ホットケーキ

増田朋美

ホットケーキ

ホットケーキ

今日は雨が降って少し寒いくらいの日であった。そういう日が、本当に梅雨らしい日であると言えるだろう。そういう日があってこそ、初めて本格的な夏がやってくると言えるのであるが、最近はそれを

省いて、いきなり夏がやってきてしまう季節が多いような気がする。

そんな中、製鉄所では、今日も杉ちゃんが水穂さんにご飯を食べさせようと、やっきになっていた。最近、製鉄所では、食行動というか、食事を一日三食きちんと取らない利用者が多い。拒食症とか、そういう病気などではないのだが、ご飯を食べなくてもお菓子があるし、それで満腹になるんだから別にいいじゃないかと思い込んでしまっている女性が多いのだ。なんでも、計画的に今夜は何を食べようかなではなくて、腹が減ったのに気が付いたら食べるという。ある女性は、菓子パン一個で一日の食事を終えてしまうというし、ほかの女性はコンビニで買ってきたケーキとか、そういうもので済ませてしまう者もいる。杉ちゃん何かは、そんなもの食べてないで、ちゃんとご飯とサラダとみそ汁を食べろと言っているが、一向に女性たちは、きちんとした食事をしないのであった。

「ほら、水穂さん食べて。お前さんが食べてくれることが、一番の手本になるんだからなあ。」

と言って、杉ちゃんは水穂さんに卵焼きを食べさせようとしたが、水穂さんは、横を向いてしまった。

其れと同時に、ただいま帰りましたと言って、ジョチさんが製鉄所に戻ってきた。さっきまで、打ち合わせのために出かけていたのである。

「また、食べないんですか?」

四畳半にやってきたジョチさんは、杉ちゃんに聞いてみると、

「ああ。もうこれで何回ご飯くれていると思ってるんだろ。もう、何回もご飯をくれても、何も食べないんだよ。」

と、杉ちゃんが答えた。すると、すみませんと言って、製鉄所の玄関扉がガラッと開いた。

「はい、どちら様ですか?」

と、杉ちゃんがデカい声でそういうと、

「岩橋です。どうしてもお届けしたいものがございまして、持ってきました。」

と、言いながら、岩橋一馬さんが、四畳半にやってきた。岩橋さんは、以前は製鉄所の利用者のひとりだった。でも今は北海道に引っ越して、動物たちの世話をするという役目を与えられたせいか、実に生き生きとして、元気に暮らしている。家族としては、北海道幌延町なんて、ずいぶん遠くにいってしまったという気もするが、そこで、動物たちの世話をすることによって、毎日を明るく楽しく過ごせているからいいのかなという気もしているようである。

「ああ、岩橋さん。わざわざ北海道からこんなところまで来て下さって申しわけありません。しかも予約もなく、いきなり呼び出してしまうような事をして、すみませんでした。」

風呂敷に包んだ重箱をもってやってきた岩橋さんに、ジョチさんはしっかり座礼して、あいさつした。杉ちゃんも、申し訳なさそうに、頭を下げる。

「いえ、大丈夫ですよ。何かあったら、こちらにお世話になっていたわけですから、お手伝いできることは、必ずしようと思っていますから、なんでも仰せつかってください。」

岩橋さんは、風呂敷包みを水穂さんの前に置いた。

「で、その重箱の中に、何か入っているのか?珍しくて、うまいもんでも入っているのかな?」

と、杉ちゃんがいうと、

「ええ、実は、最近ホロホロチョウの飼育を始めたんですが、ホロホロチョウが卵を産んだのでもって来たんです。」

と、岩橋さんは、持ってきた風呂市包みを解いて、重箱のふたを開けた。その中には、柔らかい京紙で包んだ、ホロホロチョウの卵がたくさん入っていた。

「ホロホロチョウの卵ですか。ずいぶん珍しい鳥の飼育を始めたんですね。卵は鶏の卵よりも栄養価があっておいしいと聞きました。でも、日本での飼育はまだ難しいのでは?」

と、ジョチさんが聞くと、

「ええ、でも、僕たちはひなのうちから飼育していますので、ホロホロチョウは、人間の手から餌を貰うほどなついて居ます。」

と、岩橋さんが言った。

「そうですか。よほど育てるのが上手なんですね。飛行機でわざわざ卵を持ってきてくれるなんて、大変だったと思います。ありがとうございます。」

水穂さんは、岩橋さんに、申し訳なさそうに言った。

「いいえ、いいんですよ。水穂さん。そんな事気にしなくても。僕たちは、困っている人に、何かしてあげるのが仕事なんですから。最近は、うちで飼っている動物たち、犬や猫だけではなく、カリブーや、ホロホロチョウを連れて、水穂さんのような動けない方のところへ訪問するという事業もやっているんですよ。」

「それは、どんな方がクライエントになるんですか?」

岩橋さんの話しに、ジョチさんがそう聞いた。

「ええ、大体が精神疾患で閉じこもってしまった方が多いです。たとえば犬を散歩に連れていくことによって、どうしても家から出なければならないですよね。それを狙うんですよ。人間も動物も、家の中に閉じこもって生活することはできませんから。動物たちの世話をすることによって、人間が外へ出るきっかけになってくれれば良いなと思っています。動物たちにとっても、捨てられたり、虐待されたりした過去がある、訳ありの子たちばかりですので、お互いに取って、プラスになるのではないかと思います。」

「そうですか。確かに、そういう事業も必要なのではないかと思います。癒すことができるのは、人間だけではありませんしね。犬や猫も、そういう活躍の場があっていいですね。」

岩橋さんの答えに、ジョチさんは、感心したように言った。

「岩橋さんは、もうセラピストみたいだな。ワンちゃん猫ちゃんを使って、家から出られないやつを、家から出してやるようにセラピーしてやっているんだな。」

杉ちゃんは、岩橋さんをすごいなという顔で見た。

「そうですね、医者ではないのでセラピーしているというわけではありませんが、でも、何か人助けはしたいと思っていますよ。だからこそ、水穂さんにも卵を持ってきたんだし。動物たちを連れて、一番癒されたいのは、僕自身なのかもしれないです。」

「よし、わかった!今からホロホロチョウの卵と米粉でホットケーキ作って、食べようぜ。」

と、杉ちゃんがデカい声で言った。

「ホットケーキ?でも小麦粉は食べられない。」

水穂さんが急いでそう返すと、

「米粉だから、そういうことは気にしないでいいんだ。よし、この卵でホットケーキ作るよ。一寸さ、これを、食堂まで運んで行ってくれるか。」

と、杉ちゃんがそう言い続けるので、ジョチさんは、重箱をもって、杉ちゃんと一緒に食堂へ向っていった。あとは、岩橋さんと水穂さんだけが残った。

「水穂さん、最近はあまり具合がよくないんですか?」

と岩橋さんが水穂さんに聞く。

「ええ。全然、捗々しくありません。」

水穂さんが答えると、

「そうですか。僕がここを利用していた時は、焼き芋くれたりして、いろいろしてくれたはずなのに。」

と岩橋さんは過去の思い出を語り始める。

「そんなこと、したでしょうか?」

「ええ、覚えていますよ。水穂さん。あの時は、本当に辛かったですから。何だろう、学校にいっていても、疲れてしまうし、家にいても皆、僕の事なんか気にかけてくれなかったから、こちらに来させ貰ったわけですからね。ここは、いつもだれかがいてくれるじゃないですか。僕は、それで救われました。医療関係にお世話にもならなくなったし。それで僕は、動物を飼うことにしたのかもしれません。」

岩橋さんは水穂さんににこやかに笑っていった。

「一番、動物を飼おうと思ったきっかけは、水穂さんが焼き芋をくれた事です。だって、僕は医療のおせわになる障碍者で、もう社会から相手にされないのではないかと思っていたのに、水穂さんが焼き芋くれたんですから。」

「そうですか。僕は、誰かから、感謝されるつもりで、焼き芋を差し上げたわけではないんですけどね。」

と、水穂さんはいった。

「ただ、生きていかなくちゃいけないから、そういうことをやっただけの事です。ほかに見返りを求めるとか、そういうつもりではありません。」

「そうかもしれないけど、僕は、すくなくとも感動は貰いましたよ。それを否定してはいけませんよね。水穂さんに取っては、大したことなかったかもしれないんですけど、僕は非常に感動したんですよ。それでは、いけないんでしょうか?それで僕は、水穂さんにしてもらったような感動を、皆にも分けてやることにしました。そのために、動物の飼育をはじめたんです。」

岩橋さんはにこやかにいった。

「そうですか。」

水穂さんは其れだけいう。

「だから、水穂さん、水穂さんも自分は、多分きっと、社会からごみみたいに捨てられていると思っていると思いますが、実は、ものすごい善業を積んでいるということを、もうちょっとだけ感じて貰えませんか。そのために、食べ物を取ってほしいんです。」

岩橋さんはそういうが、水穂さんは、静かに首を振った。

「いいえ、僕は何をいわれても、えたの身分である事に変わりはありません。それは、だれにも変えられない事ですから。」

岩橋さんは、がっかりした顔をした。それほど、同和問題というのは、解決できない問題であるのかという顔であった。

一方そのころ。

杉ちゃんの方は、製鉄所の食堂で、ホロホロチョウの卵と米粉を使って、ホットケーキを作っていた。ホロホロチョウの卵は、鶏の卵とは一寸小さくて、殻は非常に硬くて、割るのが難しかった。割ってみると、卵が小さい割に、黄身が大きくて、確かに栄養たっぷりという感じのする卵だった。岩橋さんのいう通り、鶏の卵よりお得かもしれない。

杉ちゃんが、フライパンに油を敷き、生地をフライパンに流し込んでホットケーキを焼き始めると、香ばしいにおいが製鉄所の建物中にいきわたった。丁度その時、買い物にいっていた、何人かの利用者が、製鉄所に帰ってきた。流石に、このにおいには、彼女たちも惹かれてしまったらしく、台所を覗きにやってくる。

「何を作っているの?ずいぶん、おいしそうなにおいがするけど。」

と、利用者二人は、杉ちゃんに声をかけた。

「おう、ホットケーキだ。お前さんたちも食べたいか?大丈夫だよ。お前さんたちの分もちゃんと作るから、待ってろや。」

と、杉ちゃんが明るく言うと、

「いいの?杉ちゃん。」

と、利用者はいった。

「もちろん。食べることは悪いことじゃないよ。だから、なんでも食べてくれ。そのために僕は作ってるんだから。」

と、杉ちゃんがいうと、

「でも、働かないで食べるのは悪いことでしょう?」

と、利用者がいった。

「それ、誰が言った?」

杉ちゃんが聞くと、

「学校の先生です。働いていない人は、食事しちゃいけないって。私、それは迷信だってのはわかるんですけど、今も働いてないから、食べちゃいけないんじゃないかって気がしちゃうんですよね。」

と、女性は答えた。彼女の年齢は、もう30代後半である。でも、学校の先生のいうことを気にしてしまうというか、そうすることができる環境であるのだろう。何か、環境が変わってくれれば、又変わってくれるかもしれないが、そうなる可能性は、極めて低いのが現代社会でもあった。そういう生きがいを見つけられないというか、何かやれることがあればというか、そういうことさえあれば立ち直れるかもしれないという、女性たちが今も多いのである。

「で、学校の先生が、食べていけないっていって、お前さんはそれで食事がまずいと思うようになって、お菓子のほうが良いと思うようになったのか?」

杉ちゃんが、ホットケーキをひっくり返しながらそういうと、彼女はええと答えた。

「そうか。でも、ご飯というものはさ、栄養補給ということにもなるが、心が落ち着くことにもなるよね。」

「それはどうかな。」

もう一人の利用者がいった。

「あたし、わかるんだけどね。なんかそういう自己啓発とか、そういうものって、働いている人のためにあるもので、あたしたちみたいな人間の為じゃないのよね。ご飯だって其れと一緒よ。働いている人が、ご褒美に食べさせて貰うんだと思うの。だから、働いていない人間は、ご飯を食べちゃいけないっていうか、ご飯を食べても辛いだけで、何もおいしくなんかないわよ。」

「そうか。お前さんたちは、いつも何処で食事してるの?」

杉ちゃんがいった。

「自宅かな。自宅で、テレビを見ながら、おかし食べたり、コンビニのおむすびとか食べたり。」

「時折、カフェとかそういうところにいくかな。皆、働いてて、ご飯を食べる人はいないの。でもそれは私のせいだから、誰にもいえないのよ。」

二人の利用者はそういうことをいう。きっと、こういう孤独感が、彼女たちを健康的な食事から遠ざけているのだろう。せめて彼女たちが、愛されていると感じ取ることができれば、いいのだが。それは、この世で生きている限り無理そうだった。

「よし、お前さんたちにも食わしてあげるよ。お皿に乗せて、ナイフとフォークを出して。」

杉ちゃんは、彼女二人に指示を出した。彼女たちは、急いでお皿の上にホットケーキを乗せた。

「じゃあ、はちみつかなんかをかけて食べてくれ。あとは、好きなように食べてくれていいよ。」

杉ちゃんがいうと、彼女たちは、嬉しそうに笑った。ホットケーキは、本当においしそうだったし、ふわふわしていて、食べやすい物でもあった。彼女たちは、ホットケーキを乗せたお皿をテーブルに

おいて座って、頂きますと言って、食べ始めた。そして、すぐに、

「おいしい!」

と声をあげるのだった。

「こんなおいしいの見たことない。杉ちゃんやっぱりすごいわ。」

「あたしたちが食べているのなんて、みんな既製品で、こんな暖かいもんじゃなかったもんね。電子レンジであっためても、意味がなかったし。」

二人は、そういうことを言い合っている。

「そうかそうか。完成している物を食わされても、食ったという感じがしないというのは、誰でも同じなんだな。だから、面白くないんだよ。」

杉ちゃんにいわれて、利用者たちはそうねえといった。

「でもあたしたちは、そうしてと言える権限もないし。」

と、利用者がいうと、

「そんなら、お前さんたちが、ご家族に何か食わしてあげれば?」

と杉ちゃんがいった。

「そういうことなら、お前さんたちだって、生きがいができると思うよ。すくなくとも、お前さんたちが、家族の健康に携われるようになるんだからな。何か食わしてあげるってのは、取っても大変だけど、楽しいぜ。どうだ、やってみな。」

「でもねえ、今さら始めても。」

利用者がいうと、

「いやあ、いつでも人生は、再スタートできるさ。お前さんたちはなぜここに来ているんだよ?それは家にいると時間がありすぎて辛いからだろ。それを別な方向へ利用すればいいんだ。その時間を、家族になにか食わしてあげられる時間にすればさ、生きがいができるんじゃないか?」

杉ちゃんは、デカい声で言った。

「そうなんですか、、、。」

「私たちも、また、世のなかに戻れるかな。」

二人の利用者は、ホットケーキを食べながらそういうことを言った。杉ちゃんの方は、残りのホットケーキを皿に載せて、おーい取りに来てくれ、と呼ぶと、はいはいただいま、とジョチさんがお皿を受け取りにやってきた。

「それでは、僕たちも食べようぜ。水穂さんにも食わしてあげような。」

ホットケーキは、けっこう分厚くて、食べ応えのありそうな大きさだった。

「ほら、作ったぜ。食べような。」

杉ちゃんとジョチさんは、急いで四畳半に戻った。水穂さんと岩橋さんはまだ話をしていた。水穂さんはもう疲れたという感じの顔をしている。

「よし、食べようぜ。岩橋さんが持ってきてくれた、ホロホロチョウの卵から作ったホットケーキ。」

と、杉ちゃんがいうとジョチさんは丁寧にホットケーキを切り分けた。そして、はいどうぞと言って、水穂さんの口もとに持っていく。

「ほら、食べろ。米粉で作ったから、当たる心配はないよ。お前さんの場合、何もかけないで食べるのが一番安全だろ。食べてよ。」

杉ちゃんがデカい声でそういうが、水穂さんは、顔を左に背けてしまって、やっぱり食べようという気にならないようである。

「水穂さん、何日ご飯を食べないで平気な顔していられるんです?それでは、本当に精神関係もおかしくなってしまいますよ。」

「そうですよ。杉ちゃんだって一生懸命作ってくれたんでしょうし、食べないということは、かえって作った人にも失礼に当たるんじゃないですかね。」

ジョチさんも岩橋さんも、そういうが、水穂さんはやはり食べないのであった。

「水穂さんにとって、食べるということは二の次何ですかね。僕たちは、食べるために生きていると思うんですけど。其れなのになんでなにもしてくださらないのでしょうか。」

岩橋さんは、一寸ため息をついた。

「水穂さんにとって、幸せって何なんでしょうね。何かおいしい食べ物に巡り合ったときに幸せって感じる物だと思うんですけど、そういうことは、感じないんですか?」

岩橋さんが思わずつぶやくと、

「いいえ、幸せになってはいけないんです。」

水穂さんは小さいが、でもきっぱりとした口調でそういう事をいったのである。

「でも、同和問題の事で人種差別されたとしても、幸せになることは、当たり前の権利だし、食事して、綺麗な物を身に着けて、安楽に過ごすことを目指す事は悪いことじゃないと思うんですけど。其れとも、水穂さんは、今まで、製鉄所の利用者たちに焼き芋くれたり、話を聞いてあげたりいろいろしてきましたが、それは、生活していくための手段であり、人を喜ばすためではなかったということですかね?僕はそれは違うと思いますね。水穂さんは優しかったんです。だから、そういうことができたのではないでしょうか?」

すぐにそれを打ち消すようにジョチさんはいった。偉い人というか、共産主義者のいいそうなセリフだった。でも、水穂さんはホットケーキを口にしようとはしない。

「せめて、僕がホットケーキ作ったり、岩橋さんが幌延町から、わざわざ持ってきてくれた事への御礼として、食べてくれたら嬉しいんだけどなあ。もしね、それが、生活の手段に過ぎないと思うんだったら、勝手にそう思ってくれていいよ。でも、僕たちが、それは嬉しい事だってのは、お前さんには変えられないよ。それはわかるかい?」

杉ちゃんが、デカい声でそういうと、水穂さんは、少し考え直してくれたのか、其れともやはり生活の手段として見ていなかったのか、どちらかは判別できなかったが、ホットケーキをやっと口にしてくれたのであった。杉ちゃんたちは、大きなため息をついた。





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ホットケーキ 増田朋美 @masubuchi4996

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