【10分で読めるSF】ペルソナ&シャドウ

松本タケル

ペルソナ&シャドウ

【1】

「いま何て言ったのあおい?」

 悠真ゆうまはテーブルの反対側に座る彼女に聞き返した。

「何も言ってないけど」

 彼の名前は佐藤悠真ゆうま、大学1年生。二人は時折ときおり、この喫茶店でデートをする。

 世の中は新種のウイルスが蔓延まんえんしており外食が難しいため、喫茶店で話しをする。その間はマスクをはずすが長居ながいはしない。


 悠真ゆうまのお相手は柏木かしわぎあおい。同じ経営学部の同級生だ。付き合い始めて2カ月。本当は旅行を計画したいところだが世の中の状況がそれを許さなかった。


「何も言ってないのに聞こえたって気持ちワル」

 悠真ゆうまにはそう聞こえた。しかし、目の前のあおいはストローでアイスティーを飲んでいる。


「気持ち悪いって? ごめん、ごめん」

 謝る悠真ゆうまあおいは驚きの表情で見つめた。


「佐藤クンって、目が怖いんだよね。心の中を見透かされているような」

 悠真ゆうまには確かにそう聞こえた。しかし、目の前にいるあおいの唇はとじたままだった。


 あおいの黒髪で大和撫子やまとなでしこのようなところが好きだった悠真ゆうまは少し動揺した。


「でさあ、今日の授業だけど・・・・・・」

 悠真ゆうまは意図して話題を変えることにした。しばらく話しをして二人は喫茶店をあとにした。



【2】

あおいがマスクをはずしたあとに声が聞こえた。れんのときも同じだった」

 その晩、悠真ゆうまは一日の出来事を分析した。れんは同じ学部の男友達。いつも学食で一緒にお昼を食べている。

「やっぱ、こいつとると楽しいわ」

 れんの話し方にそっくりだった。しかし、とうれんはカツカレーをガツガツと食べていた。腹話術でも使わない限り、話しはできない状況だった。


「マスクか。マスクがトリガーだな」

 あおいのときも同じだった。飲食を始めてマスクを外したあとに声が聞こえた。


「マスク、マスク・・・・・・マスクは仮面」

 その時、悠真ゆうまの頭の中にマーケティングの講義で聞いた話が浮かんだ。


―マーケティングの世界では対象となる人物像を具体的に特定します。これを『ペルソナ』と呼びます。心理学の用語から来ており 『ペルソナ』 は仮面のことです。仮面の下には押さえている自分の一面 『シャドウ』 がいるのです」


「そうだ、マスクは仮面と同じだ。


「そして、

 悠真ゆうまが至った結論だった。


 幻聴げんちょうという可能性もある。そこで、翌日、男友達をお昼に誘ってこう言った。

「オレがお前の朝飯あさめしを当ててやる。頭に今日の朝、食べたものを思い浮かべてくれ」

 マスクをはずして食事を始めてから聞くのがポイントだ。5人実験したが、正答率は100%だった。友達はびっくりしていたが 「ちょっとしたテクニックで読みとれる」 ということにしておいた。


 この事実に気が付いてからは悠真ゆうまはマスクを外した人に近寄らないようにした。他人の心の声が聞きたくなかった。


 聞こえてくる声は大抵たいてい、苦言や嫉妬しっとだった。人は 「嬉しい、楽しい」という気持ちは分かりやすく表現する。反対に聞かれたくない部分は表情を変えずに心の中だけでつぶやく。そのため、大半の声は心地よくないものであった。


 マスクをはずした人に近寄らなければ回避できる頃は良かった。しかし、そうもいかなくなってきた。ワクチンの普及によりウイルスが収束していったのだ。マスクを外す人が急増した。


 悠真ゆうまにとって地獄の日々だった。どこにいても声が聞こえた。外出が恐怖になった。そして、ついに学校へ行くことが出来なくなり引きこもってしまった。


「沢山の声が聞こえて、怖い」

 あおいにSNSでメッセージを送った。悠真ゆうまは助けてほしいと思っていた。しかし、気味悪きみわるく思ったあおいは返信しなかった。そして、二人の関係は終わりを告げた。


 当初は大学の友人がお見舞い来た。しかし 「オレの前ではマスクを《はず》外すな」 と大声で言う悠真ゆうま気味悪きみわるがり、誰も訪ねてこなくなった。


 悠真ゆうまは自室から出てこなくなった。そして、両親とも顔を合わせなくなってしまった。


【3】

―10年後。都内のとある警察署。


 物語がは思わぬ形で動き出した。


「雨宮警部補、これが容疑者のファイルです」

 新米刑事の米田がファイルを差し出した。受け取ったのは30歳前後の若い男だ。表情一つ崩さずにファイルに目を通す。


「妻を殺害した容疑です。車から血痕が検出されました」

 米田が状況説明をする。

「続けてくれ」

 警部補の雨宮は椅子いすに足を組んで座り、ファイルをパラパラとめくった。そして、耳だけを米田に向けた。


「容疑者ですが精神病の疑いがあります。大学時代に情緒不安定になり、通学できなくなったようです。そして、そのまま退学。しばらく引きこもっていた模様です。しかし、数年後に心を入れ替え小さな町工場まちこうばで正社員として働いていました」

「で?」

「はい。そこで出会った女性と5年前に結婚、子供はいません。当初は夫婦仲は良かったようです」

「当初?」

「はい。近所で聞き込みをしました。この1年はうまくいってなかったようです。精神的に不安定になることが多く、怒鳴り声が聞こえていたそうです」


 雨宮はファイルから目を離さずに聞いている。

「で、妻が失踪か」

「はい。容疑者自身から捜索願が出されました。しかし、不信な点が多いので任意で取調べたら、車から血痕けっこんが出てという訳です」

「容疑者は何て?」

「妻は鼻血が止まらなくなることがあり、そのせいだと。しかし、家宅捜索をしたら風呂場で血液が洗い流された形跡がありました。相当量と推定されます」

「また、車のナンバーを追跡したら山奥の河原まで行ったことが判明しています。周辺住人が車から何かを運び出すのを見ています」

「それが、遺体かもしれないと」

「分かりません。周囲を捜索したのですが物証ぶっしょうはありません」


 その時、ドアが荒々あらあらしくく音がして一人の男が入ってきた。

「あ、坂本警部。一服ですか?」

 薄っすらタバコの臭いを感じて米田が問いかけた。

「昔はここでも吸えたんだがな。時代が変わったもんだ」

 坂本は頭をボリボリ搔きながら答えた。

「で、さっきの件を雨宮に説明ってわけか。どうだ、雨宮。取調べやれるか?」


「米田、容疑者の写真はないか? ファイルには入ってないようだが」

「さっきプリントしたばかりなもので」

 米田はプリンタからプリントされた写真を回収して雨宮に渡した。雨宮は食い入るように容疑者の写真を見る。


「そんなに、容疑者の写真って重要ですか?」

 米田は間の抜けたような声で聞いた。

「まあ、黙ってなって」

 ニヤッとしながら坂本は椅子いすに腰かけた。

「米田。容疑者は眼鏡めがねけていないのか?」

裸眼らがんでした」

「スマホは?」

「今は回収して保管してます。今だにガラケーです」

「・・・・・・」

 雨宮は無言で写真を凝視ぎょうししている。


「よし。今から取調べを行う。容疑者を取調室へ」

 何かに気付いたようだ。雨宮は写真をポンと机に置いて立ち上がった。

「い、今からですか?」

「まあ、雨宮の言う通りにしてみなって」

 坂本は相変わらず意地悪く笑いながら米田に指示を出した。


【4】

 10分後、取調室に容疑者が通された。その1分後に雨宮が部屋に入る。残りの2名はカメラ越しに別の部屋で様子を見ていた。


「あなたには妻を殺害した容疑が掛けられています」

「馬鹿言ってんじゃねーよ」

 容疑者は小太りで目の下にクマ。髪の毛は薄くなっている上に無精ぶしょうひげ。

「見るからに精神が病んでそうだな」

 口に出かけたが雨宮は内心にとどめた。


「車から血痕が出てます」

「あれは嫁の鼻血だって言ってるだろ」

「川には何をしに?」

「気晴らしだよ。山の新鮮な空気を吸いにいくんだよ」

「何か運び出していたとの証言もありますが」

「あの辺はバーベキューをしに来る若者が多い。そいつらと間違まちがえたんだろ」

 物的証拠は無い。証言は老人のものだ。信憑性しんぴょうせいを問われ兼ねない状況だった。

「どうでもいいから、早くよめを探してくれよ。オレは心配で仕方ないんだよ」


 雨宮は攻め手を変更した。

「少し話を変えましょう」

「あなた、大学を中退したそうですね」

「そうだが、何か関係あるのか?」

「気分転換です。理由は何ですか?」

耳鳴みになりがヒドくなったんだよ。周りの誰かがオレのことを悪く言う声が聞こえたりとかよ」

「医者には行かなかったんですか?」

「精神安定剤が出されただけで、治らなかったんだよ」

 少々打ち解けた感じはしたが、警戒を解くには至らなかった。


「しばらく引きこもっていたようですが、そこから良く復帰しましたね」

「そうだよ、がんばったんだよ。だから、結婚もできた。もう、いいだろう関係ない話しはもうしねえ」


「奥様を愛してらしたんですね」

「そうだよ」

「その左手の薬指にはめている指輪ですが結婚指輪ですか?」

「ああ。愛する嫁とペアってやつだ」

 雨宮は不自然なほど妻への愛について話す容疑者をきな臭く感じ始めていた。


「1点だけ、お願いを聞いてもらえますか?」

「はっ?」

「その指輪をはずしていただきたいのです」

「何でだよ。押収するのか?」

「いいえ。はずして机の上に置いていただくだけで結構です。私に渡す必要もありません」

「意味わかんねーな。ほら、これでいいのかよ」

 容疑者は太った指から無理やり指輪をはずして机に置いた。カツンと金属が机に当たる音がした。


【5】

「始まった。よく見とけ」

 坂本は目を丸くしている米田に念を押した。


「ありがとうございます。では、これから何枚か写真を見ていただきます」

 雨宮はファイルから地図と写真を数枚取り出して机に広げた。

「これはあなたの車が停まっていた河原の写真です。地図で言うとこの辺です」

 指で地図の位置を示した。

「あなた、ここに行きしたね」

「ああ、気分転換にたまに行くって言っただろ」

 容疑者はイラ立ち始めた。


「あーもう、オレは話さない。黙秘権ってやつやだ。いいな!」

 容疑者は腕を組んでそっぽを向いた。

「いいでしょう。でも、目だけはこちらに向けてください」

 容疑者は横目で渋々しぶしぶ、机の上の地図と写真を見た。

「こちらが川の中流の写真です。地図で言うとこの辺です」

 雨宮はファイルから別の写真を出して机に広げた。容疑者は横目で見つつも無言だ。

「続けます。こちらの写真は更に上流のものです。ここまで行かれましたか?」

 またしても、無言。黙秘する覚悟は揺らいでいないらしい。そのまま、雨宮も話すのをやめた。


 静寂。1分間、無音の時間が流れた。雨宮は容疑者をジッと見ている。


「以上で取調べを終わります。ご協力ありがとうございました」

 静寂を破って雨宮が言った。そして、ファイルに地図と写真を片付け始めた。


 容疑者はキョトンとした表情になった。

「終わりって、オレは何にも話してねえだろ。意味わかんねーな。まあ、終わりつーならいいけど」


「指輪、けていただいて結構ですよ」

 雨宮は立ち上がりながら言った。

「明日にはもっと突っ込んだ話ができそうです」

 怪訝けげんそうな顔をする容疑者を尻目に雨宮は取調室を出た。


【6】

「雨宮さん。有力な供述は得られませんでしたね」

「米田、今から出るぞ」

「出る? どこにです?」

「遺体の場所が分かった。今から捜索に出る。人を集めてくれ」

「場所って何のことです? さっぱり分かりません」

「雨宮に従っとけ。で、雨宮、何名集める?」

 呆然とする米田を放置して、坂本が言った。

「そんなに多くはいりません。遺体はすぐに見つかると思います」

 雨宮は出発の準備をしながら返答した。


 署内の警察官に加え、待機していた警察官が数名、招集された。


「日暮れが近い。急ごう。運転はオレがする。米田、隣に乗れ。移動しながら話そう」

「どこに向かうんです?」

「容疑者が行った川だよ」

「既に捜索しましたが」

「下流じゃない。もっと上流だよ。場所も分かっている」

 警察署から雨宮の車を含む3台の車が出発した。


「あと1時間で日暮れか。川まで飛ばして30分。まあ大丈夫だな」

 雨宮はハンドルを握り夕暮空を横目に見ながら昔の事を思い出していた。


「大学中退か・・・・・・オレも似たようなものだな」

 警部補の名前は雨宮悠真ゆうま。旧姓は佐藤悠真ゆうまだ。結婚して養子に入り名前が変わった。大学の頃、休学したこともあったが、一年間留年して卒業した。


 声が聞こえる症状は人々がマスクを外した期間が長くなると次第になくなった。外した状態が通常となると声は聞こえなくなっていた。そして、悠真ゆうまは再び学校に通えるようになった。


「雨宮さんのその技術は 『メンタリズム』 ってやつです?」

 助手席の米田が唐突に聞いてきた。デリカシーを考えずに質問するのが彼の性格だだ。しかし、先輩から可愛がられる部分でもあった。


「似たようなものだ」

「表情から考えが分かるってすごいですね。僕には容疑者は眉一つ動かしていないように見えましたが」

「お前も、いつか出来るようになるよ」

 我ながら適当な回答だな、雨宮は苦笑した。


「マスクを外すと声が聞こえる」

 声が聞こえ始めたころの理屈だった。その後、マスク以外でもその現象が起こることが分かった。


 最終的に悠真ゆうまが至った結論はこうだ。

「長く身にけている物をはずすとその人の心の声が聞こえる」

 眼鏡、指輪、カツラでもよかった。スマホ中毒の人の場合、スマートフォンを手放すと声が聞こえることもあった。


 悠真ゆうまはこの事実に気付いたあと悩んだ。悩み抜いた結果、能力を有用に生かす道を選ぶことにした。そして、刑事になった。


悠真ゆうまは容疑者を取調べる前に必ず聞く。

「眼鏡はかけているか?」

「指輪は?」

「スマホ中毒ではないか?」

「長く身に付けているものは?」

 その 『仮面』 を取り除くと 『シャドウ』 の声が聞こえるのだ。


(終)

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