バスドラムから僕のベースの音がする。

桁くとん

バスドラムから僕のベースの音がする。 



 ぼくが物心ついた時には、うちのリビングには練習用のドラムセットと15Wワットのベースアンプとソフトケースに入りっぱなしのベース、そしてZO‐3ぞうさんギターが置いてあった。

 ソフトケースに入っているベースは楽器そのものをまだぼくは見たことがない。一度もソフトケースのジッパーが開けられることがなかったから。すっかりほこりかぶったソフトケースをわざわざ開けようとはぼくは一度も思ったことがない。そしてZO‐3ぞうさんギターはギタースタンドに立てかけて置いてあって、げんはもうすっかりびている。


 お母さんに聞いたところ、ぼくが1歳の頃に亡くなったお父さんが残したものだという。

 お父さんは別に音楽で生計を立てていた人ではなく普通の会社員で、趣味しゅみで音楽をやっていたらしい。

 

 お母さんはけっこう物ぐさなたちで、掃除そうじもけっこう適当てきとう

 もうベース以外の楽器類にもほこりがうっすら積もっていて、一度試しに練習用ドラムセットを置いてあったドラムスティックで叩いたら、ポワンとした感触かんしょくだけで何の音もせずたたいたドラム以外のドラムからもほこりがぶわっとい上がった。


 「何で片付けちゃわないの? 場所を取って邪魔じゃまなだけじゃない」


 練習用ドラムを叩いて埃塗ほこりまみれになった後、ぼくはお母さんに聞いた。

 うちのお母さんは、掃除そうじ適当てきとうだけれど物の収納しゅうのうみょうにきっちりしていて、ぼくが学校から帰ってランドセルや教科書を適当てきとうに置きっぱなしにしていると、すぐに「片付けなさい!」と怒るのだ。

 そんなお母さんがこんなに場所を取る楽器類を放置ほうちしておくのはぼくにはよくわからなかった。


 「何となく、カッコ良くない? リビングに楽器が置いてあるのって」


 お母さんは笑ってほこりを部屋から追い出すために窓を開けながらそう答える。


 「お父さんの形見かたみだから置いてるんじゃないの?」


 ぼくは何となく思いついた理由をお母さんに聞く。


 「そうね、形見かたみではあるけど、別に私は楽器に思い入れは無いのよね。お父さんのバンドを見に行ったことだって一度きりだしね。ただ、何となくなのよ」


 「ふーん、そう」


 確かにあんまりお母さんは音楽をかない。たまにTVの音楽番組がついているとをする程度。お母さんの車に乗せてもらっても音楽がかかっていることはほとんどない。大抵たいていカーナビでTV番組をつけてBGM替わりにしている。


 お母さんの影響えいきょうなのか、ぼくほとんど音楽には興味きょうみがない。


 学校の音楽の時間も、ピアニカの演奏えんそうなんかはきらい。何だよ和音って。別にわざわざ音なんか重ねなくていいじゃないかって思う。ソプラノ笛もうまく穴を指で押さえられないからいい音が出ない。打楽器ならやってみたい気もするけど、家の練習用ドラムをわざわざ叩こうなんて気にはならない。ほこりがすごいし。

 トライアングルとか高い澄んだ音がして好きだ。でも滅多めったにやらせてもらえない。音楽祭の合奏の時くらいだけど、自分の好きにやりたいぼくきらって先生はやらせてくれない。

 音楽鑑賞かんしょうの時間に聞く音楽も、有名な音楽家の重厚じゅうこうな音とか先生が言うのは暗くて好きになれない。けどモーツァルトさんはけっこういいなと思った。毎回音楽の時間はモーツァルトさんの曲をかけてくれればいいのにな。


 そんなぼくは小学5年生。お母さんと二人暮らし。


 今住んでいる家は、元々お父さんが貯金をはたいて買ったらしい。とはいっても頭金を多く払って残りはローン。支払いはまだ残っているとお母さんは言っていた。分譲地ぶんじょうち一画いっかくに建てられた建売たてうり住宅。田舎だから何区画か売れ残っていて、家が建っていない空地は僕の背丈せたけほどの草が生えている。ぼくの家のとなりとなりの家はぼくの家と同じタイプの建売たてうり住宅でまだ売れていないので、売値が下がっているらしい。お母さんは家を買うのを待ってても良かったかな、とその価格を見てこぼしていた。


 お母さんは看護師かんごしをしている。車で30分くらいのとなりの市の総合病院そうごうびょういんつとめている。

 ぼくが小学校3年生の頃までは外来がいらいの担当だったらしく、夜は家に戻ってきていたのだけれど、僕が一人で留守番が出来る小学校4年生になってから病棟びょうとう担当に異動いどうさせてもらったみたいで夜勤やきんも週に1,2回はある。早番や遅番おそばんもあるので、ぼくが学校に行く前に仕事に出かけていたり、ぼくが寝る時間になってから帰って来ることも多い。

 「本当は外来がいらい担当のままだったら夜は毎日帰れるんだけど、どうしても夜勤やきん手当がないと苦しいからね、雄太ごめんね」

 お母さんはそう言うが、それは仕方ない。お母さんはぼくのために頑張がんばってくれているのがわかるから。

 だから本当はぼくとなりの市のサッカークラブに入ってサッカーをしたかったのだけれど、送り迎えがお母さんの負担ふたんになるのであきらめた。


 お父さんが生きていればな。


 一人で家で留守番をしているとそう思うことがけっこうある。

 ぼくが1歳の頃にお父さんは車の事故じこで亡くなったので、ぼく記憶きおくの中にはお父さんの思い出がない。

 お父さんの写真はリビングのTVラックの上にかざってあるので、お父さんの顔は写真で覚えた。

 お母さんと肩を寄せ合って笑顔で写っている写真。

 写真のお母さんは、この頃あまり見たことのない楽しそうな笑顔だ。お母さんはなかなかに美人さんだと思う。多分ぼくのひいき目ではない。

 写真のお父さんは、やはり満面まんめんみを浮かべている。

 ただ、言っちゃ悪いがあまりカッコ良くはない、と思う。

 あまりモテそうじゃない。

 四角い輪郭りんかく団子鼻だんごばな眉毛まゆげも太い。土の着いたジャガイモ顔と言われても何かしっくりくる。

 ぼくは良くお母さん似と言われるのであまりぼくとは似ていないと思うのだけど、お母さんは「雄太は耳の形がお父さんにそっくりだよ」と言っていたので、写真じゃよくわからないけど、耳は似ているのだろう。


 金曜日の今日もお母さんは夜勤やきんだ。

 明日はぼくも学校が休みなので、多分お昼ご飯は母さんが買ってきてくれたお弁当を一緒に食べるだろうな。

 そんなことを考えながらぼくはお風呂掃除そうじとトイレの掃除そうじを終わらせた。お母さんが夜勤やきんだからってことじゃなく、お風呂とトイレの掃除そうじはいつもぼくがやっている。仕事の時間が不規則ふきそくつかれて帰って来るお母さんに体を動かさせるのも悪いし、ぼくがやれることはやろうと思ってそうしている。

 冷蔵庫れいぞうこに入ったおかずとご飯をレンチンしてあたため、何となくTVをながめながら夕ご飯を食べた。

  TVは大して興味きょうみのわかないクイズ番組を映し出している。

 ぼくはリモコンで番組一覧表いちらんひょうを出してみる。NHKはニュース、他の局はどこも似たようなバラエティ番組ばかり。どうせ芸人を使うのならしっかりしたネタ番組を作って流してくれればいいのになあ。

 ぼくは他の局に変えても同じような番組ばかりなので仕方なくそのままそのクイズ番組をつけてしながら夕食を食べ終わった。

 食器を洗いながら、なんとなく気分がしずんでくる。

 いつものことなんだけど、こうして一人で過ごすのはさびしい。

 宿題も帰ってきてすぐに終わらせてしまったし、TV番組もたいしたものがないし、時間をつぶせないとひしひしとさびしくなってくる。

 お風呂もさっき洗ったついでにシャワーを浴びてしまった。Chromecast クロームキャストがTVにつないであるけれど普段ふだんはDAZNで地元県のサッカーチームの試合しか見ていない。先週日曜日の試合の見逃し配信を見てもいいのだけれど、けっこうくやしい負け方をした負け試合だったので見たくない。

 はあ、どうしようか。寝るにはちょっとだけ早いし。


 TVラックの下にはお父さんが集めていたCDが沢山積まれている。

 僕は普段なら気にもめないのだけれど、その時はあまりにもTV番組が面白くないし他にやることも思いつかないので、何か聞いてみようかな、という気になった。

 TVラックの下のたなを開けて中のCDを一枚出す。

 ジャケットにはサングラスをかけてモヒカンヘアーにした野球の硬球こうきゅうが描かれている。

 「メジャーリーグ サウンドトラック」と書かれたそのCDをTVラックから出し、ポータブルCDプレーヤーも一緒に出した。

 CDをポータブルCDプレーヤーにセットし、ヘッドホンを着けて再生のスイッチを押すが、ウンともスンとも言わない。

 あ、電池が切れてるんだな。

 裏蓋うらぶたを開けて電池を確認かくにんすると、単3乾電池4本が必要みたいだ。ぼくはポータブルCDプレーヤーを持ったまま、日用品をしまってあるたなに行って中をあさった。単3乾電池の10本パックが出て来たので、そこから4本取り出しポータブルCDプレーヤーの古くなった電池と入れ替えた。

 立ったまま再生ボタンを押す。


 ブーンという音が段々大きくなったと思ったら上からギターの音が降ってきた。同時に地面からドラムの音がゆっくり立ち上がる感じがする。

 やがてサッカースタジアムのチャントのような大勢が叫んでいるような声と、女の人がゆっくりリズムに合わせて英語で歌い出す。

 

 ワーシン・ユメアホーシン ユメミエビシン・グレー カモンワーシン


 まだ英語は習っていないので意味はわからないし、本当にそう言っているのかもわからないけれど、ぼくにはそう聞こえた。 

 最近の流行の曲とはちがって、多分すごく単純だけど、何か物凄ものすごく力強さを感じる曲。 

 何となくしずんでいた気分が晴れて、ぼくたましいを地面からぐうっと持ち上げてくれるような気がした。

 ぼくはリビングのローソファに戻って寝転ねころがり、リピートボタンを押して、その曲の流れに身をゆだねた。目を閉じてその曲を聞いていると、その曲をいろどっている楽器の音一つ一つが聞こえてくる。ぼくはそれらの楽器の音をしっかり聞き取ろうと集中した。


 「雄太、おい雄太」

 その曲のリズムに没頭ぼっとうしていたぼくの肩を誰かがする。

 お母さんはまだ帰ってくるはずがない。

 玄関にはしっかりかぎもかけている。

 この家の中にぼく以外にだれかいるはずがない。

 だれ

 ぼくこわくなって、ずーっと目をじていようと思ったけど、緊張感きんちょうかんえられない。急いで起き上がってぼくの肩をすった人を見た。


 四角い輪郭りんかく団子鼻だんごばな眉毛まゆげも太い。土の着いたジャガイモ顔と言われても何かしっくりくるその顔。

 「え……っと、お父さん?」

 ぼくが1歳の頃に事故で亡くなったはずの、写真でしか顔を見たことが無いその顔をした男の人がぼくを見ている。

 その人が口を開く。

 

 「そうだ。雄太のパパだぞ~」


 え、かるっ

 というか、お父さんは生きてたの?


 「本当にお父さんなの? 生きてたの?」


 「ああ、お前のパパだぞ。でも生きてはいないな。たしかに雄太が1歳の頃におれは車の事故で死んだよ。

 今、雄太はねむってるんだ。雄太のゆめの中なんだよ。だからこうやって雄太に話かけられるんだ」


 「え、幽霊ゆうれいとかそんなの? ぼく、怖いのいやなんだけど……」


 「うーん、幽霊ゆうれい、なのかなあ? おれもよくわからないんだ。ただ、死後の世界とかのことはおれはまったく覚えてないからなあ。

 多分ぶっちゃけてしまうと単なるゆめの中のまぼろしなんじゃないか?」


 このお父さんは何を言ってるんだろう。まぼろしまぼろしなんて自分で言う?

 ていうか本当にゆめの中なのかな? こんなに意識いしきがはっきりしているのに。場所も家のリビングだし、普段ふだんぼくが見るゆめってもっとふわふわした現実味げんじつみがないものなのに。


 「ゆめって証拠しょうこに、雄太がる前にしていたヘッドホン、今してないだろ? それと家の中も大雑把おおざっぱにきれいだろ? 現実と一緒だったらそこの練習用ドラムや楽器類はほこりかぶってるはずだろ? 見てみ?」


 確かにあの曲を聞いていたポータブルCDプレーヤーはテーブルの上で止まっているし、ヘッドホンも横に置いてある。

 練習用ドラムも、アンプもZO‐3ぞうさんギターも、いつもかぶっているほこりはなく、きれいになっている。


 でもなあ。ぼくねむっていたとしたらその間にヘッドホンを外して掃除そうじしたのかも知れないし。


 「何だ、雄太、しっかりしてるというかうたがい深い子に育ったんだなあ。パパはうれしいような悲しいような……複雑ふくざつだぞ」


 「だって、おかしいじゃない。今まで一度もゆめの中に出てきたことなかったのに、今日になって急に出てくるなんてさ。お父さんにそっくりな顔をしただれかがぼくだましてなにか悪いことたくらんでるって方がありそうだよ。お母さんがいない時を見計みはからって……」


 「おいおい、こんな田舎町いなかまちでもそんな心配するようになっちゃったのか。おれが死んでから随分ずいぶんすさんだ世の中になったもんだ。

 まあ、それはそれとして、そこの練習用ドラム、どれでもいいからたたいてみ? 現実なら練習用だから音出ないけど、いい音で鳴るはずだから」


 ぼくだまして悪いことをたくらんでいるにしては、大したことをやらせようとしないし、ドラムをたたくくらいなら別に何か悪い事になりそうもないかな。

 そう思ってぼくはドラムスティックを取り上げて目の前のドラムに振り下ろして見た。


 パン!


  金属音きんぞくおんじりの高い音が気持ちよくひびいた。


 「スネアドラムだな。これ練習用だからメッシュヘッドで音がしないはずだけど、ちゃーんと音がしただろ? うらのヘッドはないし、スナッピーも付いてないからスネアドラムの音なんかするはずないのにな~。

 ところで雄太は今ドラムにスティックを押し付ける感じでたたいたからイマイチ抜けた音にならなかったけど、手首をやわらかくしてたたいた瞬間しゅんかん戻せばもっと音が抜けて気持ちよくひびくぞ。貸してみ」

 そう言ってお父さんはぼくからドラムスティックを受け取る。


 パァーン!


 お父さんがぼくたたいたドラムを軽い感じでたたくと、大きな、気持ちよく抜けた音がひびいた。


 「ドラムをたたくのも久しぶりだなあ」


 お父さんはそう言って付属ふぞく椅子いすに座ってドラムセットをたたき始めた。


 ドッチッチッパァンチッドッチッチッドッチッパァーンチッチッ ドッシャーンチッパァンチッドッチッチッドッチッパァーンチッチッ


 「雄太が寝る前に聞いてた曲は何なんだい? ちょっとCDのジャケット見せて」


 お父さんに言われて、ぼくはそのジャケットを見せた。


 「おー、メジャーリーグのサントラってことはWild Thing だな! めっちゃカッケー曲だよな! あのシンプルなリズムでシンプルなコードで。どうだ雄太、聞いた感想かんそうは!」


 「何て言うか、ちょっと気持ちがしずんでたんだけど、この曲を聞いてたらすごく気分が軽くなった気がしたよ」


 「そっかー、いい曲って、人の心をさぶる力があるよな。雄太もそれを感じたか、うんうん」


 そう言ってお父さんはまたドラムをたたき始めた。


 ドッシャーンパァンチッドッチッパァーンチッ・ ドッシャーンパァンチッチッドッパァーンチッドッ


 「これ、Wild Thingのドラム。すんげーシンプルでハイハットも頭にしか来ないんだけど、バスドラが時々入るんだ。でもそれがあの曲のノリを出してるんだよな。あのバンドのドラマーの足クセなのかもな。でもカッケーよな」


 「お父さんドラムたたけるんだね、すごい! って当たり前か。練習用ドラム持ってるくらいなんだからたたけるんだね。お父さん、この曲も演奏えんそうしたことあったの?」


 「そこのTVラックの下に入ってるCDで、演奏えんそうしたことが無い奴って多分、オーケストラが演奏えんそうしてる信長の野望とかドラクエとかのサウンドトラックだけだぞ。バンドのCDはほとんどコピーしてるよ。ただ、おれはドラムが本職ほんしょくではないのだ。本職ほんしょくはベースだ」


 「へー、そうなんだ。ベース出していてみてよ。そう言えばぼく、ベースがケースから出てるところ見た事ないよ」


 「そうだなあ、ベースって結構けっこう低音がひびくからなあ。普通の家の中でくと結構けっこう近所迷惑めいわくになるからな。この家に持って来てから一度もケースから出してないな。

 たまに楽器くとしてもZO‐3ぞうさんギターだったしな。

 よし、出すか」


 そう言ってお父さんはほこりかぶっていないきれいなソフトケースからベースを取り出した。


 ボディの色は外縁がいえんいこげ茶色、中央はうすい木目の茶色。張られているげんは4本で太い。ギターのげんなんて比べ物にならない太さだ。

 ぼくはそのベースを見て、すごく力強さを感じた。となりのギタースタンドに立てかけてあるZO‐3ぞうさんギターに比べて見た感じで2倍はありそうな大きさなんだから。学校の音楽室の横の楽器置き場にあったギターに比べたって大きい。


 「このベースはフェンダーのジャズベースって言うんだ。楽器屋で買うとけっこういいお値段がするんだけど、単店舗たんてんぽのリサイクルショップで見つけて、うそみたいな安い値段で買ったんだ。ネックのりもなくて、買った時は店員に見えないところでガッツポーズしたなあ」


 お父さんはそんなことを言いながらそのベースに太い肩紐かたひもを付けてかかえ、コードみたいなものをベースにつなぐと、そのコードの反対側を15Wワットのベースアンプにつないだ。

 ベースアンプの電源スイッチを入れて、ベース側のボリュームを上げてからお父さんはベースアンプの音量を上げて行く。


 お父さんがベースの太いげんを右手の親指でたたく。


 ドゥーン!


 太くて低い音がひびいた。

 音が床をらしてお腹にひびいてくるみたいだ。


 お父さんはさらに親指でげんたたき、時折ときおり人差し指で上の方のげんを引っかけてパキョッ! という音を交えながら何か演奏えんそうする。 


 ボーンポワボッボボボキャッキャッボッキャワドボッボボキャッキャボキャワン


 何かそんな感じに聞こえるけど、曲名は分らない。でもベースだけでもたたく音、引っ張ったげんがベース本体に当たる音がリズミカルにつらなって、聞き分けられないけれど音階おんかいも色々と動いてメロディに聞こえるから、随分ずいぶんと聞いていられる。


 「ああ、ごめんごめん。何かつい久しぶりだからまた楽しくなっちゃって。

これはスラップ奏法そうほうとかチョッパー奏法そうほうとかいう演奏法えんそうほうなんだ」


 お父さんはそう言ってベースをくのを一旦いったん止める。


 「すごいじゃない、お父さん。初めてベースの音を聞いたけど、すごく低くて太い音で、床がれる感じだし、ベースそのものも大きいし、何か男らしい感じだったよ!」


 「そうか、何か雄太にそう言われるとれるな。そうだ、雄太、パパと一緒にWild Thing 合わせてみようぜ! 雄太はドラムとベース、どっちがいい?」


 あのカッコイイ曲がぼくにも演奏えんそうできるならやってみたいけれど……

 「ぼく、楽器って小学校で教えてくれるピアニカとソプラノ笛しかやったことないよ」


 「大丈夫、パパもバンド始める前はそんなもんだった。ピアニカとか左手の指はパパ使えなかったし、右手だって人差し指1本でいてた。小学校の時、音楽の小川先生にスゲー怒られたよ。ちゃんと5本指を使ってきなさいって。

 そんなパパでも出来たんだから、雄太だって出来る出来る」


 「そうかなあ?」


 「大丈夫大丈夫。それに、ここは雄太のゆめの中だぜ? 出来ない訳ないよ。

 そうだなあ、ドラムよりはベースの方がおぼえるのは簡単かんたんかな? じゃあ雄太がベースな」


 そう言ってお父さんは自分が下げていたベースをぼくに渡してきた。


 「この肩紐かたひも名称めいしょうはストラップな。それで、このストラップを肩にかけて、ベース持って立ってみ」


 ぼくはお父さんがかけてくれたベースを持って立った。

 けっこう重い。


 「それで、立ってく時はこのベースとアンプをつないでるコード、シールドって言うんだけど、これをんで抜いちゃったりすることがあるんだ。抜けると音が出なくなるのはもちろん、抜ける時にガリッて物凄ものすごい音がしてアンプをいためてしまうから、んでも簡単かんたんに抜けないようにこうやってベースのおしり側のストラップに通してからベースにつなぐ。

 おお、雄太カッコイイぞ」


 「そう?」


 「ちょっとベースのネック、その板にたくさん金属きんぞくの区切り打ち付けてある部分持って左横にグイッと持ち上げて、ベースをじゅうみたいな感覚かんかくで動かしてみ?」


 「こう?」


 ぼくは言われた通りネックをにぎってベースの先を銃口じゅうこうに見立ててお父さんをねら仕草しぐさをした。


 「うわ、やられた~」


 そう言ってお父さんはたれたフリをして床にへたりむ。


 「うん、雄太、実にカッコいいぞ! グリーンデイのマイク・ダーントみたいだな! 実際じっさいライブやる時は動きもつけないとせられないからな。ああ、スマホあったら写真に残しておきたいが、仕方ない記憶きおくに焼き付けておこう」


 お父さんは立ち上がりながらそう言って一人うなずいている。


 「で、お父さん、ぼくの立ち姿で遊ぶのもいいけど、き方を教えてよ」


 「ああ、ごめんごめん。まずは右手はWild Thingの場合はピックきの方がいいなあ。ピックは……」

 

 そう言ってお父さんはアンプの上からピックを取り上げて、ぼくに渡す。

 黒色の水滴型すいてきがたで、持つところが厚くなっている。


 「ピックはパパはこれを使っていたんだ。ピックもいろんな形や色んな厚さがあるから、雄太が本格的にベースきたくなったら自分に合った物を色々試してみてもいいぞ。今日はこれしかないからこれで我慢がまんしてくれ。パパは何だかんだでこれが一番きやすかったからな。

 それで、持ち方は親指と人差し指でまむように持つ。それで雄太から見て2番目のげん、どこも押さえないでいてみ」


 ドォォォォーン!


 「あ、この音」


 「そう、Wild Thingの一番最初の音だ。次はそうだなあ……同じげんの5番目の金属きんぞくの区切りのところを押さえていてみ」


 言われた通りに押さえてげんはじくと、Wild Thingの次の音だ。


 「それで同じげんの、今度は7番目の区切りのところを押さえていてみ」


 言われた通りに押さえてはじくと3番目の音が出た。


 「Wild Thingはあと押さえる所が2か所あるけど、今言った3つの音でほとんける曲なんだ。どこも押さえないで3弦さんげん、今いてるげん3弦さんげんな。一番細いげん1弦いちげんから数えて上から3番目のげん

 どこも押さえないで3弦さんげんいた音をAっていう。で、5番目のフレット、区切りの金属きんぞくの山をフレットって言うけど、5番目のフレットを押さえた音がD、7番目のフレットを押さえた音がE。

 A~A~、DD、E~E~、DD、これのかえしがほとんどだぞ。

 それで右手のピックの使い方だけど、この曲はテンポがそんなに速くないから、ずーっと振り下ろす時にげんはじくダウンピッキングだけでいいよ。もっと速いテンポの曲をくことになったらピックを振り下ろして上げる時にもげんはじくオルタネイトピッキングも出来できた方がいいな。まあどれだけ速いテンポでも根性でダウンピッキングだけでくプロもいるから。

 それと左手だけど、本当は親指をネックの裏側うらがわに置いて表に出た指4本で、指1本が一つのフレットを押さえるような運指うんしが出来た方がいい。だけど雄太の場合、ベースの太いげんを指1本で押さえるのはまだ体格的たいかくてきにも大変だから、とにかく押さえられればいいよ。必要なタイミングで必要なフレットを押さえられればどう押さえてもいい。

 元々Wild Thingとかパンクロックの曲って、そんなにテクニック使って演奏えんそうしなくてもいい、ってかテクニックが無くても曲を作ってさけびたいって衝動しょうどうで作られて演奏えんそうされてたものだからな。テクニックよりも気持ちが大事だよ。

 さて、能書のうがきはこれくらいにして、ちょっと雄太いてみな」

 

 お父さんに言われた通りいてみる。


 ドーンドン・ドッドー・ドーンドン・ドッドー


 お父さんはドラムセットに座ると、ぼくいているベースに合わせてドラムをたたき出した。


 ドーンドン ・ドッ ドー・

 ドッシャーンパァンチッドッチッパァーンチッ

 ドーンドン ・ドッ ドー

 ドッシャーンパァンチッチッドッパァーンチッドッ


 「わあ、お父さん、ぼくけてるよ! 出来る出来る! すごい!」

 

 「そうだろ? 楽しくないか、雄太。こうやって他の楽器と合わせるのって」


 「楽しい! 思った以上に楽しいよ!」


 「だろう? ベースって楽器はね、地味だけど他の楽器を支えて引き立てる役割なんだ。他の人と合わせて演奏えんそうすると、本当の楽しさや面白さがわかるのさ。人と合わせて演奏えんそうしていい演奏えんそうができると本当に楽しいし気持ちいいんだ。それこそ3分間で曲が終わってしまうのが勿体もったいないって思うくらいにね。

 よし、じゃあギターとボーカルも音入れて、最初からやってみようか」


 「そんなこと出来るの?」


 「ゆめの中だから何でもありだぞ。って言いたところだが、ギターとボーカルは音だけな。他の人にギターとボーカルで入ってもらうと、俺が雄太とだけ話せなくなっちゃうからさびしいじゃん。じゃあ雄太、ギターのブィーンって音が大きくなって、ギュンってスライドが入ったらベースとドラムが入るからな。

 おっと、その前に他の押さえるところも教えておくか」


 そう言ってお父さんは、他の音も教えてくれた。

 一番太い4弦よんげんの3フレットがG、5フレットがAで、3弦さんげんの何も押さえない解放と同じ音だけど、途中のGAGAというところはそっちで押さえた方がきやすいからってことで教えてくれた。

 それと、複数ふくすうげんにまたがって音を出す時はかないげんてのひらや指で軽くれて音を出さないようにするのが大事、とも教えてくれた。


 「ベースって単音たんおんかないと、演奏えんそうにごる感じになるんだよ。ベースソロとかだと和音でくこともあるけどね。かないげんの音が鳴らないようにおさえるのをミュートって言うんだけど大事なんだぞ。頑張がんばれ雄太」


 そう言ってお父さんはまたドラムセットの椅子いすに座る。


 「じゃあ行くぞ、雄太。ギターのギュンの後だからな」


 ブィーン ギュン!


 ドーンドン ・ドッ ドー・

 ドッシャーンパァンチッドッチッパァーンチッ

 ドーンドン ・ドッ ドー

 ドッシャーンパァンチッチッドッパァーンチッドッ


 ぼくはその後も何度も何度もり返し演奏えんそうを楽しんだ。

 左手の指の動きに集中して正しく音を出す。それが他の楽器に合うのが物凄ものすごく楽しい。


 「雄太、ボーカルのWild Thing! に合わせて雄太もWild Thing! ってさけんでみ! すごく気持ちいいぞ!」


 お父さんがそう声をかける。


 試しにやってみることにした。


 「わいしんッ!」

 「Wild Thing!」


 お父さんもさけんでいる。

 お父さんが言ったように、何だかすごく気持ちがいい。


 それから何度も何度もくりり返して演奏えんそうした。お父さんもずーっとドラムをたたいて付き合ってくれている。お父さんもドラムをたたくのが本当に楽しそうだ。

 ゆめの中だけど、死んでしまったお父さんと一緒にこうして過ごすことが出来ている。ぼくにとっては初めての経験。

 お父さんがぼくの知らないこんなに楽しいことを教えてくれるなんて。こんな楽しいことをぼくと一緒に、お父さんも楽しみながらやってくれているなんて。

 ぼくがお父さんが刻むドラムのリズムにしっかり合わせてベースがけると、お父さんに並べたようでなんだかうれしいしほこらしい。すごくお父さんを身近に感じられる。

 何回同じ演奏えんそうり返してもぼくは全くきるって感覚かんかくにならずに、ひたすらお父さんのドラムとぼくのベースの出す音に集中していた。


 もう何度目かわからないくらいのイントロ後の演奏えんそう、その時ぼく不思議ふしぎ感覚かんかくになった。


 ぼくいているベースの音は、シールドでつなげたアンプから音が出ている。それまでもずーっとアンプから音が出ていて、その音を聞いてお父さんのたたくドラムに合わせるようにぼくはずっといていた。


 その時の不思議ふしぎ感覚かんかく

 それは、お父さんがキックペダルをんでたたいているバスドラムからぼくくベースの音が飛び出てくるのだ。

 15Wワットのベースアンプからは音が出ていない。

 お父さんがバスドラムをむと、そこからぼくくAやD、Eの音が飛び出して来る。お父さんのキックペダルがぼくのベースの音をたたき出しているのだ。

 何だろう、これ。

 でも、すごく気持ちがいい。

 お父さんのドラムが音程おんていを刻んでいる。

 ぼくのベースがリズムをいている。

 ぼくはその感覚かんかくひたって、ずーっとき続けた。


 「雄太、一旦いったん休もうか」


 もう何百回もの演奏えんそうが終わった後、お父さんがぼくにそう声をかけた。


 「ねえ、お父さん、今ねえ、すご不思議ふしぎ感覚かんかくになったんだ」


 「どんな感覚かんかくだった?」


 「お父さんのたたくバスドラムからベースの音が出るんだよ。ぼくいてる音がアンプからじゃなくてお父さんのバスドラムからAーA、DD、E-E、DDって、お父さんのキックペダルがまるで音をたたき出すように出てくるんだ」


 ぼくがそう言うと、お父さんは満面まんめんの笑顔になって言った。


 「そっかー、雄太はわずか一日でその感覚かんかく体験たいけんしちゃったか。

 雄太、それってね、パパのたたくバスドラムと雄太のくベースの音が、本当にわずかのズレもなくジャストでタイミングが合った時に感じる感覚かんかくなんだよ。バスドラムが歌ってるみたいだっただろう?」


 「うん、すごく素敵すてき感覚かんかくだったよ!」


 「お父さんも結構けっこう長いことバンドやってたけど、その感覚かんかくわかるようになるまで2年くらいかかったかなあ。本当に合うドラムの人と何度も何度も合わせているうちにやっとだった。でも、一度その感覚かんかく体験たいけんしちゃうと、もう止められなくなっちゃうんだよなぁ」


 「でも、お父さんはバンド止めちゃったんでしょ?」


 「そうだな……雄太のママの美玲みれいと付き合うようになって、バンドよりも大事だって思えるものに出会ったからなぁ。美玲みれいのお腹に雄太が宿ってからは、本当にキッパリ止めちゃったよ。

 昔プロ目指してた頃に作ったオリジナル曲の入ったMTRマルチトラックレコーダー寝室しんしつの一番上の物入れの奥に入れて封印ふういんしたしなぁ。

 美玲みれいにはもっとプロ目指してバリバリやってた時の、本当にさっき雄太が感じたみたいな、リズムたいがジャストで合ってる演奏えんそうを見てもらいたかったって、ちょっと後悔こうかいもあるけどな。

 でも、美玲みれいと雄太のためにしっかり仕事してかせがないとって思ったら、自分でも思った以上にキッパリ止めて仕事に打ちめたな」


 「お父さんもやっぱり心残りがあったの?」


 「そりゃあ、あったさ。

 バンドじゃなくて、美玲みれいと雄太を残してこの世を去ったことがね。家は頭金大分出して買ったけどローンは残ってたし、雄太はまだ1歳で育児も大変だし、美玲みれいも結婚して2年で旦那だんなを亡くすわけだろ? 生命保険ほけん金が入るとはいってもね、やっぱり二人を残して先にいくってのは無念むねんだったよ」

 

 「お父さん、ぼくお父さんのことは全然覚えて無くて、TVの上にかざってるあの写真でしかお父さんのこと知らなかったんだ。だからお父さんが恋しいとかは全然思った事がないんだよ」


 「そうか、そうだろうな。さびしいけど……仕方ないことだよ」


 「ぼくはお父さんのこと覚えてないけど、お父さんが居てくれたらどんな感じなんだろうって思って何か切なくなることはあったんだ。でも今日、こうやってゆめの中でもお父さんと話が出来たから、お父さんがいたらこんな感じだってわかったし、お父さんのことすごく大好きになったよ。ありがとう、お父さん」

 

 「そうか、雄太……パパも雄太とこうやって過ごせてうれしかったし楽しかったよ。雄太がしっかりした子に育ってるのもわかったしな。俺のことパパって呼ばずにお父さんって呼ぶのも美玲みれいしつけの賜物たまものだな」


「お父さんはパパって呼ばせたかったの?」


「そうだよ。俺のことはパパ、美玲みれいのことはママって呼ばせたかったよ。俺はどうでもいいんだけど、美玲みれいのことはママって子供には呼ばせたかった。絶対その方が美玲みれいには似合にあってるからな。呼ばせ方の件では美玲と争ってたけど美玲みれいの勝ちだな」


 「ぼくにとっては、ぼくを育てるために頑張がんばってくれてるたった一人のお母さんだからね。

 お母さん、ぼくを育てるために本当に頑張がんばってくれてるんだよ。今日だって夜勤やきんで病気や怪我けがで入院してる人の看病かんびょうしてるわけだしさ、明日帰ってきても少したらばんご飯の準備じゅんびしたりするわけだしね。

 少しでもお母さんの負担にならないようにしないと、ぼくもお母さんのためにできることをやらないといけないんだって思ってるよ。今日だってトイレ掃除そうじとお風呂掃除そうじぼくがやったんだからね」


 「そうか……雄太はしっかり育ったな。やっぱり美玲みれいの育て方がいいんだろうな。俺はこんなにしっかり育った雄太とこうやって会えて、本当にもう思い残すことはないよ。

 雄太、美玲みれいのことはたのんだぞ。

 美玲みれいってすごくしっかりしてるように見えるだろうけど、大雑把おおざっぱだったりするからな」


 「うん、知ってるよ。お母さん整理整頓せいりせいとんはすごく几帳面きちょうめんだけど、部屋の掃除そうじとかはけっこう適当てきとうだし」


 「あとな、雄太のお母さんの美玲みれいは雄太の前では絶対ぜったいに泣かないだろうけど、けっこう泣き虫なところもあるんだ。

 だれかに支えてもらいたいことだって本当はあると思う。

 なあ、雄太。

 もしも、もしもだ。

 お母さんが雄太に、新しいお父さんのことを相談したら、相談をしっかり聞いてあげてくれないか?」


 「ぼくに新しいお父さんが出来るかも知れないってこと?」


 「この先、そういうことがあるかも知れない。その時は感情的かんじょうてきにならずになるべく冷静れいせいに落ち着いて話を聞いてあげて欲しいんだ。

 雄太は新しいお父さんが必要だと自分では思わないかも知れない。けど雄太のお母さんにとっては支えてくれる人が必要かも知れないんだよ。

 雄太も思ってただろう? 何でおれみたいな不細工ブサイク綺麗きれいなお母さんと結婚できたんだろうって。

 おれにとっては一緒にいて安心できる人がお母さんだった。お母さんにとってもおれは一緒に居て安心できたんだろうと思ってる。お互い無理に合わせようとしなくても、自然体でいられたんだ。

 多分、雄太のお母さんは雄太のことをこの世で一番大事に思っているよ。

 人は誰でも一人はさびしい。雄太もお母さんがいない時はそう思うだろう? 雄太のお母さんも雄太がいないとさびしいと思う。

 ただね、雄太のお母さんもまだ35歳で若いんだ。大人になれば大人同士のぬくもりが必要な時もあるんだよ。

 もし、そう言う話をお母さんがした時には、拒絶きょぜつしないで聞いてあげてほしいんだ。

 雄太がそれを拒絶きょぜつすれば、多分お母さんは雄太の気持ちを優先ゆうせんすると思う。

 でも、お母さんはその話をするような状況になって雄太にいやな思いをさせてしまったのは自分の弱さなんだってすごくきずつくと思うからさ」


 「何かすごくお父さんらしいことを言うんだね。

 いいよ、もしお母さんがそう言うことを言ったら、話をきちんと聞くことにするよ。ぼくだってお母さんには幸せになって欲しいって思うもの」 


 「ありがとう、雄太。そう言ってくれると俺もうれしい。

 本当にしっかりした子に育ってくれてほこらしいよ。

 じゃあ、そろそろ起きる時間だぞ雄太。

 もうすぐお母さんが帰ってきて雄太を起こすはずだ。

 お母さんにこのゆめの話はする必要ないけど、お母さんの相談に乗ることは心にめておいてくれよな」


 そう言ってお父さんの姿は消えた。

 まるで空気にむかのようにスーッとうすくなって消えた。



 「雄太、起きなさい、もう11時過ぎてるわよ」

  

 僕はくぐもったお母さんの声と共に、肩をさぶられて目を覚ました。


 「あ、お帰りお母さん」


 僕は目をこすりながらリビングのローソファーから起き上がる。

 昨日の夜、夕食後にポータブルCDプレーヤーでCDを聞きながら眠ってしまったようだ。ヘッドホンも耳に付けっ放しだったので、お母さんの声がくぐもって聞こえていたのだ。


 「雄太がCD聞いてるなんてめずらしいわね。どうしたの?」


 「昨日は宿題もお風呂掃除そうじも終わらせちゃってTVもつまんなかったから、何となく聞いたんだよ」


 「何聞いてたの?」そう言ってお母さんはCDのジャケットを見る。


 「ああ、メジャーリーグ。わいしん!って曲ね」


 「そうだよ。聞いてみたらすごくカッコ良くて。お母さんも知ってるの?」


 「ええ、一回だけお父さんのバンドを見に行ったことがあるんだけど、その時に演奏えんそうしてたわ。

 何かお父さんの職場しょくばのギター初心者の後輩こうはいがバンドで音を出したいって言うのに付き合って、初心者ドラム、初心者ボーカルに混じって、色々と教えながらやってたんだって。

 初心者でもそれなりに演奏えんそう出来てカッコいい曲を選んで練習したから何とかライブハウスで演奏えんそうしてもえられるレベルにはなったから見に来て、ってさそわれたの」


 お母さんは仕事帰りに買ってきた物がたくさん入ったエコバッグを持ってリビングからリビングダイニングに移動する。冷蔵庫れいぞうこに買ってきた物を入れるんだろう。


 「お父さんはベースいてたんだね」


 「そう。ドラムもギターも時々音楽をかない私でもはっきりわかるくらいミスするんだけど、お父さんのいてたベースだけは安定してて何とか聞けるレベルに全体をまとめていたわ。

 お父さん、そんな初心者バンドの中でも本当に楽しそうにベースいてるのよ。

 見ているこっちも楽しい気分になったわ」

 

 お父さん、本当に楽器をいじってる時は楽しそうだった。

 ぼくも楽しかったけど。わかりやすく教えてくれたし。

 

 冷蔵庫れいぞうこの中に買ってきた物をしまうお母さんの表情は笑顔に見える。

 きっとお父さんのライブを見に行ったのはお母さんにとっても楽しい思い出なんだろうな。

 お父さんって、自分が楽しく過ごすことで周りの人も楽しく感じさせてくれる、そんな人だったんだな。お母さんがかれたのも今ならわかるよ。


 「ところでさ、お母さん。お父さんってぼくにお父さんお母さんのことをパパ、ママって呼ばせたがってたの?」


 「ええ、そうよ。私はママって呼ばれるのが似合うんだからって言ってたわね。何言ってんだかってもんよ。私は雄太のお母さん。それでいいのよ」


 「ねえ、お母さん」

 

 「何?」


 「もしもお母さんがね、死んだお父さん以外の人とお付き合い始めたとしても、お父さんは怒らないと思うよ。

 さっきお母さんに起こされるまでお父さんの夢を見てたんだ。

 その夢の中でお父さんがぼくにそう言ってたんだ。

 もしお母さんがぼくにそう言う相談をしたら、しっかり聞いてあげてくれって」


 お母さんは僕の言った言葉を、冷蔵庫れいぞうこを開けっぱなしにして、買ってきたハムを持ったまま動きを完全に止めて聞いていた。


 「あの人って、雄太の夢の中でも心配性でおせっかいで……やさしいのは変わらないわね……

 そうね、もし本当にそう言う時が来たら雄太にちゃんと相談するわね」


 そう言うとお母さんは、またゆっくりと手に持ったハムを冷蔵庫れいぞうこにしまい、エコバックから次に冷蔵庫れいぞうこにしまう物を取り出す。

 冷蔵庫れいぞうこに買い物をしまうお母さんの表情は、今は完全に冷蔵庫れいぞうこの方を向いているのでここからじゃ見えない。

 けど、お母さんの気持ちが少しでも軽くなってくれるといいなと思う。


 「じゃあお母さん、昨日お風呂洗っておいたから入ってよ。ぼく、お湯をめてくるね」


 ぼくはそう言ってお風呂場へお湯を張りに行こうとした。

 その途中に練習用ドラムや楽器類が置いてある。

 ぼくはついそちらに足を向ける。


 リビングのすみに置いてある練習用ドラムセットは、相変わらずほこりかぶっている。

 15Wワットのベースアンプの上には、ほこりかぶった黒色の水滴型すいてきがたのピックも何枚か置いてある。

 ぼくは練習用ドラムセットの奥のかべに立てかけてある、やっぱりほこりかぶったソフトケースを手に取る。


 ほこりを払ってソフトケースのファスナーを開けると、中にはフェンダーのジャズベースが、まるでお父さんの代わりだ、と言わんばかりにきれいに光っていた。

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バスドラムから僕のベースの音がする。 桁くとん @ketakutonn

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