【読切】一人と一匹を繋ぐ風船

ニノ

第1話 一人と一匹を繋ぐ風船

それは、空にまだ龍が飛んでいた頃のお話。


いつも空を見上げている少年が一人。


孤独な少年は、孤独に空を舞う龍を見ては思う。『寂しくないのだろうか?』と、自分はこんなにも一人で寂しいのに。


村人に聞いてみても、みんなは遥か天空の世界に興味はなくて、龍のことを自由気ままだと決めつける。そして決まって、空より大地の畑を見ろと言った。


ある月夜の晩。

少年は偶然にも龍が人の姿になるのを見た。人になった龍は雲の上にちょこんと座り、両足を雲から放り出してぶらりと所在ない。


綺麗な少女だった。

細い身体にオレンジ色の長い髪。風にゆらゆら揺れて、月明かりがたなびく髪を淡く照らした。どこまでも広がる群青色の空にポツンとオレンジ色の少女が一人。


その日、少年は龍に恋をした。


翌日、少年は沢山の風船を作った。

そして、風船にメッセージを記す。それは昔から変わらぬ龍への疑問。


『いつも一人で寂しくはないのですか?』


少年には弱いけれど魔法の力があった。

空気を少しだけ軽くする風の魔法。大して役には立たないけれど。孤独な龍が気になって空に近づきたいと願い続けたら、いつしか手に入れた神様からの贈り物だ。


少年の魔法で風船が空を飛ぶ。

数百の風船が空をカラフルに埋め尽くしていく。本当は自分が空に行きたいけれど、神様はそこまでは許してはくれなかった。だから、風船に思いを託す。


風船は広がりながら、ぐんぐんと空へと舞い上がる。人の世界を超えて、あの龍の住む世界へと。


そして、風船は境界線を超えた。

遥か彼方の龍が確かに風船を見ていたのだ。


カッと閃光が走る。

一瞬にして風船が灰塵と帰して、雲が霧散し、空が燃えた。空一面に広がる炎の絨毯。龍は咆哮があげて、炎を吐いていた。


……そして、少年は村を追い出された。

龍の逆鱗に触れた少年に対して村人は冷たかった。


それでも少年は諦めなかった。

山中に小さな小屋を建てて暮らし、そこから風船を飛ばした。


『怒らせてごめんなさい』


風船が再び空を舞う。空は燃えなかった。

それから毎日、色とりどりの風船が空を飛んだ。少年の一方通行な想いを乗せて。


『僕は一人で寂しいです』


『空の世界はどんなところですか?』


『先日見たオレンジ色の髪、とても綺麗でした』


『僕も空を飛んでみたいです』


『月が綺麗ですね』


『今日は暑いですね。お身体に気をつけて』


『少し体調が悪そうですが大丈夫ですか?』


『お元気になられたようで安心しました』


『さっき、こちらを見てくださいましたか?』


『今日の夜は暗いですね。暗いと寂しくなります』


孤独な少年は、龍に風船を飛ばし続けた。

返事は一度たりとも返ってきたことはない。それでも飛ばし続けた。龍に想いを飛ばすことは、少年の生きる理由になっていたからだ。


ある日、少年は病に倒れた。

過酷な山中での生活は、少年の身体を蝕んでいたらしい。見舞う者のいない病床で、薬や医者はおろか、まともな食事すら無い。回復は見込めない。死を待つだけの時間。


それでも少年は風船を飛ばす。

飛ばせる風船の数が減り、病の身体が弱々しい文字を描き、風船に魔力を込めると身体が軋んだ。


『会いたいです』


やっとの想いで風船が飛ぶ。

飛ばせた数は一個だけ。少年は病床の窓から風船の行方を虚ろな目で眺めた。


風船は風に流されて、ゆらゆらと揺蕩いながら暗雲に吸い込まれて消えた。龍の姿は見えない。


風船を見失った少年は、意識を手放した。



……月夜の晩に少年は目を覚ます。

どうやらまだ生きていたらしい。窓から見える綺麗な月、群青色の空が広がっていた。あの日、初めて風船を飛ばそうと思った時と同じ空だった。


死ぬには良い日だ。

少年はやつれた顔でそう微笑んだ。


そしていつものように風船を手に取る。ままならない身体に最期だからとムチうって筆をとった。どうせ死ぬならかつて群青色の寒空で、オレンジ色の少女に抱いた淡い想いを遺したい。


『好きでした』


震える手で風船を掴み、窓の外に手を伸ばす。

これが本当に最期の一回だ。きっと魔法を使ったら意識を失って死んでしまう。不思議と少年にはそれが分かった。


万感の想いを込めて、風船に魔法をかける。


ピトッ……と風船を握る手に何かが触れた。

それはとても暖かで、包み込むように少年の手をぎゅっと握りしめる。


「死なないで!」


少年の目が大きく見開かれる。

そこには龍が……オレンジ色の少女が立っていた。


「な……んで?」


少年の掠れた声に、少女が眉を顰める。


「あなたが会いたいと言ってくれたから……。」


少女はそう言って破れた風船を見せる。

『会いたいです』弱々しい筆跡で書かれたオレンジ色の風船。少年が少女を思って選んだ色だった。


「……ごめんなさい。あなたが初めてくれた風船を燃やしてしまって。」


少女は大きな肩掛け鞄から半分炭化した風船を取り出した。そこには元気な文字で『いつも一人で寂しくはないのですか?』と書かれている。


「こんなこと初めてで、どうして良いのか分からなかったの。ずっと謝りたくて、返事をしたくて。……でもどんな顔をして会えばいいのかわからなくて、ごめんなさい。」


少女は申し訳なさそうに俯いてしまう。


「めいわ……く……でした?」


その様子に少年は恐る恐る訪ねると、少女がバッと身を乗り出して両手で少年の手を掴んだ。


「あなたが私に色をくれたの! ずっと空で一人きりの私に沢山の綺麗な手紙をくれた。こんなこと初めてで……本当に嬉しかったの。」


「良かった……」


少年は表情を綻ばせる。

お互いに孤独な世界を共有し、少年が少女に感じたように、少女も少年に生き甲斐を感じてくれていた。その事実が何よりも少年は嬉しかった。


「ねえ……返事をさせて。」


「……うん?」


少女が鞄を開けると、そこには色とりどりの風船が丁寧に仕舞い込まれていた。赤、白、黄、緑、紫、青、茶……何色あるのか数えるのも難しい。


「えっとね、まず……私は一人でずっと寂しかったよ。」


「うん……」


次の風船を取り出す。

『怒らせてごめんなさい。』


「私は怒ってない。だから、謝らなくて大丈夫。……風船燃やしてごめんなさい。」


少年の一方通行だった想いが通い合う。一つ一つ、想いが丁寧に救い上げられていく。独り言のような他愛ないメッセージまでもが、会話としての体をなす。


まるで、太陽が闇夜に終止符を打って明日を照らすように、少女の言葉が少年の想いを隅々まで照らしていく。少年は涙を溢して、ようやっとの事でうん、うんと頷いた。


……孤独が解ける音がする。


少女は全ての風船に返事を告げると、少年に寄り添った。そして未だ手に握られたままの最後の一枚に手を添える。


『好きでした』


「私も好きでした。」


言葉にならない気持ちが溢れて、少年が号泣する。

少女は少年の背に手を当てて優しくさすった。触れた場所からお互いの温もりが通じ合う。


「ねえ、わたしの寿命を半分、あなたにあげても良い?」


「え……?」


「私を寂しいから助けて。……ダメかな?」


「ダメじゃないよ。でも、そんなのどうやったら。」


「……こうするの!」


少女が少年にキスをした。


少女の生命力が少年に移り込み、みるみる内に少年の身体が再生していく。荒れた肌が艶を取り戻し、色素の抜けた髪が若返る。光り輝く生命力は瞬く間に少年の身体を駆け巡っていった。


孤独を殺す甘美なキスだった。



……それは、空にまだ龍が飛んでいた頃のお話。

けれども、孤独な龍の姿はもうどこにもない。あるのは仲睦まじく幸せそうな一人と一匹の姿だけだった。

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