終話 それでも、世界は廻っている。①
「では貴官の行動は利敵行為ではないと、そう言いたいのかね?グレー大佐」
堅苦しい軍服に身をつつんだ面々が集う、軍法会議真っ只中の裁判所。
そこの被告人席に座るのは、隻腕で頬杖をつくつまらなさそうな顔のグレー。
その隣には戦闘能力のない、されど元の体と違和感のない応急義肢をつけたエヌが立っていた。
「だーかーらー、報告書に書いた通りと何度言えば気が済むのだ。エヌは命を害そうとしない限り敵対の意思なしと」
彼女はチラリと少女の方を盗み見る。
「故に私の保護観察、後に協力関係の締結で問題ないと。それなのに無駄に仰々しい会議を開きおってからに」
グレーは残った片腕で肩を竦めてみせ、その姿を少女は信じられないモノを見た表情で諌めていた。
そんな様子が気に障ったのか、小太りの軍人が検察の席から唾を飛ばす。
「嘘をつくな!問題がないならなぜ戦艦が一隻落ちているのだ!」
「落ちてはないぞ?機関以外の大体が壊れただけだからな。大切な部分は無事だ」
「世間一般ではそれを落ちたというのだ!」
その様子を小馬鹿にしたような表情で、エヌの頭に手を置くとなおも不敵に笑いかける。
「それに、此奴が黙って私についてきている事こそが敵対の意思がないことを示しているのだぞ?例えばどこかの軍人が、Eliza・Q拿捕の任務を出したと知ってここに居るとすれば?」
「貴様ッ!機密をぬけぬけと!」
「誰が、とは一言も言っていないぞ?どうやら仕事熱心で勤勉なものが名乗りを上げたみたいだが」
「静粛に!両者とも不要な私語は謹むように」
グレーの挑発で小太りの軍人がヒートアップする前に、裁判長が木槌で机をガンガンと叩く。
そこで一同が口を噤むと、再び圧迫感のある裁判所が帰ってきた。
「ここでもう1人の当事者にも話を聞こうじゃないか。Eliza・Qの九番機」
「エヌだ。此奴にはしっかり名前がある」
「失敬、エヌ嬢。貴女がそこのグレー大佐と共謀して、軍規を乱そうとしているのではないかとの疑念が大きくなっているのだが、貴女は身の潔白をどのように証明する?」
無遠慮に値踏みする視線にたじろぐエヌだが、一旦大きく息を吸い込む。
そのままチラリと周囲を見回したあと、唾をゴクリと飲み込んでようやく口を開いた。
「エヌは、強いです。強いですから、今のグレーに捕まらずに、偉い人の何人かに酷い事をして逃げ切ることだってできます」
そのまま二人を睨みつけている小太りの軍人に、少女はゆっくりと視線を合わせる。
すると小太りの喉から「ヒュッ」と、機械の耳で辛うじて拾うことのできる情けない息遣い。
その様子を見たエヌは深くため息をつくと、裁判長の方に目を向け直す。
「二人で共謀してるなら、もっと被害は増えます。それをしてないのが、エヌの意志だと思ってください」
そう言ってエヌは見せつけるように氷の椅子を作ると、そこに腰を下ろした。
「さて裁判長、私は勿論このエヌにも謀反の意志なしという主張は事前に述べた通りだ。それに私が今までここにいる誰よりも軍に尽くしてきたのは、皆様ご存知だろう?」
不適な笑みで胸を張るグレーの姿を横目で見ながら、少女はどこか頭痛を覚える。
果たして被告人席に立たされるものがこのような態度でいいものか、心の中で思えども口にはしないが。
そんなエヌの内心など置いてきぼりに、グレーの弁は進んでいく。
「そして事前に述べた通り、彼女自身の身の安全を保障する後楯にはむしろ協力的で、その戦力は我々の助けになる」
「それでも何か間違いがあった場合、貴様は責任を取れるのか!アレがもたらす被害は今回の件で明確じゃないか!」
いまだめげない小太りの軍人に、なおもグレーは不適に一言。
「問題があれば私の首でもくれてやる。喜べ、目の上のたんこぶが消えるぞ?」
そして彼女はエヌの肩に手を回すと、下から真っ直ぐに裁判長を見つめた。
「さあ、裁判長?貴官の判断を聞かせてもらおうか」
◆◇◆◇◆◇◆
「それにしてもなかなか肝が据わっていたな。その腕、戦闘用でないのに裁判の真っ只中で強気な発言じゃないか」
「誰かさんが本当の殺意って物ぶつけてくれたおかげですね」
二人は裁判所からの帰り道。夕暮れ時の帰宅ラッシュに紛れて、二人も駅のホームに並んでいた。
腕一本分の空間を挟んで、二人は付かず離れずの位置にいる。
「良かったんですか?簡単に首なんて賭けちゃって」
「何だ、エヌはやっぱり翻意して軍を裏切ったりするのか?」
「しないですけど…そういう事じゃなくて」
少女は珍しくグレーに心配する様な視線を向けて言葉を続ける。
「エヌが心の中でグレーのことを信じてなくて、どこかで裏切ったらどうするんですか」
「そんなの簡単なことだ。妹の言うことを信じるのは、姉の役目だぞ?」
呆れた目つきでエヌを見やる彼女だが、少女は複雑な顔付きのままだった。
「何だか、始めて話した時と雰囲気がぜんぜん違いますね。意外と優しいと言いますか、仲間思いと言いますか」
エヌは少し機嫌を窺いつつそう呟く。
しかし電車がやって人が動き出したため、顔色を伺うことはできない。
「最初はどう思っていたのだ?怒らないから言ってみろ」
「…本当に怒りません?」
かなりの人数が列車の中でおしくら饅頭な状態の中、少女がグレーを見上げた。
彼女は無言のまま頷くと、エヌが恐る恐る口を開く。
「血も涙もない仕事の鉄仮面、です」
そう言ったきり、二人の間に沈黙が訪れた。
ガタンゴトンと電車が走る音、それに衣擦れと誰かの話し声が耳に入らない。
少女は怖くなったのかもう顔を上げることはできず、お互いに気まずい空気が流れる。
そんな折、電車が不意に大きなカーブを迎えたのか、横に大きな慣性がかかった。
小さい身長からか吊り革に手が届かず、かと言って近くに手すりの無いエヌ。
グラリと傾いた体は、しかし衆人環境で【氷雪機巧】を使うわけにもいかずに、大きくつんのめった。
「ご、ごめんなさいですっ」
そのまま他人の体にポスンとぶつかり、反射的に謝るエヌ。
しかし帰ってきたのは言葉ではなく、少女と距離を取るものでも無い。腕を回してギュッと体に強く押し付けるような抱擁だった。
「別に構わん。捕まるところが無いなら私に腕を回しておけ」
「…ありがとう、です」
さっきまでのギクシャクとした関係が態度に出てしまい、少女は少し体を硬らせる。
それなら、とより腕の力を強めるグレーの、身体の緊張をエヌは感じ取った。何か大切なことを言おうとしていると、本能的に直感する。
「なあエヌ、私はな、其方のお陰で分かったことがあるんだ」
「……」
「私が守りたかったのはこの国だが、この国じゃ無かったんだ」
「…それじゃあ、グレーは何のために戦ってたんですか?」
少女は抱きしめられた胸元から顔を上げると、彼女の顔を見上げた。
その先に見えたのは、今までに見たことがないほど柔和で穏やかな表情のグレー。
エヌの体から腕を解くと、髪の毛をふわふわと撫でた。
「女王…私の母親のような人が『守ってくれ』と言い遺したイギリス、それを守ってきたんだ。きっと私は、そういう繋がりに弱いんだろうな」
「確かに、船の人たちとは仲良さそうでしたもんね」
少女の脳裏によぎるのは、船員の身を案じて攻撃ができなかったグレーの姿。
「だが皮肉なもんだ。血のつながりなど望むべくも無い機械の私が、そレを大切に思ってしまうなんてな」
「それって、エヌもです?」
「勿論だ」
彼女は迷いなく言い切った。
電車が駅に近づくにつれ、つんのめるような力が二人にかかっていく。それでも少女はさっきまでとは違い、体をグレーに預けていた。
「でも、エヌに酷い事したのは怒ってますからね。最終的にうまく落ち着いたから良かったものを…」
「それについては返す言葉もない…が、内心ではかなり心苦しかったのだぞ」
「ウソ八百、やたら高笑いでエヌに攻撃してきたじゃないですか」
頬を膨らませた少女はグレーから体を離すと、一足飛びに電車の外へ駆けていく。
そのまま壁際でクルリと振り返ったエヌは、表情そのままに両手を腰に当てて、いかにも「怒ってます」といった風体だった。
「ああいう風に取り繕わなければ思わず素が出そうでな。埋め合わせは何がいい?」
「エヌにうんと優しくしてくれたら考えない事もないです」
「ハハ、それは手厳しい。でもまあ安心しろ、前にも言ったろ?」
子供を連れた親子が家路に着く、夕暮れの大通り。赤く燃える夕焼けを背中に、グレーはガス灯のような橙の炎を灯す。
「私はエヌのお姉ちゃんだ。我が儘の一つや二つ、聞かなくてどうするのだ」
「…なんか余裕そうです」
「私から一本取ろうなんて、それこそ百年早いぞ」
少女は憮然とした表情で早足に先を行こうとするが、その手がギュッと握られる感覚。
「さしずめ、まずは仲を深める所から始めようじゃないか」
「逃さないの間違いじゃないですか?」
「逸れたりしたらコトだろう?」
建物の屋上に居並ぶカラスがギャアギャアと嗤う中、仕方なしにエヌは歩調をゆったりとしたものに落とす。
そのままバス停へと向かおうとした少女だったが、その腕がちょいちょいと引っ張られた。
「其方が暮らしているところはバス停三つか四つなのだろう?それなら歩いて行かないか?」
「フィッツさんが聞いたらエヌ、嫉妬されちゃいますね」
少女はいたずらにそう告げると、大きな道路沿いの道をテクテクと歩いていく。
時計、ぬいぐるみ、レストラン、様々なショーウィンドウを横目でチラリと覗いては通り過ぎていく2人は、ふと藍色に染まりゆく空を見上げた。
「まだ砲台は出たまんまなんですね」
「ま、戦艦が誰かさんの手で半分川に落ちて、上は撤去やら環境保護やらてんてこ舞いらしいからな。でも市民は皆逞しいみたいだぞ」
建物群を一軒分挟んだ向こうの道路では、もう終わり際の路上マーケットが開かれており、会社帰りの人々で賑わい合う。
前とは少し風景が違うが、確かにエヌがよく目にしていた街の風景だった。
そんな2人が歩いていくと進んで右角突き当たり、少女にとってよく見慣れたカフェ。
今から夜営業のために、店構えをパブリックハウス―いわゆるパブと呼ばれる大衆酒場へと変えているその真っ只中だった。
そのため店の外に置かれている黒板を取りに来た、どこか心配げな表情を浮かべたあるじ様と、グレーはバッチリ目が合った。
「あるじ様っ!」
そんな様子は露知らず。エヌはあるじ様の姿を見た瞬間一も二もなく駆け出し、彼女のもとへ戻っていった。
「エヌ!裁判大丈夫だった?変なことされてない?」
「バッチリ大丈夫です!」
屈み込んで少女の顔をペタペタと確認するあるじ様に、エヌは満点の笑顔で答えた。
「まあ詳しい話は説明してくれる人にお任せですよ。ね、グレー?」
「そうよ。貴女がエヌを抱えて降りてきた時からなにかしら裏があるとは思ってるけど、なにがどうなってこうなったのか、全部話してもらわないと困るわ」
手を前に出したまま、少し不自然な格好のグレーはすぐにその手を顎に当てる。
店構えを変えつつあるカフェの様子を見て、彼女はにぎにぎと手のひらを握ったり開いたりした。
「話したら長くなりそうだからな、まずはその店の手伝いを終わらせた方がよかろう。私も腕半人分手伝うぞ」
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