本降りになって出ていく雨宿り

増田朋美

本降りになって出ていく雨宿り

本降りになって出ていく雨宿り

その日も雨だった。梅雨の季節というのはしょうがないといえばそうなるんだけど、でも何か憂鬱になって、仕方ないと思ってしまうのが常である。

その日も、奥大井の亀山旅館では、弁蔵さんがいつもと変わらず客の予約を受けていた。現在不景気とか何だとか、色んな理由があって、弁蔵さんの亀山旅館にやってくる客は、例年に比べていやというほど少ない。ましてや、こんな雨の中を、泊まりにやってくる人なんているのかなと思われる。それくらい、雨が降っていたのだった。

とりあえず、お客さんから電話を受けて、弁蔵さんは、玄関先へいった。幾ら客が減ったと言っても、玄関は綺麗にしていなければなと思う。玄関先から、先日増築したばかりの、洋風の別館が見えた。今思えば、あんな洋風の建物なんか作らなくてもよかったんじゃないかと思う。部屋は空っぽだし、使う人もいない。本館の松の間竹の間梅の間さえ在れば十分である。まあ、今さら後悔しても仕方ないとは思うけど、こんなもの要らなかったなあと、弁蔵さんは、大きなため息をついた。それでも、弁蔵さんは、亀山旅館の玄関にモップをかけることをやめないでいた。

すると、向こうから、二人連れの男女がやってきた。多分、接阻峡温泉駅から歩いてきたのだろう。でも、どうやら観光地巡りという感じではなさそうだった。この辺りにやってくる客は、みんな山登りの恰好をしてくるけれど、男女はとてもそういう恰好ではなかった。二人とも、スーツ姿で、傘を刺してはいるが、背広はびしょぬれになっている。

男女は、何か探し物をしているような感じだった。同時に、こんなに人里離れたところに人が本当に住んでいるんだろうか、という顔をしていた。男性の方が、亀山旅館と書かれている看板を見て、あんなところに旅館があったといった。

「あの、すみません。」

女性のほうが、弁蔵さんに声をかける。

「はい、何でしょうか。」

弁蔵さんがそういうと、

「ええ、一寸御願いというか、お尋ねしたいことがあるんですけど、こちらは、宿泊だけでなく、食事だけというのもやっていますか?」

と、今度は男性がいった。

「はい、やっていますよ。食堂はこちらです。」

弁蔵さんは、そう返答した。一体この人たちは何をしに来たんだろうかと、疑いの目というか、一寸、懐疑的な感じで彼らを見たけど、二人連れは気にしないようだった。とりあえず、弁蔵さんは、二人を、食堂まで案内した。暇そうな板前が、二人を食堂の真ん中にあるテーブルに座らせた。一応、ランチメニューというか、日帰りの食事メニューは用意してあった。ほとんどが、そばが中心であるが、天丼等もある。男女は、メニューを見て、何か紙に書きとっていた。何を書いているのか不詳だが、何か調査のつもりだろうか。

「あの、お客様、ご注文は?」

と、弁蔵さんが聞くと、

「じゃあ、あたしは天丼セット。」

「煮カツどんセット。」

と男女はそういった。弁蔵さんは、とりあえず、板前に天丼セットと煮カツどんセットを申し付けた。

「ずいぶん、外見上は、新しくしているようだけど。」

女性の方がそうつぶやき始めた。

「そうだね。ここもきっと人が来なくて、困っているというか、何もあてが無いに決まってるな。」

今度は男性がそういうことをいう。

「まあ、ここに来る人も、よほど秘境駅が好きな人か、田舎好きな人くらいしかいないわよね。あの駅だって、もうすごいぼろ駅だったでしょ。」

と、女性がそういうことをいった。

「まあ確かに、奥大井湖上駅辺りまでなら、観光客もいるだろうが、その先の駅となると、誰も寄り付かないんだろうね。それでは、ここに本拠地を建てるのも、悪くないかもしれないな。一応、一日五本だけしか走っていないが電車はあるし、道路だってちゃんとあるんだから。」

今度は男性がそういうことを言いだした。一体何をするつもりなんだろうと弁蔵さんは思う。

「そうね。ほとんど人はいないし、ここを私たちの隠れ場所にするのはいいかもよ。ここなら、警察にみつかる可能性も少ないわ。」

女性は嬉しそうにそういっている。

「でも、客を呼ぶのはどうしたらいいかしら。あたしたちだって一応客商売でもあるんだし。」

「いやあ、そんなのはオンラインでやればいいよ。それに商品の発送だって、郵便局が近くにあればできるだろ。」

男性が言う通り、郵便局はその近くにあった。観光客が、奥大井に来たことを示すはがきを出すために、郵便局が建っているのである。逆をいえば其れしか目的がない。

「郵便局で何かいわれたりしない?」

と女性がいうと、

「いや、大丈夫だ。かえって、頻繁に使ってくれた方が、郵便局の人も喜ぶに決まっているから。」

と、男性はいった。何か販売するつもりなのだろうか。弁蔵さんは掃除をするふりをして、それを聞いていた。

「ここは、天下一というか、ほかに比べ物のない、過疎地で、観光客に頼りきっているようなところなんだから、住んでいる住民だって、年寄ばかりさ。インターネットを使ったビジネスの事なんて、わかるわけないよ。それは、気にしないでやれると思う。」

「そうねえ、でも、そういう場所だから、村八分とか、そういう事もあるんじゃないの?」

と女性が心配そうにいうと、

「それを利用するんだよ!村八分になって、だれからも手出しを受けないでいられれば、いつまでも、捕まらないで販売を行える。」

という男性。弁蔵さんは、捕まらないでというところが気になった。ということはつまり、犯罪に関わる道具でもこの地域で販売しようとでもいうわけか。

「それでいいんだ。俺たちの商売なんて、スマートフォン一台で通じるさ。集客なんてインターネットを使えばいろいろできる。逆をいえば、インターネットさえあればいい。それで、受け子もだし子も集められるさ。若い奴なんて、金が手に入ると聞けば、喜んで飛びついてくるだろう。そういうもんだぜ。」

と、男性が言っている。受け子とかだし子とか、そういう言葉を使っているということは、つまり

この二人は特殊詐欺をやっているんだと弁蔵さんは確信した。

「きっと、受け子とかだし子になるやつらは、世のなかから必要とされてない奴ばかりだ。だから、それを救ってやる事にもなるんだ!」

そうだろうか。確かに働けなかったりとか、居場所のない若い人はいっぱいいる。でも、それを利用して、こんな犯罪に加担させるということは、間違っていると思う。そんな事をして、若い人に社会参加させていると思わせたら、其れこそ犯罪というか、洗脳になると思う。

「ここは、人もいないし、どうせ俺たちがやっていることをとめるということはしないだろうよ。さっきも見てきたじゃないか。空き家もいっぱいあるし、ここを出ていきたいという人も沢山いたし、こういう旅館だって、誰も客は来ていない。まあ、無法地帯と言えばいいんだ。この旅館だって、俺たちが金を出して、使わせてくれというんだったら、乗ってくれるんじゃないの。」

完全に奥大井を馬鹿にしていると弁蔵さんは思った。奥大井は確かに広い公園があるわけでもないし、テーマパークがあるわけでもない。あるとすれば、この山風景だけである。そして、一日に五本くらいしか走っていない電車の駅、山道と言える狭い道路。そして、ここに住んでいる少数の田舎者といえる住民。其れしかない。確かに、この地域は、警察組織がいつも目を光らせているというところではないし、確かに近代的な設備は何もないということは確かで、無法地帯とも言えなくもないが、それでも、犯罪の組織には来てもらいたくなかった。

「よし、近くの空き家を買いたいと雨が上がったら、不動産屋に行ってみよう。まあ、天気予報に寄れば、そんなに雨は長時間降るものではないと言っていたし。」

と、男性がそういっているが、実は、弁蔵さんたち山の人間であれば知っているが、奥大井は雨が降ると、地形的なものでなかなか抜けにくい場所でもあった。標高が高いこともあり、けっこう長時間降る物である。

「そうね。あたしたちの事を、誰かに話したりする人もいなさそうだしね。」

と女性は、テーブルに置いてあるグラスに入った水を飲んだ。二人は、其れから、何処の空き家が使いやすそうだったかとか、そういうことを話し始めたが、弁蔵さんは何とかしなければと思った。

「あの、失礼ですが、私どもは、犯罪に加担するような人たちに、食事を提供する事はできませんね。何処かほかのところを当たって貰えないでしょうかね。」

と、弁蔵さんは、二人にそういった。二人は、弁蔵さんをはあという顔で見た。確かに、弁蔵さんは足が悪く、引きずって歩いているし、体も小さいし、二人の男女に比べたら、はるかに弱そうな感じもある。それでもいわなくてはならないことは、ちゃんといわないといけないと思う。

「でも、ここで、警察を呼んでも、すぐには来られませんよね。あのね、店主さん。このお金全部あげますから、私どもの事業に協力してくれませんかね。」

すぐに男性がそんな事を言いだした。女性が急いで、財布の中から一枚の小切手を取り出す。弁蔵さんは、金額を見ることもしないで、

「いえ、それは受け取れませんね。僕たちは、幾らこのような辺鄙な町であっても、ここで暮らしていますので。」

といった。

「まあ、私たちに協力した方が、旅館の方々も、儲かるんじゃないかと思うんですけど?便利なものだって、お金があれば手に入るんですよ。其れってすごい事だと思いません?だってお宅だって、見た目は綺麗そうな旅館ではあるけれど、ずいぶん古臭い雰囲気あるんじゃありませんか。それをこのお金で改造できたりもしたら、嬉しいと思いませんか?」

女性が、にこやかに笑ってそういうことをいう。多分こういうことをいうのは慣れているんだろう。もしかしたら、女を武器にすることも、しっている女性かもしれなかった。でも、弁蔵さんは、足が悪いせいか、そういうことは効かなかった。

「いいえ、そんな事は思いません。古臭い旅館であっても、古臭い物をたのしむ人がいます。そういうひとがいるから、僕たちは改造も何もしませんよ。まとまったお金が入っても、何も嬉しくありませんよ。特殊詐欺に手を出すなら、僕たちは協力なんかしませんから。」

弁蔵さんは、声をあげてそういうことをいった。

「まあ、そんな人いるのかしら。古臭い物をたのしむ人なんて、いるのかしらね。」

女性が馬鹿にしたようにいうが、弁蔵さんはそれに対抗していった。

「いいえ、それをたのしむ人は、いつの時代になっても必ずいます。それを信じて僕たちは頑張っているんです。僕たちは、あなたたちの事業には協力しませんよ。もし、やるとしたらほかの場所でしてください!犯罪に加担するような事はしたくありませんから、ここでお食事は提供できませんね!」

「変な人。伝統的な旅館なんてどんどんつぶれているのをご存じないんですね。まあ、それでやっていけてるというのなら、ここで話をしても仕方ありませんね。まあ行きましょうか。」

男性が馬鹿にしたように席を立った。それに続いて女性も立ち上がる。二人はほかに何か建物があるのかとスマートフォンを出して調べれば良いと言っているが、実は、この辺り、民家はほんの十数件しかないのである。二人は大きなため息をついて、食堂を出ていった。そして、まったくねえ、田舎者はすぐに従うかと思ったのになんていいながら、玄関を出ていく。ここにあるのは、山の風景と雨だけであるが、二人が出ていくと、悪を洗い流してくれるかのように、雨が強く降り始めた。まるで、本降りになって出ていく雨宿りという感じだった。あの二人は、もうびしょぬれになって、本拠地というか、そういうところへ戻るだろう。いずれにしても、彼らは奥大井に来させてはならない人たちだ。弁蔵さんは、板前さんから塩を分けてもらって、食堂の入り口に塩をまいた。

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本降りになって出ていく雨宿り 増田朋美 @masubuchi4996

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