終話 それでも、世界は廻っている。②
「エヌ子、あっちのモフモフお髭のおじさん家族にこれ持ってって!」
「はっはい!」
時間が経って午後6時のご飯どき。
狭い店内で人がごった返すなか、少女はお盆にグラスやフィッシュアンドチップスを載せちょこちょこと動き回る。
しっかり丈のあったミニマム制服に身を包み、店長さんから飛んでくる指示に従ってお手伝いをしていた。
時には、家族連れの髭が立派なおじさんに
「偉いなぁエヌちゃんは。そこにいるうちの娘が酒の飲めない頃には…」
と昔話を聞かされながら魚の白身揚げを餌付けされ。
時には、パンクな格好をしているお姉さん連れに
「ほっぺが瑞々しい…化粧を穏やかめに変えようかしら」
と美容の愚痴を聞きながらカリカリのベーコンを餌付けされ。
またある時には
「どうだいエヌちゃん、一口だけお酒飲んでみるかい?」
と言っては奥さんに耳を強く引っ張られている老夫婦を宥めたり。
小さい体を生かして、人の隙間を縫うようにお手伝いをしていた。
それも1時間もすると落ち着き始め、少女はカウンターの内側、専用の背の高い椅子にピョンと飛び乗る。
「いやー助かるわ、エヌ子もゾイちゃんも」
「行き場のないエヌたちに、住む場所をくれたんです。だから、そのお返しなんです」
「別に見返りが欲しいわけじゃないんだけどね。でもエヌ子がこの短期間で看板娘化して、うちのお店も売り上げアップよ」
そう言いながら、彼女はまかないで作ったハンバーガーをエヌにそっと差し出した。
少女は店長さんの顔を見るが、彼女が茶目っ気たっぷりにウインクをしたのを見て、ナイフとフォークを手に取る。
その時彼女がズズイとエヌに身体を近づけると、周囲に聞こえない声量でそっと耳打ちした。
「それにしても遅いねぇ。ゾイちゃんも、あの軍人さんも」
「難しい話は分かりませんけど、身の安全を保証させる代わりに、エヌ達にしかできないことをさせる、みたいな取引らしいですよ」
「ちっこい体に大変なもの抱え込んでるねぇ。肩でも揉む?」
「ちっこいは余計です!」
ついつい、声を荒げる少女。プリプリとおこりながら心持ち大きく口を開けると、切り分けたハンバーガーをカプリと一口で頬張った。
その様がリスの頬袋のようで、店に来ていた者達は心の中で微笑んでいるが、知らぬは本人ばかりである。
「話は戻るけど、エヌ子達がここに住んでお店に顔出してるってだけで、私にとっては良いことなのよ」
「んくっ、そう言いますと?」
少女はミルクを飲んで口の中のものを胃袋に押し込めると、腕を組んでカウンターに伏せる店長さんの方を見る。
「うちのお店は悪酔いなしの、女性も入りやすいパブをモットーに経営してるからね。エヌ子がここ何日かお手伝いしてるだけでも、前よりずっと雰囲気が柔らかくなったのよ」
どこか優しげな目で店内を眺める彼女は、手持ち無沙汰にエヌの頭を撫でた。
「それにま、女手一つでお店回すのも精神的にキツいしね。居てくれるだけでありがたいのよ」
「……良い話ですが、それに便乗して勤務中の飲酒は禁止です」
お客さんからは見えないカウンターの下で、少女は氷を伸ばすと店長さん愛用のジョッキを手繰り寄せていた。
じっとり半目のエヌだったが、店長さんはどこ吹く風。
「ちぇっ、エヌ子たちがしっかりしてるから、私は楽したくなるじゃん」
「一滴でも飲めば、金輪際まんまるの氷ももう作りませんよ」
「ごめんなさいもう変なこと考えませんどうぞお許しを」
流暢に謝罪の言葉をすらすらと述べた彼女は、茶目っ気たっぷりに笑っている。
そんな折エヌの高性能な聴覚は、二階からトントンと床を踏む足音を耳聡く拾い上げた。
「エヌ子、もしかしてゾイちゃん?」
「なんで分かったんです?」
「そりゃあ、エヌ子がそんなにソワソワしだすのなんて限られてるもの」
店長さんは少女の脇に手を入れて持ち上げると、そっと地面に降ろす。
「行ってきなよ。もう客足は落ち着いてるし、後は私と厨房のスタッフでなんとかなるからさ。ゾイちゃんにもそう伝えておいて」
「はいっ!」
エヌはトテテとスタッフ勝手口へ早足で向かい、扉をくぐればもう駆け出していた。
そのまま一足とびに階段を駆け上がると、目を丸くしたあるじ様の真ん前に躍り出た。
「エヌ!もうお店は大丈夫なの?」
「店長さんが今日はもう何とかなるって言ってました」
「んふふ、お疲れ様。だいぶ頑張ったのね、ほっぺにソース付いたままよ」
あるじ様はスカートからハンカチを取り出すと、少女のほっぺたをそっと優しく拭う。
エヌは目を細めてなすがまま、ほっぺをムニムニと動かされていた。
「そういえばグレーは居ないのですか?足音は一人分しか聞こえませんでしたけど」
「なんでも『会えば別れるのが惜しくなる。また日が明るいうちに来るとしよう』だってさ。もう二階の窓から飛んでいちゃったわよ」
「全然気づきませんでした…さすが歴戦の猛者ですね」
「ま、立ち話もなんだし部屋に戻りましょ」
そう言って2人はどちらからとも無く手を出すと、短い距離だというのに当たり前のように手を握った。
少女はその手をニギニギと力を強めたり弱めたりして、なにやら難しい顔をしている。
そんな様子を不思議に思ったのか、あるじ様は部屋への扉を開けながら、その手を強く握り返してみた。
「うん、やっぱりあるじ様の手が一番しっくりきます。なんとなく収まりがいいと言いますか」
「どうしたの、藪から棒に」
前の家ほどは本が積み上がっていない部屋の中央、あるじ様はテレビの前に設置された2人がけのソファに腰を下ろす。
それを見たエヌはなんの迷いも見せずに彼女の膝の上に座ると、胸に頭を預けた。
「んー。今日はグレーとも手を繋いだんですけど、やっぱり少し緊張したなって。あるじ様が一番安心できます」
少女の様子に嬉しそうな笑顔を浮かべたあるじ様。リラックスした彼女はまたいつも通りエヌの頭上へ、そのたわわな双丘を載せた。
文字通り肩の荷が降りたあるじ様だったが、しかし少女の額にピシリと青い筋が走る。
「……やっぱり、あるじ様がどっしり肉厚だからですかね。もっちり感が違いますし」
今度はあるじ様の背中に電流が走ると、笑顔がより一層深くなる。
「ええそうね。エヌみたいなスレンダーなお子様ミニマムボディには到底くっつかないお肉だもんね」
その瞬間、エヌは猫のように飛び上がり、あるじ様と向かい合うように着地。
2人の間に沈黙が流れ、時計の針だけがチクタクと時を刻む。
どちらも口を堅く結んだままおもむろに腕を動かし、エヌはあるじ様のお腹を、あるじ様はエヌのほっぺたを掴んえだ。
そして2人は息ぴったりに、互いの体を摘みあう。
「あるじ様!毎度毎度エヌの頭の上にお胸を置いてくるのは自慢ですか、これ以上背もおっぱいも大きくなる望みなしのエヌへの嫌がらせですか!」
「エヌあなたは超えてはいけない一線を超えてしまったのよ。服の奥に隠された乙女の秘密に触れてしまったらもう引き返せないわ。それに私は身長175を超えてるんだもの、ちょっとくらい重くても」
「なーにが乙女ですかこの28歳!こそこそと毎日体重計に乗っては秘密の日記帳につけてるの知ってるんですからね!この体重ろくじゅは―」
「わーっ!わーっ!エヌ!言おうとしたわね!絶対言わせないわよ!」
彼女は今まさに秘密を白日に晒そうとする、少女の小さな口を手で塞いだ。
それでもエヌはむーむー何事か叫んでいるが、くぐもって何も聞こえない。
しばらくして息が苦しくなったエヌが、少し強めにあるじ様の手を退けるまで、悲しい戦いは続く。
両者肩で息をするようになるまで続いた、不毛な喧嘩だった。
だがふとした瞬間、2人は顔を綻ばせるとどちらからともなく笑い出す。
「あーあ、馬鹿らしいわね。私たちこんな喧嘩もした事なかったのよね」
「そうですね。こんなに簡単に声を荒げる日が来るなんて思ってませんでした」
エヌはどこか晴れやかな表情で、勢いよくベットに飛び込み仰向けになる。
「ちょっと前まで頼れる人が互いにしかいなかったもの。お互いちょっとどこか遠慮してたのよ」
そんな少女を追うように、あるじ様は苦笑いで様子でベットに腰掛ける。
「それにしてもグレーさんってやっぱり凄い人よね。あのフィッツとかいう人が事前に工作済みで、裁判が出来レースだったみたいよ」
「なんですかそれ!エヌそんな事一言も言われてませんよ!」
「あぁ、別れ惜しいんじゃなくて逃げてったのねあの人」
あるじ様は納得のいった表情で、ひとまず少女を諫めることに尽力した。
膝の上のエヌをひょいと持ち上げると、お互い向かい合う様に体の向きを変えて再び膝の上へ。
そのまま髪を手櫛ですいてやれば、すぐに気持ちよさそうに目を細めた。
「そういえば、エヌたちは結局これからグレーの下で何をすることになったんですか?」
「今までの警察から依頼があるか聞いて…って形じゃなくて、直接指示が飛んでくるみたいよ。ハードさも上がるみたいだけどね」
「何から何までお世話になりっぱなしですね…」
少女は思わずため息が漏らし、その様子を見たあるじ様は思わず苦笑い。
「それなら今度直接お礼言ってあげたら?多分あの人、それが一番嬉しいんじゃない?」
「いざ面と向うと恥ずかしくなっちゃそうですね。それにすっごい調子に乗る未来が見えます」
「あら意外。でも私たちには分かんない考えがあるのかしらね」
「そのおかげでエヌは元気に暮らせてますし。本当にエヌと敵対する気だったら、今どうなってるか想像したくもありません」
だが少女の脳裏に蘇ってくるグレーの姿は、少しおっかなびっくりエヌと手を握ろうとしていた姿だった。
そんなエヌを横目に、物臭なあるじ様は上半身を出来るだけ伸ばすと、どうにか動こうとせずにベット付近のテーブルへと手を伸ばす。
その手に握られていたのは、ここに住む人にしては些か子供っぽすぎる手紙の封筒。
「これ、エヌがこの前列車で出会ったシェパードさんの娘さんの…」
「アンナからの手紙ですか!」
少女は器用に足を振り上げ体を跳び起こすと、爛々と瞳を輝かせる。
「あぁ、そうそうアンナちゃん!あの子から届い手たから早めに返事を…って居ない!?もう机の上に!」
エヌはふんふん鼻息を漏らしながら、楽しそうに手紙を読み進めていた。
しかし、途中でピクリと身体を止めると、何かを伺うようにあるじ様の方を向く。
「あの、アンナに『お泊まりに来ないか』って書かれてたんですけど、エヌ1人で遊びに行って良い、でしょうか?」
その言葉にあるじ様は目を瞑って、少し考えるそぶりを見せた。
「うーん、やっぱりエヌは私と一緒にいて欲しいかな」
「…エヌの初めての友達なんです」
「やっぱり、この前派手に暴れ回ったしね」
「……うぅ」
エヌの雰囲気がどんどん萎れていき、目元がだんだん潤んでいく。
「―なーんて、前の私なら言ってたんだけどね」
一瞬キョトンとした少女だが、続く言葉にパァとその顔をあげる。
「エヌがそうしたいなら、手伝うのが私のやってあげたいことなの。ホントは少し、心配だけどね」
「あるじ様っ…!」
感極まった少女は、思わず背の高い彼女の胸元目掛けてハグ。
エヌ初めての、一人旅が決まった瞬間だった。
【END】
非葬儀少女とふたつの心臓 斑目鹿子 @narashika-senbei
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