今ベルが鳴る

くるみ

Theater.1

Stage.1 新天地

メランコリックな春


「……春は苦手だ」


ぽそりと呟かれた声は少し古めいたエンジン音にかき消される。

春といえば、よく物語で『胸躍る出逢いの季節』などと評されているが、この少年にとってはどうにも違うらしい。


「春から通う高校はこんな田舎ではあるが、マンモス校だ。真琴まことの紹介だけあって、なかなか面白そうな学校だよ。いくの通う普通科だけでなく、芸能科や服飾科といった専門的な学科に加え、部活動にも力を入れているらしい」

「それに探し求めていた理想のお家まで見つけてくれるなんて、今度 小鳥遊たかなしさんにお礼しなくちゃいけないわね」


郁の憂鬱な様子をよそに、りょう侑璃ゆうりは嬉しそうに笑う。


「僕達の都合で沢山の転校を重ねてきて申し訳なかったが、仕事も落ち着いてきてそろそろ腰を据えられそうだ」

「これからは家族三人で一緒に暮らせるわよ」


そう言って侑璃が嬉しそうに後ろを見やるも、郁はふいっと顔を窓に背ける。

しかし、そうしたことで目の前に広がった長閑で自然豊かなこの環境に、郁はもう一度小さくため息をついた。


「郁ちゃん見える?この先に大型のショッピングモールがあるんですって!お休みの日にでも行きたいわね~」


そんな反応にもめげない侑璃の指さす方向には、最近話題の商業施設が見える。


「高校からも近い。学校の帰りに寄ってみるのも良いんじゃないか?」


陵が同調するも、


「……一緒に行く人なんて出来ないよ」


小さな声で反論する郁の言葉に、顔を見合わせる二人。


「僕が学生の頃は一人でよく喫茶店に居座ってはなかなか出ない小説のアイデアを絞っていたよ」

「私の学生時代は殆ど海外だったかしら。お友達と遊ぶ時間は少なかったけれど、各地の公演を見て回るのはとても新鮮で楽しかったわ」


どこか懐かしい面持ちの二人の話から察するに、そのようなことを言わず「一人の時間」も楽しむよう示唆しているのだろう。


「僕は……何も起こらないごく平凡な毎日を送れさえすればそれで良いよ」


それを知ってか知らずか控えめに答える郁。しかし控えめながらも芯の通った声に、それが心からの願いであるようにも聞こえる。


「だがな郁。人生というのは何が起こるかわからない。普通なんてものは簡単に見えて反対にとても難しいものかもしれない」

「目立たないように生きれば特別なんて起きないよ」

「それはどうかな?郁が目立たないように努めても、そんな殻を破ってくれる誰かが現れるかもしれない。この世は常に予期せぬ事象に溢れている」


そう言って笑う陵。


「……流石は一流の小説家。ただそれこそ父さんの小説のように夢物語だよ」


陵の言葉に一瞬目を見開いた郁だが、静かにそれを否定する。


「ははは。いつの間にそんなに憎まれ口を叩けるようになったんだい?口がたつのは母さんの遺伝かな」

「こら、陵!」


この会話はいつもの光景である夫婦漫才で終了を迎えた。


「……はぁ。新居に着くまで寝るね」


郁は疲れたような様子でそう言うとシートを倒し、静かに目を閉じた。


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