小噺
雑音
第1話 とある画家の話
これは叔父さんの知り合いの方の話です。なので私にとっては関係もないような人間のお話なのですが、どうぞ最後までお付き合いください。
その方は芸術家、特に絵を専攻されている方でして、その界隈ではそれなりに名を馳せていたと聞いています。叔父さんからその方の絵を見せていただいたのですが、とても綺麗な絵でした。評価されていたのも納得、という具合です。
彼が絵でご飯を食べていけるようになって数年、ひっきりなし、というわけではありませんが、展覧会への参加のお誘い、個展の場所提供のお話など、自分の作品を世に出せる機会は少なくありませんでした。そんな中、とある富豪の方から自分の開く絵画展へ参加してくれないか、というお誘いを受けます。なんと彼にエントランスホールに飾る主役の一枚を描いてほしい、というお誘いでした。勿論断る理由はなく、彼はすぐに引き受けます。
その富豪は彼に、絵についての数個の条件を提示しました。
一つ、人物画であること。今回は人物画を集めた絵画展にする予定である。
二つ、自分を描くのはNG。家族でもよいので他人を描写してほしい。
三つ、期限は二か月。絵画展は君の絵を回収してから一週間で開く、期限は守ってくれ。
この三つを守ることが、彼がその絵画展で主役となるための条件でした。
無論、この業界に生きていれば、クライアントに条件を付けられることなど珍しくはありません。条件がないことの方が珍しいほどでしょう。彼もそういった依頼を受けたことは初めてではありませんでしたし、特に抵抗もなく請け負いました。
さて、そうと決まれば早速製作に取り掛かろう、と彼は思い立ちました。スタジオに移動し、道具一式を用意し、そうして彼は大事なことを思い出しました。これは人物画であり、そしてそのモデルは自分以外の誰かでなくてはいけないのです。彼は独身でしたので嫁や子供はおらず、また画家になると決めたその日に家を飛び出してきたため、実家に住む家族を頼るのも少し極まりが悪い状態でした。さてどうしたものかと悩んだ彼が知り合いを手当たり次第に回るという方法を思いつくまでにそこまで時間はかかりませんでした。
連絡するよりも直接言った方が断られる可能性が低いだろう、という考えで、彼はさっそくスタジオから出て、インスピレーションの収集がてら、知り合いの家へと向かうことに決めました。
スタジオを出て数十分、近くの公園へとたどり着いた彼は、そこで目の前から歩いてくる人影に目を付けます。
季節は夏であったにもかかわらず、その人影には肌色が見えず、頭のてっぺんから足のつま先に至るまで一ミリの隙間なく、黒色の服飾で覆いつくされていたといいます。一般人であればチョット危ない人…と避けてしまいそうな風貌ですが、しかし彼はあくまで芸術家であり、世間一般的に芸術家にもたれる、「頭のおかしな人」という特徴に見事に当てはまっていました。一目惚れ、ともいえるでしょう。彼は目の前からくるその人影に声を掛けました。
私は画家で、人物画のモデルを探していた。無神論者である僕も神の存在を信じてみたくなるほどに運命的な出会いだ、ぜひ僕の絵のモデルになってはくれないだろうか。
彼がその人に言ったのは、こんな内容だったらしいです。さながら西洋喜劇の一幕かのようなセリフでしたが、その人影は驚いた様子を見せつつも、数瞬の悩みの後、
「はい、お受けいたします」
と、可憐な声で答えたそうです。
はい、女性でした。体のラインがあまり目立たない服を着てらしたので、彼も遠目に見ただけではわからなかったらしいのですが、近くで見ればわかる程度ではあったようです。でないとあのようなセリフを吐く理由がございませんので。
さておいてモデルを思いもよらぬ形で捕まえることに成功した彼は、すぐに彼女と連絡先を交換し、自分のスタジオの場所、いつなら協力していただけるか、報酬はいくらお支払いすればよいか、等々、必要なすり合わせを行いました。結果、特に忙しい日はないので完成までは毎日通えること、午前11時からの一時間を制作に充てること、特にお金には困っていないので報酬はいらないこと、その三点が決定しました。そこでひとまずその日は解散したそうです。とは言ったものの、まだ一日の活動を終えるような時間ではなかったので、彼は同じ絵画展に参加する予定の旧知の画家に、今日起こったことの自慢をすることにしました。
「展覧会のモデルが見つかった。奇跡的な出会いをしちまったゼ…」
という旨の報告です。そうするとすぐに送り先から
「こっちもキャッチ成功!俺も中々奇跡的かも!!」
という返信が返ってまいりまして、彼は少し期待外れのような、しかし友人との研鑽に胸躍らせながら、その日は眠りについたようです。
その次の日から彼女と彼の絵画制作が始まりました。彼女は決めた時間に遅れることなく、時間ぴったりに彼のスタジオのインターホンを押し、最初こそその正確さに驚いていた彼もすぐに慣れ、非常に円滑に絵画は完成への道筋をたどっていきました。
そうそう、彼女の顔についてのお話を一つ。聞くところによると彼女は非常に肌が弱いそうで、夏など日差しが強い日に散歩するときは、いつもあのような格好で出歩くしかないようでした。言う通り、彼女の肌は透き通るような、どこか病的な白色を示しており、それとコントラストを描くように、瞳は深く底の見えないような黒色で、彼はまた彼女のそういったところにますます惚れ込んだそうです。
そうした彼が筆を乗せに乗せ続けた結果、期限の二か月を大きく余して、彼の絵は完成の運びとなりました。保存状態を考慮して、すぐにオーナーへと取りに来てもらうよう連絡し、彼の絵画展までの仕事は終わり、となりました。オーナーは受け取りの際、
「素晴らしい出来だ、やはり君を主役に抜擢した私の目に狂いはなかった」
と賞賛を口にし、喜色満面と言った様子で帰っていきました。
さて、絵画展まで残り数日となったタイミングで、彼の下に一つの連絡が入ります。それは絵画展のオーナーからのもので、内容は「一身上の都合で、今回の絵画展は開催を見送る」
と言ったものでした。勿論彼にしてみれば納得など到底できないような一文であり、即座に電話を寄越してみたものの、返事はありません。
ならばと車を走らせ、絵画展が開かれる予定だったオーナの屋敷へと赴きます。インターホンに写った彼の姿にオーナーは驚いた様子でしたが、すぐに堪忍したように扉を開けました。
「なぜ絵画展は中止なのです!理由をお話しください!」
と怒りを隠そうともせずに詰め寄る彼に、最初は「一身上の都合」「やむを得んのだ」とはぐらかしていたオーナーも根負けしたのか、彼をとある場所に案内します。
オーナーに案内された場所は、絵画展で使用する予定だった絵画の保管場所となっていた、屋敷内の一室でした。「入れ」と、オーナーは扉を開け、彼を手招きました。
まさか絵に何か不備が、と少し逡巡した彼でしたが、見てみないことには始まらないと、すぐに部屋に入りました。
彼は、その部屋に入ったことを後悔したと言います。
まず、入ってすぐに目に入ったのは彼の描いた大きな絵画。透き通る白い肌、それに不釣り合いなほど深い黒色の瞳を携えた女性が、こちらに微笑みかけていました。すぐ隣にあった絵に目が行きました。透き通る白い肌、それに不釣り合いなほど深い黒色の瞳を携えた女性が、こちらに微笑みかけていました。反対の壁にかかった絵に目が行きました。透き通る白い肌、それに不釣り合いなほど深い黒色の瞳を携えた女性が、こちらに微笑みかけていました。右を見ました。透き通る白い肌、それに不釣り合いなほど深い黒色の瞳を携えた女性が、こちらに微笑みかけていました。左を見ました。透き通る白い肌、それに不釣り合いなほど深い黒色の瞳を携えた女性が、こちらに微笑みかけていました。後ろを見ました。
透き通る白い肌、それに不釣り合いなほど深い黒色の瞳を携えた女性が、こちらに微笑みかけていました。
彼はそこからのことをうまく思い出せないそうです。死んだような顔で屋敷を出た後、自分がどのように家に帰ったのか。気づけばベッドの上だったと言います。それから彼は朦朧とした意識のまま、彼女との出会いを自慢した画家に、連絡を取りました。すぐに応答があり、彼も事情を知ってしまっていることを知りました。電話で話をしたところ、隣県に住む彼の元にもその女性は現れ、完成までは毎日、午前11時からの一時間を制作に充て、報酬は受け取らなかったことを聞きました。
それ以降、彼は人物画を描くことをやめ、風景画専門の画家へと転向したそうです。僕が見せてもらった絵も、湖のほとりに指す朝日を描いたものでした。
しかし、妙に引っかかるのです。なぜって、その見せてもらった風景画、湖の丁度水平線のあたりでしょうか、そこに見えたような気がするんです。
透き通る白い肌、それに不釣り合いなほど深い黒色の瞳を携えた女性が、こちらに微笑みかけているのが。
小噺 雑音 @yauyau1682
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