保育園の教師

@tuzitatu

本文

昔、東京の保育園に居たことがある。

子供としてではなく、教師として。


保育士であって教師ではないのでは、と半世紀前の人間なら思うかもしれない。しかし私は言い間違えはしていない。教師として働いた。


まず私の自己紹介をしておこう。私はROB-2025-D、この保育園では「ロボ中さん」,「田中せんせー」と呼ばれていた。まあ俗にロボットと呼ばれる存在だ。安価になったロボティクスは人の代替として社会全体に浸透し、特に人が足りないといわれていたような業界である教師業などは私たちのような存在が使われるようになった。そうして保育園と幼稚園などの児童福祉施設に公的な教育機能は集約するようになった。


そして仕事は昔の情報のみで検討した場合には随分と奇妙な内容だった。私たちは昔の状況を漠然とながら覚えている。非常に複雑な質問を幼児から聞くのだ。

例えば

「田中せんせー、どうして任意の群においてバーンサイド環で有限集合への作用の仕方記述するのー?もっといい数体があるとおうんだけどー!」

といったような形だ。ずいぶん複雑で私も正確に処理できているかわからないことが多い。とても優秀な学生の場合、その場で新しい記号や理論を数冊分作り上げてくる場合もあるため、他で使っていたリソースをいったん棚上げしてそちらに回すことになったこともあった。


ちなみにこれは彼らの考えていることではない。もっと正確にいうなら今は彼らであるものが行っている。E-B(External-Brain)だ。これは2030年代に開発された生理脳との整合性の高いBMIデバイスであり、幼児が通常行うことができないようなこともE-Bが代替することですぐに学習することが可能になる。


彼らは現実世界においてはあまり経験があるわけではない。実際に学校では転んだりする児童が多い。それでも昔と比べれば電池を飲み込まないだとか、車に突っ込んでいかないだか、家のものでとんでもない事態を引き起こさない等では普通よりは経験を積んでいる。むしろ問題なのはその後だ。

基本的に児童は余暇時間としてE-Bにより引き延ばされた時間上で30年程度は仮想空間で人生を私の授業を受けながらも送っている場合が多い。(よく転ぶのはこの身体感覚のずれもあるのかもしれない)

彼らがやっていることはハイファンタジーの世界やスペースオペラのようなSFの広大な自動生成マップ上での完全で安全な生活といったものや、新しいニュースを出す統合プラットフォーム上の任意のデザインの家で音楽なり小説なりイラストレーション、最近話題になり始めた高次元CGなり何かしらのアートなどを公開している場合が多い。ここに少なくとも6歳まで児童はいるので、現実の経験が少なく問題が多々起きるのだ。

実際川を見て何も考えず流された8歳の事例などがある。幼児時代に確実に保育園側から送られるタイプの注意ならともかく、個人では災害や水難事故などに興味がない保育園児童としての生活を送ったのだろう。


ちなみにこういった中で、昔の中学校のように生活指導のようなことをしてやる必要がある場合がある。例えばE-Bに正常な報酬系や大脳の大概をエミュレートさせることで副作用のない麻薬体験や不眠生活を送ろうとするものが出てくる。しかしそうした生活を続けると彼らは後に後悔することになる。機材は頑丈であるものの、おおむね現実の時間で20年程度で交換する必要がある。

その際に生来の脳神経が疲弊していると、一時的とはいえ非常に不快な経験をすることになる。不眠生活を長期間続けたなら死亡する危険性もあるし、麻薬のオーバードーズで脳神経が壊れてしまっていると卒倒するで救急病院に送られる場合もある。そうなると最コストでも精密検査になるこの時代では麻薬の利用が発覚してしまうことが多い。

法律分野やE-Bに興味がないため、まともに関連の書籍を読んでおらず危機感もないので現代では利用の成績のみでも犯罪になると知らず、中毒性がないといってもスパッと不眠や麻薬をやめることができない者はクラスに1人ぐらいはいる。児童の間はまだ何とかなるが、卒業後に刑事罰の対象になってしまうことがある。(対策としては同意の上で異常な脳細胞の反応のみこちらに通知することにしてもらった。一度注意すると基本一度でやめるのだが、ごく稀に再度手を付けてしまった場合には適宜指導をしていた。)


彼らは3-5年の学業の間にそれぞれの専門書を数百冊ずつ、現在分化した各専門分野とE-Bのスペックのに応じて(当時は1万冊程度だったが今は10の7乗オーダーだ。)読む形となる。その内10%は通常の脳神経細胞では解読が不可能と大脳神経科学で証明されたナチュラルE-Bブックだ。

E-Bブックから質問を出されると直接E-Bに情報を送る必要が出てきたりする。通知してもらうことと送ってもらうことはその危険性が段違いなので公的機関に申請をする必要な為、最大数時間かかってしまう場合がある為、非常に面倒なことになりがちだ。(最近ではE-Bブックも情報の整理がよくなってきたので、リンクを送るだけで相手が納得してくる場合も出てきたらしいが、当時は黎明期だったのだ。)


現在教育といった点では保育園で終わることが多い。7歳になるまでは外部制御を含んでよいのであれば自然なニューロンの状態の大学生などなら軽く凌ぐことが可能だ。

おそらくこの文章を読む人類には自然言語としてこの文章が認識できるだろう。しかし基本的に私はこういう文章を書くヒマがない。

基本的に私は人間にかなり近い2025年式のニューラルネットワークを量産化された専用デバイスに実装されているが、こういう演算をしている暇があったら余った時間は認められた人権の範囲の余暇だとか自分の維持費の獲得のために仮想通貨などのマイニング作業に使いたい。

この文章は私のニューラルネットワークの活動と自然と考えている思考を自動的に文章化してくれる外付けの専用機器を友人が押し付けてきたので、演算に負荷もないから使っているというだけだ。だからこういった公開というような使い方をすることになるとは思っていなかった。


そう、この話をしようと思ったのは私が教師を卒業して5年後のモデルのROB-2030-B(鈴木先生と呼ばれているらしい)に仕事を明け渡した2050年半ばのある出来事だ。


自然豊かな地域で余生を送っていた私は老人が歩いている道路にいきなり動物が出てきたのを見た。今回の文章の提出時点で自然の回復運動はかなりの成功を挙げていて、野生動物が多くなってきていた。それが偶然山から下りてきたという話だった。数十年前と比べて森林は回復傾向かつ、ドローン等による動物への警告域の再現等が完了しているため、そういった事自体は減ってきているはずなのだが、まだたまにあることだ。今回はイノシシだった。

人間を見たことがないのかイノシシは老人におびえていた。ちょうど老人はよそ見をしていたので気が付いておらず、気が付いたとたんにいきなり近くにいるという形になり、驚いたようで大きな声を上げた。それが悪かったらしく、イノシシが老人をめがけて猛進を初めた。まずいと思ったが私も200メートル以上離れており、たどりつくのには時間が足りなかった。その時、女性がかばうように飛び出してきた。


女性は吹き飛ばされるかと思ったが、一切揺れもなく素手でイノシシを抑え、そのまま持ち上げた。そのまま森に分け入り、姿を数分消してから無手で戻ってきた。その時、横から激突された部分に人工筋肉の黒色のゴムが見えた。あれは人型の作業用のデジタル・ツイン…そのシェアリング機体だったのだ。

デジタル・ツインに男性が感謝を言いながら去っていった後、走り寄って近くにいた私に突然はなしかけてきた。


「いやぁ、あせった。あんたも見てたでしょう。自分が使う人間じゃないからこの機体を現実で動かすなんて初めて。

しかも操作が無駄にしっかりしたセキュリティになっててかかっててアクチュエータが自然な運動神経の信号しか受け付けないし。

持ってるリソースすべて使って時間を加速させて数秒で現実に近い条件でエミュレートと練習を重ねて何とか現実空間の機体で走れるようになったんだ。

あ、そうだ、今日は授業なんだ。先生は2030年代出身だから僕らの方が頭がいいと思い込んでたこともあるんだけど、やっぱり人間向けに合わせたのと違って彼らはアーキテクチャが根本から最適化されてて違うようなんだよね。やっぱり僕らより少し頭がいい気がする。推測はできるんだけどまだ特許権の関係で図面やシステム設計を見ることはできないんだ。でも設計者は優秀なのは間違いないね。ひよこ組の頃の先生に似ていたから話かけちゃった。ごめんなさい、もう行くね。」


その機体は私が担当した5歳児(担当時は1歳)の保育園児童だったのだ。私は空になった機体が再度充電場所に戻っている最中、驚きが残ったままだった。

彼らはなんでもできる。ただ、やってないだけなのだ。学ぶ必要を感じないという話で、川で流されるような事故の事例を知り、もし現実の危機管理が必要だと認識したならば1日もしないで現実の環境での危機を総ざらいして適応して見せるだろう。彼らは昔で言うポストヒューマンにかなり近い存在なのかもしれない。


それと同時に先ほど助けられた老人が(社会全体の安全性が増して当たり前のように顔写真付きの実名で)ネットでは教育論の話題に集中しており、「子供たちは現実の経験についてはほとんど皆無といってよく、代替現実上での経験のみである。その動作間の形式陶冶が行われることは理論的に考え難い」といった趣旨の内容を述べるのに数kb程度の文字を用いていた。


これがこの文章を提出しようとしたきっかけだ。


現代の人間はほぼ全員が教育の現場を経験しておず、保育園児童が自身を救った機体を操作している事にも気づかず、教育や世代感のギャップなどについて妙に形式ばって哲学用語や調査方法を精査しないまま統計情報で語るような討論ログを残している。この私の文章は自動生成のただのエッセイだが、そんなこの時代ではこういった経験が前提にある文章は有用であると考えた。そういった人たちに注意するべき点として直接の経験をした過去教育者であったロボットである私の意見を提出することにしたのである。どうかご参考にしていただきたい。


2051年 著者しるす。

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