彼はまだ「小説」を書いたことがない。

無頼 チャイ

物書き君の重要性。

「来てくれたか」

「日諸さんに呼ばれたとなったらね」


 背の低い腰掛けが付いた回転式の椅子に腰を落とす。「ところで」思ったことがポツリと漏れた。


「こういうところには女性を誘うものじゃない」


 なめらかで艶のある樫のカウンター、その奥で慎ましやかに並ぶワイン瓶。店内は薄暗く、天井から注ぐ照明の明かりは、闇を払うというより、闇をもてなすように輝いていた。


「話したいことがあってさ、嫌なら場所を変えるけど」

「や、これはこれで隠れ家っぽくて気に入ってきた」

「そう言ってもらえると、物書き君に頑張ってもらったかいがあったな」


 見ると、バーを模した部屋のあちこちに色々な趣ある置き物や道具が存在していた。

 カウンターの隅にはボトルシップ……と思いきやよく見ると、ボトルの中にパイプと木板で組み立てられた椅子が置いてある。

 それを照らすのは、花弁を垂らし淡い光を灯すガラス細工の花のアンティークランプ。


 音をたてながら椅子を動かし壁に掛けてある絵画をそっと眺める。

 銀色の髪を腰まで下ろし、美しいドレスを纏った麗しい乙女の姿。動物のような耳と尻尾が生えているが、違和感よりも儚さを印象付ける。

 悲しそうな表情が笑顔に変わればより魅力的だろうにと、心に思う。


「こだわったね。これ全部ボーイが?」

「うん。オーダーするとなんでもやってくれるから、予定以上に色々頼んじゃった」

「……物書きボーイ、過労で倒れるかもな」


 自分のことは棚に上げ、カウンターに左腕を置き日諸の顔を覗く。


「用件は?」

「それよりも、まずは飲まないか。ほら」


 飯田の質問に、日諸はそれとなく空中で指を踊らせ、何かしらに人差し指をスッと押す動作を見せる。

 すると、カウンターの上に透明なショットグラスがクリアブルーの発光を纏って現れる。

 日諸が再度人差し指をスッと押す動作をすれば、グラスの中に琥珀色の液体が爛々と満ちていく。


「奢り?」

「まあね」

「何に乾杯しようか」

「すずめ姉さんが無事だった事に、乾杯」

「乾杯」


 硬質で清らかな音が部屋に響いた。


 二人は思い思いにグラスを傾け、液体を口に含み、飲み干し、語る。


「紅茶か」

「紅茶だよ」

「酒じゃないんだ」

「酒だったら最初に年齢認証が出てくるだろ」

「浮かれてたよ」


 飯田はがっくりというように両腕を組んでカウンターに顔を伏せた。

 バーでカウンター、ショットグラスに琥珀色の液体。意地悪な連想ゲームでウイスキーだと思い込んでいた。


 まあまあと頭上から温かい声が掛けられる。今度こそウイスキーを奢ってもらえるのかと半ば期待して顔を上げると、人当たりの良い顔に真面目な雰囲気を滲ませて、「どうだった」と尋ねられた。


「……美味かった」

「それ、俺が描写したんだ」


 凄いな、と相槌を入れる間もなく日諸は「次のを飲んでくれ」とショットグラスの中身を再び満たしだした。


 何となく、日諸の意図が分かりショットグラスに手を伸ばす。

 口に含み、飲み干す。


「美味い」

「比べるとどっちが美味い」

「日諸さんには申し訳ないが、こっち」


 掲げたグラスを頭より少し高く上げ、美味の賛辞を表した。

 それを質問者は満足気に見て、「やっぱりか」と椅子を半回転させながら天井を仰いだ。


 清々しい顔をしていた。例えるなら難解な問題を解いた時のような晴れた顔。


 椅子が落ち着くと、日諸が不意に立ち上がった。


「気になってたんだ。物書き君が壁を出した時から。俺らは材料を描写して、それを更に組み立てる描写で拠点を建てただろ。でも物書き君は、ビルの描写をしただけでここを建てた。制限なくあっさりさ」


 半円形のソファの中央に鎮座する丸テーブルの真ん中、そこに、金と白を基調とした箱のようなものがあり、その上に、猫の尻尾を彷彿とさせる三編みを靡かせながら少女がバイオリンを構えている置物がある。

 手近にあったからか、それをなんとなしに日諸が寄せると箱の後ろに付いていたゼンマイを二度、三度回す。


 ぱかっ、と少女の金色の瞳が薄く覗くと、優しい音色と共にバイオリンを弾きだした。


「凄いだろ。こんな複雑な仕掛けなんかも出せるみたいだ」


 そっと幼い奏者をテーブルの上に戻して、壁に掛けてあった絵画とは別の絵を眺めだす。

 

「細かい描写は必要だけど、一つ一つはしっかり出来ている。タイピングと手書きで何かが違うのかなって最初は思ったけど、どうやら違うみたいなんだ」


 日諸が見ている絵が気になり身体を傾ける。

 そこには少年と猫耳が生えた少女が仲睦まじく肩を寄せ合い、木漏れ日が差すりんご果樹園で心地良さそうに眠っている絵。


「ここにある二つの絵は使ってる絵具が違うんだ。分かる?」

「う~ん、ぱっと見分からないな」

「こっちは水彩画、こっちは色鉛筆」


 前者は憂いの乙女、後者はりんご果樹園の少年少女。

 答えを聞いても分からなかった。絵心を持ち合わせているか、いないとかそういう話じゃない。

 あまりにも出来過ぎていて分からないんだ。


 どちらも人物が正面を向いているけれど、使われた絵具の軌跡が分からないくらい緻密だった。


 それは、まるで……、


「情報が圧縮されてるみたいだ」

「そうそこなんだよ! 流石ミステリー作家っ!」


 日諸が熱っぽく飯田を褒め称えた。とりあえずジャージを着直し、問題に足を踏み入れようと指先を組む。


「さっきの紅茶の飲み比べは、つまりそういうことか」

「情報が圧縮されているか調べるには、早い話がお茶の飲み比べ。お茶なら情報が反映されているのかがすぐ分かる。そして――」

「そして、僕は見事物書きボーイが描写したお茶を美味いと答えた、って訳か」


 なるほどね。



 膝を叩いた。


 立ち上がった。


「物書きボーイはまさに切り札って訳か。天候を変えるだけじゃない。風が吹くって描写をしただけでも並の作家以上には強く吹く、と……」

「鼻の下が伸びてるぞ」

「元々こういう顔だ」


 決して良からぬ事を考えていた訳じゃない。ただし強くは言わない。

「ともかく」と日諸が手に持っていた絵画を壁に掛け直してこちらに歩み寄った。


「彼は凄い力を秘めてる。けど、小説を書いたことがないせいか上手いようには引き出せてない。そこでなんだけど、物書き君の面倒をみて……」

「あ、用事を思い出したからここで一旦失礼するよ、じゃ」


 足の回転を早める。不穏な流れを感じて飯田は取っ手に手を掛けた。

 ちょっと前、伊織姉さん救出作戦を思い出す。そこにいたノラのメンバーで日諸はメンバーの防衛に重きを置いた話しをしていたため、多分だが突撃メンバーには加わらないだろうと予測。前回のエディとの戦闘で物書きボーイが大活躍したため、今回の突撃メンバーでは重要な切り込みを見せるだろう。

 となれば、物書きボーイの面倒を見てくれと言われた際には、当然、激戦に身を置く必要がある。

 

 背筋がゾッとした。命がいくつあっても足りない。


 勢いよく扉を開ける。はずだった。


「飯田さんが付いてきてくれたら、すずめ姉さん喜ぶと思うな〜」


「やれやれ。不本意だけど、話しは聞いておこうか」


 その後、飯田が突撃メンバーに加わった。

 

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