではありません。命と引き換えの復讐なのです。


 さてその後デーイアネイラをトラーキスに残してオイカリアーという都市を攻略し、王女イオレーを捕虜としたヘラクレス。この都市攻略は時系列がぐちゃぐちゃになっていますが、この時点という事にしておきます。


 戦勝祝いの儀式を執り行う為の礼服を送るようトラーキスに使者が送られました。その使者から話を聞くうちにデーイアネイラは夫の心変わりを察しました。


 次第に年老いていく自分は、まだ二十歳にもならないイオレーの魅力には対抗し得ない事も。


 ああ、いつの世も男女の間は……。


 しかしデーイアネイラは心根が優しく、夫を恨むことができません。そこで思い出したのがあのネッソスの言葉。人(?)を疑う事を知らない彼女は、それが復讐の罠とは思いもせず彼の傷口から流れる血を染み込ませた布をそっと礼服の間に縫い込ませました。アポロドーロスによればその血を下着に塗り付けたとありますが、とにかく仕込んでしまったのです。夫の愛が戻ってくると信じて……。


 ヘラクレスはそうとは知らず、戦勝の喜びに浮かれたまま着替えました。ネッソスの血に混じっていたヒュドラの毒は人肌の温かみで効果を取り戻し、あっという間に彼の体を蝕んでいきました。服は肌に張り付いて取れなくなります。


 毒はみるみるうちに五体に廻り、想像し難いほどの苦しみを与えます。ヘラクレスは使者を質して事情を知ると激情に駆られて使者リカースの両脚を掴んで岬から投げ飛ばしてしまいました。ああ、とばっちり……。


 張り付いていた着物を力づくで引きはがすヘラクレス。すると肉が一緒に剥がれてしまうではありませんか。何を考えていたのでしょう。毒が染み込んだ部分ごと引き剥がそうとしたのかも知れませんが、時すでに遅し。毒はもう全身に廻っているのです。


 こんな哀れな姿でほど近いトラーキスに運び込まれたヘラクレス。デーイアネイラは事の次第を知ると悔恨のあまり自ら縊れて命を絶ってしまうのでした。


 こうして多くの不幸をもたらした彼のイオレーに対する愛は変わる事はありませんでした。


 彼はデーイアネイラとの間に生まれた長子ヒュロスに成人したらイオレーを娶る事を約束させるのです。


 その後、自分をオイテー山の頂に運ばせると、薪を組み上げさせて登ります。従者達に火をつけるよう命じますが、誰もやろうとしません。そりゃそうですよね、急に気が変わって怒り出すかもしれませんし。そうなると自分の命が危ないですし……。


 そこに偶然やって来たのがテッサリアのメトーネーの領主ポイアース。はぐれた羊を追ってきたのです。


 事情を聞くと火付けの役を引き受けました。ヘラクレスの苦しみようを見るに忍びなかったのです。


 ヘラクレスは礼としていつも携えていたアポロンから授かった弓を与えました。


 こうしてヘラクレスは人間として授かった肉の身は焼き尽くされ、ゼウスから授かった神性は天に登ったのです。薪が燃えている時、黒雲が天から舞い降りて激しい雷鳴と共に彼を天上に伴い去ったと言われています。



 こうしてヘラクレスは試練と波乱の一生を終え、天上に住み青春の女神ヘーペーを妻とし、その母であるヘラとも和解して神に祀られたのでした。



 そして今も天空に輝くヘラクレス座として地上を見守っているのです。暴れないでいてね……。



                                       ――完――

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本当は笑えるギリシャ神話~剛勇ヘラクレス編 秋月白兎 @sirius1

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